二十一
「ごめんね。情けないお姉ちゃんで」
崖の上に立った希羅の眼前には、轟轟と唸り声をあげる滝が映る。
生きる理由を挙げるのならば、やはり両親の願いとそして弟の存在以外なかった。
生きようと頑張った。
抗ってみせた。
だけど。
やはりだめだった。
「本当はね。家で死にたかったけど、汚したくないから」
一歩足を踏みだすだけで『死』を貰える。
何てことはない。
簡単なのだ。
ゆるゆると、身体中の力が抜ける。鎖が、消えた。
解放されたんだと思ったら、心の底から笑えた。
「ありがとう。さようなら」
「ごめん。赦して」
生者と死者にそれぞれの言葉を。
一歩踏み出せば、身体は崖の下へと、滝の中へと傾く。
それでお終いだった。
のに。
「邪魔しないでよ!」
確実に踏み出して身体が傾くのを感じた。そのまま宙に放り込まれ、急速に落下した後、滝に叩きつけられて死ぬはずだった。
腕を掴まれ、後ろから抱きしめられなければ、叶うはずだったのに。
「自分で死ぬんなら文句はないんでしょう!離してよ!逝かせてよ!」
怒りでか。
悔しさでか。
涙が滴り落ちてくる。
あの時以降、流したことなどなかったのに。
抗うほどに抱きしめる手の力は籠もる。
冗談じゃない。
「どうしておまえは他人で行動する。自分の為に生きようとしない」
両親の願いだから生きた。
赤子で亡くなった弟の代わりに生きた。
全部他人の為。
何故、自分の為に生きようとしない。
「食べるのが好きなくせに。まだやりたいことに触れてもいないくせに。季節を感じるのが好きなくせに。やかましい女と岸哲と遊ぶのが好きなくせに。小僧やその家族と共に居られるのが好きなくせに」
冗談じゃない冗談じゃない。冗談じゃ、ない。
「ふざけんな!生きているおまえのもんより大事なもんなんてないだろうが!」
「違う!私には!家族が全て!」
顔が熱い。
涙が滴り落ちる。
胸が苦しい。
喉が苦しい。
頭の中が掻き回される。
足を、腕を、身体全身をばたつかせて抗うのに、解けない。
ただ家族の元に逝きたいだけだ。
どうしてそれがいけない?
「殺したの!私は人を、殺した!」
自分の声に従って。
妖怪に憑りつかれていたんじゃない。
自分が妖怪だっただけだ。
自分の為に生きる?
それは人を殺し続けると言うことだ。
自分は殺人に快楽を求める存在なのだ。
その証拠に。
笑っていた。
確かに。
笑って、見下げていた。
自分が殺した人を。
「死ぬのは、自分の為よ!」
家族の元に逝きたいから。
人を殺したくないから。
全部自分の為だ。
「もう私を縛らないで!」
瞬間、修磨は横っ面を思いっ切り叩かれた気がした。
縛られたくないから、他人と距離を取る。
なのに。
どうして自分が忌み嫌うことを、行っている?
生きろと誰もが口にする言葉で、自分もまた、縛り上げている?
戸惑いと疑問と放棄が頭を占め、力が抜けそうになるのを必死で留めた。
それはだめだと。
誰かが語りかける。
生かしてくれと。
これは梓音?それとも、洸縁?
違う。どちらでもない。
「おまえは、殺してない。誰も、だ」
自分の口から紡ぎ出される自分の言葉。
だが違う。自分ではない。
「嘘言わないで!」
「嘘じゃない」
他人だと思うほどに落ち着いた静かな声音が紡ぎ出される。
「それでも。本当に死にたいなら、俺が殺してやる。おまえに人を殺させはしない」
希羅はまるで子守唄を聞かされているような気がした、その慈愛に満ちた声音は。
「殺して」
父のようだった。
「わかった」
そう言うや、修磨は希羅を抱きかかえ、自らも崖の下へと身を投げ出した。
だがそのことに泡を食ったのは、懇願した希羅で。
「何であなたまで!翼は!?」
(そうだ。翼は小さい時しか。ってそうじゃない)
幾ら屈強な鬼でもこの高さから落ちれば死ぬ。
冗談じゃない。こんな無理心中みたいな死に方。
自分が殺すようなものじゃない。
「殺してって頼んだけど、一緒に死んで欲しいなんて微塵も思ってないわよ!」
落下速度が遅いと言う疑問を頭に挟む余裕などないほどに、希羅は修磨のわけの分からない頓珍漢な行動の方に頭を占められた。
「一緒に死のう」
「ちょ。え」
絶望に染まった声音に、ぞわりと、気持ち悪さで希羅の身体は全身鳥肌が立ってしまった。
本当に別人?それとも、多重鬼各者?
「おまえが死んだら俺は生きていけないから、俺も死ぬ。それだけだ」
「は!?」
まるで意味が分からない。何なんだ、この鬼は?
陰鬱とし思考を完全に締め切っていた気持ちから一変し、希羅は目まぐるしいほどに思考を巡らせ、活性化した頭により、活力が自然湧き出てくる。
(大体。何かずっと見てきたような物言いだったし。もしかして。見張られていたとか。世に言うストーカー?何て物好きな。じゃなくて。妖怪だから高く売れると?違う。自分も妖怪じゃない。でも、同族が同族を売らない保証なんて何処にもないし。でも、一緒に死のうとしてるし。あれ、そう言えば何でまだ生きてるんだっけ?)
もう、滝に叩きつけられて死んでもおかしくないはずで。そもそも落下している割には、ビュンビュンと風が横切るはずなのだが、柔らかな風しか感じられないのはおかしい。
今になってようやくこの不可思議な状況に気付いた希羅は、視線を修磨から周りの風景に移すと、其処にはゆっくりと流れる滝の水と、弾き出され宙に浮いている雫が目に映り。
まるで時間がゆっくりと進んでいるようだった。
「いやでも声は普通に出てるし。夢。もしかしてこれは夢?」
時間がゆっくりと進んでいるのならば、声もゆっくりとしか発せられないはず。だが思考と実際に出している声は見事重なり合っている。
だとすれば夢。もしくは。術かだ。
(死のうって言ったのは嘘?でも何か)
修磨の顔を見る限り、この世の終わりのように絶望感に満ちていて。
目を瞑っているところを見ると、死ぬ準備は整っているようだ。
と、思うのだが。
(もしかして、寝ているとか?)
希羅が修磨の頬を叩こうとした時だった。
ぱちりと勢いよく瞼が閉じられたかと思えば、修磨は生きている希羅を見て、目をこれでもかと見開き、次いでへにゃりと顔を安堵で崩し切った。
今にも泣きそうである。
「もう、いいよな」
「へ?」
「一度死んだと思って、な。失敗したけど、死んだことには変わりない」
どうやら本気で死のうとしたようだ。
「けど。もう一度死にたいってんなら、俺もまた「ちょ。いいから。死なないで」
一緒に死にたくなどない。
もし共に死体を引き上げられた時などは、貧乏を苦に心中を行った兄妹とか囁かれそうだ。
そんなの嫌だ。想像しただけですごく気分が沈む。
「なら、生きる、か?」
恐る恐ると言った具合に声をかける修磨に、希羅が考えた答えは。
「うん」
本音を言えば、今はどうでもいいと言う気持ちが勝っていた。
恐らく本当に死のうとして、気が晴れたのではと。
もしくは、これは親への反抗も入り混じっていたのでは。
生きろと言った両親への、生きていたらしていたであろう、反発。
なんて。
修磨が満面の笑みを浮かべようとした時、どぼんと、滝下から随分離れた川に落ちた二人であった。




