二
「希羅。起きたか」
「希羅ちゃん。おはよう」
「……おはよう、ございます」
(どうしてこんなことになったんだろう?)
希羅は目の前の者に気付かれぬように、そっと、ため息交じりのあくびをついた。
時節は四月上旬。時刻は太陽が姿を覗かせた或る午前の日であった。
寝室の引き戸を開けた希羅の瞳に今映るのは、全くの赤の他人、ごほん、赤の鬼であるにも拘らずに、何故か父親宣言した修磨と、父母の幼馴染であり陰陽師兼医師でもある洸縁が、嬉々とした顔で朝食の準備をしている姿であった。
「おまえな。希羅と俺の親子団欒の時間を邪魔すんなよな」
「君に料理を任せたら黒焦げの物体が誕生するだけで、希羅ちゃんにそないなもん食べさせられんやろう。と言うか僕が食べたくないわ」
「おまえに食わせるわけないだろう。だから作ったんなら早く帰れよ」
「僕に作らせておいてそれはないわ。ま。自分では役不足だと認識しとるのだけは褒めたるけどな」
互いに笑みは浮かべていた。それはもうにっこ(ご)りと。
「あの、ですね。私が作りますから、洸縁さんと修磨さんはゆっくりしていていいんですよ」
これで何度目の提案かと思いながら、希羅はすでに朝食のおかずが並べられた卓袱台を横切り、台所でご飯を櫃に入れる修磨と、みそ汁をお椀に装う洸縁の元へと向かった。
修磨が父親宣言をし、海燕の家に世話になることになったあの日から、彼らがこの家に居つくようになって早一週間が経ち。昼と夜は兎も角、朝だけはどうしても阻止出来なく。
(私より早く起きて作ろうとするんだから。今日でなんとか終わらせたい)
イタチの追いかけっこのように、希羅が起きる前よりも早く、修磨と洸縁が起きるよりも早く。と互いに相手より早く起きて朝食の準備をしようとした結果、朝食の時間はどんどん速まっていっているのだ。
「遠慮すんなって」
「いえ、その。本当にお心遣いだけで。私、ご飯作るの好きなんですよ」
「またそないなよそよそしいこと言って。毎食作るんは大変やし。作ってもらったご飯も食べなあかんよ。まぁ、希羅ちゃんが作ったもんには全然敵わんけど。そん代わり」
お玉を鍋の横に置いた洸縁は、満面の笑みで湯気が立つお椀を希羅の前に差し出した。
「愛情がたっぷり入ってるからね」
途端、修磨はゲッと呻き声を上げ、櫃を持ったまま洸縁に詰め寄った。
「おまえな。得体のしれないもん入れんなよな、って何回言った?」
「愛情は料理に必要不可欠な調味料で得体のしれないもんやないわ、って何回答えた?」
「おまえのはそうなんだよ。つーか見張ってたのに何時入れた?」
「見張ってた?…ああ。それでずっと僕を睨んでたん?うっとうしくてかなわんかったわ」
「質問に答えろ。何時入れた?」
瞬間的に、空気が重々しくなる。
(怖い)
お腹が減って機嫌が悪いのだと分かっていても、希羅はこういう時に否応にも思い知らされる。
思わず身震いするほどに、その何者も受け付けない冷たい態度に。
修磨は人の姿をしただけの妖怪なのだと。
目元を険しくさせる修磨に対し、希羅は拳を強く握り何事かを言おうとしたが、その前に莫迦やね~と、洸縁はケラケラと笑いだした。
「間断なく入れとるわ」
柔らかな声音に。その場の空気が和らいだ気がし、希羅はほっと息を吐いた。
(…またやっちまったか)
希羅を横目で見た修磨は視線を床に落とし、口を一文字に結んだ。
『希羅ちゃんは相当の人見知りで緊張する性格や。だからな』
何時もの満面の笑みで、洸縁は修磨の頭を扇で思い切り叩いた。
『腹が減ったくらいで、険悪な態度取るんやない』
『おまえが!『なんや?僕のせいにするん?』
修磨は言を引っ込め、チッと舌打ちしたらまた思い切り叩かれた。
『何すんだよ!』
『舌打ちも止め』
グッと、押し黙った修磨の表情を見て、洸縁は大袈裟にため息をついた。
『君な。このままずっと希羅ちゃんに緊張されたままでいいん?』
『いいわけないだろう。けど』
『わかってるやろう?最初の希羅ちゃんの態度は、やけっぱちやったからやって。本来の。って言ったら語弊やな。親しくなるまでの希羅ちゃんの態度はああいうもんや。まぁ、親しい僕でもよそよそしいけどな。……小さい頃はそうでもなかったのに』
『自慢かよ』
『僻んどる暇があったら、せっせと自分を磨き。せやないと』
洸縁は修磨の横に立ちじろりと横目で睨みついた。
『一生びくつかれたままやで』
『…おまえの方が怖えよ』
こんなやり取りがあったのは、この家に住むようになった二日目で。
(俺って成長しねぇな)
修磨が希羅の方を振り返ろうとした時、スッと戸口が開かれ、或る人物が中に入って来た。
「よ!」
「ちょうどいい時に来たね。ご飯できたばっかりやで」
「へへ。だろうと思った」
戸口を閉めた海燕はにっと笑い、草履を脱いで卓袱台の傍に座り、自分の箸と茶碗を懐から取り出してその上に置いた。
「海燕。また来た……の?」
「だから毎回言ってんだろう。出来る限り。おまえんちから店までの行き帰りは付き添うって。ずっと傍には居られねぇからそれくらいは、しねぇと」
「だから。そんなにしてくれなくていいってば」
「いや。おばちゃんおじちゃんに、顔が向けられねぇ」
「お母さんもお父さんも気にしないって。小さい頃の話だし。ね?洸縁さん」
希羅に顔を向けられた洸縁は小さく頷いた。
「そうやで。海燕。そないに気を張る必要はないで」
「…けど。決めたから」
海燕は立ち上がり、がちゃがちゃとお茶の準備をし始めた。
(お母さんもお父さんも勝手なお願いして。…私も、悪いんだけど)
此処までしてくれるのはそれだけではないだろうとは思う。けれど。
「私がするからいいって」
海燕、修磨、洸縁にそっと視線を向けた希羅は、海燕の隣に立って戸棚から竹茶の葉の缶を取り出した。
「あのですね。修磨さんと洸縁さんに話があります」
「何だ/や?」
朝食を食べ終えた希羅は意を決し、すでに食べ終えていた修磨と洸縁に顔を向けた。
「明日から朝食も私が作りますから」
「もしかして……口に合わん、かな?」
(そ、そんな顔しないでください)
しゅんと、気落ちする洸縁の表情は本当に寂しそうで。希羅は両手を左右に振った。
「いえ。口に合わないことはないです。ただ、家事は女性の仕事と言いますか」
「そんな時代錯誤なこと言うなよ」
「あ…すいません」
(また、かよ。くそ。全部こいつのせいだ…ってわけじゃないが。此処で希羅に同意を求めても否定するだろうしな。優しいんだよな。さすが俺の子)
早く。この距離を縮めたいのに。
(最初の三日間も確かに緊張してたが此処までじゃなかった。父親宣言してからか。距離がこんなにも遠くに感じるのは)
「師匠。そんなに落ち込まないでください。美味いですから。な?」
尊敬する師を励まさんとする海燕は、これでもかと見開かれた目を希羅と修磨に向けた。
「うん」
「……まぁ、な」
身を乗り出した希羅と、頬を掻きながらの修磨の同意を貰った洸縁は、そっかと、照れくさそうな笑みを彼らに向けた。
「僕の料理、美味しくないんやね」
「…やっと俺の言うことを信じたか」
希羅と海燕が朝食の後片付けをしている間、修磨を竹林の方へと連れ出した洸縁は今、がっくしと肩を落とし顔を地面に俯かせていた。
「だってな。君は僕の料理があまりにも完璧なことに僻んでいるとばかり思ってたからな。希羅ちゃんは遠慮しているだけやろうと思ってたし。海燕は美味い美味いって、パクパク食べてたし。けど、あの子が味音痴やって忘れてたわ」
「…不味いが、身体にいい味だってのは分かる。問題はその味が一品だけならいいんだが、何でかおまえが作った料理は全部同じ味なんだよ。洗うだけの米もだぞ」
あまりにも哀愁漂う雰囲気を醸し出しているからか。修磨は柄にもなく洸縁を励まそうとした。その気遣いに洸縁はほんの少し顔を上げたが、直ぐにまた顔を地面に落とした。
「美味しくなるように美味しくなるようにって。念じながら作ってんのに、何でや?」
「本当に希羅の母親の手料理通りに作ってんのか?例えばよ。余計な調味料を入れたとか」
「僕を見張ってたんなら知ってるやろ?」
「だから不思議でなんねぇんだよ」
洸縁はじっと両の手を凝視した。
「…もしかして。僕の手から変な汁か粉でも出て来てんのやろうか?」
「ああ。それだな」
「冗談に決まってるやろうが。真に受けんなや」
間髪入れずにポンと手を鳴らし、原因が分かりすっきりした表情の修磨に、バッと顔を上げた洸縁はドスの効いた声音を発した。
此処までドス黒い表情を見たのは初めてだと思うほどの洸縁の姿に、修磨はこの時初めて、心の底から彼が怖いと感じたのであった。
「もしかして。師匠の手料理、不味いのか?」
修磨と洸縁が竹林で話している頃、たらいの中で器を洗っていた海燕にそう問われた希羅は、器を拭いていた手を動かしたまま、気まずそうに口を開いた。
「不味いって言うか、まさに大地の恵みって言うか。身体にいい味なんだっていうのはよく分かる。だから。多分、皆の健康を考えてよっぽどいい薬草を入れているんだろうけど。でもね。作って欲しくないのはそれだけじゃなくて」
「申し訳ないってか?」
「だって、さ。洸縁さんも修磨さんも、お母さんとお父さんに恩義を感じているから、私を見守ろうとしてくれているわけだし。けど。私ももう、十七だし。それに、さ」
希羅は布巾を台の上に置き、真顔になって海燕に身体を向けた。
「生きるって決めたから。だから。今までみたいに心配させることはないと思う」
奥底に閉じ込めているはずだった想いがまさか、察せられているなんて思いもしなかったから。
どんなに。
「海燕。ごめん」
優しいこの人たちに要らぬ心配をかけてきたのか。
いや、と、小さく頭を振った海燕は手を止め、身体を希羅に向けた。
「謝るのは、俺の方だ。俺さ。なんにもしなかったから。友達なのにさ。だからさ。こんなことくらいしかできねえけど」
「気にしないでよ。私が…莫迦だったんだから。洸縁さんの言葉信じないで、勝手に決め込んで。勝手に。自分を追い詰めていただけなんだから。海燕が負い目を感じる必要なんて全然ないから。だから」
(…俺、もしかして余計なことしてんのか?だから。師匠は分かってて、護衛はしなくていいって言ったのか)
確かに。負い目を感じての行動だ。
見て見ぬ振りをして、踏み込もうとしなかった。
それでいいと、肯定を貰ったが。何時も胸の中がもやついていて。今度こそはと。
(おまえを一人にはできねぇ。だっておまえは、この土地に選ばれた人間なんだからな)
師に語ってもらった真実。だが。これだけは言えない。言ってはいけない。
もう。
(苦しい思いを、させたくない)
「負い目をさ。感じてんのも俺の勝手で。さ。おばちゃんおじちゃんの言葉を抱えるって決めたのも俺の勝手でさ。友達を護りたいってのも。俺って勝手ばっかなんだよ」
優しい、似合わないほどの大人びた微笑に、口の端が上がる。
(本当に、莫迦正直なんだから)
彼は気付いていないのだろう。今悔いている行為で。
「あのね。海燕。私、楽だったよ。苦しかったけど。海燕と居て、楽だった。踏み込まないでくれたから。そっと見守っていてくれたから」
確かに。自分は救われていたのだと。今なら言える。
「何もできてないなんて。違うよ。絶対に違う。この言葉を疑わないで」
その真剣な、それでいて和らげな表情に、声音に。海燕は目を見開き、ぽかんと口を開いたかと思えば。
「ああ」
口を一文字に結び、こくんと、小さく頷いた後、真直ぐに希羅の瞳を見つめた。
「疑わねえ」
「だったらもう私を護衛しなくて「だから言ってんだろう?友達護りたいってのも俺の勝手だって。言っとくが、負い目じゃねぇぞ。んなの。おまえの言葉で消滅した」
互いに明るい声音。ほんの少し吹っ切れた瞬間であったが。
「だ・か・ら。護衛する必要はないって言ってんじゃない」
「だ・か・ら。世の中何があるかわかんねぇだろう。そうでなくても、此処に住んでんだしな」
「大丈夫だって。今まで何ともなかったし」
「過去と未来は同一じゃねぇんだよ」
「心配性だな。大丈夫だってば。ほら。もしもの時の為にいろいろ持ち歩いているし」
そう言うや、希羅はごそごそと着物のあちこちに手をやったかと思うと、細々とした物体をこんもりと手の平に乗せた。
「煙玉に、痺れ玉、眠り玉、餅玉、網、笛に。はりせん?」
隠密忍者かとツッコミながらも、海燕は親指と人差し指で箸半分ほどの大きさのはりせんをつまんだ。
(これって壊れたんじゃ)
海燕の脳裏に過るはあの時の光景で。
「それね。勢いよく振り下ろすと大きくなるんだよ」
希羅の言葉通りに実践すると、確かに。それは羽子板ほどの大きさに変化して。海燕は目を丸くし、どうなってんだと興味津々で方向を変えながらじろじろと見つめた。
「これってさ」
「うん。そう」
海燕は或る人物を思い描き、ハハッと笑った。
「相も変わらずなんだな。元気?」
「一か月前くらい、かな?相も変わらず、ふら~っと来て、道具の説明だけして何処かに行った。多分元気だと思うよ」
(それで、か)
「そうか。不思議な人だよな。俺たちしか見たことないもんな」
「そうそう。最初に会ったのもさ、私たちが三人で遊んでいる時だったでしょう?何時も櫁の傍に居る岸哲さんも珍しく居なくて。全身を黒い布で隠してさ。怪しさ満載で、子どもながらに近づいちゃいけないって思ったのに、櫁と海燕は瞳を爛漫に輝かせて近づくし」
秘密道具を一つ一つ、丁寧に元あった場所に戻していった希羅の顔は穏やかで。
「けどおまえだって、結局懐いたじゃん」
希羅はふふっと笑った。
「子どもって怖いもの知らずだよね~。自分のことながら不思議でしょうがないわ」
全てを直し終えた希羅は、だからさ、と仕切り直した。
「海燕にだってさ、やることがあるんだし」
希羅の視線の先には、海燕の愛刀である『桜架』があり。海燕が鞘から刀を取り出すと、あの時折れたはずの名の色を持つ刀は綺麗に繋がっていた。
「捜しているんでしょう。だから武士になった。違う?」
武士には官吏や『平安の雫』に属する陰陽師のような、農民や商人にはない特権が様々あり、その中の一つに、各地を自由に移動できる権限があった。
農民や商人ならば、役所に申請をし、許可を得て通行手形を配布してもらわなければ外へ出られないのだが、大抵は半年くらいかかってしまい、その期間の長さに諦める人も少なからず居たりもする。
「いや。武士になるのは小さい頃からの夢でさ。その手助けをしてもらったのに、礼も言わない内に消えてよ」
(…修行だったんだ)
二人してあんなに傷だらけになるほど遊ぶなんて、と呆れていたが。希羅はこほんと咳をついた。
「小さい頃からの夢だったんだ。へぇ。初耳」
海燕は鞘の中にゆっくりと刀を収め腰に下げたが、手は柄を握ったまま。
「『夢は公言せず胸の内に秘め何時も胸を張って努めるべし』。だからな」
「だったら尚更。羅葦捜しもしなくちゃだし。夢だった武士にもなったんだし、やること一杯あるでしょう」
「その中にはおまえも「海燕は抱え過ぎ」
希羅のしかめっ面に、海燕は押し黙った。
「いい?人…ていうか。生き物には限度があるの。あれもこれもって、何もかも自分だけでやろうとしたら絶対無理が出て来る」
「その言葉。そっくり返す」
不満げな顔でぼそりと告げた海燕の言葉に、希羅は即座に返答した。
「あのね。私のは自分でして当然のことなの。お母さんだって和花さんだって、一人でしてきてるんだよ。それも家族の分まで」
「おふくろだってな、にこやかな顔で俺たちを結構こき使ってるぞ。梓音さんだってそうだったじゃねえか」
そう言えば、と、希羅は一瞬眉根を寄せた後、口を開いた。
「…二人は二人。私は私」
「先に二人を出したのはおまえだろ?機嫌悪くなんなよな」
「別に。悪くなってないし」
「はいはい。そこまでな」
「師匠/洸縁さん」
(これ以上機嫌悪くなったらかなわんわ)
二人の肩に手を置いた洸縁は、ちらと、土間で突っ立っている修磨に視線を送った。
(おーおー。今にも布を歯で噛み締めそうや)
「何だよ?」
「いや。何でも」
自分の想像に思わず吹き出してしまった洸縁はジロリと睨み付けた修磨に対し手を上下に振った後、海燕に話があるからと外に連れて行った。
故に。今、家の中に居るのは、卓袱台を真ん中に向い合せに座る希羅と修磨だけで。
ずずっと、修磨の茶を飲む音だけがその場を占める。
(どうしよう。何か話した方がいいよね。え~っと)
(口を開いたらまた墓穴掘る、よな。ぐあ~。どうしろってんだよ)
互いに頭の中は『どうすれば』の言葉の渦でぐるぐると埋め尽くされていた。
「あの」
「な、何だ?」
思わず声がひっくり返るという失態を犯してしまったが、気を静かにさせた修磨は、湯呑みを卓袱台の上にことんと置いた。
「修磨さんは」
(俺は?)
「何か御趣味はありますか?」
「…趣味?」
初対面で必ずと用いる常套句を修磨が再度口にした途端、希羅は今更、と思い、カッと赤面してしまった。
「いえ。その。食べるのが好きなのは、重々承知ですが、他にも何かあるのかな~と思いまして」
自分から目を逸らし口早矢に話す希羅に、修磨は思わず口を手で押さえた。
(やべぇ)
その一生懸命さに。何故未だに敬語なのかと不満に思う間もない。
素直に、可愛いと。思わず顔がにやけてしまう。
(くそ。さすが俺の子)
表情を改めた修磨は顎に手を置いた。
「趣味、か。そうだな。身体を動かすのは結構好きで、特に地面の上を駆け走るのは爽快だな。そうそう。前にな。妖怪の間で人間の真似事をして、運動会ってのか。それをやっててな。暇潰しに参加してやってよ。んで。数ある種目の中に京都一周競争ってのがあってよ」
饒舌に話す修磨を、希羅は目を細め、相槌を打ちながら見つめた。
(こういう時、なんだよね)
面白いことがあってそのことを両親にはしゃいで話す。
幼い子どものような無邪気な笑顔に、素振りに。
時々錯覚してしまう。
目の前にいる彼は――。
「で。約半日、か。走り続けた俺が余裕で優勝したってわけだ」
「凄いですね。修磨さん」
「ま、まぁ。当然だからな。褒められることじゃない」
穏やかな笑みに、修磨は何故か照れくさく感じ、鼻の下を押さえた。
「希羅は、季節や食べ物、竹細工が好きなようだが。ほかには?」
今の処は、と小さく頭を振った。
「春の桜見に、土筆に筍のご飯。夏の真っ青な空に合う向日葵に、花火、西瓜。秋の紅葉に、南瓜。冬の雪に、焼き芋、お餅。定番ばかりで捻りがないですね。あ。一番の好物は苺大福です。高級品で一年に一回お目にかかるのが精いっぱいですけど」
指を折りながら話していた希羅は、ふふっと笑った。
「遊び道具から日常雑貨、家具まで作れる竹も。竹細工が言うよりも、竹自体が好きなんだと思います。竹林の中にいると落ち着くんですよね。静かで世間から切り離された独特の雰囲気も。風が流れた時の笹の擦れあう音も、耳に心地よくて。深く呼吸ができて、空気が身体の隅々までに行き渡ると言いますか。……何時か、師匠みたいに、心地いい竹細工を作るのが今の私の夢です。元々物を作るのが好きですし」
ゆっくりと言葉を紡いだ後、だからですね、と希羅は一言強調し、口を開いた。
「朝食も私が作ります」
(全く。強情なやつだな)
ふうと、修磨は心の中でため息をついた。
(ま。確かに今のままだと、な)
だがだからと言って。
「…いきなり、よ。後継人って、家族だって言われても困るよな。しかも俺、梓音と柳に頼まれてから数年間、知るかって、おまえをほったらかしにしてたしな。最初に現れたのも、暇潰しで。しかも、一週間かそこらで居なくなろうって決めて。ろくでもないやつで。その上、鬼だしな。けど」
修磨は表情を引き締め、真直ぐに希羅の瞳を見据えた。
「梓音と柳の恩義だけじゃない。おまえと過ごして、俺は、俺自身が、一緒に過ごしたいと思った。共にいきたいと。…迷惑、だろうが」
無言になった修磨に、希羅は一旦視線を落とし、再度修磨の瞳を見つめた。
「其処まで私を気遣って頂けるなんて。…父と母を誇りに思います」
(伝わって、ない?)
一時呆然とし、希羅を見つめることしかできない修磨であったが、次の瞬間、違うと、呟いて額に手を置き、小さく頭を左右に振った。
顔が強張り、口が開きづらい。
こんなに。
「俺が、妖怪、だからか」
こんなにも。
「だから。距離を縮めてさせてはくれないのか」
自分の想いが届かないことが。
「好きで」
頭の中で止めろと、信号が出ているのは、分かっていた。
けれど。
唇を強く噛み締めて、口を大きく開いたが。
(どうして俺は)
希羅からさっと顔を背けた修磨はすっと立ち上がって背を向けて後、か細い声を滲み出すように発した。
「好きで。妖怪になったんじゃない」
「人として生きるおまえと」
「人として共に」
「生きたいだけだ」
この単語を強調するはやはり、望んでいるからか。
どうでもいいと思っているのに。
「おまえの隣に居たいだけなんだよ」
「私は、大丈夫です。強くなるって決めましたから」
どれだけ本音を伝えようと、恩義としての言葉だとすり替わるらしい。
両親に世話になったから、傍に居るのだと。
そう思われていた方が都合がいいと分かっているのに。
(どうしたら、いや)
そんなにも自分と共に居たくないのか。
その考えに到るだけで、唇が戦慄く。
「そんなにも、俺のことが―――?」
息が詰まる程の問いかけに対し、瞳を右往左往させて後、希羅は小さく口を開いた。
「そう、か。よ」
吐き捨てるように言葉を発して後、修磨は戸口を開けて一気に駆け走った。
「希羅の阿呆~!!」
緊迫感に満ちた空気を葬るような、いじけた叫び声を残して。




