一の五
せっかくお金があるんだからということで、化け猫亭という名前の食堂で夕食を食べることにする。
俺はシチュー、リルカは猪のステーキだ。
ちなみに俺はお金があるのだからということで服を上下、そして靴まで新しく買ってそれに着替えている。「黒が好きなのでしょう?」とリルカに言われて、全部黒尽くめだ。元々の学生服が黒尽くめだからそう考えるのも分かるし、制服のなんたるかを説明する気にもなれなかったのでとりあえず同意しておいた。
「おまたせしましたーっ」
ウェイトレスの少女がにこにこと愛想を振りまきながら料理を持ってくる。リルカを見る目には、明らかな憧れがある。
が、リルカはそんなものが目に入らないくらいに、ただただ鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てている猪肉に目を奪われている。涎が零れそうになったのを、慌てて手で拭っているくらいだ。
「お、おお……」
ぶるぶる震えながらナイフとフォークを手にして、ステーキがテーブルに置かれると同時に突撃するリルカ。
店に入るまではしきり遠慮していたのに、いざステーキが運ばれてくるとリルカはとてつもなく嬉しそうにほおばる。
さて、夕食と共に、リルカの聞き込みの成果を聞かせてもらうことになったのだが、
「ルーキフェル遺跡?」
聞き覚えのない固有名詞だ。
「ええ、カミサの外れにある、さして有名でもないダンジョンです」
もぐもぐと口いっぱいにステーキをほおばって幸せそうにしながらもリルカは答える。
詳しく場所を聞けば、宿屋からそう遠くもない場所のようだ。
「なあ、そもそもダンジョンって何なんだ?」
ダンジョンという存在についての詳しい話は聞いたことがないので、この際に聞いておこうとリルカに質問すると、
「ああ、記憶喪失でしたね。いいでしょう、ゴドーにダンジョンについて教えてあげましょう」
えへんとリルカは胸を張るが、口の端にステーキソースがついている。
「ダンジョンというのは、誰によって作られたのか不明、いつから存在するのかも不明な建造物で、次の条件を満たしたものがダンジョンと呼ばれます。一つ、モンスターが無限に湧く。二つ、アイテムも無限に湧く。難易度の高いダンジョンほど、価値の高いアイテムが出現するようです。そのダンジョンでのトレジャーハンティングで生計を立てている冒険者という職業もあります」
なるほど。大体イメージできた。
「ダンジョンがモンスターやアイテムを生成する仕組みについては誰も分かっていません。ちなみに、そうやってダンジョンの中で生まれたモンスターはどうやらダンジョンの外に出ることはないようです」
「へえ。じゃあ、外にいるモンスターは一体どうやって繁殖してるんだ? 普通に動物みたいに卵産んだりしてるのか?」
「ううん、それも今のところ分かっていないようです。とにかく、いつの間にかモンスターというのは湧いているものだとしか。ダンジョンの中でも外でも、です」
「そうか」
魔人だけでなく、魔族やモンスターについても謎に包まれているわけか。というか、モンスターと魔族は同じものなんだっけ。知性あるモンスターが魔族だとか村長は説明していたな。どこまで正確なのかは知らないけど。
「ルーキフェル遺跡に話を戻しますと、そのダンジョンは、かつて魔王に戦いを挑み敗れた反逆者の魔族が逃げ込んだ先だという伝承が残っているようです」
その情報が聞き込みの成果らしい。
「なるほど。けどさ、その中に何か魔王についての情報が存在するのか? 今までそのダンジョンに潜った冒険者は誰も情報を見つけていないわけだろ」
「ええ。現に、難易度の低いダンジョンだということもあって、初級冒険者の恰好の訓練所として利用されているそうです」
「だったら、魔王の居場所のヒントなんて残ってないんじゃないか?」
あったら誰かが見つけているだろう。
「いえ、先にルーキフェル遺跡に潜った冒険者は皆、宝が目当て。魔王の情報を見逃している可能性はあります」
そうかなあ。可能性は薄い気がするけど。
『何もせぬよりはマシ、ということだろう。別に強いて反対する必要はあるまい』
フォイル、実際、そういう初級のダンジョンなら、リルカの今の実力でも大丈夫か?
『難しいところだな。本当に簡単なダンジョンならば、クリアは不可能ではない。だが、危険が少ないというわけでもないな』
そうか。
「ゴドー、ひょっとして、私がダンジョンに潜ることを心配しているのですか?」
そんな俺とフォイルの話し合いが聞こえていたかのように、リルカが眉をひそめてくる。
「う」
「全く、失礼な。私の腕がそんなに信用できないのですか」
頬を膨らませながら、リルカはステーキを口に放り込む。
「い、いやあ」
「確かに、この旅に出るまで、剣を握ったこともなかった私ですが、今はもうれっきとした騎士です。バカにしないでいただきたい」
「えっ」
剣を、握ったこともなかった?
いや、確かに、名門の令嬢だったわけだから、剣を握ったこともない深窓の令嬢として暮らしていてもおかしくない。
だが、その深窓の令嬢が騎士となり、一人で危険な旅に出ることを決意したというのか? そして、たった百日間で一般の成人兵士に匹敵する技量を身に着けた?
その決心をした心境も、どれほどの鍛錬を今まで積み重ねてきたのかも、想像がつかない。
「ともかく、今だって一日たりとも鍛錬は怠っていませんし、初級のダンジョンを探索できるくらいの実力はあるいるつもりです」
心外そうに言うリルカのどこか微笑ましい姿を眩しく見ながら、俺は言葉を返さず黙ってシチューを口に運ぶ。
「ともかく、ゴドーに稼いでもらったこのお金で、ポ―ション等の消耗品をありがたく補充させてもらい、明日、ルーキフェル遺跡に潜ろうと思います」
ポーションなんてのもあるんだ。
『傷を治すものだな。中々の高級品だが、冒険者の必須アイテムでもあるはずだ。ぼんやりとした知識だが』
「ゴドーは自由にしていてください。くれぐれも、危険なことはしないように」
「えっ!?」
俺、一緒に行かないのか?
「何か?」
驚いた俺を、不思議そうにリルカが見つめてくる。
「いや、俺も一緒についていきたいんだけど」
俺がそう言うと、
「危険すぎます! コボルトを倒したからといって、調子に乗ってはいけません」
目を尖らせたリルカにぴしゃりと言われる。
その声が結構大きかったからか、他のテーブルに座っていた客が数人こちらを見る。
少女に叱られる俺。
超恥ずかしい。
「わ、分かったよ」
そう言うしかない。
『無様な』
また、フォイルが言う。
うるさい。
「別に、そんな無理して付き合わなくとも、ゴドーには、その、感謝していますし」
リルカの語尾がどんどん弱くなっていく。
大声で俺を叱ったことを早くも後悔しているようだ。
「分かった。じゃあ、素振りでもしておくよ。いつか、一緒にダンジョンに潜れるように」
俺はそう言って会話を打ち切る。
無論、素振りをするつもりはない。
やっぱり心配だし、こっそり付いて行くことにしよう。
『我の存在を明かして、役に立つから一緒に行こうと言えばよかろう』
ええー。
それは、ちょっとな。魔人だって明かした時点でどんな反応が返ってくるか怖い。
『肝の小さな男だ』
うるさいよ。
しかし、確かに、これからずっと一緒に旅を続けるつもりならば、ここで正体を明かした方がいいかもしれない。
ちょっと、迷う。
その迷いは、化け猫亭から宿屋への帰り道で消えることになった。
「お父様、いえ、父は、私の目の前で死にました」
街灯に照らされた道を歩きながら、リルカがぽつりと話しだした。
「我が国の領地を遊び半分で占領した魔族とその手下のモンスター、それを討伐するために父は派遣されました。名将と呼ばれた父は、その魔族とモンスターを確実に打ち破れる軍勢を用意し、陣を敷きました」
リルカは月を見上げる。
「私に民を守るために戦っているところを見せて、ゴールドムーンとしての誇りを持たせようとしたのでしょう。私も、父が勝つと、魔族とモンスターを打ち破ると信じて疑っていませんでした」
「けど、そうはならなかった?」
俺が水を向けると、
「ええ。今でも、あの光景は目に焼き付いています」
目を閉じて、リルカは呟く。
「突如として現れた一人の魔人。それが、戦況を一変させました。その魔人は兵も、モンスターも、そして魔族すらも、一瞬で鏖殺しました。私の知る限り誰よりも強かった、父ですら、一撃で倒されました」
リルカは、震えていた。
「あの時、理解できたのです。魔族もモンスターも、人間の敵です。けれど、魔人こそは、世界の敵です。彼らを打ち倒さなければ、世界は彼らの気まぐれで焼かれ、弄ばれ、滅ぼされてしまう」
憎しみではなく、純粋な敵意を感じる。ただ、魔人を絶対の敵と見做すという決意。
だからこそ、悟る。
俺が魔人だと打ち明ければ、俺とリルカの間には決定的な亀裂が入る。間違いなく。
「だから、騎士になって、魔王討伐をしたわけだ」
多少声をかすらせながらも、何とか会話を続ける。
「ええ」
頷いてから、リルカは歌うように、
「魔の王、一人眠る。全ての魔の者の源。起きれば世界が滅び、死ねば魔の者が滅びる」
それが、ユッカに伝わる魔王の伝承だという。この一節を頼りに、リルカは旅立ちを決意したのだ。
「一般的な解釈によれば、魔の者とはモンスター、魔族、そして魔人のこと。魔王を倒せばモンスターも魔族も、そして何よりも魔人も滅びる。そういう伝承であると考えられています。無論、伝承などに頼るのが不確かな道であることは分かっています。それでも」
目を開いたリルカは、拳を握る。
「魔人は倒さなければならない。そのためになら、細い糸だとしても手繰らないわけにはいきません」
「そう、か」
いつの間にか、俺達は宿屋の前まで辿り着いている。
それきり二人とも無言で、宿屋のドアをくぐり、それぞれの部屋の前まで歩く。
「その、何か、申し訳ありませんでした。面白くもないことを」
そこで、ようやくリルカは口を開いて謝ってくる。
「いや……」
否定しようと思ったが、リルカの父が死んだ出来事に興味があると明言するのも気が引ける。
迷った末、
「どんな、魔人だったんだ、その魔人?」
気づけば、そんなことを訊いている。
リルカの父の仇、全てを灰燼と化す怪物。一体、どんな存在なのか。
「……あの魔人」
ふっと、リルカは遠い目をする。
「恐怖のあまり、私は魔人の前で取り乱しました。あまりに混乱していて、魔人の特徴など覚えていません。情けない限りです。ただ、覚えているのは地獄のような光景と、魔人の名前だけです」
名を呼ぶだけだというのに、その瞬間リルカの眼光が鋭くなる。虚空にある何かを睨むように、あるいは恐れているように。
「あの魔人は、アッティラと名乗りました」