一の六
「私は心を鬼にします」
「え」
翌朝、宿屋を出発しようとするリルカを見送る俺に、いきなりわけの分からない言葉が投げかけられる。
「ゴドー、本当にあなたがこれからも危険な旅に同行してくれるつもりならば、あなたの安全のためにも徹底的に鍛えてもらわなくてはなりません」
リルカの目が燃えている。
「そうだな」
至極真っ当な話ではある。
『間違いない』
フォイルも太鼓判を押す。
「というわけで、私がダンジョンを調査している間、町を走って周り続けてください」
「げっ」
ずっと?
「さすがにそれは、やりすぎで体壊すから逆効果なんじゃないか?」
恐る恐る進言してみるが、
「そんなことはありません。私も、旅に出ると決心した最初の月は、ひたすら敷地の周囲を走り続けたものです。倒れるまで走り、意識を取り戻したらまた起き上がって走り、今ではいい思い出です」
懐かしげに思い出が語られるが、その思い出自体が異常なのでこちらとしては恐ろしいだけだ。
何と言うスポ根少女。
「というわけで、走ってください」
「よし、分かった」
嫌だと言ってもリルカが納得してくれないだろうし、とりあえず了承しておく。
もちろん、途中で抜け出してダンジョンにこっそり付いて行くつもりだ。心配だし。
「分かってもらえてよかったです」
リルカはほっとした顔をして、
「男に二言はないとは思いますが、一応見張り役を頼んでおきました」
え?
「あたしがしっかり見張っとくからね」
いつの間にか現れた宿屋の女将さんが、どんと胸を叩く。
これはまずい。
「い、いや、でも宿屋の仕事だってあるだろうし」
「心配しないでも、あんたはずっと走ってるだけでいいよ。ただし、一周するごとに必ずこの宿屋を通るようにしてね。あたしは、時々宿から顔を出してあんたが通るかどうか気にするだけだよ」
やばい、反論の仕様がない。
「よおし、頑張るぞ」
はは、と俺は強張った顔で何とか笑う。
「面倒事を押し付ける形になって申し訳ありませんが、お願いします」
リルカが深く頭を下げ、
「ああ、頭を上げてくださいよ。勇者様のお役に立てるなら、これくらいお安い御用ですよ」
女将さんが慌てる。
謙虚な勇者と町の宿屋の女将さんの心温まるやり取りなのかもしれないが、俺にとってはただの死刑宣告だ。
そうして、リルカと女将さんに見送られながら、俺はランニングを開始する。
いつの間にか話が広がっていたらしく、二人だけでなく町の人々の数人がもの珍しそうに出発する俺を見ている。
くそ、これは抜け出すのも一苦労だ。
ともかく、走り出した俺はいきなり全身を襲う激痛に驚く。
「ぐっ」
大人しくしている分にはそこまで感じないが、走ったり多少激しい運動をすると筋肉痛の酷いやつが襲ってくる。
昨日のフォイルを装着ての立ち回りの影響か。
それを見せるわけにもいかないから、ただただ必死で走り続ける。
なあ。
走りながら俺は語りかける。
『何だ?』
昨夜の話なんだけど、どう思う?
『どうとは?』
魔人の話。リルカの父親を殺した、怪物のように強い魔人の話だ。
『別に珍しい話とは思わん。魔人は、人を超越した存在だ』
しかし、この状態で走るのはきつい。全身が千切れそうだ。
俺が引っかかっているのはそこじゃあない。名前だ。
『名前? アッティラか』
そうだ。どこかで聞いたような気がして、昨日眠りながら色々なことをずっと考えていた。
ようやく思い出した。歴史上の人物の名前だ。フン族の王、アッティラ。略奪と殺戮の権化、破壊の象徴、神の鞭。
それが、魔人の名前と一緒なのは、単なる偶然か?
『別に不思議ではない。基本的に魔鎧の契約者として選ばれ、この世界に転生させられるのは強い魂だからな。歴史上の偉人、英雄が転生させられるのはむしろ必然というものだ』
「えっ?」
思わず声が出て、ランニングで限界にきていた横腹が痛くなる。
「うぐぐ」
『魔鎧の契約者はお前のいた世界から選ばれる。時代はばらばらだがな。その魔鎧に相応しい能力、精神を持った魂が呼ばれ、転生させられるのだ』
どういうことだよ。じゃあ、どうして俺が選ばれた?
偉人でもなんでもない、れっきとした凡人だぞ。それとも、秘めたる力でもあったのか?
『そんなものはない。我は自我を持っているからな。魂の強さ、能力よりも我の自我、我の魂との純粋な相性を求めた。ただ、それだけのことだ』
性格が似てるとか、そういうこと?
『冗談ではない。もっと本質的な、そして宿命的な問題だ』
なるほど、血液型みたいなものか。それが合致しているから、俺が選ばれた、と。
ちょっと待てよ。お前の言い方だと、他の魔鎧は自我を持っていないのか?
『そうだ。知性はあっても自我はない。自我を持つ魔鎧は我だけ、だった、か?』
俺に聞かれても知らないよ。
『我に言われても覚えてない』
記憶障害があるんだったな。しかし、続々と重要な情報が出てくるな。どうしてそんな大切なことを覚えていたのなら、教えてくれなかったんだ。
『説明しにくいが、我としては何を覚えていて何を覚えていないかすら定かではないのだ。お前とのやり取りで、その知識があることに気付いた、とでも言おうか。ともかく、その辺りの知識は、単なる知識というよりも魔鎧としての本能のレベルで我に刻み込まれているようだ』
分かりにくいが、つまりこういうことか?
鳥が知識として知らないでも飛び方を知っているように、お前の中に魔鎧の基本的な情報は刻み込まれている。ところが、その情報とやらはスムーズに引き出すことができずに、何かきっかけがないと情報があることに気付かない。
『そういうことだ。説明がうまいな』
褒められても大して嬉しくない。ところで。
『何だ?』
もう限界だ。
俺はカミサを一周する前、半周を過ぎたくらいでそのままへたり込む。
場所的にほとんど町の外れで、近くに人がいなくてよかった。
幸運に感謝しつつ、俺は全身の筋肉を痙攣させつつ、地面をごろりと転がって喘ぐ。
疲れた。半端じゃなく疲れた。
『昨日のことがあるとはいえ、体力のないことだ』
文句を脳内で言う力もなく、俺は全身の痺れるような疲れを感じながら目を閉じる。
しかし、困った。
走る体力がないのもあれだけど、途中で抜け出してダンジョンについていくことが難しいのが一番困る。ここで鍛錬を途中でやめたと分かると、リルカと町の人々からの俺の信頼度がかなり低下する。噂はすぐ広がるだろうし。
『旅にこれからも同行しようとするならば、あの娘との仲は良好に保つべきだろうな』
フォイル、お前からしたらどうだ? リルカの旅についていくのは、お前は賛成か?
『魔王については、我も興味がある。魔王を倒せば魔族だけでなく、魔人をも滅びるという伝承。魔王について知ることは、魔人、魔鎧について知ることになるかもしれぬ。我の失った記憶についても、知ることができるかもしれん』
記憶、取り戻したいんだ。初めて知った。
『当然だろう。あまりにも当然だからわざわざ言っていなかっただけだ。そういう意味で、お前とは目的が同じだ』
目を開ける。青空が広がっている。
『ただ、お前の目的はそれだけではないようだ。リルカの力になりたい、そうだな?』
ああ。
『ならば、ここでへたれている場合ではないだろう』
仰るとおりだ。
「うっ、ふっ」
全身をぶるぶると震わせながら、俺は何とか立ち上がる。
そろそろランニングを再開しないと。
『結局走るのか?』
ああ。信頼してもらわないと、旅に付いて行けないからな。
初級レベルのダンジョンなら、リルカにはとてつもなく危険なわけではないんだろ?
『うむ』
じゃあ、リルカの実力を信じよう。俺は俺のやるべきことをするだけだ。
そうして俺が気合を入れなおし、いけるところまで走ろうと足を踏み出した時、
『む?』
と、フォイルが不思議そうな声をあげる。
「どうした?」
誰もいないし、そろそろ息も整ってきたので肉声で問いかける。
『あれは、何だ?』
「どれ?」
『あの、焼け跡だ』
言われてみれば、草むらの中に直径三十センチ程度の、円形の焼け跡がある。
何って、焚火の跡なんじゃないのか。
いや、待てよ。
綺麗だ。綺麗すぎる。
草が、まるでコンピューターか何かで作図したかのように綺麗な真円に焼けつくしている。普通に草が燃やされて、こんなことになるわけがない。
「何だよ、これ」
『魔術、だろうな』
「魔術?」
『魔術による火球を試し撃ちした。そう考えればあの焼け跡にも説明がつく』
なるほど。魔術を見たことがないからいまいちピンとこない。
『しかし珍しいな』
「何が?」
『魔術が、だ。人間でも魔術が使える者はごく僅かなはず。魔術の才能を持つ人間自体、千人に一人以下の割合のはずだ』
「へえ。そりゃあすごい」
そこまで詳しい情報は知らなかった。魔術というのが存在する、ということを聞いただけだ。
『魔術は世界の理を読み解き、利用する術。理を読み解くには生まれつきの才能が必要なのだ』
まず千人に一人よりも希少な才能を持っているかどうかが問題で、その才能を持っていて初めて魔術を鍛錬していくかどうかという話になるわけか。
そうなると、確かに魔術師なんて珍しいな。
『もしくは、魔族ならば魔術を使える』
フォイルの不吉な言葉を聞きながら、俺はゆっくりと走り出す。
相変わらず全身が痛い。足が重い。
『魔族は世界の理を本能的に理解しているというからな』
「まさか、魔族がこの近くに来ているとか言わないだろうな」
『言わん。さすがにそれはない。魔族は人の天敵。何の用も無くこの辺りをうろついているはずもない。もしも人間を襲うという目的を持ってここまで来ているなら、この町が無事なはずがない。珍しいことではあるが、魔術師がこの辺りをうろついているのだろう』
余裕がなくなってきた俺は会話を打ち切り、ひたすら走り、意識が薄れ、足も重くほとんど歩いている状態ながら、何とか一周して宿屋の前に通りかかることができた。
「おっ、来たね、あんた」
女将さんが嬉しそうに俺の顔を見て声をあげる。
だが俺には答える余力もない。
必死で両手両足を動かして、よたよたと歩いて女将さんの前に向かう。
「お疲れだねえ。ほどほどで休みなよ。勇者様には内緒にしといてあげるからさ」
有り難いお言葉だ。
それに甘えて、よたよたと俺は走るペースを緩めて、歩きながら大きく息を吸って吐いて整える。
「そういや、ローブ姿のべっぴんさんに勇者様の居場所を聞かれたけど、あれあんたの仲間かい? 遺跡に行ってるって教えたら、跡を追って行ったけど」
何?
『ほほう、件の魔術師は勇者の大ファンらしい』
本当に、そうだと思うか?
『もしくは、その魔術師は何かよからぬことを企んでいるか、だ』
もう一つ、可能性がある。
『何だ?』
魔術師ではなく、魔族って可能性もある。やっぱり、目立たないように、リルカだけを襲いに来たんだ。
『ううむ、やはりありえないと思うが。魔族ならば、この町ごとリルカを葬ればよい。わざわざ忍ばずとも、それをするくらいの能力ならば持っているはずだ。それにそもそも、リルカなどというただの少女一人をどうして魔族がそこまで気にする』
そりゃあ、リルカが勇者だからだろう。
ともかく、議論していても仕方がない。
「ちょいと、大丈夫かい? 顔色悪いし、脂汗かいてるじゃないか。少し休んだらどうだい?」
俺の顔色が変わったのを見て、女将さんが心配してくるが、
「大丈夫、です」
息も絶え絶えにそう言って俺は笑い返す。
そうして、足を引きずるようにしながら宿屋を通り過ぎていく。女将さんからは見えない場所に辿り着いても、まだ町の人の好奇の目があちらこちらにある。
くそ、もう気にしている暇はないか。
歩きながら、必死で顔をあちらこちらに向けて探す。
あった、ここでいい。
そこにあったのは、小さな売店だった。生活必需品やちょっとしたものを揃えている店だ。
倒れこむようにして、俺は売店に駆け込む。
「えっ」
店番の娘が突然現れた死にそうにくたびれた男に驚くが、構わずに俺はポケットに入っている金を全部出す。ほとんどが宿代とリルカに渡した分に消えたが、まだ三十ゴールドくらいならあるはずだ。
「ポ、ポーション」
かすれた声でそれだけ言って、あとは荒い息をつく。
ポーション。この世界にはそんな便利なものがあるとリルカに聞いて初めて知った。今の俺には、それこそ必要だ。
「……えっ、あっ、はい」
しばらく呆然としていた娘は、はっと我に返ると慌ててポーションを持ってくる。
それはガラス瓶に入った、緑色に輝く透き通った液体だ。
「釣りは、いい」
俺はとりあえず持っている金を全て娘に押し付けるようにして渡し、ポーションを受け取ると一気に飲み干す。
「ぐっうっ、ごほっ」
むせながらも、必死で飲み干す。
ミントと青汁を混ぜたような壮絶な味だ。が、今の俺には液体だというだけでありがたい。体に染み渡るようだ。
ふっと両肩に載っていた重石が取れたようになって、さっきまで鉛のようだった体が、少しだけ軽くなる。
よし、これで、走れる。
「ありがとう」
礼を言うと、ぽかんとしている売店の娘を置いて、そのまま全身全霊で走り出す。売店を走り出て、まっすぐと遺跡に向けて。
確か、こっちの方向だ。
『ポーションは傷を短時間で治すためのものだ。体力が即座に回復するようなものではないぞ。効き目が無いことはないが』
分かってる。
それでも、全身のばらばらになりそうな痛みが少しは和らいだ。体力的には限界を既に越しているが、もう少し走れそうだ。
ともかく、今は一秒でも早く遺跡に向かわないと。
何かが起きていて、それに間に合わないなんてことになったら、生まれ変わった甲斐がない。
『今、我を纏わないのは賢明だ。こんな状態で我を装着すれば体が砕けて終わりだからな。それは、遺跡に着いても同じだ。まともな状態になるまでは、我を装着しようとは思わぬことだ』
普通にアドバイスしてくるフォイルに、少し意外な気になる。
止めないのか、危険すぎるとか、こんな状態でダンジョンを潜るなんて自殺行為だ、とか。
『まさか』
答えるフォイルの声には、これまでにない高揚感が、抑えても抑えきれずに溢れている。
『感じる。戦の気配だ。契約者が戦場に向かうのを、止める鎧がいるものか。いいぞ、戦だ。戦が起こる』
フォイルが上機嫌なのはいいが、逆に俺の不安は膨らんでいく。
くそ、どうなるんだ?
戦? 嫌な予感がする。