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姫様と従者  作者: きいな
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第4話

「私はまだ酒を飲んだことがない。そんなに美味いものなのか?」

 酒の良し悪しがわからない破流姫が不思議そうに訊くと、刀剣屋の店主は少し気の毒そうに漏らした。

「そっか、姫さんはまだ十六前か」


 この国では十六で成人とみなされる。成長過程の心身に酒が害とされるのはどの国でも同じだが、たとえ王家であっても成人前の破流姫に飲酒は許されていなかった。


「酒はいいよ、姫さん。時には泣けるが、俺は酒を飲んでるときが一番楽しいね。嫌な事もパアっと忘れちまうんだ。知らない者同士でもすぐに仲良くなれるしね」

 薬屋がそれは楽しそうに言うと、破流姫は目を輝かせて食いついた。

「そんなにいいものならすぐにでも試してみたい。毎晩父上が飲んでる、赤い色のとか金色のとかだろ?」

「まあ、それもそうだけど、俺たちが飲むのはもっと安くて庶民的なものだよ」

「王様の口に入るものと俺たちが飲み食いするものとじゃ雲泥の差だからな」

「じゃあどっちが美味いんだ?」

「そりゃあ、王様の召し上がるものの方がはるかに美味いだろうよ」


 破流姫は難しい顔をして考え込んだ。

 薬屋が飲む酒はとても良い物のように聞こえる。しかし、もっと良い物を飲んでいるらしい父王は、これほど楽しげにしているところは見たことがない。


 薬屋の飲む酒は楽しくて、父王の飲む酒は美味い。

 楽しいのと美味いのとは相反するものなのか。


「わからないな。薬屋が飲む酒と父上が飲む酒は何が違うんだ?」

 首を傾げて言う破流姫に、刀剣屋は言った。

「酒は酒でも種類が違うよ。姫様の好きな剣とこいつの買った長剣が全く違うようにね」

 破流姫は納得したのか、うんうんと頷いた。

「でも姫さん。どんな酒でも仲間と楽しく飲んだほうが、美味しくて楽しい酒になるんだよ」

 そう薬屋が言うと、刀剣屋は上機嫌に続けた。

「そうそう。あとは綺麗な姉ちゃんが隣にいれば言うことな――」

「ちょっとあんたたちっ!」

 全部言い終わる前に、店内に怒声が響き渡った。

 刀剣屋も薬屋も笑みを張り付かせたまま引きつって固まった。


 破流姫が、後ろをひょいと覗き込むと、工房の入口に店主よりは一回り小さいが破流姫二人分はあろうかというおかみが、小脇に箱を抱えて仁王立ちしていた。

「うら若き乙女に下世話な話なんかするんじゃないよ!」


 怖い顔で男二人の背中を睨みつけ、店が揺れるのではないかと思うくらいに足音高くカウンターにやってくると、抱えていた木箱を亭主に押し付けて渡した。そして破流姫にはにっこりと笑いかけて言った。

「姫様、酒なんか一生飲まなくたって困りはしないですよ。この飲んだくれどもは適当なこと言ってますけどね、酔っ払いの騒がしさったらないですよ。馬小屋にねずみを放したみたいなもんなんですから。それにね、翌朝の頭痛なんて死ぬほど辛いらしいですよ。猫のくしゃみすら響くって言いますからね」

 薬屋の言う楽しさとはかけ離れた様子を語るおかみに、破流姫は眉根を寄せた。

「本当か?」

「えぇ、本当ですとも。現にこの飲んだくれ亭主がへべれけに酔ってやることですからね。あたしは毎回その面倒を見させられるんですよ、まったく……」

「でも磨更まさら、酒は百薬の長って言うじゃないか。悪いことばっかりじゃないぞ」

 恐る恐るといった体で薬屋がおかみに抗議すると、おかみは眼光鋭く睨みつけ、ぴしゃりとはねつけた。

「薬屋が適当なこと言ってんじゃないよ。あんたの酒のどこが薬になるってのさ」


 怒るおかみを制するでもなく、破流姫が横から割って入った。

「ヒャクヤクノチョウって何だ?」

「どんな薬よりも一番の薬だってことさ」

 助かったとばかりに薬屋は破流姫に視線を向けた。


「ぎっくり腰には効くか?」

「ぎっくり腰には無理だな。安静にしてるしかないよ……って元気そうに見えるけど?」

 勢いよく入ってきてしっかりと立っている破流姫を繁々と見た。

「私じゃない。天文の教師だ」

 破流姫は長い黒髪を揺らして首を横に振った。


 授業中にガラクタの入った箱を持ち上げた途端、ぴたりと動きを止めた教師の様子が面白くて思わず腹を抱えた。しかし、身動きも取れずに担架に乗せられて運ばれて行き、笑い事ではなくなった。ぎっくり腰とは思ったより重症なのだと知ったのだ。


 刀剣屋は経験者なのか、あれは結構辛いんだよ、と顔を顰めた。


「じゃあ、胃弱には効くのか?」

「何だい、姫さんが胃弱? まだ若いのに」

 これもまた気の毒そうな顔のままに刀剣屋が言った。

「私はピンピンしている。胃弱なのは三杉だ」

「三杉さん?」

 三杉とてまだまだ若いのだが、それに関しては破流姫は何も訂正しなかった。

「胃弱には駄目だね。余計に悪くなる」

 薬屋がそう否定すると、

「何だ、結局薬にならないじゃないか」

 騙されたとばかりに不機嫌になって破流姫が言った。


 薬屋は慌てて言い募った。

「胃弱ならクーガのミルクがいいよ」

「クーガ? 高山のヤギか?」

「そう。飲み続ければきっとよくなる。牛のミルクより何倍も栄養価があって、体にもすごくいいんだ。俺も毎日飲んでるから、ほら、この通り元気だろ?」

 胸を張って拳ひとつを叩くと、破流姫の目はまた興味に輝いた。

「美味いか?」

「美味いよ。味が濃くて甘いんだ」

 それを聞いて破流姫は思わず舌なめずりをした。

「試してみるかい? 分けてあげるよ」

 途端に機嫌が上向きになり、破流姫は大きく頷いた。

「よし、決まりだ」

 薬としてより、味の良し悪しにしか興味を示していなかった。


「三杉さんも苦労してるんだねぇ」

 何となく三杉の心労を察したのか、しみじみと刀剣屋が言った。そしておかみもそれに同調した。

「そりゃあ、姫様が心配で気が気じゃないんだよ」

「何でだ?」

 破流姫はさも不思議そうに小首を傾げた。そうすると美しさに愛らしさが加わり、何とも言えぬ魅力を醸し出す。さらさらと前へ流れて行く艶やかな黒髪がさらに上品さを加える。


「姫様も秋には十六。十八までには結婚するでしょう? この間のお見合いで目に留まった殿方がいませんでした? 姫様が嫁ぐとなれば莫大な持参金やら品物やら付き人やらが必要でしょうし、婿入りをさせるにも、時期国王となられる方ならこの国に馴染みがよくて国民にも支持されるような、申し分ない方を選ばなくちゃなりませんからね」

 おかみの言葉はここ最近国中で走り始めた噂の種だ。挨拶代わりに出される話題とまではいかないものの、そうなることも時間の問題である。

 刀剣屋も薬屋も神妙な顔つきで大きく頷いているが、破流姫は別なところに引っかかっていた。


「見合い?」

 訝しげに訊ねる破流姫に、おかみも自信なさ気に聞き返した。

「えぇ、お見合い、しましたよね?」

「いつ?」

「ほら、川辺でお花見しましたでしょ?」

「魚釣りをした」

「いえ、お客さんがたくさんきてたでしょ?」

「あぁ、いたな」

「どなたか気になる方はいなかったんですか?」

「いや、みんな相手にならなかった」

「相手?」

「私が一番釣り上げた。一番大きなのを釣ったのも私だ」

「いえ、魚釣りじゃなくて……」


 イマイチ噛み合っていない会話の途中で、刀剣屋が吹き出して大笑いした。同時に薬屋も腹を抱えてカウンターをドンドンと叩いている。

「こりゃいいや。三杉さんの取り越し苦労だ」

 刀剣屋がそう言うと、薬屋も笑いながら便乗した。

「ほんとに苦労してるねぇ」

「うるさいよ、あんたたち。姫様だっていきなり結婚相手を決めろなんて、無理な話ですよねぇ? これから時間をかけてゆっくり探せばいいんですよ」

 おかみが言い訳めいたふうに言ったが、破流姫は他人事のようにふうん、と相槌を打っただけだった。


お酒は二十歳になってから。

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