二十五
疑問に思った。
四方形の檻が矢を突き抜けるのは側面四か所と上の一箇所の計五か所。
だが、或る二方向からは矢が飛んでこなかった。自分が背を向けた方向と頭上からはほぼ。
何かが、重い何かが崩れ落ちる音がする前に、梢が攻撃を止めるように命じたが、遅かったのだ。
見たくなかった。
だが見なければ。
ほとんどが跳ね返せたものの、自身も矢が数本身体に突き刺さった修磨が後ろを振り返ると。
其処に居たのは。
床に横たわっていたのは。
無数の矢が突き刺さっていた。
「希羅!」
声が、身体が、戦慄く。
嘘だろと、後ろで呟く、足に数本の矢が突き刺さる海燕の声が聞こえた。
自分と同じように震えていた。
「お願い。書いて。此処にあなたの名前」
転げ落ちるように近づいた梢は横たわる希羅の手に必死に筆を掴ませ、書類にその名を書かせようとしている。
同じように震える声はただ、希羅が死ぬかもと言う恐怖から来るものではなく。
あの家と土地が手に入らないと言うそれだった。
(ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな!)
これ以上ないくらいに、怒りが込み上げる。
助けようとさえしない梢に。
死ぬのだと断定しているその行動に。
「殺して、やる」
静かで低い声音は、まるで全てを呑み込むマグマが山から爆発する寸前の光景を思い起こさせて。修磨が足を一歩踏み出した時だった。
「だめ、だよ」
希羅は横たわったまま、だが頭だけを何とか動かし、修磨を見上げた。
今までに見たことがないほどに、怖い顔。
全然似合わなかった。
出会ってまだたった四日しか経っていないのに、まるで、家族のように感じられて。
付き合った月日の長さがそのまま親しくなる密度に比例するのではないと、痛感した。
あの瞬間思ったのだ。
あの時死ななかったのは、この二人を守る為だったのだと。
思い出の詰まった家ではなく。
命が通う人を守る為に、生き続けてきたのだと。
だがこれは当然の結果だ。
自分が招いて、この二人を巻き込んでしまったのだから。
護れて良かったと、心底安堵した。
つっと、希羅は身体中に突き刺さる、鋭く尖った鉄の矢じりによる苦痛で顔を歪めた。
まるで炎に焼かれているように全身が熱に侵されていた。
それでも、すぐに絶命していないのが、何よりの、妖怪の証だった。
が。
血が少しずつあらゆる部位から流れ落ち、とくんとくんと、心臓の鼓動の音が小さくなっていく。
急速に命が身体から抜け落ちて行く。
(やっと、死ねるんだ)
朦朧とする意識の中、そう実感すると、自然と口の端が上がる。
「莫迦!満足そうに笑うな!」
先程の形相から一変した、頼りないその表情を見て、希羅は思わず吹き出してしまった。
父親のようだと思ったら、弟のような表情を見せる。
ころころと変わる修磨を見ているのは、本人は不愉快に思うだろうが、楽しかった。
希羅はふと、視線を修磨から自身の手を強く握りしめる梢に移すと、今にも消え入りそうな、それでも必死で留めようとする表情を浮かべていた。
「お願い。私はまだ、死ぬわけにはいかないの。だから」
ぽたぽたと、雫が希羅の手を濡らす。
父を殺した憎むべき人。
どんな形でも、あの家と土地が残るのなら手渡してもいいと、冷めた自分は思った。
人を殺してでも手に入れようとしたのだから。
だが。
このまま渡したらこの人を殺すことになるだろう。
何故そう思ったか分からない。
直感か、もしくは死ぬ間際で隠されていた予知能力でも働いたのだろう。
だから。
「あなたには、渡せ、ません」
「それ以上、言葉を出すな」
どうしてと、反芻しようとした梢を、修磨は有無を言わさぬ声音で制した。
「似合わ、ないって」
折角好ましい表情だったのに、逆戻りだ。
希羅が口にしたからだろう。ほんの少しの怒気を残しながらも、先程と同様の、否、苦しそうな表情を浮かべた修磨は話さなくていいと、希羅に念を押し、言葉を贈った。
「言ったよな。おまえが死んだら、生きていけないと」
確かに。あの時は自分の言葉ではなかった。だが今は。
「おまえが死ぬなら共に死ぬと」
常夜だけに包まれる、一筋の光など一切見当たらないその世界に一人遺される。
想像するだけで、胸が押し潰されんばかりに圧迫され、息がうまくできない。
こんな思いを抱えては生きていけない。
共に逝こう。
だがそれは。
(おまえが老衰して死ぬ時だけだ)
まだ、自分の為に生きていないのに、死なせて堪るか。
「それは、いや」
希羅はふっと笑った。
あの時と同じ言葉を贈ろう。
共に死ぬのは嫌だ。
死ぬなら一人で死ぬ。
あの時は生きていて欲しいと思っての言葉ではなかった。
だが今は違う。
「生き、て」
楽しくと、付け加えたかったけど、もう口を動かすのが億劫だ。
瞼を開けるのも、限界。
どうして自分が忌み嫌う言葉を贈ったのか。
だが当たり前の言葉だったのかもしれない。
生あるものいずれ死を与えられる。
だから、生きて欲しいと、それまでは願うのだろう。
死ぬことは何時でもできるが、生きることは今しかできないから。
生は当たり前のようにあるが、その実、様々な支えが在って成り立っている。
一人で生きる、なんて土台無理な話で、自分も支えられてこうして生きてこられた。
それでも。
家族を喪った哀しさに目を向けて。
あの苦しさから目を背けて。
死ぬしかないと思っていた。
(そっか。本当は)
縛られていたのではなく、支えられていたのではないかと、今この時になって気付いた。
だが、その気持ちに気付いても、ようやく彼らの元へ行けると、波紋の一つない水面のように穏やかな心が此処にある。
(私、どっちを望んでいるんだろう)
困惑する中で、『死』に向かう自分は言葉だけを紡いで行く。
「海燕、も、ね。櫁も」
あと、岸哲さんも、おじさんもおばさんも、勉も遊里さんも。洸縁さんも。
ありがとうと、伝えようとした口が開くことはなく。
ただ瞼を閉じた時に、一筋の涙が頬を伝っただけだった。
(まぁ、この程度で死ぬのならば要らないのだが)
「おや、遅かったね」
鄒桧は希羅に視線を固定させたまま、後ろに居る人物に告げた。
「退け」
突如現れた洸縁に、扇で横真っ二つに切られた鄒桧の身体は、瞬間、砂の粒と化して崩れ落ち、それさえもすぐに消えた。
「師匠、お願いします」
「やれやれ」
巨大な黄色い蝶の上から降り立った河童――修磨に薬を手渡した、名を玄武と言う、は、希羅の傍へとゆったりとした足取りで、ではなく、何時もの足取りよりは速度を上げて向かった。
「助けて、くれ。頼むよ」
初めて会った時の傲岸不遜な態度は何処へ行ったのかと思うほどに、姿と同調したかのような弱弱しい態度の修磨に、玄武は力強く肯定の返事を贈った。
「情けない声出すな」
「悪かったな」
洸縁が修磨の眼前に立つや何事かを唱えると、鄒桧の式神と同様に檻は砂の粒と化し消え去り、自由になった修磨は転げ落ちるように希羅の元へと向かった。
「希羅。希羅」
修磨は一切触れることなく、ただ希羅の名を呼び続けた。
「師匠。俺」
洸縁が近づくと海燕はびくりと身体を縮めた。
あまりの不甲斐なさに、呆れさせたと。幻滅させたと思ったら、怖かったのだ。
そう考えているのが手に取るように分かった洸縁は、かがみ込んで海燕に目線を合わせて笑顔を向けた。
それは生きていたと実感できた安堵故だ。
誰よりも不甲斐ないのは自分だった。
此処に来るまでに時間がかかったのは阻まれたからなど。
言い訳に過ぎない。
「肩からも血を流して。痛かったな」
「希羅を、また、守れなかった」
優しさに触れて。
海燕の目からぼろぼろと涙が溢れ零れる。
護れなかったどころではない。
逆に、護られるなんて。
「師匠。希羅を、助けて」
「分かっている」
洸縁は素早く海燕に刺さった矢を抜き、薬を塗って包帯を巻いた後、肩を動かさないように言い残して素早く或る人物の元へと向かった。
「梢様。これを」
「これ、は?」
洸縁は持参した袋から瓶に入れられた薬を梢に差し出した。
洸縁がこの地を離れ旅を続けていた目的は二人の人物の為であった。
一人は希羅。
そしてもう一人が、目の前に居る梢だった。
共に、治療の道を捜す為に。
そしてようやく。
「これを飲み続ければ、十余年は生きれます」
妖怪の世では短く、人の世でも長いとは言い難いだろう。
それでも、これだけの年月が精一杯だった。
「私は」
何の抑揚もない声音に、能面のように感情を表に出してない顔に、梢は後ろめたさが襲ってきた。
否、本当はずっと。
梢が自身から目を背けようとしたのを、洸縁は逸らすなと、制した。
「人を殺してまで生きようとしたのが、保身の為やったら、これを渡そうとは微塵も起きんやった。けど。あんたは姪の、如いては国の為に生きようとした。だから渡す。地べた這いつくばってでも、国の為に生きや。せやないと、あいつが浮かばれんわ」
洸縁はそれだけ告げるや、今度こそ希羅の元へと向かった。
「いいのか?あいつはおまえの親友を殺したやつだぞ」
「いいわけないやろ」
ぼそりと、玄武に耳打ちされた洸縁の目には、されど奪われた怒気よりも喪った寂しさが滲み出ていた。
背を向けてはいるが、立ち上がり供を連れて城へと戻ったのだと分かる。
それで善かった。
もし、座り込んだままであったのならば。
洸縁はぎゅっと目を硬く瞑った。
赦されるわけには、赦すわけにはいかない。
それでも、彼女の生を真実、望んだ者が居たから。
瞼を開けた洸縁は瞳だけを後ろに向けた。
「集中しろよ、弟子」
「わかってる。死なせはせんわ」
気持ちの整理はついているのだと確認でき表情を改める玄武。
それは洸縁も同様に。
一切の迷いを持たず、玄武と洸縁は治療を開始した。




