十九
「大丈夫だ!」
瞼を開け真っ先に映り込んだ希羅の表情に、修磨は紐で勢いよく引っ張られたかのように地面に寝かされた上半身を起こし、抱き締めた。
抱きしめた人物の全身から何故か強烈な酒の匂いするなと、いやに大きくなったと、疑念を挟む余地などない。
ただ。心配させまいと。それだけだった。
「悪い。大丈夫だ。俺は頑丈だから」
小刻みに震える振動が伝わる。
どれだけ心配させたのか。と。籠める力を強めようとした矢先のことだった。
「あ~。そうやな。その上莫迦力の持ち主や」
直ぐ間近。
そう。抱きしめている人物から発せられているかの如き距離から聞き取れる声音に、口調に、瞬時に身体を引き離すと。
「希羅ちゃんやったら押し潰されるとこやったわ」
不機嫌な表情を浮かべた洸縁が目の前に居たのだ。
修磨は間髪入れずに不満をぶつけようとしたのだが、その表情には何故か焦燥も現れており。嫌な予感がして辺りを見回し捜すも、先程瞳に映ったはずの希羅の姿が見えなかったのだ。
「おい」
「希羅ちゃんならあそこや」
洸縁が視線を向けた先には人盛りができており。
ドクンと心臓が強く打った修磨が飛び跳ねるように立ち上がって駆け走り、人を押し退けると瞳に映ったのは。
「希羅!」
「動揺しない」
その静かな声音に。
一旦立ち止まった修磨は口を結び長く深く鼻から空気を取り入れ、ゆっくりと地面に横たわる希羅の元へ向かい、譲り葉と向い合せの位置に立ち、膝を曲げて希羅の顔を凝視した。
その双眸には映るは、提灯に照らされた血色が通う希羅の眠り顔。
耳に届くは、すーすーと規則正しい寝息。
その姿を視認してようやく、動揺が水辺の波紋のようにゆっくりと消えて行く。
「希羅ちゃんの叫び声が聞こえたかと思ったら、君が地面に横たわってて。直ぐに腰を上げて行こうとしたら、希羅ちゃんが倒れたんや」
洸縁は譲り葉の横に立って膝を曲げ、顔を向けた。
「譲り葉さん」
「そんな顔しないの。命に別状があるわけじゃないんだから」
「おふくろ。希羅は「修磨。あなた本当にこの娘を護りたい?」
「ああ」
洸縁に向けられたものから一変したその厳しい表情に、鋭い目つきに、凛とした声音に。
されど、修磨は慄くことなく、瞬時に答えた。
躊躇も疑念も何もない。
ただ揺らぐことが一切ない確固たる想いのみだ。
「護る」
「顔つきだけは、一端の父親ね」
視線を真正面にいる修磨から希羅へと移した譲り葉は、隣に居る洸縁の名を呼んだ。
「いいわね」
数秒の沈黙の後、か細い肯定の言葉が耳に入る。
顔は見てないが、どんな表情を浮かべているかは容易に想像できるから。
思いやりのある心優しい息子たちの友人に、感謝と謝罪の言葉を心の中だけで贈ろう。
(大丈夫。全てを話すつもりはないから)
そっと、洸縁の背中をぽんと優しく押した譲り葉が、周りに居る者に三人だけにしてくれと告げるや、その深刻さを悟ったのか。
疑問を口にしないまま黙って希羅に背を向け歩き出した。
海燕と隼哉を除いては。
「海燕」
「父さん」
父親と娘に呼び掛けられるも、彼らはその場を動こうとはしなかった。
「海燕君はいいとして。あなたは?興味本位、かしら?」
柔らかい声音なのはずなのに冷たく聞こえる隼哉はそれでも、踏ん張ってその場に押し留まった。
「縁です」
「縁?」
顔を上げ自身に固定させた譲り葉の瞳を、隼哉は真直ぐに見据えた。
「はい。僕は幼い頃の希羅ちゃんと会っています。いえ。見た、と言った方が正しいですね」
頭に焼き付いて離れない。
隙間から覗き見た。
一輪の花のように凛と立つ幼い彼女の姿と、彼女の父親らしい男性の懇願する姿。
数は少なくなったが仲間として共に生活をする吸血鬼に。
血を吸ってくれと。
声を詰まらせながらも、幾度も幾度も願い出ていた。
「僕は希羅ちゃんに希望をもらいました。彼女が居たから娘を追いかけられた。それに怖がらせてしまった。感謝と謝罪を合わせて。僕に力になれることがあるのなら「ないわね」
バッサリと切り捨てるような物言いで告げた譲り葉は、視線を隼哉から海燕へと移した。
「あなたが力のある存在なら考えないでもないけど。全く役に立たないから。気持ちだけでは護れない。分かるわよね?」
隼哉にだけではない。自分にも告げているのだと分かる海燕は、拳を強く握りしめ半歩足を前に踏み出した。
「俺は確かに。まだ力は足りません。けど。護りたいんです。大切な友人の力になりたい。お願いします」
「だめよ」「海燕」
「親父は黙っててくれ」
背後から父親である草馬の短いため息が耳に入る。
が。
「おめーはまだ駄々をこねる子どもか。力にならねぇって言われてんだろ」
(分かっている)
「つまり傍に居られると足手まといってこったろうが」
「分かっているよ!!んなこと!!」
「海燕」
父親の方を振り返った海燕の耳には師である洸縁の声音が入るが、止まらない。
何より。
悔しくて、情けなくて、腹立たしい。
無力な自分が。
「分かってるよ。俺は力がないって。希羅の傍に居たって、役に立たないって。覚悟も半端。実力もない。居なくたって。居ない方がいいって。分かってるよ。けど」
胸の辺りの着物を強く握りしめる。
「友達なんだよ。俺は。だから。何もしないままでは、いられない。知らないままではいられないんだ」
「なら身体を動かせ。頭を動かせ。譲り葉様に認められる男になれ。口動かしてるだけじゃなれねぇだろうが。この莫迦たれが」
ずかずかと海燕との距離を縮めた草馬は軽く頭を小突くや、譲り葉に向かって頭を下げた。
「お時間を取らせてしまい、申し訳ありません」
(親父?)
海燕は目を丸くした。
その滅多に聞いたことがない父の敬語に、その何処か恐縮とした態度に。
彼女がどれだけ凄い人物かが窺えた。
「いい息子さんだわ。けど「はい。不出来な倅です。が」
がばっと、頭を上げた草馬は真剣な表情で譲り葉を真正面に見つめた。
「こいつは必ず強くなります」
「親莫迦ね。あなたも」
「色眼鏡をかけてるつもりはないです。いち、男としての発言ですから」
数秒、草馬と瞳をぶつけ合った譲り葉は、隣に居る海燕の名を呼び視線を向けた。
「あなたが仮に修磨や洸縁君と同じ力を身に付けたとしても、教えるつもりはないわ。護りたい者が違うから」
反駁する暇を与えずに、譲り葉は言葉を紡ぐ。
「この娘を護りたいって言うあなたの気持ちを信じてないわけじゃないの。本気で護りたいのよね。けど、それは他の人にも、妖怪に対しても同じ気持ちでしょう?」
「はい」
「皆を護りたいから武士になったのよね」
「はい」
「だから、よ。修磨と洸縁君はあの娘を護りたいの。究極的に言えば、あの娘一人を護れればそれでいい。けどあなたは違う。その瞳に映る人、妖怪を全て護りたい。だから教えられない。付きっ切りであの娘の傍には居られないから。教えたところで邪魔になるだけだわ。気がかりで他の者に集中できなくなるのが目に見えて分かるし。反論できないわね」
「なら「友人を想う気持ちは称賛に値する。けど、あなたはあなたの道を見極めなさい。そしてできることをしなさい。言っとくけど、切り捨てられた、とか、切り捨てた、とか阿呆なこと考えないでよ」
押し黙った海燕の表情はそれでも納得が行っていないのが丸わかりで。
呆れよりも嬉しさが募るが。
「もう一度だけ言うわ。あなたにできることをしなさい。以上。はい。後ろ向いて行きなさい」
譲り葉は、ぱんと両の手を音を立てて合わせ、海燕にはもう用がないと言わんばかりに視線を修磨に向けた。
譲り葉のその冷たい態度に、されど海燕は負の感情を抱くことはなく、ざっと頭を下げその場を去って行った。
「あなたも行きなさい」
「お願します」
視線は修磨に固定させたまま。
彼の後ろに居る、海燕よりも遥かに役に立たないと分かり切っている隼哉に、譲り葉の堪忍袋は切れかかっていたのだが。
「あんたねぇ「知りたいのです。どうしても」
その態度にかろうじて繋がる。
どうしてこう頑固なまでに譲らないのか。
本人の言葉通り、縁はあるのかもしれないが此処までするほどに深いものではないはずなのに。
(惹かれているのかも、しれないわね)
今の娘にではない。
あの刻の娘に、だ。
(かと言って。本当に戦力外通告を顔面に叩きつけるくらいの実力なわけで、教えたところで何の役にも立たないし。何より。邪魔だわ)
海燕とは違い、嬉しさよりも遥かに呆れ、否、苛立たしさが募る。
だが視線を向けたその頭を下げた姿からは、梃子にも譲らない、という気迫が目に見えるほどにほとばしっており。
(面倒臭い男)
「おふくろ。顔が怖えぞ」
「温厚な私が表に感情を出すなんて珍しいのよね~」
ニッコリ笑顔で軽い口調だが、その場の空気が途端に冷え切る。
修磨は危機感を覚え即座に立ち上がり、準哉の方を振り返り口早矢に告げた。
「おまえの気持ちは有難く受け取っとくから早く行け。このままじゃ、口では語れないほど恐ろしい目に遭うぞ」
「ですが」
「あら~。しつっこい男ね」
「啓蔦と或るお方から話を聞いたんです」
「啓蔦、或るお方?」
軽く眉根を寄せた譲り葉の瞳に自身の瞳をぶつけた隼哉は言葉を発し続けた。
「吸血鬼、吸血羇の長となる僕だけは知っておくべきだと」
(父さ、ん)
初めて見るかもしれないその険しい表情に。
強引に父親を連れて行こうとしていた姫叶は恐怖を覚え、声を掛けることを阻まれてしまった。
先程とはまた違う、緊迫した空気に変わる中。
それを打ち破るような盛大なため息がその場にいる者に届き、その声の主の方に視線を向けると譲り葉が額に片手を添えていた。
「先にそれを言いなさいよね」
「すいません」
「或るお方って、照影でしょう?」
「はい」
(全く。何を吹き込んだのか)
「啓蔦、照影って誰だよ?希羅に関係すんのか?」
「僕も初耳ですけど」
「分かった。分かった」
(何処まで話すべき、か)
答えは話しながら導き出すとしてとりあえず、と、譲り葉は今にも詰め寄りそうな男たちから、視線を父親の傍で明らかに戸惑う素振りを見せる姫叶に向け名を呼んだ。
「ちょっとお父さん借りるわね」
「姫叶。皆と店に戻っていて」
何時もと変わらないのんびりとした声音に。
肩の力を抜いた姫叶は分かったと告げ、最後に希羅に視線を向けて後、仲間の元へと戻って行った。
これでこの場に残ったのは、譲り葉と修磨、洸縁、隼哉、そして未だに眠っている希羅である。
「大丈夫。この娘の周り、あと私たちにも『黙音の術』を掛けているから聞こえない。まだ、知らない方がいいでしょうし」
「は、い」
一応は肯定の言葉を口にした洸縁だったが、譲り葉の言葉にすんなりとは頷けなかった。
譲り葉は洸縁の心情を悟ったのか。
無言でくしゃりと洸縁の頭を撫でて後、修磨、隼哉の順に視線を配り、口を開いた。




