十六
距離を開けながらも盗人に近づいた海燕。注目した琵琶を包む布を盗人に尋ねると、知らないと告げられた。
琵琶を咄嗟に図書館に隠して逃げたら、此処に運ばれていたらしい。
偶然の産物か否かは分からないが、力を感じる布を盗人から受け取ると同時に、琵琶も返してくれないかと告げるが、嫌だと返されてしまった。
「この琵琶の音を聴いた時、心奪われた。俺は、自分も、自分のこの手で奏でたいと思った。強く、つよく思った。妖怪のものだろうが何だろうが関係ない。仲間にだって絶対渡すもんか。強く思って、願い叶って、手に入れられた時は、胸がいっぱいになった。すぐに弦を鳴らそうとした。でも、鳴らなかった。どの弦も。何度も、何度やったって、駄目だった」
「へたくそなやつはその琵琶は鳴らせないからな」
海燕から式神を受け取り辿り着いた修磨。海燕を横切り、盗人へと一直線に足を運んでは眼前に立って、琵琶牧々を下ろした。
「返せ。早くしないと苦しむ羽目になるぞ」
「お願いします。大切な存在が琵琶を必要としているんです」
修磨の気迫と、琵琶牧々の哀願を以てしても、首を縦に振らなかった盗人。誰もが怖気立たせるだろう笑みを浮かべて、無理やり奪い返してやると修磨が足を踏みこんだ時だった。
「弟子にしてくれたら琵琶を返す」
盗人は大声で告げるや、琵琶牧々に詰め寄った。
え。え。と琵琶牧々は困惑した。
「琵琶の弾き方を教えてくれ。代償が居るなら何でも払う。だから頼む。お願いします」
盗人は琵琶を片腕に抱えたまま土下座した。
嘘でも何でもいいからとりあえず了承しろと、耳打ちしようとした修磨だったが、その前に琵琶牧々が行動を起こした。膝を曲げて、盗人に声を近づけたのだ。
嬉しかった。とても。とても、嬉しかった。
琵琶を盗まれることはあっても、弟子にしてくれと、琵琶の弾き方を教えてくれと、請われることなど、一度もなかった。
この玄象牧馬の音色に感銘を受けて、この手で奏でたいと、想う心は同じなのだ。
否やはなかった。
だが、
(もうそう遠くない将来、人間と妖怪は分かたれる)
全国を回る中で、耳にした噂。あれが真実であるのならば、
(短い時間の中で弾かせてあげられるようにすればいい)
常ならば断わっていただろう。自分もまだまだ修行の身であること。この琵琶を狙うものに危険を及ばされること。弾ける時が来るまで、時間を共にしなければいけないこと。
妖怪と人間であること。
懸念材料はたくさんある。だから、常ならば断わっていただろう。
しかし、思ったのだ。この貴重な機会を逃したくない。
分かたれるのならば、その前にこの音を残したい。妖怪にも人間にも獣にも植物にも。あらゆる生命に残したい。
強く、つよく、
琵琶牧々は心を綻ばせて想いを紡いだ。
「もう盗みを働くのは止めてください」
「……はい」
「困難を極めますが、それでも構いませんか?」
「はい」
「私はあなたと違います。妖怪と人間だから。でも。それだけじゃない。思考が違う。言動が違う。私は誰かと旅をしたことがない。気遣えないことが多々あるでしょう。だから、きちんと言葉にして伝えてくれると約束してくれるのなら。私はあなたを迎えます。弟子として。あなたが抱える玄象牧馬の音色に心奪われ、己の手で奏でたいと切望する仲間として」
盗人は眼球に水膜が張るのを強く感じた。落としたくなかった。この涙を今は。落とすまいと、瞼を下ろさないように戒めて、約束しますと強く、つよく告げたつもりが、出てきたのは、か細く、聞き取りにくい声だった。
恥じながらも、琵琶を琵琶牧々に差し出した。
盗んで申し訳ありませんと、謝罪の言葉を添えて。
琵琶牧々は静々と受け取ると、今は急ぎますので話は後でしましょうと盗人に告げて、琵琶を頭に装着すると、修磨に連れて行ってくださいと頼んだ。
修磨は琵琶牧々を片腕に抱えて、この場から瞬時に消え去った。
捜索を始めて半日が過ぎようとしていた。