五
「ようこそ。緑柳紅花へ」
(か、帰りたい)
ずらりと両側に一列に並び笑みを浮かべる二十人程の男性に迎えられた希羅は今、脱兎の如くその場から逃げ出したい気持ちを必死に抑えていた。
―――帆須徒無『緑柳紅花』にて。
女性をもてなす為に創業された帆須徒無は各地を行き交う従業員以外は男子禁制の園。
色鮮やかな宝石がちりばめられているような壁紙と少し暗くなるように設置された照明は蠱惑的な雰囲気を醸し出し、その中では男女の歓談が不思議と響き渡る。
時に愉しく、時に甘く、時に切ない時間をあなたに。
店内での接待料はなし、飲食物以外は無料で提供。(水・お茶は無料)。ただし店外での従業員の逢瀬(夜限定)は有料となります。
注意事項としまして、店外の門にも掲げさせて頂いておりますように、女性は十五歳以上の方限定としておりますので、ご了承ください。
営業時間は午後七時から午前四時とさせて頂きます。
(うわ~。老若問わず)
店内に案内された希羅はふかふかの柿渋色の椅子に腰を落ち着かせてきょろきょろと周りを見渡した後、手渡された二枚の紙を読んでいた。一枚は店内案内、もう一枚は二十人の従業員の似顔絵と名前である。
(あれ。この人の名前)
従業員紹介は指名数が多い順に上から記されており。希羅の瞳に真っ先に映ったのは、特別短期従業員と書かれている二人の内の一人、玄武という名で、似顔絵が描かれているはずのところにはお楽しみの文字が書かれているだけであった。
ちなみにもう一人も似顔絵がなしで名は焼売である。
(玄武さんが人に化けて此処で働いていたりして)
そう感想を抱きながらも下へと文字をなぞっていた指は或るところでピタリと止まり。希羅は机の上に寝かされている金色の旗を上げた。何でも声が聞こえない店内でも一目散に分かるようにと配慮されて、用がある際の合図としてこれに決定したらしい。
「本日はお越し頂き、至極恐悦に思います。ご指名の相手はお決まりで?」
全身から線香花火のように淡い光を発しているかのような雰囲気の男性は、お盆に乗せていた水が入った透明のグラスを机の上に音を立てないようにそっと置いて。
「お姫様」
はにかむ笑顔を向けた。
(か、帰りたい)
笑い声が耳に入るが、あんな風にとても居心地良く過ごせる自信は全くない。
愛想笑いを浮かべた希羅は或る一人の男性を指名した。
名を仁夛。ほんの少しくせっけのある短い髪の毛に長細い顔立ちで気弱そうな笑顔の似顔絵が描かれていた彼は、千歳の父親かもしれないのだ。
千歳の話によれば。
何故自分には父が居ないのだろうと不思議に思った或る年から、その疑問をぶつけても母である涼夏さんは父親は居ないと言うだけで何も教えてはくれなかったのだが。
或る晩、千歳が眠りから覚めた時分に、再婚を勧めに来た叔母が父の名を、そして数日前に道を行き交う女性たちがこの店とその名を口にしたのを耳にしたらしく。
だが母に告げても怒らせるだけだろうと子ども心に感じた千歳は自分で確かめようと此処を訪れるも、年齢制限に引っ掛かり入れずじまい。
其処で噂に聞いた、人も妖怪も助けると言う自分(希羅)を訪れたらしい。
『叔母さんに聞いたら、ね。お父さん、私がまだ生まれる前に急にいなくなったって。叔母さんね。時々お見合い話を持って来るの。それでこの前ね。薄情な兄でごめんなさいって。お母さんに謝ってた。叔母さんも、お父さんのことが嫌いなのかなって思ったら、頼めなくて。だから』
(こういうところで本名を使うとは思えないし。千歳ちゃんには可哀想だけど見込みは零に近いのよね)
それでも可能性があるならと。
あんなにも声を、想いを絞り出されては。
(かと言って。万が一に本人だったとしても、素直にはいそうです。なんて言わないだろうし。逃げ出したんだから……やっぱり私だけじゃ荷が重いよね。洸縁さんに本当のこと言えばよかったかな)
「あの。どうかしましたか?」
低くて柔らかな声音。どうしてか。耳にして土の地面のようだと感じた。
「いえ。その。お腹空いたな~と思いまして」
(ハッ!?お金を根こそぎ取られる!!)
飲食物は有料。希羅の頭には赤文字のその言葉が点滅しており、なんて莫迦なことを口走ったのかと、希羅はあらゆる罵詈雑言を自分に浴びせつつ、どうやって金出せ攻撃をうまく躱そうかと頭を猛回転させた。
「押し売るつもりなどこれっぽっちもないですから安心してください」
固まった希羅を察したのか。隣に座った仁夛はそっと希羅にそう耳打ちした。
ボオっと、何故か身体が熱くなる。
「えっと。お年は幾つでしょうか?」
「三十五になりますね。こう見えても。実は二十前半、時には十代後半に見られることもしばしばで。お客様、は?」
(三十五。年は一緒)
「十七になります。希羅と申します」
ぺこりと頭を下げた希羅に、仁夛は遅らせながらも、とほんの少し弱弱しい笑みを向けた。
「仁夛、と申します。ところで、僕を指名した理由を訊いていいですか?」
(のんびりとした人だな)
口調からそう覗える。と呑気に思っていた希羅だったが、次の瞬間慌てだした。
(って。理由!?まさか。あなたのお子様かもしれない女の子が捜しているから。なんて莫迦正直に……告げた方がいいのかな)
当初は外堀から埋めて行こうかと思ったが。
こうして直に接してみると、莫迦正直に告げたらすんなり答えてくれるかもしれないと思ってしまったのだ。
「あ、の。原涼夏、という三十七の線香花火職人の女性をご存知では?」
「原、涼夏、さんです、か?」
一時顎に手を添える記憶を捜しているような仁夛はだが、ゆっくりと首を振った。
「すいません。僕の知らない人のようですが。その方が何か?」
「お子さんが仁夛という男性を捜しているのです」
「もしかして。お身内の方、とかですか?」
「父親だそうです。十年前。生まれる前に急に居なくなったらしく」
「そう、ですか。面目ない。力になれずに」
「いえ。私の方こそいきなりこんな話を」
「いえいえ。これも何かの縁、と言うことで。よかったらこれからもご指名いただくと有難いです。なにせ指名されることがほとんどなくて暇なのですよ」
「はい。でも私。お金持っていませんから」
「え。ええ。構いませんよ」
強調され念を押されたような言葉に、仁夛はほんの少し気圧されてしまった。
「邪魔して構わないか?」
「玄武さん」
突如現れ、仁夛に名を呼ばれた、長い黒髪にキリッとした目元に落ち着いた大人の和風男性といった印象が持てる彼は、二人が了承する前に希羅の隣にすっと腰を落ち着かせた。
「仁夛。店長がおまえに用があると言っていたぞ」
「そうですか。希羅さん。すいません。少しだけ席を外します」
「はい」
立ち上がった仁夛は希羅に向かってお辞儀をしてこの場を去って行った。
「久方ぶりだな。泣き虫娘」
「玄武おじいちゃん」
「此処でそんな呼び方をするな。指名数が減るだろうが」
「…すいません、玄武さん。驚いてつい。今は此処で働いているんですか?」
「此処は見目と話術でたんまりと稼げるからな」
にやりと笑った玄武に、希羅が守銭奴と思ったことは言うまでもない。
(しかし。まさかこいつが此処に現れるとはな)
玄武がちらと後ろの方に視線を送れば、其処にはとてつもなく悔しそうな表情と態度を取る修磨の姿があり。
(仁夛に迷惑をかけなければいいが)
「でも助かりました。玄武さん。突然ですが仁夛さんについて何か知っていますか?」
「知らん」
あまりの即答っぷりに、希羅はそんなぁと落胆してしまった。
「一緒に働いているからと言って親密になれる。と言うわけでもないだろう」
「そう、ですね」
「事情は知らんがそんなに手助けが欲しいなら洸縁に相談すればいいだろう。嬉々としていたぞ。相談してくれるんやって。とな」
「これ以上。私、両親に縛られて欲しくないですから」
(大莫迦者だな、おまえも)
玄武は持っていた御猪口を口につけてほんの少しだけ酒を含んだ。
「今度。二週間後か。客と一緒に夜桜を見に行くという企画が行われるらしい。その時に何か美味い物を見繕って持って来い。それで手を打ってやる。おまえの話術でほいほいと話す男じゃないからな」
「玄武さん……すいません。ありがとうございます」
「礼を言うくらいなら今度来た時にも何か作って持ってこい。どうせまた来るんだろう」
「はい」
(あ~。鬱陶しいやつだ)
ビシバシと執着深く暑苦しい視線が背中にぶつかる。
誰が、など考えるだけ時間の無駄だ。
(ああ。落ち着くな)
何時もと変わらない素っ気ない物言いに、自然と肩の荷が下りる。
両親のように素直に甘えられる存在がいるとすれば、それは隣に居る妖怪で。
仮に。自分があのまま死ぬことがあったとしても、彼は悲しむことなどなく、ただそうかと、一言呟くだけだっただろう。
おまえの好きなように死んだだけだろうと。
突き放すような物言いで。
その接し方が凄く心地いいのだ。
「玄武さんは今回どのくらい町に出ているんですか?」
「三週間くらいにするつもりだ。丁度夜桜を見に行った次の日になるだろう」
「洸縁さんは知っているんですか?」
「ああ。この前ばったり会った。何時でも何処でも付きまとわれて鬱陶しいだろうが、おまえの身体を心配しているんだ。憑りつかれていた時間が長かったからな。だが九割九分は好きでしている。重く受け取らずに存分に甘えてやれ」
「でも。洸縁さんにも自分の人生を歩んでほしいんです」
「存分に突っ走っている。あのにこにこ顔を思い出してみろ」
ため息交じりの言葉には呆れが手に取るように感じ取れて。
「おまえは物事全般に対してあれこれ考え過ぎだ。あの修磨と言う小僧を少し見習ってみろ。自分の本能の思うままに行動しているだろう。実に滑稽だ」
「そうですね。あんな風になれればって、思ったりしたことはあります」
見ていて気持ちがいいほどに、あんなにもあけっぴらな者はそういないだろう。
「…玄武さん。気のせいでしょうか。殺気がビシバシと全方向から向けられている気がするんですけど」
恐る恐る周りを見渡すと此方に視線が集中しており。希羅は知らずごくりと唾を呑み込んでいた。
美形の隣に一人で居るのは危険だ。
「あの。皆さんのところに行った方がいいんじゃないですか」
「ああ。そうだな。ではまたな」
「はい。ありがとうございました」
腰を上げた玄武はゆったりとした足取りで他の女性の元へと向かって行った。
(漸く希羅から離れたな。あの助平野郎。河童なんだから胡瓜だけに興味持ってろっての)
そっと頭半分だけを椅子の上に出して様子を窺がっていた修磨の瞳はギラギラに燃えていた。
(あ。くそ。もう戻ってきやがった。いやいや。あいつの仕草を焼き付けるんだ俺)
思いもかけない希羅の登場にあれやこれやと妄想が行き交うが、だがこれはこれで学ぶべきことはあると、じっと凝視していた修磨であったが。
「焼売君。指名入ったよ」
「…分かりました」
仕事は何があっても完遂すべし。これ常識。
不承不承ではあったが、焼売こと修磨は希羅の父親たるべき行動を取るべく、指名客の元へと向かった。
質問。父親についてあなたはどう思いますか?
「父親?出来得る限り顔を見たくない。近寄るなって感じ?」
「ちょっと苦手だわ。怖いもの」
「威張りくさっていて嫌い。本当は小心者のくせに」
「もっと家族を見て欲しいって思うわ。自分勝手なのよ」
「好きだな。優しいし頼りがいがあるもの。子どもの頃はよく遊んでもらったし」
「ひょうきんもので、面白くて好きよ。まぁ、子どもがそのまま変わらずに成長した感じかしら?母は大人になって欲しいてぼやいていたけれど。きっと照れ隠しね」
「懐かしいわね。父はね物静かでぶっきらぼうで。あまり遊んでもらった記憶はないのだけれど。絵を描くのが好きな人で。絵の具の独特な匂いがして。父の匂いって感じがして。その臭いを嗅ぐと落ち着くわ。今なら好きだったんだって。分かるわね」
「過去は捨てたわ。あなた。私の子どものお父さんになってくれないかしら?」
理想の父親像は?
「子離れしてくれるならそれだけで十分だわ」
「ちょっとくらい話下手でもいいから、私の話をきちんと聞いてくれる人」
「場の空気を読んでくれるのが最低条件ね。私の父親そんな簡単なことも…以下省略」
「きちんと叱ってくれる人、かしら」
「仕事に打ち込んでいる人。それでいて、家族への気遣いも忘れない人」
「今の父」
「どっしりと構えて、ちょっとやそっとでは動じない人ね」
「家族仲良く暮らせるように努めてくれる人。てことであなた私の…以下省略」
以上。一部参照。年齢不順。
(色々あんだな。まぁ。当然か)
朝方五時。仕事が終わった修磨はそのまま仕事場に留まり、横になって参考になる意見はあるのかと書き留めた書類をじっと凝視していたが。
(希羅は…どんな父親がいいんだろうか?)
よくよく考えれば、これに関しては他人の意見に耳を傾けるよりも本人に訊いた方が手っ取り早いということに今更ながらに気付いた修磨は、ガバリと身体を起こしたが直ぐに腰を落ち着かせた。
「どうせまた失敗する」
だからこそ。
多種多様な女と語らう中でどう接すればいいのかを学ぶのだ。
微笑みの絶えない家庭(娘と父親)を築く為に。
「待ってろ。希羅。俺はやるぜ!!」
修磨は燃えた。
これ以上ないくらいに。燃えている。
「焼売。煩い」
「…すいません」
相部屋の先輩従業員に噛みつきそうになるのを修磨は耐えた。
父親は耐え忍ぶ生き物なのだ。そう念じ、眠りに就いた。
(希羅の飯が食いたい)
朝日が目に沁みる中、滲み出そうになる何かを必死に抑える。




