十七
「向日葵?」
「はい」
舞李に連れられた夕映の眼前に広がるは、向日葵一色の花畑。
地面に根を下ろすことなく、海中に漂う様は、海月の大群にも見えた。
「これが贈り物か。しけてんな」
夕映は向日葵の一枚の花弁に手を叩くように触れるや舌打ちした。
舞李はすみませんと小さな肩をさらに縮こませた。
(莫迦兄貴~)
二人の後を黙ってついて来た万亀は今、向日葵畑に身を隠しながら、莫迦兄貴の態度にやきもきしていた。
「近頃は女が男に花を贈るのか」
「姉上に持って帰ろう」
「……あんたら。静かに」
万亀はシッと唇に人差し指を当てた顔を、後ろに居る零と加見と名乗る男に向けて、黙った二人から視線を二人に戻した。
『連れて行け。さもなくば騒ぎ立てるぞ』
加見にそう脅され渋々了承したのだが。
正直、全く。
微塵も関係のないこの二人が何故あの二人を気にするのか。
万亀は疑問で仕方なかった。
「あの。二十八歳の誕生日。おめでとう、ございます」
「おまえ。それしか言えねえのか」
「すみません」
(あ~。うざっって~)
(莫迦兄貴め~~)
張り倒したい。
そんなこと恐ろしくてできないけど。張り倒したい。
なので、誰か張り倒してください。
万亀は切に祈った。
「おい」
「はい」
「何で俺のとこに来た?」
全くの初対面の自分たちが形式上夫婦となって半年経つか否か。
自分は夕嵐王の紹介で単に娶ったに過ぎなかったが、
舞李はその前に彼からどうするかと相談は持ちかけられたはず。
自分の噂も届いていた。
娘に溺愛している王のことだ。
断られたら自分のとこに寄こしなどしなかっただろうに。
「笑って欲しかったからです」
「笑う?」
未だに視線を合わせず、おどおどした態度を取る舞李であったが、心なしか声音は何時もよりは少しだけだがたどたどしくないと思った。
「噂であなたは一度も笑ったことがないと。そう耳にしまして。嫁いでからも、目にしたことはなくて。でも私はこんな性格ですから。笑わせるどころか。話しかけることさえ、ままならないまま」
舞李は右往左往させていた視線を一点に集中させた。
「誕生日には。せめて、その日だけでも。笑って欲しくて」
「向日葵畑で笑うと思ったのか?」
威嚇するように目を細めた夕映。
されど舞李は微塵も視線を逸らしはしなかった。
「花には人を和ませる、力があると。実際に。私も。花を。特に、向日葵を見ると、元気になって」
(勇気をもらえて、頑張ろうって)
太陽のような姿をしているからか。
それとも、太陽に向かって真直ぐに伸びようとするからか。
ただただ。
真直ぐに。
迷いなく。
力強く。
「俺は花は嫌いだ。季節が過ぎると直ぐに花弁を散らす根性のねえ植物だからな」
「そう、ですか」
吐き捨てるように告げられた言葉に、堪らず目を伏せる。
「では何が。お好きですか?」
「好きなもんなんかない」
舞李は弾かれるように瞳を動かし、視線を再度合わせた。
「では一緒に「おまえ」「はい」
責められるような声音に、音量が小さくなる。
「何で俺に拘んだ?どう考えても合わないだろ。俺たち」
舞李は重ねた手を少し丸めた。
「初めて、お会いした時に。怒ってらっしゃるような表情を浮かべていました。ご機嫌が悪いのかと。私との結婚が嫌なのかと、思いましたが。あなたは何時も。そのような、表情で。どなたと居ても。あなたは、変わらなくて。笑って欲しいと。ただ、思ったのです」
「面白くもないのに笑えるかよ」
「捜そうと。なさいましたか?」
「あ?あ?」
その凄味のある態度に。
不機嫌さを増した声音に。
射抜くような視線に。
舞李は大きく肩を鳴らしたが、視線を外そうとはしなかった。
「面白くないと。決めつけて。そうやって。何時も苛ついて」
「俺の人生だ。好きに生きて何が悪い?」
「好きで。苛ついているの、ですか?」
「しつけーな」
(やばい。やばいって。本気で怒っている時の顔だって)
頑張れと思ったり、これ以上はもうとも思ったりと、舞李の言動に気を揉んでいた万亀はもう限界だと、伏せていた身体を起こして二人の元に向かおうとしたのだが。
「一緒に生きたいんです!私は!」
初めて見る声を荒げた舞李に、身体が縫い付けられたようにその場に押し留まる。
「笑わせたいって!あなたが!安らぐ顔を!見たいって!」
「なら何で怯える!言動が一致してねえだろうが!」
「それは」
夕映は舞李に素早く背を向けた。
「おまえと一緒に居ると余計苛立つんだよ」
それは本心だった。
だが、彼女に限定したことではなかった。
病気ではないかと囁かれるほどに、苛立ちが治まることはなかった。
誰とも関わりたくないのが本音で。
しかし、この地帯を治める『龍宮』の血を引くのは自分一人だった為に王にならざるを得なくて。
血を遺す為に嫁をもらわざるを得なくて。
「もう、ほっとけ」
「嫌!」
このまま去ろうとしていた夕映の腰の辺りの着物を咄嗟に掴んだ舞李。
離せと怒鳴られても、その手を離そうとはしなかった。
「何なんだ!おまえは!」
「お一人になって欲しくないのです」
絞り出された声音に、されど夕映はその手を強引に払うや、その場を去って行った。
「兄貴」
一人にするべきではないと蹴り出そうとした足はだが、未だに縫い付けられていて動かない万亀の視線の先に、徐々に小さくなっていく夕映の姿がある。
もうこのまま帰って来ないのではと不安に駆られると同時に、安堵する気持ちも確かにあった。
何に苛立っているのかは分からない。
だが、人と居る時の彼は何時もその感情を表に出していた。
人が煩わしいのか?人と居る自分が煩わしいのか?それとも終始?
一人になった時の彼の表情など目にすることなどできるわけもなく。原因は分からずじまいだが。
何であれ、人と居ることが煩わしいのであれば、思う存分一人になって欲しくて。
それでも王と言う立場上、一人になることなど赦されるわけもなくて。
(ああ。そうか)
或る考えが浮かび、それが答えだと勝手に納得する。
(思う存分一人になって気持ちを落ち着かせてきてください。それまでは姐さんと俺たちが龍宮を護りますから)
笑顔が見たいと告げた舞李。
きっと、護りたいのだなと、万亀は思った。
―――数時間後。『龍宮』にて。
「兄貴」
万亀はあれっと不思議に思った。
あの状況からして、確実に一年か十年そこらは帰って来そうにないだろうなと予想を付けていた夕映が、目の前で何時もと変わらず不機嫌そうな顔で横になっていたのだ。
「何だよ?」
声音も相も変わらず怒気と苛立ちが含まれている。本当に一切合切変わりない。
「いや」
万亀は目の前に居る夕映から視線を移し、自身の左斜めに居る舞李の背を見つめた。
夕映もまた舞李に視線を向けた。
(なに言やいいんだよ)
『お一人になって欲しくないのです』
奇妙なほど素直に自分の中に入り込んで来たそれは。
苛立つことのない初めての言葉だった。
想いとは裏腹なものであるはずなのに。
忙しなく瞬きを繰り返しながらも視線を逸らさない舞李に、結局かける言葉が見つからなかった夕映は舌打ちだけして、二人に背を向けると静かに瞼を閉じた。
心なしか尖っていた空気が柔らかくなったと感じた万亀。
振り返った舞李の遠慮がちだが嬉しげな笑みに。
もう大丈夫だろうと思うと、自然、口の端が上がっていた。