五 平安京
それは少なくとも人間だった。
最初に目に入ったものは、いかにも京都を思わせる黒と白に彩られた衣装。一也の脳裏には狩衣という言葉が浮かぶ。
次に少年とも少女ともつかない、美しく整った顔に白い肌。
そして、袖や唇を彩る紅のラインに、猫か鷹かを思わせる鋭い眼には、黒髪に似合わぬ青い瞳。
それら全ての要素が合わさって、明らかに人間でありながら、どこか人間離れした不気味な雰囲気を漂わせている。
「すみません、驚かせるつもりはなかったのです。
ただ、人の明かりに誘われまして」
男性ならば高め、女性ならば低めといえる、中性的な済んだ声で、その者は言った。
一也はこの者を美しいとさえ感じていたが、女性と思うと緊張のあまり、とても直視出来ない。言葉を交わすことも出来ないだろう。よって、この者は男性、美少年の類であると認識することにした。幸運なことにそちらの気はない。
「お尋ねしますが、書をお持ちではないか?
陰陽の理と呪の全てが書かれているものです」
彼の問いに、一也と舟助の二人は首を横に振る。舟助はその言葉に何かを察したか、
「そなたも訳ありのようだな。そして、拙者と同じく、長く独りであったようだ」
彼には自身の経験もある。この者が二人を見た際の反応が、自分が一也と出会った際のそれと同様であったことぐらいは容易に見抜くことができたのだ。
「旅は道連れ。少し話をしていかぬか」
舟助の誘いに彼は感謝の言葉を述べながら小屋へと足を踏み入れる。
「私は平安の都で陰陽をたしなんでいた者です。名は、鬼一法眼とでも致しましょうか」
法眼は微笑みを浮かべて実名を伏せた事を示す。
「名は、呪とも言います。言えぬ事、そして畏れ多き名を借りること、ご容赦頂きたい」
「六韜の鬼一法眼どのか」
舟助は甲冑をかたかたと揺らしながら豪快に笑い声を上げた。
その名前に一也は心当たりは無かったが、舟助の戦国時代でも高名なほどの偉人なのだろう。その名をやすやすと名乗ってしまった事が笑い所かなと考える。
一也の見たところ、この二人とも、なにか己の過去を軽んじている風がある。
彼の思う過去の身分制度といえば、今よりも遙かに厳格だったはずだ。
より高い身分の者を話の上で適当な物のように扱ったり、その名を騙ったりする事などすれば、即座に命の灯火が消えてしまうだろう。
舟助の話の通り、彼らは幾度もループを続けるうちに、そうした社会の仕組みがどうでもよくなったという事なのだろうか。
「私は兵法は存じ上げませんが」
法眼は元の無表情な顔に戻っている。
彼の物語はこうだ。
時は平安。寿永二年。
見習いとしてある陰陽師の元で働いていた法眼だったが、この師匠がある公家の娘に恋心を抱いたそうだ。
垣間見、らしからぬ短歌などを詠み、ようやく言葉を交わす仲までに至ったのだが、その女、師匠に会うなり、
「世に究極の陰陽法があると聞きますが、いかなるものでしょうか」
などと問うたらしい。
おそらくこの陰陽師をからかってやるつもりだったのだろうが、惚れた女の前では良い格好をしたくなるが男のさだめ。
源平だの、戒厳令、同族殺しだのと物騒な世の中で、彼もまた戦っていたのである。
「存じ上げております。しかし、私も未熟の身。二年の後には必ずやお見せ致しましょう」
簾越しにそんな約束を交わし、「全て見せけむ陰陽の法」などとどうしようもない歌まで証拠に残し、意気揚々と帰宅するなり法眼を呼びつけた。
「世にはかの安倍晴明の筆による、陰陽の全てを記した秘書があるという」
長々と講釈が続き、
「他家の秘書とはいえ、お主の勉学にも役立とう。その書を二年以内に探し出して参れ」
というわけだ。
法眼の場合、その大筋は「陰陽の秘書を探し続ける」というもので、舟助のそれに比べればシナリオのバリエーションは多かったらしい。
しかし、この世界が現実の時の流れに即しているとすれば、平安からの千年近く、彼はその書物を探し続けていることになる。
しかもそれは実在するかどうかも疑わしい代物だという。
「私は師の為を思うて、また己の欲のために、ただ必死に書を探し続けたのです。
やがてその手がかりを失った時、この世界に迷い込んだものと思います」
それでも彼が書を探し続けているのは、一縷の望みを捨てきれずにいるからだろうか。
「とうに、二年など過ぎ去ってしまっておるのにな」
自嘲気味な笑みを浮かべる。
「そなたもまた、繰り返す渦の中で拙者達に出会ったのだ。あるいは、渦を抜け出すこともできよう」
舟助は暗に、共に行動することを提案する。法眼は何も答えず、ただ眼で同意の意を示した。一也は、こういう場で発すべき言葉を知らない。
その代わり、昼から何も食べていない腹がぐうと鳴った。
「明日には、山を下りよう」
舟助は笑いを堪えながら宣言した。