十一
「あの。全く意味が分からないのですが」
「無料なので安心して下さい」
(違うってば)
処変わって。
あれから歩くこと数十分して、仁夛にこの洋風の建物に案内された希羅は今、黒を基調とした部屋の中で横一列に椅子に座らされた五名の女性たちと共に何故か帆須徒無の従業員にもてなされていた。
(玄武さんは居ないけど、それ以外の人は来ているみたい)
彼が居ればこの状況を説明してくれるのだろうが。
「あの。二人で話したいって言いましたよね」
「すいません。本気の恋愛はちょっと」
再度謝った仁夛に、希羅の顔はピキリと凍りついた。
無論怒りで、だ。
(そんなに話したくないわけ。どれだけ会いたくないのよ)
怒りの度合いが上昇する中、気を落ち着かせようと静かに腹式呼吸を行い、希羅は隣に座る仁夛の方を見ずに話しかけた。
「会いたくないならそう一言口にして頂ければそれで引き下がりますよ。何故其処まで誤魔化そうとするんですか?」
「ですから「涼夏さんがあなたを見たと言いました。夫に間違いないと」
希羅が隣に視線を送れば、何時もの弱弱しい笑顔は見られず。
「彼女は会わない方がいいからと、関わらないことにしていたそうです。あなたを苦しませるだけだからと。私は事情を訊いていないのでどうしてそうしているのかさっぱり分かりませんが。けど。娘に。実の娘に一度会うくらいならいいじゃないですか?あの子は。千歳ちゃんは一目だけでいいと。それ以上は望まないと言ったんですよ。本音はどうであれ。聡い子です。その言葉通りにしてくれます。ですから。先程告げた言葉を撤回してもう一度会ってください。できないのなら、そう一言。私に言って下さい」
まくし立てて告げた希羅の言葉は終始熱が籠っていた。
「すいません」
ぽつりと告げられた望まぬ言葉に、苛立たしさが再燃する。
「だから「妻は…涼夏さんは、僕を見たと、僕がこの町にいることを知っていたのですね」
「…はい」
寂しそうな声音に、悔やむ表情に。一旦この感情を引っ込める。一旦。
「会わせる顔はないと、分かっていました。身重の妻を置いて逃げ出したんですから、当然です」
言葉を区切ったかと思えば、仁夛はいきなり立ち上がり従業員の一人に駆け寄ってまた戻って来た。
「此処は少し騒がしいですから。…話を聞いて頂ければと」
「私で、よければ」
じっと見つめていた希羅に申し訳なさそうに告げた仁夛は今度こそ二人になれる場所へと案内した。
そして小さな丸いテーブル真ん中に、希羅と向い合せの椅子に座った彼は手を重ね合わせゆっくりと言葉を紡いだ。
ずっと自分の中に閉じ込めていた弱さを吐き出すように。
僕は昔から何をやるにも不器用で、もたついて。結局できずじまいで。よく人を苛立たせていました。
逆につ…涼夏さんは何でもできる人で。姉御肌で。正反対の人間は彼女のことだとよく思っていました。
でもだからこそ。妬む反面、惹かれてもいました。
それで。無謀にも交際を申し込んだんです。もう、口から心臓が出るほど緊張して。しかもそんな大事な時にも、噛むわ間違えるわで。
もうだめだと思ったのに、彼女が受け入れてくれて。
絶句でした。だって引く手数多の女性だったんですよ。これは都合のいい夢かと思ってつい川の中に飛び込んでしまいました。でも夢じゃなくて。最初は本当に幸せで。このままずっと彼女の傍に居られればと。
ですが、彼女から結婚を申し込まれた時に、どうしてか。断った方がいいのではないかと言う考えが過って。傍に居ると、出来ないことが際立ったんです。引け目を感じて。
でも。結婚をして責任を取る立場になれば、もっと頑張って彼女を支えられるんじゃないかと。その考えの方に傾いて。
結婚をして、妻になってくれて。
でも僕は何時まで経っても変わらなく。逆に彼女がどんどん遠くに行ってしまって。僕が頑張るよりももっと頑張るんです。僕のすることがないくらいに、全部一人でやって。
傍に居るだけでいいと言われましたが、そう言うわけにはいかないでしょう?僕だって、彼女を支えたいのに。
どんどん引け目の感情だけが膨らんで行って。
それで。彼女に子どもができたと教えてもらった時、身重だからと。僕がやるからと言っているのに。それでも彼女は僕を頼らなくて。
傍に居る理由が何処に在るのだろうかと思い始めた或る日。ふっくらと膨らんだお腹を擦りながら彼女が笑顔で言ったんですね。
『頼りにしていますよ、お父さん』って。
「夫として、父として。これほど望まない言葉はなかったはずなのに」
「何もできていない僕にとっては、それは末恐ろしい言葉で。気が付けば、血相を変えて逃げ出していたんです」
表情が岩のように硬くなっていく姿は見ていて痛々しく。
だがそれ以上に胸に打つのは。
「逃げて逃げて。どれくらい経ったのでしょうか?疲れて道端に寝転んで。一晩か二晩か。眠って。目が覚めた時に正気に戻って。急いで戻ったらもう赤ん坊は生まれていて。彼女の傍には見知らぬ男性が居て]
「ああ。こういうことだったんだな、と。何もできない僕に愛想を尽かしたんだなと。でも彼女は全然悪くないんです。だから、僕はそのまま姿を見せずにその場を去って。彼女の目に映らないようにギリギリ行けるところまで行って。そして道端に座っていた僕を此処の店長が拾ってくれたんです。それからはずっと此処で働かせて頂いていました。彼女も、子どもも、僕なんかがいなくても大丈夫だって、分かっていましたから」
それがまさか、と、仁夛は顔を両の手で覆った。
「この町に来てから、会っても困らせるだけだろうと、でもどうしても謝罪の気持ちだけは置いておきたくて。貯め込んだお金をこっそり家の中に置こうと夜中に忍び込んだ時、あの時目にした男性が居なくて。偶々その日にいなかっただけかと思いましたが、どうしても気になって」
「してはいけないと分かっていても、こっそりと様子を窺がっていたんです。そうした或る日、あなたが現れて。子どもが会いたがっていると告げて。会えないと思いました。だってですね。男性はちゃんと彼女たちの傍に居るって、分かったから。何より夫だと、君の父親だと名乗る資格もなくて。だから、誤魔化すしかないと」
絞り出された想いに、苛立ちは沈静化し同情を抱いた希羅だったが、違和感を覚え眉を潜めた。
(?新しい夫を迎えてたってこと。でも。涼夏さんは一人で育てたって)
だがどうであれ、彼が彼女らを置いて逃げた事実は変わらなく、会う資格がないという彼の言葉も恐らくは真実で。
それでも。
「資格とかじゃなくて。あなたは千歳ちゃんに会いたいですか?」
訊きたいのは。知りたいのはこの一点だけだ。あとは知るか。
(私はお母さんたちのように万能じゃないもの。千歳ちゃんの願いを叶えるだけ)
父親に会いたいという願いを。
それには彼が父親だと認めなければまるで意味がない。
「教えてください。あなたは今、千歳ちゃんの父親ですか?その上で、会いたいと思っていますか?」
「僕は「希羅様。店長があなたにお話があると」
従業員の一人が扉を開けて入って来た為に被さってしまった言葉を。
間を置かずに発せられた想いを、希羅が耳にすることは出来たのであろうか。




