六
二月三日の節分と三月三日の雛祭りの日。京都ではその日にだけそれぞれ付喪神が宿り各家庭の人形たちに須らく魂が生まれて動き出していた。
何時もなら鬼の仮面は煎った大豆で追いかけ回され、福の仮面と雛人形たちは家の中に招かれてもてなされていたのだが。
お堂から外に出た修磨と洸縁の瞳には希羅たちと同様の光景が映っていた。
「おい。何で一気に出て来てんだ?しかもこの日に」
「……想いに引き寄せられたんやと思うけど」
顎に手を添えて口を閉ざした洸縁に、修磨はこれからどうすんだと訊いた。
「まぁ、彼らの要望にできる限り応えて気持ち良く眠ってもらわんとないかんしな。気分を害して要らん被害が出ても困るし」
修磨は頭を乱暴に掻いた。
「付喪神ってのは面倒だな」
「祭りみたいでいいんやないか?」
周りを見渡せばこの騒動に動じずに、逆にこれに乗じて真昼間から酒を飲む大人たちの姿があった。子どもたちも怯えずに面白がっているようだ。
「この町のやつらって祭り好きだよな」
「さ。僕らも彼らをもてなす「誰が「報奨金」「………」
押し黙った修磨は無言のまま雛人形の元へ赴き、右大臣(お内裏様を警護する若者)の傍らに腰を下ろしてぶっきらぼうな顔で用意されていた桃花酒を進めた。
「かたじけないっす」
右大臣は注いでもらった御猪口を口に運び、ぐいっと一気に飲み干した。
「旨いっす」
「…おまえって腰の低いやつだったんだな」
「に~いちゃん。わ~しにもお~くれ~」
左大臣(お内裏様を警護する老人)に背中に向かって猛攻撃された修磨。怒りを鎮め、しずしずと酒をせがむ左大臣に酌をした。
「にいちゃん、俺も」「某にも」「拙者も」「僕も」「私にも」「我にも」「自分にも」
余程気に入られたのか。右大臣と左大臣の大群に酒をせがまれた修磨は、これも希羅の為と薄らと笑顔を浮かべながら酌を続けた。
「女官長様だけずるいです。御自分だけ結婚なさって」
右女官(お酒の入った「加えの銚子」を持ち、口を開いている)は、やってられないと言わんばかりに酒を一気に飲み干した。
「まぁまぁ。私たちにはお内裏様がいらっしゃるではないですか」
左女官(お酒を注ぐ「長柄の銚子」を持ち、口を閉じている)は慰めようと右女官に酌をした。右女官はそれを飲み干して左女官に赤面した顔を近づけた。
「お内裏様はお雛様にべた惚れではないですか?私たち女官に見向きもしないで」
「毎日を謳歌しているではないですか?」
「豪勢な生活だけでは埋められない寂しさと言うものがあるのですよ」
「そうですか?私は十分幸せですけれど」
「あなたは良くても私は殿方と暮らしを共にしたいのよ」
傍らで彼女たちの愚痴を黙って聞いていた洸縁はうんうんと深く頷いて、右女官の耳元にそっと囁いた。
「では今日を機に結婚を申し出てはどうですか?」
「女子から求婚をするなど、はしたないです」
険しい目元とは裏腹に、声音は恥じらいを帯びていた。
「もしかして、気になるお方でも?」
その一言でさらに顔に朱色を帯びた右女官の視線の先には、三人居る仕丁(しちょう。宮中で三年間無報酬で雑用する庶民)の内の立ち傘を持っている男性が居た。
「苦労なさっているのに何時も陽気で明るくて。ですが、お見かけしたことはあっても、言葉を交わしたことなど」
影を帯びた表情の右女官に、洸縁は優しい微笑を向けた。
「勇気を持って話しかけてみてはどうですか?」
「そんな。私は。無理です」
「では私が」
すっと立ち上がった左女官は摺り足で立ち傘男性の元へと向かい、一言二言言葉を交わしていたかと思えば右女官に手招きをした。右女官は洸縁を仰いだ。洸縁は小さく頷いた。右女官は手を握りしめて前を向いて一歩を踏み出した。