三十
それからさらに一か月の月日が流れ。二人で懇々と話し合った結果、希羅は洸縁には治療代を分割して払うことになり、洸縁も居なくなった希羅の家には、彼女が一人で住んでいた。
弟子になると草馬に告げて以降、今のところは店子として働きながらも、作業場では掃除だけしかやらせてもらえない状況だった。
不満がないと言えば嘘になる。ずっと掃除だけなのだ。不満しかない。それでも止めようなど微塵も思わなかった。
「お疲れ様でした」
今日も今日とて店子の仕事を終えて、作業場の掃除をし終えた希羅は草馬と和花に挨拶してその場を去って行った。
面会謝絶が解かれたあの日。海燕が姿を現すことはなく、今になってもまだ彼の姿を見ていない。
何でも修行の旅に出たと、和花からは聞かされていた。
家路に着こうとしていた希羅はふと、家がある方向からもうもうと黒い煙が立ち込めているのを見て、火事でも起きたのかと顔を青ざめ駆け走った。
(火の元、ちゃんと消してきたよね。もしかして忘れた、とか)
家を守る、と言う約束は守りたかった希羅は逸る心を抑え、ただ一心に家へと向かうと。
「何しているんですか?」
「焼き芋作ってんだよ。もう直ぐできあがるからな」
もう会うことはないと確信していた、今は肩で息をする自身の目の前に、火の点いた枯葉の傍に嬉々とした態度で座る修磨が居て。
希羅は家が燃えていない安堵より、紛らわしいことをしている修磨への怒りの方が勝り、ずかずかと詰め寄った。
「あのですね。仲間を捜しに旅に出たのではないのですか?」
それでも臆病な性格は変わらないのだ。婉曲に不満をぶつけた(と自身は思っている)希羅に、修磨の方が何故か不満げな表情をありありと表したのだ。
「な、何ですか?」
その表情に軽く慄く希羅に、修磨はすっと立ち上がり向かい合った。
「だってよ。これから一緒に暮らすってのにまた敬語に戻りやがって」
「…は?」
しれっと、とんでもはっぷんな発言をかました修磨をあの時と同様、希羅は間抜け面でぽかんと口を開け見上げた。
耳の調子がおかしいのかと、思わず耳の中に小指を突っ込んだ。よし、これでよく聞こえる。
「えと、今一緒に暮らすとか幻聴が聞こえたんですけど」
「幻聴じゃないっての」
「え、いや、だって、ですね。仲間を捜して旅に「厭きた」
「…秋田に行ってきたんですか。お米が美味しいと聞きましたがどうでした?」
「おまえ分かってて言ってんだろう。地名の秋田じゃなくて、動詞の嫌の厭きた、だ」
「それならご実家の方に戻った方が」
「追い出された」
「もしかして、奥さんが居るとか?」
まさかの驚愕の事実に、希羅の頭には妻に冷たく接せられる修磨の姿が過った。それは外では威張ってはいるが、家の中では弱い立場の夫そのもので。
違う。修磨は言った。
「おふくろにだよ」
あの日。修磨がこの土地を離れ真っ先に向かったのは、母である譲り葉の生家だった。
とりあえずは梓音との約を守ったようなものなのだから、自分の秘密とやらを聞き出せると思っていたのだが。
『あらだめよ』
修磨はずずっと呑気にお茶を飲む譲り葉に詰め寄ると、でこぴんを食らわされ不満を口にする前に先に制されたのだ。
『だってあなた一緒に死のうとしたでしょう?』
『やっぱり見てやがったな。何時からだ』
陰陽師の譲り葉は洸縁同様、式神を使い様子を見ていたとは思っていたが、まさにどんぴしゃだった。
実はあの時二人を助けたのは譲り葉で。式神を通して『鈍流の術』を使ったのだ。
本来式神は見聞する為だけに編み出された術であり、他の術を併用しながら式神を使える者は彼女の一族だけなほどに、術を同時に二つ使うには血と高度な力が必要であった。
『だからだめ。全然ダメ。て言うか、お母さん。衝撃の余り目の前が真っ暗になったわ。情けない』
自身の問いに答えず、よよと泣く振りをし始めた譲り葉に、されど修磨が引くことはなかった。
『あの時はどうかしてたって言うか。兎に角。今は生きてんだから『決めたんでしょう?』
修磨の言葉を遮った譲り葉は、何故か満面の笑みを浮かべていて。
『此処に来るまでの時間。考えを出すには十分あったでしょう?』
『ああ』
何を言っているんだとか、どうして知っているとか訊くのは不毛だと一緒に暮らして分かっている修磨は素直に頷いたが、話題を挿げ替えようとしているのが丸分かりで。
『だから教えてほしんだよ。俺がどういう存在か。知らねぇと、またどうかしたことをするかもしれないだろ』
秘密を知っても受け止めると決意に満ちた表情になった修磨に、されど譲り葉が口を割ることはなく、明るい声音を発した。
『気にしない気にしない』
『あのな』
『大丈夫よ。もっと自分を信じなさい』
『大丈夫なら秘密教えろよ』
『それはそれ。これはこれ』
それでも諦めようとしなかった息子に、譲り葉は煩いと胸元から白い羽を取り出し、何事かを呟くと修磨の前でその羽を振り下ろした。
すると修磨の身体はふわりと宙に浮き、釣竿に勢いよく釣られた魚の様にグンと邸の外に放り出されるばかりか、遥か彼方に飛ばされたのだ。
『今は楽しみなさい。何者か、なんて考えなくていいから』
今はまだ。知らずにいて欲しいから。
何も言わなかったあの子には。
『また玄武に親莫迦って言われそうね』
くすりと笑った譲り葉は、白みがかった空を目を細めて見つめた。
「だからな。俺には帰る家がない」
「だからと言われましても」
言い渋る希羅の両肩にそっと手を添えた修磨の顔は至極真剣な表情で。
希羅はその表情を見上げてどきんと心臓が高鳴った。
だがそれは、恋する乙女的なものなどではなく、嫌な予感がして、であり。
その予感は見事当たることになる。
「俺はずっと考えていた。考えて、考えて。で、ようやく辿り着いた」
「はぁ」
「これから俺のことをお父さんと呼べ」
希羅の表情は固まった。
「俺がこれから守ってやる。あ、甘やかすわけじゃないからな」
意気揚揚と告げる修磨に、希羅はハッと意識を何とか取り戻した。
何処からそんな発想が生まれたんだ。疑問甚だしい。
「あの、私の父は一人でして。そんな二人も要りませんし」
「遠慮すんなって」
「いえ、遠慮ではなくて本当に」
「お、焼き芋が焼けたぞ」
(このまま流されたらだめ)
自身の肩から手を離し枯葉に木の棒を突っ込み焼き芋を取り出す修磨に、希羅は勇気を振り絞り抗議しようとした時だった。
「じゃあ俺はおまえの武士になろう」
「じゃあって意味分かんないし」
突如現れた、修行に行っていたにも拘らず見た目も何処も変わっていない海燕に、希羅はもうこれ以上ややこしいことを言うのは勘弁して欲しいと胡乱な瞳を向けると。
「あ、言っとくけど。別におまえのこと恋愛の対象に入っていないから安心しろ」
「うん。別にどうでもいいからそんなの。それより何で私?言うなら櫁でしょう」
「は?」
目が点になった海燕に、希羅はこっちが点になりたいわよと思った。何故なら。
「櫁のこと、好きなんでしょう?」
「友達としてな」
あっけらかんと言い放った海燕に、希羅はへっと、間抜けな声を出してしまった。
(あれ、もしかして私。女として見る眼がない、とか)
じっと海燕を見るも、照れ隠しとか嘘を言っている風には見えない。
「じゃあ僕は希羅ちゃんのお母さんで」
「御免被る。俺はおまえを妻になんかしたくないぞ」
「それはこっちの科白や。何が悲しくて君を夫にせなあかんのや」
突如として現れ当人そっちのけで口論を交わす洸縁と修磨を、希羅はぼーっと見つめていた。
(あ。でもこれで洸縁さんに跡継ぎになってもらえるかも。アハハ)
いい方向に。いい方向にこの状況を取ろうとした希羅だったが、限界だった。
希羅は身体中に力を入れ、どしりと、地面に足を踏み占め三人に向かい合い、三人の視線が一斉に自身に集まる中、すっと息を吐き出し口にした。
「私は一人で大丈夫「「「じゃない!」」」
一斉に、寸分たがわず折り重なった三人に、されど希羅は引こうとしなかった。
生きると決めたからには強くならなければ。
「あのですね「おまえの意見は却下だ。もう俺は決めた。梃子でも動かないからな」
「な!?」
何だそれは!?
「理不尽過ぎるでしょう」
修磨はちらと希羅を一瞥すると、本当に怒っている表情を浮かべていて。
「そんなに、俺と居たくないのかよ」
弱弱しく言えば大抵の人間は誤魔化せる。修磨が得た知識であった、が。
「はい」
迷う間もなく間髪入れずに告げた希羅に、修磨は落ち込み、そして憤りを覚えた。
「断定すんな!」
「だって」
(?何だよ)
押し黙ってしまった希羅を訝しみながらも、修磨は素直に自身の気持ちを口にした。
気付いてしまったからには、もう背けない。
「ずっとおまえの傍に居たんだよ」
切望してやまないその声音に、希羅はカッと赤面してしまった。
(あ~もう。何なのよ)
「私は居たくないです」
「俺は居たい」
「洸縁さん」
「希羅ちゃん。番犬やと思えばいいわ」
希羅は洸縁に助け舟を要求したが、洸縁は朗らかな笑みを浮かべそう告げただけで。
「思えません」
「俺と犬を一緒にすんな!」
「そうやった。犬に失礼やったわ」
「俺にだろうが!つーか、何でそんなに俺と一緒に居たくないんだ?理由を言え理由を」
未だに理由を述べない希羅の心内を知る由もなく、修磨は言葉を紡いだ。
「妙齢の女が一人で住むなんて不用心だろうが。だから、心配なんだよ」
「あのさ。何で娘なわけ?それって希羅に恋してんじゃないの?」
二人のやり取りを黙って聞いていた海燕は素直に感想を述べただけだったが、当人たちは即座に否定しにかかった。
希羅は笑みを浮かべて。
修磨は至極真面目な表情で。
「ない。ない」
「それはない。娘だ」
「ふーん。けどさ、希羅がこんなに嫌がってんだから、一旦引けば?」
修磨が反芻する前に海燕は彼の元に近づき、耳打ちした。
「押しても駄目なら引いてみろって言葉あるだろ?心配なら俺の家から毎日希羅のところへ行けばいいし。俺の家、部屋数多いから遠慮する必要なし」
なっと笑みを向ける海燕に、修磨は暫し思考を巡らせた。
(まぁ、断られても前みたいに外で野宿すればいいわけなんだが。…何か嫌がる娘を見張るって、ストーカーみたいだな。げ。俺そんな最低なことしようとしてんのか。冗談じゃない。これから親子で末永く楽しく暮らしたいだけなのに)
冷静かつ即座に答えを打ち出した修磨は希羅に向かい直し、口を開いた。
自分の言動を顧みることは必要だ。
「俺、海燕の家に世話っつーか、働きに出るっつーか、娘の心を取り戻すっつーか、兎に角。おまえに認めてもらえるように修行するから。よし、行くぞ、海燕」
「おお。ついて来い」
青春爽やかよろしく、のような一場面のように、走り去っていく修磨と海燕の背中を呆然と見つめるしかなかった希羅の肩に、洸縁がぽんと優しく手を置いた。
「あの。まるで意味が分からないのですが」
「人生なんてそんなもんやで、希羅ちゃん。意味の分からんことばっかや」
「綺麗にまとめようとしても駄目ですよ。説明してください。懇切丁寧に。まずは洸縁さんが何で私のお母さんになろうと考えたのか、からです」
「まぁ、小難しい話は置いといて。ほら焼き芋、美味しそうやで」
洸縁が希羅の肩から手を離してしゃがみ込み、まだ火がくすぶる枯葉の山から焼き芋を取り出そうとした時だった。
ドドドっとけたたましい音が聞こえてきたかと思えば、土埃が舞う中、先程海燕と共に去って行ったはずの修磨が戻ってきた。
お目当ては無論。
「焼き芋食うの忘れた」
「やろうね。ほんとに食い意地張ってるね」
「生命の源だからな。……これ、食うか?」
呆れた視線をものともせずに胸を張る修磨はだが、希羅に視線を送ると手に持った大きい方の焼き芋を遠慮がちに差し出した。
機嫌を損ねてしまった母親に声を掛けようか掛けまいか、おどおどしている子のような修磨に、希羅は視線を右往左往させたが。
(もういっか。今は)
「いただきます」
考えるのはこれを食べてからにしようと決めて修磨から焼き芋を受け取った希羅は、修磨が心底嬉しそうな表情を浮かべるのを目にし、自然と口元が綻んでしまった。




