十二
「千歳。泣いているだけじゃ分からないわ」
原家の居間にて。
家に着くなり母親に抱きついて泣き出した千歳の背中をゆっくりと擦りながら、涼夏が優しく問いかけると、千歳は真っ赤な顔を上げて泣きじゃくりながら今まで溜め込んでいた想いを発した。
「お、かあ、さん、は。そんっなに。おとう、さんのことが、きら、い?」
一瞬全身が強張った涼夏はだが、直ぐに取り直し、千歳の頬にそっと手を添えた。
「どうして?」
「だ、って。おとうさん、の、こときくと、こわいかお、するし。なにも、いわない、から。だから」
えぐえぐとしゃくりあげながら、千歳はぎゅっと母親の裾を掴んだ。
そして。
「わたし、おとうさんに、あい、たい。あいたい!!」
口を一文字に結んだ娘に、初めてかもしれない。と思ってしまった。
願いを告げられたのは。と。
「あのひと、は、おとうさん、じゃなくて。ちがくて。だから。だから。おかあさん、しか、しらない、から。おしえて。おしえて!!」
「おかあさん!!」
その当たり前の名称に、思わず息をのむ。
(そうだ。私は)
全身をばたつかせて、わぁわぁ声を上げて泣く娘を、涼夏はぎゅっと抱きしめた。
「ごめん。ごめん。そうだね。私は、あなたのお母さんなんだよね」
今更だった。
どうして自分の感情を第一に置いたのか。
どうして出て行ってしまった夫の感情を第二に置いたのか。
何よりも優先すべきは娘の願いだったのに。
たった一目、父親に会いたいという、当たり前の願いだったのに。
娘にこんな風に悲しませてからしか、気付けないなんて。
こんな状態にならなかったらきっと今も素知らぬふりを続けていたに違いない自分に、この時になって初めて嫌悪する。
(母親失格だわ)
「ごめん。ごめんね」
「教えて!!」
「うん。会いに行こう」
ピタリと動作が止まる。
「ほ、ほんとう?」
「うん。ほんとう」
涼夏は目を見開かせる娘の目元を親指で拭った。
「会いに行こう。お母さんも、お父さんと話さなくちゃいけないことができたわ」
そう言うや、さっと涼夏は千歳に背を向けると、千歳は口を尖らせた。
「じぶんであるく」
「そっか。そうだね」
ほんの少しの寂しさとそれ以上の喜びを感じる。
独り立ちして行こうとする姿に。
どんどん、成長していくのだと。
すっと立ち上がった涼夏は手を千歳の前に差し出し、千歳がその上に手を添えると、ぎゅっと優しく、けれど離さないようにほんの少し力を籠めて握り、そして歩き出した。
あの人が自分に引け目を感じていたことは知っていた。
けど。傍にいるだけで十分だったから、自分で何でもやってしまって。
それが苦しませていたのか。何時も申し訳なさそうに笑っていた。
自分が頑張れば喜んでくれるなど。
どうしたの、と。たった一言を言葉にすればよかったのだ。
分からなくて。
だから。彼が出て行っても捜さなかった。
傍に居たくないのなら、居させたくなどなかったから。
(苦しい顔なんか、させたくなんて、なかったのに)
今なら言葉にして伝えたいことがたくさんある。
だから。
逸る想いに負けないくらいに、駆け足は速度を増して向かう。
大事な存在の元へと。
「てめー!!」
「あんたしつっこい。うちの衆をそんなにバカスカ殴らないでよ」
「お、お嬢」
修磨に片腕で抱えられながらもう片方の腕でバカスカと殴られていた帆須徒無の従業員が一人、日向はその優しい笑みに思わずほろりときたが。
「私が殴るところがなくなるじゃない」
この瞬間石の如く固まってしまった。
怒の空気が少女の全身から溢れ出す。
笑顔だけに凄味は一押しだった。
「まだかよ」
舌打ちしそうになるのを瞬時に踏み止まり、殴るのも止めた修磨に隣で走る少女も同意したら、日向は項垂れたまま口を開いた。
バカスカ殴られたにはあまり痛まないところを見ると、手加減してくれたのだと分かり、申し訳なさが募る。
(娘を誘拐も同然で連れ出したんだ。父親だったらこれが当たり前だ)
「もう少しです。すいません」
「あなたが謝ることないのよ。うちの莫迦父がやらせたことでしょう?」
「お、お嬢」
「ああ。でも、唯さんには言っておかないとね」
「お、お嬢それだけは」
「夫婦の間に隠し事は厳禁、でしょう」
慌てふためいて弁明しようとしたら、少女ににっこりととどめを刺され、日向はそんあぁと全身の力を消滅させた。
最早彼は再起不能だろう。
「大丈夫よ。もう目の前だもの」
余計なことをと睨んでいたのが丸見えで。
少女が向ける視線の方にある建物目掛けて一直線に駆け走った。
(希羅。待ってろ。俺が今行くから)




