第17話
二階の高さの窓の外を、ヒールはさらに高い椅子の上から見下ろす格好で、本能的に恐怖を感じた。
「姫、窓を……窓を閉めて……」
さすがに護衛兵も危険を感じ、窓を閉めようと手を伸ばしたが、破流姫の剣がそれを阻んだ。
「姫様、これはやり過ぎでは? ヒール様にもしものことがあれば、姫様もただでは済みませんよ?」
「ふん! どの口がそれを言う? お前たちは危うく私と私の従者を殺すところだったんだぞ? 死にそうな目に合ってもらわなければ割が合わない」
そう言われてしまえば返す言葉もないのだが、だからと言って危険な目に合わせられて黙認もできない。
「どうか姫様。ヒール様も重々反省してますので、これで許して下さいませんか?」
見ればヒールは青い顔をして小刻みに震えている。
護衛兵には哀れに見える主人の姿も、破流姫にかかっては何の憐みも引き起こさなかった。
じっと護衛兵を見据えると、
「この通り、申し訳ございません」
そう言って彼は右手を心臓の位置に当て、片膝を床につけて正式な謝罪の姿を取った。
が、破流姫はせっかく楽しくなってきたところに水を差されて少々不愉快になった。そもそも、謝るのは主人のヒールで、いくら家来が頭を下げたところで破流姫の溜飲は下がらない。
「お前が謝罪しても仕方がない。ヒールが土下座しろ」
「そんな、姫様……」
見るとヒールは椅子の上で震えながらも、恐怖から身動きせずにじっと立ち尽くしていた。
少しでもよろめけば窓の外に飛び出してしまいそうで、ヒールは謝罪をするどころか、息をつめて言葉も発しなかった。
「お願いですから、ともかく窓を閉めて下さい」
「嫌だ」
「姫様……」
取りつく島もない。かくなる上は、自分が刺される覚悟で窓を閉め、ヒールを椅子から降ろして解放しなければならない。
一国の姫君を――しかも王位継承者を攫うなどと、馬鹿なことをしたという自覚はある。言い出したヒールを諌めもせず、それに加担したのだ。責任を取って命を投げ出すことも当然と言えば当然かもしれなかった。それだけ重大な罪を犯したのだから。
それでも主人は主人だ。護衛兵である以上、体を張ってヒールを守る義務がある。
主人を守るべく動こうとした瞬間、第三者の声が響いた。
「姫様!」
声は三杉だった。二人の剣を頭上で受け止めたまま、その隙間からこちらを見て驚いている。
あぁ、そうか、彼なら止めてくれるかもしれない。
二人の信頼関係がどれほどのものかはわからなかったが、いつも傍にいる三杉なら破流姫を止めてくれる術があるかもしれない、と護衛兵は淡い期待を持った。
「何をされているんですか! そんな危険な……ヒール様が落ちたらどうするおつもりですか!」
さすが三杉だ、獰猛な破流姫にはっきりと物を言う、と護衛兵は感心した。
三杉の言い放った、ヒール様が、の言葉で、相手をしていた二人の護衛兵も後ろを振り返り、驚いて同時に叫んだ。
「ヒール様!?」
開いた窓を背にし、下着姿で両手両足を縛られ、椅子の上に立たされたヒールは、今までに見たこともないほど怯え、且つ憐れだった。
気位の高いいつもの主人の姿とはまるでかけ離れた様子で、二人とも三杉などそっちのけでヒールの元に駆け寄った。
「おっと、それ以上近づくなよ」
手を出そうとする二人を牽制するため、破流姫は剣をヒールに突きつけた。
二人は一歩手前で立ち止り、縋るようなヒールの眼差しを受けながらも、どうしたらよいのか傍らに立つもう一人の仲間に目を向けた。が、彼もまた手をこまねいていて、慌ててやってくる三杉に期待を込めるしかなかった。
「姫様! 剣を降ろして、ヒール様を放してください。これはやりすぎです。ヒール様に万一のことがあったらどうするおつもりですか?」
「それくらいのことをこいつはやったんだ。自業自得だ」
「しかし姫様、私たちは無事にこうしているじゃないですか」
「それは結果論だ。お前がぐちぐちと小言が言えるのも、私が殺すのを躊躇ったからだし、私がヒールに復讐できるのも、お前が無意識に私の自害を止めたからだ」
「自害って……」
「私は危うくお前に剣を突き立てるところだった。そして自分の首を掻き切るところだった」
三杉は今頃になって、いかに危険な状況に陥っていたのかを知り、言葉を詰まらせて思わず首謀者のヒールを見上げた。
そのヒールも、今は同じくらいの――恐らくはそれ以上の――恐怖を感じて顔を強張らせ、小さく震えている。
「ですが、ヒール様も反省してますから、このくらいで……」
三杉に加勢する形で発した護衛兵の言葉も、破流姫は一蹴した。
「反省で済むなら罰はいらん」
またも正論を言われて護衛兵は黙った。
だが、三杉はさすがに黙らなかった。
「姫様の与える罰は行き過ぎです」
「そうか? こいつはまだ反省していないようだぞ? 罰が甘すぎるのではないかと思っているんだが」
問うようにヒールを見上げれば、ヒールは何か言いたげだったが、口元を引きつらせただけで何も発しなかった。
誰が見ても、恐怖に固まって身動きも取れない様子であるのは一目瞭然だった。だが破流姫はそう取らなかった。
「ほら、謝罪の言葉一つもない」
「それは姫様が――」
言いかけた三杉の言葉にかぶせて、破流姫は意地悪く笑ってヒールの腰を片手で押した。
誰もが息を飲んだ。
抵抗できずにゆっくりとヒールの体が後ろへ倒れて行く。驚愕に目を見開き、咄嗟に縛られている手を伸ばした。
三人と一人の従者たちもまた手を伸ばして掴まえようとしたが、わずかに遅かった。
「うわあああああっ!」
窓の向こうへ消えて行くヒールの体に続いて、大きな机が引きずられ、派手な音を立てて窓にぶつかった。
慌てて四人が覗き込むと、窓の下で逆さまになったヒールがぶら下がっていた。
両足を縛っている紐が机に括り付けられ、その机が窓に引っかかってヒールを宙に吊るしたらしい。
「ひ、ひ、姫様……何てことを……」
顔面蒼白で振り返った三杉に、破流姫は心底楽しそうに笑って歩み寄った。
「どれ、少しは反省したか?」
ヒールを助け上げようとする護衛兵三人を押し退け、ぶら下がっているヒールを見下ろした。
「おい、ヒール。何か言うことはないか?」
その問いかけに返ってきた答えは、すすり泣く声だった。
「泣くほど怖かったのか? 人を陥れて殺そうとしたお前が、逆の立場になって怖くなったか? 何とか言え、おい」
そう言い、破流姫は嬉々として吊るした紐を大きく揺らした。
「ひぃっ、や、やめてくれ……」
「反省したのか?」
「ぅっく……反省してる……ひっく……もう、もうしない……」
「当たり前だ、馬鹿者」
言いながらまた紐を揺さぶった。
「うわぁっ! やめてくれ! 許してくれ! 私が、悪かった……も、もう……ひっく……もうしないから……ぅえぇ……」
破流姫の勝ち誇った高らかな笑い声が響いた。
誰もが背筋を凍らせた。三杉でさえそうだったのだから、他の三人の恐怖は吊るされたヒールと同程度だったかもしれない。
◇
引き上げられ、拘束も解かれると、ヒールはその場で脱力して座り込み、俯いたまましゃくり上げて泣いた。うわ言のように、許してくれ、悪かった、と繰り返す様は破流姫の気分を晴れやかにした。
それから破流姫は、当然のように丈夫な馬と多すぎるほどの路銀を要求し、またな、と片手を上げて、まるで旧知の友の家を後にするかのような気軽さで屋敷を出た。
言われたヒールは、厄災が去って行く安堵感と、また、という不吉な言葉に不安感を募らせた。
その後、ヒールは人が変わったように穏やかになった、という風の便りが三杉の耳に届くのだが、破流姫にまで吹いて行ったかどうかはわからない。
「あんなことをして大丈夫なのですか?」
二人が無言で馬に揺られてのち、広い街道へ出た時に三杉が言った。
ヒールの屋敷から破流姫の城まで約一週間。妙な術を使えば一瞬で到着できるらしかったが、破流姫はあえて旅をすることにした。
単に楽しそうだったからだ。
「何が?」
機嫌の良さそうな明るい問いが三杉に返された。
それは三杉の不安を消し去ることはなかった。
「ヒール様ですよ。あんな恐ろしい目に合わせて、逆恨みしたら……」
「あいつ一人で何ができるって言うんだ? 術も使えなければ剣も振るえない。あの従者たちだって同じことを二度繰り返すほど馬鹿じゃないだろう。兄弟仲も悪いんじゃ、兄を当てにもできない。ましてや王に泣きつけば馬鹿を見るだけだ。大体、誘拐なんて大っぴらになったら、自分の首を絞めるだけだ。その結果どうなったかなんてもちろん口になんかできないだろう? 結局大人しくしてるしかないんだ」
確かに、あれだけ怖い目に合えば二度と手を出そうとは思わないだろう。
「姫様も少しは大人しくなさってくださいね。ヒール様も無事だったから良かったものの、あのまま下に落ちていたら大変なことになってましたよ?」
三杉がいつもの調子で小言を始めると、破流姫は上機嫌のまま訳のわからない言い訳をした。
「大丈夫だ。簡単に解けない縛り方をしたから」
「何ですかそれ? そんなことができるのですか?」
「去年うちにきた、厨房の若い下男に教えてもらった」
「はぁ……」
「実家が船乗りらしい。船でよく使われる縛り方だそうだ。お前が口うるさいから縛ってやろうと思って習ったんだが、意外なところで役に立つもんだな」
聞き捨てならない台詞が紛れていたが、もう取り沙汰するのも疲れてしまい、三杉はただため息を吐いた。
「お陰で助かったじゃないか。お前一人ならまだヒールにいいように使われていただろうな」
反論の余地はなかった。
自分の気の緩みからヒールの手に落ち、あろうことか主人の拉致監禁に手を貸して窮地に陥れてしまった。守らなければならない立場の三杉が、破流姫を危険に晒したのだ。
その上、こうして無事に帰路に着くことができたのも破流姫がいたからこそだ。
主人に守られる従者など聞いたことがない。
「申し訳ありません……」
情けなくて涙が出そうだった。
城へ来る前はこの腕で生活してきたのだ。剣一本を持って商人や貴族の護衛だってやった。剣術には自信があった。だから大会へ出て良い成績を修めることができたのだし、お陰で城での安定した生活を手に入れた。
それで技術を失ったのだとしたら本末転倒だ。破流姫の言うように、本当は城でのんびりと遊んでいたのかもしれない。自分で気がついていないだけで。
小言など言える立場ではなかった。どれだけ謝罪してもし足りないほど罪は重い。
「何を暗くなってるんだ?」
先を行く破流姫が項垂れている三杉を振り返って言った。
「あの……私は城へ戻ってもいいのでしょうか?」
主人も守れない護衛、役に立たない従者が、どんな顔をして戻れるというのだろう。
このまま置き捨てられても文句は言えなかった。また一から腕を磨き、日雇いの護衛をするのも仕方がない。
絶望的な三杉の心中を知ってか知らずか、破流姫はふふん、と馬鹿にしたように鼻で笑った。
「そうだな。お前みたいな役立たずは城にいても仕方ないな。うちどころか、どこにいたって使い物になんかならないぞ。そんな奴は誰も雇ってはくれないだろうな、きっと」
三杉はがっくりと肩を落とした。
「だからな」
破流姫は前を向いて続けた。
「うちで我慢しておけよ」
おわり
ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
直したい箇所が山盛りあるのですが、とりあえずおしまいです。
そして『その後』の続編へと続きます。




