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枯れ木が花を咲かせます  作者: 藤泉都理
一巻 はじめの一歩
30/135

二十九




 それから一か月が経ち。傷がほんの少し残ったが、それでも目立つことはなく。

 あの夢を見ることもなく。


 希羅が病持ちだったのは近しい人は知っており、洸縁が治療に専念したいからと面会謝絶のお触れを出していた為、姿を見せなくてもさほど心配させることはなかった。




「希羅。もう大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫」



 と、希羅は思っていたのだが、どうやらそうでもなかったようで。

 面会謝絶が解かれて後、ゐの一番に駆け付けた海燕の家族と、彼らと入れ替わる様に櫁と岸哲が現れて。


 心配しているのが丸わかりのその表情に、希羅は幸せ者だったのだと痛感した。


 向けられる感情は時に重荷にもなるが、何よりも得難いものだったのに。




「櫁。私さ。草馬さんに、弟子入りしようと、考えているって言うか、申し込んだ」



 興味があった、のは自覚していたが、その点においては弱腰なのもあった。

 自分に出来るか不安で。けど生きると決めたのだから、やりたいことはやっておこうと。


 弟子にしてくださいと告げたら、草馬に俺は厳しいぞと、ほんの少し脅しの入った声音で、だが笑みを向けてくれ、和花は手放しで喜んでくれて。ついでに息子の嫁にとも言われたが、それは丁重に断った。




「竹職人を目指すってこと?じゃあ、いい物ができたらうちの店に置いてあげるわ」

「高く買い取ってもらわないとね。何せ生活が懸かってるんだから」

「其処は甘く見ないわよ」

「でしょうね」



 ふっと微笑みあった後、櫁はまごつきながらも、口を開いた。



「私、さ。前みたいに希羅に会えなくなるんだよ、ね。その、武者修行が終わったって言うか。元の家に戻らなくちゃいけなくなったって言うか」

「そう、なんだ。寂しくなるな」



 希羅は櫁から今住んでいるところは親戚の家で、何でも親から商いの勉強をして来いと言われ其処に身を寄せていたと聞かされていたのだ。



「遠くて。でも、会いに来るから」

「ん。じゃあ、待ってる」



 何処に住んでいるのかも、親の職業も聞いたことはなかった希羅だったが、今はまだ聞こうとは思わなかった。


 言うのならばすでに言っていることだ。


 何より、秘密にしたいことなど、誰にも何個もあるものだ。


 けど何時かは、訊きたいと、思っている。


 そう遠くない将来にでも。


 その時には今よりは強くなっているといいと、そう思いながら。


 櫁はその後、希羅に見送られて岸哲と共に立ち去って行った。











「さて、と。今から忙しくなるわね、岸哲」

「はい。姫様」



――『穏芽城』の一角。天皇の住居である『風霞』にて。



 『穏芽城』は高い城壁を超えても、周りはさらに水で囲まれており、其処を超えると漸く辿り着ける仕組みではあったが、其処に至るまでも、城の中でも様々な罠が施されており、これまで入り込んで無事に戻れた賊などそうは居ないほどに、要塞としての機能を発揮していた。



 『風霞』に設けられた自室の淡い桜色の壁に囲まれ、煌びやかと言うよりは優美な姫装束を身に付けた櫁は、天皇の補佐として目の前にこれでもかと積み込まれた案件を自室に持ち込んで目を通していた。



 櫁には希羅や海燕に秘密にしていることが幾つもあった。



 現天皇の姪であり、継承者候補であること。


 天皇家の者は五歳までは城で過ごすが期間を設けて、自身たちが支えるのだと、市井で民と直に触れることで、天皇たるべく自覚を養っていくこととなっていた。


 その期限を繰り上げ、城に戻る日がやって来たのだ。




 櫁はあの日のことを思い出すと、未だに胸が痛んだ。












 あの日。希羅が鄒桧に連れて行かれた日。櫁もまた、あの場に居たのだ。

 あの時。希羅が矢で倒れた時、駆け寄ろうとしたのを岸哲に止められ、振りほどこうともがいても、彼が力を弱めることはなかった。




『離しなさい、岸哲』

『なりません』

『岸哲』

『今出て行ってどうなりますか?』

『だって、梢様が、叔母様が』






 殺そうとした。






 また。






 様々な感情が入り混じり、顔が歪む。




 生きて欲しかった。




 だから、自分も力になりたいと、他国の商品を扱っている今の家の伝手を頼り、様々な情報を得て、品物を得て、贈り続けていた。


 それで、良くなればと。


 会いたかったが、期限が過ぎるまでは会えないと決められていたから、我慢して。それでも元気かどうか知りたかったから、岸哲に頼み時々様子を見に行ってもらっていたのに。






 叔母の様子がおかしいと分かったのは、兄のひいらぎからの文だった。


 彼もまた例にもれず城から出て街に居たのだが、自分と同様に供の者に城の様子を調べに行かせていたらしい。


 それで岸哲を問い詰めると、漸く彼は白状したのだ。


 希羅の父を殺して、あそこを手に入れようと画策しているらしいと。






 目の前が暗転し、足元の地面が割れ、地中深くに落ちていくようだった。








 希羅と出会ったのは、まだ彼女の両親が生きていた時。


 商品を買いに来た両親と共に希羅が店に現れ、同い年だからと、義父に(自分が天皇ではなく、貴族の出だと聞かされている)遊んできていいと言われてから、それから海燕も交えて日が暮れるまで遊び、友達になったのだ。




 父が亡くなり、母と弟まで亡くなった希羅は半分死んだようだった。


 気持ちは痛いほどによく分かっていた。


 つもりだった。


 自分は赤子の時にすでに両親を亡くしており、親代わりの叔母に育てられていた為、実のところ、あまり分かっていなかったのだ。


 それでも、元気になって欲しかったから、遊びに誘うことや、時々家に留まって家事を手伝うとかくらいしかできなかったが、傍に居続けることで少しでも支えになれたらと、そう思っていたのに。






 数年経って聞かされた残酷な真実。


 




 自分が慕う叔母が、友人の父を殺したと。


 




 まだ確定していないと言う岸哲に安堵し、詳しく調べさせた。


 あの優しい叔母がそんなことをしないと、信じられない気持ちの方が勝っていた。


 それから鄒桧と言う陰陽師を雇っていることも知り。


 あの日。希羅を抱え何処かに向かう鄒桧の後を秘かに追ったら、辿り着いたのは人目が一切及ばない廃屋で。


 息を潜める様にその中に入り様子を窺がっていたら、其処にあろうことか、叔母が現れて。


 檻に入れた海燕と修磨を殺せと命じて。


 何よりの決定的な証拠だった。




 認めたくなど、なかったが、それでも、希羅の方が心配だった。




 傍に駆け付けたかった。








『離しなさい』

『出て行って何を申すおつもりですか?梢様がひどいことをして申し訳ない、とでも?』

『傍に行きたいだけよ』




 泣く資格などないと堪えても、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。


 決まりなど守らずに叔母の元へ行って問い詰めればよかったのだ。


 話を聞けばよかったのだ。


 そうしたら何かが変わっていたのかもしれない。


 悔いることばかりだ。




 それももう遅いことばかり。




『出て行きたいのはご自身の気持ちを楽にしたいが為でしょう?』



 瞬間、振りほどこうともがいていた手足がピタリと止まる。

 岸哲は容赦なく言葉を紡いだ。主を傷つけると分かっていても、これは譲れない。



『此処で駆けこんでも何も解決しません。それどころか、梢様と櫁様の関係が知られることにもなり兼ねません。それで傷つくのは誰だとお思いですか?あなた様ではない。希羅様です。ご友人である希羅様を想うのであれば、このことは胸に秘め、見知らぬ振りをし続けなさい。全てを包み隠さず告げることが相手を思い遣ることではないのです。傷つくのであれば、私が共に痛みを抱えます。けれど、希羅様に押し付けるのはお門違いです』



 岸哲は押し黙った櫁から、ふと隙間越しに鄒桧を注視した。


 自身の存在を嗅ぎつけられないように用心深く行動していたにも拘らず、何故此処まで追いかけられたのか。術を使うなり自分たちを撒く方法など幾らでもあっただろうに。



 わざとだと考えるのが自然だ。



 何を企んでいるか分からない彼の視線を辿れば、其処には希羅が居る。


 その黒く濁った、それでいて強い眼差しは何を意味するのか。


 あの子は只人なのに。


 何故、強い妖怪を目の当たりにした時と同様の恐れを、あの時感じたのか。


 疑問は尽きない。


 だが、彼女は主の友人である。その事実は、彼女が何ものであろうが変わらない。












 それからこの場を後にした櫁と岸哲が真っ先に向かったのは城の天皇の居住地、梢の自室だった。


 弱弱しく床に座り込む姿に、されど櫁は言い放ったのだ。



 天皇の身分を剥奪する。

 蟄居すべしと。



 証拠と、何よりこの目で見てきた事を淡々と梢に語る櫁の顔は、普段の感情豊かな彼女からは考えられないほどに、無表情であった。


 だがそれは、抑えまいとして。


 梢は抵抗する態度を示すことなく、ただ全てを聞き終えた後、静かに立ち上がり櫁の元へと一歩一歩足を進め、あと数歩でぶつかると言うところで立ち止まり、その場に跪いた。





 そしてただ一言口にしたのだ。


 命に従います、と。










 ただ梢が天皇の座から退く理由は養生の為とお触れが出され、梢自身に子が居なかった為、一時的に天皇の座は櫁の兄である柊に譲られ、櫁は彼の補佐に就いたのだ。






 櫁は案件から窓に広がる空へと視線を移した。

 外はすでに暗闇に覆われており、その中で月に寄り添う星が見えた。



 叔母があそこまで生きようとしたのは、まだ拙い自分たちの為だと分かっている。

 夫を娶らなかったのも、子を成そうともしなかったのも、自分たちが居たからだと。




 あの日。

 蟄居を命じたあの日。




 どうして殺したのと、疑問をぶつけた。




 いくら考えても、考え尽くしても、分からなかった。

 天皇としての矜持が高かったのだろう。

 弱弱しい姿から一変し、優美な立ち振る舞いで立ち去ろうと背を向けて歩を進めていた梢は立ち止まった。




 そしてぽつりと告げたのだ。




 弱かっただけだと。




 希羅の父を殺した日のことを根掘り葉掘り聞こうとは思わなかった。




 今は。




 ただ。






「もう少し、子どもを頼ってよ」



 あの時言えなかった言葉を贈ろう。

 今となってはもう詮無きことだが。




「どうぞ」

「ありがと。岸哲」


 机にお茶を置いた岸哲に、櫁は微笑んだ。


 城に居る時こそ女性の口調は封じ込んでいる彼だが、幼い頃に願った拙い自分の願いを今も忠実に守っている。


 ただ姉が欲しいと言っただけだ。




 なのに。




(真面目の堅物なのよね)


 彼が居てくれてよかったと心底思う。

 痛みを一人で抱えろと言うではなく、共に抱えると言ってくれた。


 きっと天皇とは、そう言う存在なのだろう。

 痛みを痛みで返すことは、断じて許されない存在なのだと。


 だが叔母はその一線を越えてしまった。


 それは一人だったからか。


 弱かっただけだと、告げられた。


 だが弱くてよかった。


 その弱さを補い合うのが、自分とは違う他人が居る理由なのに。




「頼って欲しかったな」




 護られるだけの存在だと決めつけて欲しくなどなかった。




「お。じゃあ、じゃんじゃん頼るかな。これにも目を通しておいてくれ。後で存分に話し合うぞ」

「に、兄様。何時の間に」



 突如現れた兄の柊――か細い身体つきを補うかのように声だけは元気溌剌の二十一歳、の腕にこれでもかと抱え込まれた(その重さですでに身体はふらついている)案件を見て、げんなりとした表情を浮かべた櫁は助けを求めようと岸哲に視線を送ったのだが。



「櫁ちゃん。頑張って」

「痛みを一緒に抱えてくれるんじゃなかったの?」



 急に女性の態度を取った岸哲に、櫁は恨めしげな視線を送ったが、次の瞬間ぷっと噴き出した。




「はいはい。頑張りますよ。その代わり、ご褒美として街に「これが終わったら、です」

「分かっていますよ」



 べっと舌を出し再度案件に目を通し始めようとした櫁は案件から机へと視線を下ろした。














 叔母が後十年ほどは生きられると洸縁から告げられた時。




 ただ正直に嬉しいと喜ぶ自分が居て。




 その叔母への気持ちに比例して、罪悪感が募る。




 全てが明らかになったらと思ってはいたが、希羅の誕生日を素直に祝うことなど、できそうになかった。




 全てを語り自分が謝罪したところで、希羅の父親を殺した事実が消えるわけでもない。




 見知らぬ振りをしなさいと、岸哲は告げた。




 傷つけるだけだからと。




 それは事実で。




 だから見舞いに行った時もそうした。




 だがこれからもずっと隠しきれるのか。




 彼女の前で偽りの笑顔で見せ続けるのか。




 答えはまだ出ない。




 だが。




(遅れちゃうけど、必ずお祝いの言葉を贈るから。必ず、また会いに行くから)








 視線を案件へと戻した櫁を、岸哲は優しい眼差しで見つめていた。















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