揺れるゴンドラ
夕日が山際に消えようとしている。
緋色に染まる世界の中で、四つの影法師が不気味なほど長く伸びていた。
廃棄された遊園地『裏野ドリームパーク』その入口に四人はいた。
寒いわけではなかったが、花梨の体がブルリと震えた。なにか嫌な感じがするのだ。たくさんの悪意がこもった瞳に見つめられているような感じ。ここにいるとなにか悪いことが起きそうな気がした。
「えー、僕たちは今、裏野ドリームパークに来ています。見ての通りの逢魔が刻です。もうこの時点でかなり雰囲気出てるっていうか、マジ噂どおりの不気味なところです」
スマートフォンを録画モードにして、亮介が台詞を喋っている。
亮介は幽霊の動画をとってインターネットで公開したいと言っていた。再生回数の多い動画は公開するだけでお金が入ってくるのだそうだ。
「ばっかみたい。幽霊なんているわけないでしょ」
ツンとした表情でそう言ったのは敷島夏希だった。
彼女と花梨は幼いころからの友達だ。今日花梨がここにいるのは、彼女に誘われたからというのが大きい。本来花梨は怖い話が嫌いだ。お化け屋敷も入りたくない。心霊スポットなどもっての他なのだが、他ならぬ夏希の頼みとあっては断るわけには行かなかった。
「はぁ? だったらなんできたんだよー。ってそっかー。理由をつけて祐也とイチャイチャしたかったんだもんねー」
「はぁ、あんたなに言ってんのよ」
言い返す夏希の顔が赤いのは夕日のせいだけではない。
裕也と呼ばれた青年は照れくさそうに頬をかいているが、とくになにも言わなかった。祐也と夏希は付き合い始めたばかり。肝試しというのは格好のイベントだった。夏希の中に亮介が指摘したような気持ちがないはずがない。彼女の性格なら、こんなイベントはくだらないと切り捨てるはずだったが、それでも参加したのいうのは祐也の存在があったからだ。
「いいもんね。俺は花梨ちゃんと仲良くするから。ねっ、花梨ちゃん」
亮介が花梨に笑顔を向けた。
亮介の顔は整っている方だと花梨は思う。だが彼の軽いノリがどうにも花梨には馴染めなかった。
「ほら、花梨が困ってるでしょ。馬鹿なこと言ってないで、とっとと行くよ。あんたが言い出しっぺなんだから、リーダーシップ取りなさいよ」
「はぁー。夏希はなぁ、外見は結構俺好みなのに、性格がちょっときつすぎてなぁ」
「うっさいこのバカ。あんたの好みなんてどうでもいいわ!」
夏希が亮介の尻を蹴りつけた。亮介は大げさに痛がってみせる。
「これだもんな。祐也はよく付き合ってられるよ」
「たしかに性格はちょっときついけど、でも可愛いところもあるんだぞ」
困ったような照れているような、微妙な表情で祐也が言った。
「祐也もなに言ってんの! ほら亮介、早くしないと日が暮れちゃうじゃない」
「ああ、そうだな。んじゃ、そろそろ行こうか」
本気で暗くなってしまうとスマートフォンでは大した動画が取れなくなってしまう。動画を撮影するのに十分な光量があって、なおかつ雰囲気が出る時間が日が沈む前のわずかの一時間ほどなのだ。
亮介が再びスマートフォンに向かって喋りはじめる。
「えーと、この遊園地には開園当時からおかしな噂がありまして、ジェットコースターで事故が起きて人が死んだとか、遊びに来たこどもがいなくなったとかですね、そういう話がごろごろ転がってたんですよ。廃園になってからはさらにひどくて、もう完全なスポットになっちゃったわけです。今日これから向かうのは観覧車ですね。えー、観覧車のうわさはですね、『助けて』という声が聴こえるというものです。幽霊が閉じ込められちゃってるんですかね。これからこの噂を検証したいと思います」
亮介はスマートフォンを一時停止状態にすると、花梨たちの方を振り帰った。
「よーし。それじゃあ観覧車までダッシュで行くぞ。みんな、遅れるんじゃないぞ」
「はぁ、あんた馬鹿なの? ちょっと、おい、待ちなさいよ」
「早くしないといい感じに撮影できないかもしれないだろ」
走り出した亮介を追って祐也と夏希も走り出す。花梨も慌てて三人の後を追いかけた。出口から遠ざかるのも嫌だったが、この場所で一人になるのはもっと恐ろしく感じたのだ。
○
遊園地そのものは、さほど広いわけではなかった。
各地の有名な遊園地に比べれば、可愛らしいと表現してもいいくらいの規模である。
そんな小さな遊園地でも、間近で見る観覧車はかなり大きく感じた。錆びた鉄柱が沈んでいく日の光を浴びて鈍くきらめいている。風が吹くたびにゴンドラが揺れ、キシリキシリと音がした。
「これはかなり雰囲気あるなー」
脳天気な声で亮介が呟く。嬉しそうにスマートフォンの録画モードをオンにして、観覧車にカメラを向ける。
「このゴンドラに幽霊が閉じ込められてるってわけ? 別になにも聞こえないけど」
夏希は胡散臭そうな顔でゴンドラを覗き込んでいる。
それを見て、祐也がちょっと残念そうな表情を浮かべた。
「夏希ってホント幽霊とか怖くないのな」
「えっ、だって幽霊って存在しないじゃん。存在しないものを怖がるとかわけわかんないよ」
「せめてもうちょっと、フリでもいいから」
「んっと、じゃぁちょっとだけ、怖いかも」
呟き、夏希は祐也の袖口をつまむ。照れ隠しなのかうつむき加減につま先に視線を向けている。
「おい、バカップル。心霊スポットでいい雰囲気になってんじゃないよ。幽霊さんい申し訳ないと思わないのかい」
「――っ! うっさいバカ。幽霊なんていないって言ってるでしょ」
「やれやれ。花梨ちゃんもなんか言ってやってよ――花梨ちゃん?」
亮介がいぶかしげに花梨の様子を伺う。
「あのゴンドラ……ちょっとおかしくないですか?」
「えっ、どれ?」
亮介が花梨の視線を追った。二人の様子がおかしいことに気がついたのか、夏希と祐也も二人のもとに近づいてくる。
「ほら、あれです。あの赤いゴンドラ」
花梨が指差した先に、りんごの形をした赤いゴンドラが揺れていた。
「ちょっと、なんだかひとつだけ妙に揺れてるような気がして……」
「……マジだ。揺れてる」
「中に動物でも入っちゃんたんじゃないの?」
「あの揺れ方はおかしいんじゃないか? まるで中から人が揺らしてるみたいだ」
亮介がスマートフォンをゴンドラに向けた。
ゴンドラは相変わらず奇妙に揺れ続けている。
「あっ……」
花梨は思わず声をもらした。
きしみをあげながら、ゆっくりと観覧車が動き始めたのだ。問題のゴンドラが少しづつ地面に向かってくる。
「嘘だろ! なんで動いてんだよ」
「あたしネットで見たことあるよ。風で動くことあるんだってさ」
興奮する亮介に、夏希はあくまでも冷静に答えた。
そうしている間にもゴンドラは真下へと降りつつあった。
「……どうする?」
「どうするって、中を覗いてみるしかないでしょ――皆さん、ゴンドラが急に動き出しました。いまからゴンドラの中を確かめに行ってきます」
この遊園地についたときよりもあたりはずいぶん薄暗くなっている。紅から薄墨へ空は色を変えつつあった。
亮介がゴンドラへ向かう。心配なのか好奇心からか、祐也もゴンドラへ向かっていった。
「幽霊なんかいるわけないって、私も確かめに行ってくる」
「あっ、夏希ちゃん」
夏希もまたゴンドラに近づいていく。
自分だけ残されるのが嫌で、花梨も三人の後に続いた。
狙いすましたかのように、ゴンドラはちょうど搭乗口の前で停止した。
先程までの揺れは止まっているようだ。
ゴンドラの表面は塗装がほとんど剥がれてしまっている。全体がサビに覆われてしまいフジツボのようなざらつきがあった。窓ガラスにはべっとりと土埃がこびりついてしまっている。中の様子を伺うことは難しいようだ。
「うわっ、なんだよこれ」
亮介が気味悪そうに顔をしかめた。
ドアの上に札が貼られている。かなりの達筆でなんと書かれているのかはよくわからなかい。かろうじて読める部分には『悪霊』と書かれているようだった。誰が貼ったのだろう。ただのイタズラなのか、それとも本気で信じているのか。
「やっぱり、なんかよくないんじゃないか、ここ」
祐也が落ち着かなげな声で言った。
「ねぇ、もう十分じゃない? 暗くなっちゃうし、もう帰ろうよ」
「そっ、そうだな。動画的ももう十分だし、結局声なんて聞こえてこないだろ」
ヘラヘラと、若干引きつった笑いを浮かべながら亮介が言う。
場の雰囲気が帰る方向に流れようとしていた。
流れを断ち切ったのは夏希だった。
「待って。人の声がする」
「ちょ、おまっ、止めろよそういうの」
「中に誰かいるわ」
「いい加減に、」
亮介の口を夏希は手のひらで塞いだ。目線で黙らせる。
閑散とした廃墟の中に、苦しいほどの沈黙が降りた。
「――助けて」
喉が引きつり、花梨は小さな悲鳴をあげた。亮介と祐也も恐怖からか目を見開いている。花梨はもう逃げ出したかった。男二人も同じ気持ちだろう。ただ一人、夏希だけがこの場で冷静を保っている。
「――助けて」
再び声がした。
まだ声変わりを迎えていない少年の声のようだった。
「中に誰かいる」
夏希は窓ガラスの汚れを手で拭い取る。だが内側もひどく汚れてしまっているらしく、中の様子を覗うことは難しかった。かろうじて、子供らしきものが膝を抱えてうずくまっているのが見えた。
「まじかよ。なんだこの状況。皆さん、子供が閉じ込められているようです」
「どうしてこんなところに子供が――」
「そんなことより、早く出してあげないと」
ドアを固定している閂に手をかけようとした夏希を花梨が止めた。
「ちょっとまってよ! 絶対こんなのおかしいって。こんな時間に子供がいるはずないじゃないない」
花梨が涙声で訴える。
さすがに違和感があったのか、夏希は無理に扉を開けようとはしなかった。
「ぼく、いじめられてるんだ。それでここにとじこめられたの」
少年の声が言う。
夏希はきっと花梨を睨んだ。
「幽霊なんているわけないじゃない」
「でも――」
「今日、結構暑かったよね。昼から閉じ込められるんだとしたら脱水症状を起こしているかもしれない。ほっといたら死んじゃうよ。それでも花梨は無視しろっていうの?」
「私は――」
「もういい――今、出してあげるね」
夏希が閂をつかむ。力を込めて動かそうとするが、錆びついた閂はよういに動きそうになかった。
「祐也」
夏希が祐也に目で訴える。
祐也は夏希と花梨を見比べわずかな逡巡を見せた。しかし結局は夏希の頼みを聞くことに決めた。閂を掴み、思い切り力を込める。
ずりずりと音を立ててて閂が動きはじめる。
花梨は焦っていた。自分たちはなにかを間違えている。するべきでないことをしている。あの扉が開くととてもよくないことが起きる――。止めたいのに、花梨にはどうすればいいのかわからない。
救いを求めるように亮介へ視線を送る。だが亮介は花梨の視線に気づかなかった。ただ一点をじっと見つめて、唇の端を引きつらせている。
「なぁ、それさ、おかしくねぇ」
ほとんど笑っているかのように、亮介の声は震えていた。
振り返った夏希が亮介を睨みつける。
「あんたまで――」
「だってそれさ」
震える指先が閂の方を指し示す。
「錆びついて動かないんだろ? そいつ、いつからその中にいんの?」
その場の誰もが動きを止めた。
気づかないうちにあたりはすっかり薄暗くなってしまっていた。
祐也が閂から手を離し、一歩一歩後ずさる。夏希は視線をゴンドラのほうに向けたまま祐也の服の袖を掴んだ。
「どうしたの。早く開けて。出して」
ゴンドラが揺れ始める。錆びついた金属が軋みをあげ、ギシリギシリと音をたてた。
「ねぇ、出してよ。ドアを開けて。早くしないとぼく死んじゃうよ」
揺れ方は激しさを増していく。擦れ合う金属の上げる悲鳴が間断なく響いた。いずれ金具がへし折れるのではと思われるほどにゴンドラは荒れ狂っている。
「殺すつもりなの? 出してよ。開けて。ここから出して。閉じ込められるんだよ、子供が。くそっ! 出してよ。人殺し。出して。早く。出せ。出せ。出せ。出せ」
なにかが内側から窓ガラスを叩きまくっていた。手のひらがの形がくっきりと浮かび上がる。それはあきらかに子供のものではなかった。
叫ぶような男の怒声が響き渡る。
「――出せっ!」
○
無我夢中で逃げ出した四人がようやくおちついたのは、亮介の部屋にたどりついた後、しばらくたってからだった。
「すっ、すげぇ体験しちまったよ」
亮介がヘラヘラと笑いながら言った。
恐怖が去ると、一転、非日常に遭遇した興奮が沸き起こってきたのだろう。
「この映像なら絶対話題になる。テレビ局でも買い取ってくれるぞ」
「おまえ、よくそんなこと言えるなぁ」
祐也が呆れた声でいった。その腕には夏希がしがみついて震えている。
冷たい空気が首筋をなでていった気がして、花梨はぞくりと身を震わせた。
「なぁ、動画確認してみようぜ」
「あたしやだよ」
「なーに言ってんだよ。幽霊なんているわけないっ! って言い張ってたじゃんか」
夏希が止めるのも聞かず、亮介はノートパソコンの電源を入れ、スマートフォンを接続した。自動的に展開されたフォルダから今日の日付の動画ファイルを選択する。動画再生ソフトが起動し、画面いっぱいに赤く染まった廃遊園地が映し出される。
『えー、僕たちは今、裏野ドリームパークに来ています』
楽しげに台詞を口にする亮介の顔。カメラが動き、花梨たち三人の姿をとらえた。動画の中で祐也が手をふり、夏希が顔をそむける。花梨はやけに周囲の様子を気にしているように見えた。
ふいに、花梨の中であの時の感覚が蘇った。
たくさんの悪意ある視線にさらされているような、嫌な感覚。
「ちょっと、なにこれっ!」
夏希が悲鳴をあげた。
画面の中の三人を囲むように、白い靄のようなものが漂い始めた。靄は次第に人の形をとりはじめる。大小様々な人影が、三人のことを取り囲んでいる。カメラが再び亮介の方へ向けられた。軽快に喋る亮介の顔が、白い靄で埋め尽くされ、別人の顔を作り出す。
耐えられなくなった夏希が、叩きつけるようにパソコンの画面を閉じた。
「あのさ」
独り言のような口調で祐也が呟く。
「あの遊園地で子供がいなくなったって言ってたよな。それって本当に、いなくなったのは子供だけなのかな」
「ちょっと、やめてよ」
夏希が耳を塞ぐ。けれども祐也は喋り続けた。
「もしかしてもっと沢山の人がいなくなってて、その人たちはいまもあの場所に――」
「やめてったら!」
夏希が悲鳴のような声をあげた。
花梨は視線を感じていた。ため息がもれる。諦めが胸に満ちていた。やはりあの場所には行くべきでなかったのだ。入り口で引き返していれば――後悔しても、もはやとりかえしがつかない。
亮介が引きつった笑いを浮かべながら、おずおずと言った。
「まさか、ついてきちゃったりとか――なんてないよな?」
亮介の問いに返事をしたのは、大量のラップ音だった。