三
「臆面もなくよう言うな」
「洸縁さん」
修磨と入れ替わるように家の中に入って来た洸縁は、希羅の真横に座った。
「…距離の取り方が分からないんです」
懺悔するかのようにぽつりと告げた希羅の話に、洸縁は耳を傾けた。
「子どもの頃の方が、よっぽど、人とも妖怪とも接していたような気がします。話して、遊んで、喧嘩して。怒って。泣いて。笑って。私、どうしてこうなっちゃったんでしょう。年を重ねれば、もっとうまく付き合えるって、何の保障もなしに信じていました。けど。どんどん下手になってる。妖怪も。こんなにも嫌っていなかった」
じっと、両の手を凝視しながら、滲み出そうになる涙を堪え弱弱しい笑みを浮かべる。
「手放しに喜べばよかったんですかね?あんな格好のいい鬼が…私の父親になってくれたって。家事を手伝ってもらって楽になれるって。お父さんやお母さんみたいに、甘えられるって。けど、どうしても、できない。分からないんです。どうしていいか。嫌いじゃないのに。心地いいって思ったはずなのに。あんなにも、言ってくれたのに」
父と母の恩義だけではない。
言葉通りに自分自身を見て一緒に居たいと言ってくれたのだろう。
それはきっと喜ぶべきこと。
なのに。
「居心地が悪いんです」
「希羅ちゃん」
「幻滅されたくないから。嫌われたくないから。…妖怪、だから?多分、私はそう思われたくないから、勝手に緊張しているんです。緊張して、距離を取って。傷つけています。そう分かっているのに、どうしたらいいか分かりません」
想われれば想われるほどに窮屈になっていく。
近づかれれば近づかれるほどに遠ざかりたくなる。
洸縁は未だに顔を俯かせる希羅の背中を優しくゆっくりと擦った。
「ちょっとは、吐き出せたかな?」
「…ごめんなさい」
「謝ることないよ。希羅ちゃんは頑張り屋さんなだけや」
「違います」
「ううん。違わんよ。自分では分からんだけ」
けどなぁ、と洸縁は優しく語りかけた。
子どもが眠る前にお伽噺を聞かせる親のように。
「それがしんどいと思うなら、いいんよ。距離を取って。一人になって考えて。それで自分なりの答えを出して」
洸縁は申し訳なさそうに笑みを浮かべた。
「ごめんな。医師のくせに気の利いたこと言えんで。それに、一人にもさせてないし。きつい思いさせてごめんな」
いえ、と、希羅は小さく頭を左右に振った。
「私が弱いだけなんです。もっと強くなれば、相手によく見られようって緊張することもないんです。自分のことしか考えてないから。だから、私が悪いだけなんです」
洸縁が言葉を発する前に、希羅は隣にいる彼の瞳に瞳をぶつけた。
其処に強い意思が垣間見える。
「洸縁さん。私、強くなります。うじうじしてたって仕方ないですし。大丈夫です。無理はしません。だって、いっぱい楽しみたいですから」
希羅は歯を見せてニッと笑った。
「ご飯作るのも楽しいんです。だから、一緒に作りましょう」
洸縁は破顔一笑しそうになるのを堪えんと、口に手の甲を当てた。
心の内だけに留めておこう。
居場所をくれて、ありがとう。と。
(甘えてばかりやな。君たちには)
一瞬考えていた振りをしていた洸縁は、失敗したと指を鳴らした。
「…最初からそうすればよかったな。修磨と作ってた自分があほみたいやわ」
修磨の名前に、希羅はビクリと肩を鳴らした。
(私。本当にどうしたいんだろう?)
まだ分からない。
一緒に居たいのかさえ。
どうしたいのかさえ何も。
だが。
やるべきことだけは分かっている。
「私。修磨さんに謝ってきます」
(謝ることは、本当はないと思うけど。駄々をこねた修磨が悪いんやしな)
想えば自分も同じように想われるなど、そう易々と叶うわけがないのに。
ましてや自分の想いだけをぶつけているようではますます。
(まぁ。分からんでもないけど)
洸縁は心の中だけで苦笑しつつ、急ぎ戸口に向かい草履を履く希羅に話しかけた。
「希羅ちゃん。ちょっと待ち。もう仕事に行かないけん時間やろ」
「そ、そうです、ね」
希羅が振り返ると確かに。時計は六時を回っていた。
此処から町までは希羅の足では二時間ほどかかり、もう出ないと間に合わない。
「希羅ちゃんを送ったら僕が捜すから。ね」
「はい。ありがとうございます」
「ん。任せとき」
胸に拳を当てていた洸縁にそろそろ行こうかと促された希羅は、手荷物を持って彼と外で素振りをしていた海燕と共に仕事場『竹の湖』へと向かった。
「俺の、阿呆」
希羅に家から駆けだした修磨は今、町の入り口で座り込み、ぶつぶつと自傷の言葉を呟いており、そんな彼の姿を道を行き交う人々は、特に女性たちは遠巻きで見つめていた。
美形の者は何をしていたって目立つのだ。ましてや憂いに満ちたその表情に、心を強く打たれるのだろう。
「ねぇあの人って」
「絶対そうよね」
などなど囁き声など聞こえる由もない修磨は、じっと前だけを見ていたかと思えば立ち上がり、その場を一周回ったかと思えば座る、という行動を何回も繰り返していた。
(まだ、だよな)
向こうから人が現れたかと思えばと胸を衝き、違うと分かれば安堵し、そんな自分を嫌悪する。
(十中八九俺が悪い。何やってんだよ。あんなガキみたいな行動を取って。情けねぇ)
想いが伝わらないからと言って相手に八つ当たりなど。
(いきなり父親って言われても困るだけだろうが。分かってるよ。んなこと。けど。俺だってよく分からねぇんだよ)
どうして此処まで彼女の傍に居たいのか。今もなお明確な理由が見出せないが。
(俺が負担にしかならないなら…)
突き刺さって離れてはくれない言葉。想い。あれが本音ならば。
修磨は両の手で顔を押さえつけ、低い唸り声を上げた。
強く願う。
今だけは。
「修磨さん」
ビクリと肩を鳴らした修磨は固唾を飲んだ後、手の平を広げて指の隙間から目の前の人物を確認するや一気に駆け出した。
後ろから呼び止める声が聞こえる。
自分が送るべき言葉が胸に突き刺さるが、止められるわけがない。
(こんな)
こんなつもりではなかったのに。
どうして自分は。
(ばつが悪いからって。大莫迦やな)
追うべきか、否か。片方に重心が傾いていた洸縁はだが瞬時に答えを導かせ、希羅の真正面に立ち肩にそっと手を添えた。
(こんな顔させて。親失格や)
「大丈夫。悪さした子どもが逃げ出しただけや。僕が捕まえて連れて来るから。海燕。あと頼んだで」
「分かりました」
「洸縁さん。私が、私も」
「僕に任せて。な?」
その穏和な口調に、何事かを発そうとして開いた口は閉じ、希羅はこくんと頷いた。
「希羅。待ってろよ。師匠がちゃんと連れて来るから。そしたら、言えばいいじゃん」
「分かってる」
すでに姿が見えなくなった修磨の後を追う洸縁の背中も小さくなっていき。隣に立った海燕に肩を軽く叩かれ行くぞと声をかけられた希羅はゆっくりと歩き出した。
(全く。逃げ足だけは立派なことや。しかも式神封じまでしたな、あいつ)
余計な手間をかけさせてと、苛立ちが増す。
(護るって決めたんやないんか。それを)
『君な』
『何も言うな』
修磨が海燕の家に行くと宣言したしたあの日の夜。
希羅が寝静まる中、背中を向ける修磨に洸縁は何も言わず腕を組んで彼の次の言葉を待った。
『しょーがねぇだろう。今の俺じゃだめなんだからよ』
一緒に居たいと告げたのに、拒まれてしまった今の状況を打破すべくああ言ってしまったのだが。
無言に耐えかねたのか。いじけた態度の修磨に、洸縁は小さく首を振った。
『護るんやなかったんかい』
『ただ護りたいんじゃねぇ。あいつの隣で。なんだ』
『離れて修行すればそれが叶うって?』
『じゃあ嫌がる希羅の傍に居ろってか?んなことしたら余計溝が深まるだろうが』
『だから君が我慢して前みたいに影から『それじゃあだめなんだよ!』
声を荒げた修磨は振り返り洸縁の瞳を真っ直ぐに見据えた。
『傍を離れて後悔すんのはもう御免だ』
心の底から溢れ出された想いに、されど呆れはなくならない。
『傍に居られるような自分になろうと修行する為に傍を離れるって。滅茶苦茶やな、君』
『おめーの弟子の忠言だ』
『海燕に責任転嫁か。情けないやつや』
『…悪かった』
唇を尖らせる修磨に、洸縁は仕方がないと口を開いた。
『僕が居るからかろうじて大丈夫やろう』
『…はっ!?』
目が点になった修磨に、洸縁は胸を張ってすらすらと話し始めた。
『だから。僕もこれからは希羅ちゃんと一緒に暮らす。あ。希羅ちゃんにはもう許可を取ってるで。僕が一緒なら君もいいよって。て言うのは、半分の理由やろうけど。もう半分は。君が両親に希羅ちゃんのことを託されたんやって説明したから。どういうことかと言うと。ちっちゃな悪さしていた君は依頼された梓音と柳に三日三晩説得され改心。そう口にした時しまったって思ったわ。だってな。君、食料泥棒を誇らしげにしてたしな。だからあれでもましになったんやって言っといたわ。でもそれも僕の必死の説得で止めたって。僕に感謝しや…あれ?何やったっけ。そうそう。それで君は或る日、嫌な予感がして梓音たちの元へ向かうと、すでに柳は亡くなってさらに梓音まで。その時に君は希羅ちゃんのことを頼まれたと。ひねくれ者の君は最初気乗りせずにその頼み事を無視していたけど、時間が経つにつれて気持ちを変化させて。で、三か月前によ~やく、姿を現した。そういう設定にしてあるから』
口を全くはさむ余地もなかった修磨は一時呆気にとられていたが。
『半分じゃなくてほぼそれが理由だろうが』
『僕がこの設定考えんやったら、希羅ちゃんにずっと不審がられてたで。何でいきなりお父さんなんやって。けどこれでちょっとは軽減したやろう』
『つまり。希羅の両親に恩義を感じ、それを報いるべく亡くなった二人の代わりに傍で見守ることにした、と。なるほど。これなら確かに』
顎に手を置き何やらぶつぶつ呟いていた修磨は眉間にしわを寄せながら口を開いた。
この設定はあながち嘘だとも言えないのだ。
何故なら。
『あのよ。幾ら瀕死だからって突然現れた鬼に娘を頼むか?いや。あいつ。梓音って女は俺の秘密を知っていると口にした。俺は会った記憶がないにも拘らず』
『こう考えられへん?君のお母さんと梓音が知り合いやったと。それなら君の秘密を知っていたかとしてもおかしかないやろう。もしくは瀕死の状態が故の思いつきか。ま。どっちが真実かは僕も知らんけどな。僕は君、見たことないし』
『…有り得るな。けどどっちにしても俺に頼む理由にはならないだろう。おまえも居るわけだし』
『僕は治療法を捜して旅に出てずっと傍には居られんやったからな』
『土地と家を狙うものから守ることが出来なかったと?』
目元を険しくさせた修磨に、洸縁はそうやと頷いた。
『君も感じてるやろう。あそこには力が満ちているって。それを狙う輩が居てもおかしくないからな』
『…希羅の治療の為には狙われる危険があっても必要だったと』
『そうや』
修磨は釈然としないように頭を乱暴に掻いた。
(希羅には何も話してないんだろうな、こいつ)
見ている限り、どうも自分が住んでいるあの場所が凄いところだと気付いてはいないようなのだ。
だからこそ狙われている実感もなし。
まぁそうさせないように、あの事件にしても妖怪の棲家である山の近くに住んでいるから神秘的な噂が流れてそれを真に受けた稀な阿呆が行ったと告げたわけだが。
確かに。
余計な恐怖や不安を感じさせたくないならそうやって誤魔化し続ければいいとも思うが。
それよりも根本的な解決法がある。
『治療が見つかった今、あそこに住み続ける理由はないだろう。希羅も、其処まで執着してないみたいだしな』
『ん。まぁ、な。ま。同じ道を進んでほしいっていう親心。ってやつかな』
『…なぁ。おまえは希羅は人だと言ったな』
『そうや』
『鬼喰いが希羅に憑りついていたから鬼の気配がしたと』
『そうや』
真顔になった修磨と洸縁は一時無言で瞳をぶつけあうが、次の瞬間、修磨がくるりと背を向けた。
『俺は希羅に人で居ろと告げた』
希羅が妖怪か人か。どちらの存在か分からない時に贈った言葉。
『そうか』
『人が好ましいと思っていたからだと思う』
修磨は思いもかけずスッと出て来た言葉に、思わず合点が行った。
『…そうやなぁ』
初めて耳にするかもしれないその柔らかな声音に、洸縁も同じ思いを抱いているのかが一目瞭然だった。
(好ましいからこそ。妬ましくて悔しくて、苛立っていたんだな)
それが理由で人や妖怪を見下していたのだと。
『けどなぁ!!』
突如声を張り上げた修磨に不満をぶつけようと口を開く暇も与えずに、洸縁は距離を縮められ、今にもぶつかりそうなほどに近い。
修磨は自信に満ちた声音と、似合わないほどの真面目な顔と挑戦的な眼を向けた。
『希羅がなにもんでも関係ねぇ』
『護りたいんだよ』
修磨は瞳を逸らさないまま小さく息を吐いた後、率直に問いかけた。
『おまえも同じ気持ちだと。信じていいんだな』
あの言葉に嘘偽りはない。
(護るんや。人である希羅ちゃんを。誰が)
思い起こしたくなどない情景は奥底に閉じ込め、開かれることは、二度とない。
(もう。失いたくないわ)
「修磨…に、師匠」
息を切らせ駆け走っていた洸縁の前に現れたのは三体の者。
修磨に、師匠である河童の玄武に、黒いマントで全身を覆う男。
「悪い。俺暫くこいつのところで修行する」
「洸縁。好きにさせてやれ。おまえが居るから大丈夫だろう。そもそもこいつはいらんくらいだ」
黒いマントの男を親指で指す修磨への不平不満の言葉を師に封じ込まれた洸縁は、肩を上げるも直ぐにストンと下ろした。
「確かに、師匠の言う通りです。修磨。好きにしたらええ。と言うかな。もうこのまま戻って来んでもええで」
唇を強く結び、されど未だに何も言い返さない修磨に、洸縁はツカツカと距離を縮め彼の胸元を強く握りしめ、誰もが一目散で逃げ出しそうな険しい表情をぶつけた。
「と言うのがな、僕の本音や。こんなことなら最初っから姿を見せるなってのもな。けどな。君は希羅ちゃんにあないな顔させたんや。このまま黙ってへーこら逃げたら赦さんで。居なくなるのは万々歳や。けど。希羅ちゃんを笑顔にさせてからにせぇ」
「希羅には……伝えたいことがあるから待っていてくれと」
「用事を思い出したからって伝えとくわ」
「悪い」
(僕に謝ってどないすんねん)
「ったく。調子狂うわ。さっさと行き」
洸縁に胸元からそっと手を外された修磨は黒マントの男とその場を去って行き、その背が米粒ほどに小さくなって後、洸縁は前に立つ玄武に話しかけた。
「師匠。また出稼ぎですか?」
「ああ。かなり稼げるところでな」
金大好きな玄武は時々人に化けてはこうやって町に下りて稼ぐことがあった。
「あの男は」
「悪いやつじゃない。それより、あの娘は大丈夫なのか?」
「…今の処は」
玄武は口が重くなった洸縁の隣に立ち腕を組み、遥か彼方。薄い空を見上げた。
「このままでいいと思っているのか?」
何処か咎めるような物言いに、洸縁は何と答えたのであろうか。




