二十四
「くそ!出せ!」
「あんたまだ戻らないのかよ?」
「人に頼る前に自分で何とかしてみせろ!今はおまえの方がでかいんだぞ!」
「愛刀が折れたってのに、俺にどうしろってんだよ!」
四方鉄格子に覆われ、身動きがあまり取れない小さな檻に入れられた幼い修磨は隙間から出ようと顔を突っ込んだり、はたまたその頑丈な身体を以てして突き壊そうとしたりしたが、ヒビの一つも入らず。
今は鉄格子を握り動かそうとしていたところ、同じ檻に入れられた海燕に真っ二つに折れた彼の愛刀――ほんのり桜色を帯びている『桜架』を見せられ、チッと舌打ちをした。
「この役立たずめ」
「お互い様だろ」
互いに睨み合っていたが、同時にぷいとそっぽを向いた。
「おまえ。あいつの弟子なんだよな?何処まで知っている」
「大体は。自分が何とかするから何もするなと。実際、俺には何にも出来なかった」
「で、素知らぬふりか」
修磨は海燕に背を向けたままなんてこともないような物言いで告げたが、海燕の胸に強く突き刺さり、今でさえこうやって無様に捕まっている自身の不甲斐なさに唇を噛みしめた。
「莫迦だな」
「悪かったな」
間髪入れずに返答した海燕に、修磨はふんと鼻を鳴らした。
(鬱陶しい顔じゃなくなっただけましか)
「あ~。くそ!身体さえ戻ればこんな檻。おまえ。独楽持ってないのかよ?」
幾ら鉄格子を揺り動かしても動く気配が一向になく。
修磨は足蹴りを食らわしてドスンとその場に座り、陰陽師の弟子である海燕に疑問を投げかけた。
お手玉は自分を幼児化させ、独楽は元に戻す。
今まで知らなかったが、身を以て体験した以上、手段さえ分かれば此方のものだったのに。
修磨は胸元から独楽を取り出したが、何の変化も生じなかった。
どうしてか。自分が持っている物では、身体はうんともすんとも言わないのだ。
「師匠が術を掛けた物しか無理なんだよ」
「じゃあ、何で俺は今この有り様だ?」
「師匠じゃない。多分、師匠と同じくらいの力を持った人が見せたんだろうよ」
(人、じゃないんだけどな)
師匠大好きな海燕が口惜しそうな表情を浮かべる中、その時のことを思い出した修磨は嘆息をついた。
(二匹目の鬼だってのに。いや。まだ一匹目か)
仲間を捜していたのは本音だった修磨はほんの少し肩を落としながらも、こうして他に期待していた自分に気付き苦笑した。
結局のところ。
一匹で寂しかったのだと。
人は格下の存在。
他の妖怪も同様。
肩を並べられるとしたら同じ鬼しか居ないと。
共に語り合えるのは、同族の鬼しか居ないと考えていた。
縛られるのは忌避すべきことだが、同族なら、それも有りかもと。
だから、か。と修磨は思い至った。
あの娘に近づいたのは、心を知りたいと思ったのは。
あの娘。希羅はまだ鬼ではない。
かと言い、純粋な人かと言えばそうでもない。と思う。
実際のところよく分からないのだ。
鬼の気を発しているかと思えばぷつりと途切れる。
まるで意味が分からない存在。
では自分が希羅にどちらの存在で居て欲しいかと言えば、無論。
「海燕!修磨さん!」
(俺は二番目かよ)
この状況にも拘らず、一番に名が呼ばれなかったことを不満げに思う修磨。
それは彼の心の内に宿る思いがそうさせているのだろう。
突如、薄暗かったその場に目が眩むほどの光に満ち、ギィッと重々しい扉が開かれたかと思えば、其処に居たのは鄒桧と彼に腕を掴まれた希羅と。
「この者らの命を助けたくば、土地と家を渡せ」
現天皇の梢であり、彼女は現時点で二十八と言う若さであった。
梢は七歳と言う若さでその座に就き、優秀な補佐に恵まれていたことが大きいのだろう。
それから二十五になるまで文武共に重点を置き、中立の名君として名を馳せ、国民の評判は上々だった。
が、二十六になった彼女に告げられた命の宣告。
あと一年で世を去ると知った彼女は、優秀な医師や効果が絶大と噂される食物、薬、温泉、あらゆる手を使い病を治そうと奔走した。
それでも医師の見立ては変わらなかった。
ずっと欲し続けていた『不老長寿の薬』。
ずっと国を見守り続ける為に。
それを捜し求め各地へ部下を遣ってからもう何年経つのだろう。
もう望みはあそこだけになってしまった。
余命を告げられる前、まだ自分が十代の時か。
あの人を殺してしまった罪悪感など、もう何処にも存在しない。
どうして拒んだの。
どうして、自分の傍に居てくれなかったの。
叫び続ける弱い自分。
だがそれは心の奥底に封じ込めよう。
そして告げられた、自分が最も畏れていた命の刻限。
一年など。
何と儚く短いことか。
何処か曖昧だった『生』への執着が頂点に達し、鄒桧と言う陰陽師を雇ったのは、この時だった。
まだ後継者も育てていないのだ。
自分を支えてくれた補佐たちが櫛の歯が欠けるように居なくなった今、姪たちを真実支えてくれるのは、たった数名しか居ない。
まだまだ心許無い彼女らを天皇たるべく育てる為にも。
死ぬわけにはいかなかった。
殊更優しく語りかけている。
何時もの声。
自分の声だ。
この部屋に連れられ彼女の姿を一瞥した時、心臓が飛び出るかと思うほどに動悸がした。
(お願い。もう、嫌だ)
水が張られた桶に水が溢れ出ないような蓋を上から押さえつけたらどうなる?
木で作られた桶は最初、その隙間からちょろちょろと水が滲み出て来るだけだろう。
だが圧力が加えられた桶はいずれ崩壊する。
ミシミシと軋ませながら、自身を壊させまいと、身体に力を入れて耐えても。
そのひ弱な身体では、耐えきれないのだ。
『殺せばいい。だって』
(止めて)
『あいつは』
(止めてよ)
『父親を殺したのだから』
(証拠がないもの)
『忘れているだけ』
(嫌だ)
『思い出して』
(嫌)
空気が暗く淀み、息苦しくなる。
修磨は希羅の身体から今までにないほどの力が溢れ出してくるのを目の当たりにしていた。
(それが、おまえの色か)
今まで気配が弱弱しく、色を判別できるまでには至らなかったが、初めて見るその色は綺麗だと、素直に思った。
だが同時に、何故か泣きたくなった。
鬼が発する気配はそれぞれ色が付いていた。
修磨は夏本番の空色で、修磨の目の前に現れた鬼は曇天の灰色。
そして。
希羅は夕日の橙が入り混じる朱色。だが血の色とも言えるだろう。
希羅は自身の身体を抑えるように腕を胸の前で交差させ全身の力を籠め声を拒んだが、それに同調するように、鄒桧が彼女の頭の中に残酷な事実を放り投げた。
「あなたの父親を殺したのは、目の前に居る梢ですよ」
「止めろ!」
声を荒げたのは、海燕だった。
異様な気配が希羅から立ち昇るのが未熟な自分でもはっきりと見える。
嫌な予感しかしない。
思い起こすのは。
人を殺したと告げた、自分から目を逸らした希羅の、今にも消え入りそうな弱弱しい姿で。
「くそ!壊れろよ!」
勢いを付けて肩で鉄格子にぶつかっても、鈍い音が響くだけで、微かに揺れるだけで。
自分の非力さに、悔しさともどかしさで顔は歪む。
「止めろ。止めろ。止めろ。止めろ!…壊れろよ!」
「止めとけ。それ以上やっても不毛なだけだ」
「あんたは!」
素っ気ない物言いに、怒りが爆発する。
が。急速にしぼむ。
「希羅のこと、大事なくせに」
まるで娘を見るように、穏やかな表情を浮かべていたのに。どうしてそんな、わざと。
「無関心であろうとする?」
壊そうともがき続ける海燕を、修磨は冷ややかな眼差しで見つめている、はずだった。
のに。
心がざわめく。
(そんなの、俺だって分からねぇよ)
鬼だから面倒だろうと大事にしようとする。
人だから面倒であれば無関心で居ればいい。
狭間に居る希羅はどちらも当てはまる。だから接する態度が一つに定まらないだけだ。
鬼は確かに人を守っていた。おふくろに聞かされた真実。
だが自分にとっては、鬼が人にとって悪だろうが善だろうがどうでもよかった。
人に、他の妖怪に求める要素はただ一つ。
道化師の存在であればいいのだ。
此方を退屈にさせなければそれでいい。
此方の都合で入場でき、退場出来ればそれでよかった。
あの時。希羅が家を出て行った時に退場すべきだった。
のに。
どうしてか。希羅を捜し、あろうことか、共に死のうとさえした。
人生を共にしようと決めた『―』のような存在になってしまったのだと、否応にも気付かされて。
それはずっと見守って来たからか。
鬼かもしれないからか。
(くそ)
ほんの微かに期待する心。
人であるかもしれない希羅を見守り続けていたのは確かに心地好かった。
だから。
直に話したかっただけだ。
誕生日に目の前に現れたのは、意識してのことだ。
希羅にどちらの存在で居て欲しいか。
など。
決まっていた。
「おまえは人なんだ!だから、殺すな!」
人とも繋がりたいから、人で居ろ。
そう思わせてくれたのは、おまえだ。
だから。
(一人で大丈夫だと、強がるな!)
「独楽を見せろ!」
荒げた声音に含む優しさ。希羅は右腕一本に意識を集中させ胸元から独楽を出そうとした。
が。
「逃げて」
荒い息を吐きだしながら、希羅は瞳を梢にぶつけた。
そう言われた梢は訝しみ眉を寄せた。
まるで意味が分からないのだ。
人質さえ取れば、頑なに明け渡すのを拒んでいた娘も、折れると聞いたのに。
「鄒桧」
梢が事の状況を訊こうと隣に居る鄒桧を見上げると、鄒桧は穏やかな笑みで告げた。
「申し訳ありません。梢様。死んでください」
「何、言っているの?」
梢は未だにこの状況が読み取れない混乱と突き放された恐怖を感じていたが、小さく息を吐くと、気持ちを入れ替えた。
傍らに最早彼らが居なくとも、一人で何とかしてみせると、決めたのだ。
一人で、あの子たちを、護ってみせると。
その為なら、生き残る為なら、どんなことでもしてみせると。
梢は不敵に、優美に笑って見せた。
自分を裏切ると言うのであれば、もう要らない。
だがその前に。
示さなければ。
「閣玄。遊山。あの二人を殺しなさい」
「阿呆!」
自身らを指差す梢に、修磨は大喝を浴びせた。
(煽ってどうすんだ、莫迦娘!)
何処からか。四方から無数の矢が自分たち目掛けて襲って来る。
逃げ場もない檻の中では、無残にも突き刺さって確実に死ぬだけだ。
海燕は。
「来い!」
自分の小さな身体で何処まで防ぎきれるか。
修磨は翼を広げて、抱きしめる様に海燕の上半身を重点に覆った。
その場に矢が肉や骨に突き刺さる鈍い音が響き渡る。




