一の三
全身筋肉痛の俺と、まったく疲れた様子を見せないリルカがカミサに着いたのは翌日の昼だった。
さすがにあの村とは違い、それなりに大きな街だ。レンガ造りの家が並び、露店が出て活気に溢れていた。
ユッカの辺境ではあるが、他の国との交易ルートとなるため、発展しているそうだ。
「やれやれ」
先に町長に挨拶に行くからと言ったリルカと分かれて、俺は荷物を置くために宿屋に直行する。
部屋を二つとって、自分の部屋の方で重いリュックを下ろして一息ついたところで、
「ちょいと、いいかい?」
ノックと音と共に声がかかり、
「はい? どうぞ」
応じると、ひょっこりと顔を出したのはさっき受付にいた宿屋の女将さんだった。気風の良さそうな、まるまるとした中年の女性だ。
「ねえ、あんた」
「はい」
「あんた、勇者様の連れって噂、本当かい?」
「そうですけど」
途端、目を輝かせた女将さんががばりと近寄って俺の手を握ってくる。
「まあまあまあ」
声が上擦っている。
「じゃあ、勇者様がこの町に来てるってのも、本当だったのかい!?」
女将さんは満面の笑みだ。
「ああ、こうしちゃいられない、町中に知らせないと」
「そ、そんな大袈裟な」
思わず言うと、
「何が大袈裟なもんかい!」
と怒鳴られる。
「自分のことしか考えない貴族連中や、戦争しか頭にない騎士と違って、本当にあたしらのことを考えて、あの恐ろしい魔族達の王を倒そうと真剣に考えてる。この酷い時代に、希望なんだよ、勇者様は。今は、まだユッカの一般市民の間でしか知られていないけどさ、いずれ全世界の希望になる、そう信じてるんだ」
真剣な顔でそう言う女将さんに、俺は言葉を返せない。
やがて、女将さんは町の皆に知らせると言って飛び出していく。
大したもんだな、リルカは。
俺は素直にそう思う。
やがて、
「参りました。町行く人町行く人、誰もが歓迎してくださるので。嬉しいですが、困りもします」
困惑顔のリルカが俺の部屋にも顔を出す。
「あれ、それは?」
リルカが両手に抱えているのは、パンや野菜、肉まである。
「ええ、どうぞと言われて……」
「よかったじゃないか。それを女将さんに渡して、料理を作ってもらおう」
「ええ……」
だが、リルカは浮かない顔をしている。
「何か、問題でも?」
「実は、さっきその女将さんと会ったのですが……」
「うん」
「勇者様から、御代は受け取れないと」
「ラッキー。人徳だな」
俺がそう言うと、
「そういうわけにはいきません!」
とリルカが叫ぶようにして言う。
思わず体を震わせる。
凄い迫力だ。
「す、すいません」
大声を出したことを顔を赤らめて恥じて、
「けれど、さすがに宿代を出さないわけにはいきません。ここを拠点に、しばらくは魔王の伝承を探るつもりなのですから」
そうか、一泊で済まないわけか。
あれ、そういや、俺は金がないぞ。ひょっとして、俺だけ野宿? まずい、金を稼がないと。
おい、フォイル。
『何だ?』
金稼ぐにはどうすればいい?
『働くか、盗むか、奪うかだな』
そういうことじゃねえよ。盗むのと奪うのは無しだ。いや、待てよ。魔族とか相手なら、ありか?
「ただ……」
俺とフォイルが脳内で相談していると、
「私は、恥ずかしながらお金がないのです」
と、リルカが言う。
詳しく聞くと、いくら行く先々の人に親切にされたところでやはり旅にはお金がかかるらしい。今回の魔王討伐の旅について国から支給された僅かばかりの金、そして家から持ち出した金も、結構前に尽きてしまったらしい。
「とはいえ、魔王討伐の命を受けている身で、路銀を稼ぐために時間を費やすわけにもいきません。そんな暇があるなら、一秒でも魔王の情報を集めなければ。そうでなければ、国と民に対する、裏切りです」
真面目を通り越して融通が利かないな。だが、文句を言えない。
それは、リルカの目があまりにも真剣で、切羽詰ったものだからだ。
「やはり……ゴドーには悪いですが、ここは野宿で」
「ちょっと待った」
一方の俺は、安心していた。
歓喜していたと言ってもいい。負い目が少し軽減されて楽になった。
何だよ、やっぱり、このリルカって少女は完璧超人じゃなかったんだ。なら、俺にもこの少女のためにやれることはある。
とりあえず、今できることがある。
「宿はここでいい。リルカは情報を集めてくれ。俺が、日雇いの仕事でもして金を稼ぐよ」
「いえ、それは」
慌てて俺に寄ろうとするリルカを手でとどめて、
「ずっと野宿だと疲れがたまって、魔王を捜す効率も落ちる。こうやって役割分担するのが一番いいよ、そうだろ?」
「う、う」
言葉に詰まり、俯くリルカ。
何だか、こっちがいじめているみたいな気分になってきた。
「ともかく、俺はまだ戦いなんかでは全然役に立たないわけだから、こういう時くらい役に立たせてくれ」
俺がとどめのつもりでそう言うと、
「分かり、ました。感謝いたします」
リルカがこちらが見惚れるような綺麗な礼をしてくる。
「ああ、いや、はは、ともかく、今からでも仕事、探してくるよ」
どぎまぎとして、俺は逃げるように立ち上がって身支度を整える。
「あ……」
何か言おうとしたリルカが手を差し伸べてくるが、途中でその手を止めて、
「その、お気をつけて」
と、まるで戦場に向かう武士を見送るような厳粛な表情で言葉をくれる。
「ああ、互いにな」
そうして俺は宿屋を飛び出す。
『勝負に負けて逃げるようだな』
実際、それに近い。
人間としては、比べ物にならないくらい向こうが上等な気がして、どうしても気が引けてしまうんだ。
『我にはよく分からんが』
あっそう。
俺は町を行く。
ところで、どうやって金を稼げばいい?
『我は、クエストを受けるべきだと考えるが』
クエスト?
『うむ、薄ぼんやりとした記憶ではあるが、この町のようにある程度以上の規模の居住区ならば、ギルドが存在するはずだ。モンスターの討伐や荷馬車の護衛など、クエストを紹介してくれる場所だ』
ちょっと待ってくれよ。そんな危険なものしたくない。普通に、どこかで皿洗いでもさせてもらうぞ。
『逆に危険だろうが』
何が?
『いいか、何の練習もせず、あの少女と一緒に旅を続け、突如としてモンスターに襲われたらなんとするのだ』
うっ。
痛いところを突かれて俺は思わず足を止める。
『予行演習は必要だ。クエストで、弱いモンスターを倒すクエストを受ければよい。まずはそれで実戦慣れをするのだ』
け、けど、今の俺じゃあ、その弱いモンスターにすら殺されちゃうんじゃないか、俺?
『心配無用。今日になって、ようやく思い出せた』
何を?
『我がお前と共に戦う方法だ。これで、よもや弱いモンスターに負けることはあるまい』
こうして、反論は封じられる。
仕方なく、俺は町を彷徨いながら、ギルドとやらを捜す。
「あの、すいません」
手当たり次第に道行く人に声をかける。
「ん?」
「ギルドがどこにあるか、知りませんか?」
「ギルド? この町の冒険者ギルドのことかい?」
「はい」
運よく、最初に話しかけた行商人風の人に親切にギルドの場所を教えてもらった。この町くらいの規模のギルドはそこまで大袈裟なものではなく、何か別の店や職業をしている人が兼業していることが多いらしい。このカミサの場合は酒場だとか。
ついでに、ギルドそのものについても説明を受けた。
それなりに危険な仕事を紹介する仲介所。主な顧客は、ダンジョンを探索して生計を立てている冒険者と傭兵。どちらも腕に自信があって不安定な職業だから、ギルドはある意味で生命線らしい。
「ギルドは、そういうわけで膨大な暴力の支持を受けているわけだ。だから、独立した組織として、国に縛られない存在なんだよ。世界中に存在していて、国ですらギルドと敵対することを恐れる。一度それをして、冒険者と傭兵に潰された国も存在するからね」
「国を潰すって……」
「世界中のギルドが、その国を潰すクエストを最優先で紹介し始めたんだよ。おまけに、傭兵や冒険者もギルドが潰されたら困るから積極的にそのクエストを受けた。結局、最後は魔人にその国は潰されたみたいだけど」
「魔人に?」
意外な単語に驚く。
「別に驚くことじゃないよ。ギルドとコンタクトをとってる魔人はそこまで珍しくないからね。もちろん、コミュニケーションをとることが難しいようないかれた連中が大半なのに間違いはないけど」
ああ、そうか。そういや、傭兵稼業をしている魔人もいるんだった。だとしたら、ギルドと仲がいい魔人がいたって不思議じゃない。
説明が終わったところで、礼を言って別れる。
情報のおかげで、そこまで苦労することもなく、簡単にギルドは見つかった。酒場と併設されていて、見た目は酒場に役所の窓口がくっついているようでかなり妙だ。
「あのお」
勇気を出して窓口に向かって声をかけると、奥から髭を生やした、けれどまだ若そうな男が出てくる。というか、酒場のマスターだ。どうも酒場のマスターとギルドの受付と兼業しているらしい。
「何だあ、あんた」
眠そうな顔のその男に、
「いや、クエストを受けたいんですけど」
すると、酒場のマスターはじろじろと俺の爪先から頭の天辺までを見て、
「やめときな。死ぬのがオチだ」
そのアドバイスは正しいとは思う。今の俺は、ただの筋肉痛の若造だ。
「このレベルの町じゃあ、ロクに冒険者も来ないから、クエストのレベルも低い。とはいえ、兄ちゃんみたいなひょろっちいのが行ったって、何もならねえよ。それとも、何か、ひょっとして兄ちゃん、魔術師か?」
魔術師?
そう言えば、魔術もこの世界には存在してるんだったな。
「いや、そういうわけでは」
「だろ。じゃあ、やめときなよ」
そう言って酒場の方に戻ろうとするマスターに、
「いや、ちょっと、そこを何とか。一番簡単なクエストを受けさせてもらえないでしょうか?」
言っていることは完全にこの酒場のマスター兼ギルドの受付の方が正しい。が、正しいからといって引き下がるわけにもいかない。
「そう言われてもな、こっちとしてもみすみす人を死なせるようなことはできねえよ」
「頼みます。お金が必要なんです」
「いやあ、やっぱり……」
そこで、言葉を止めてマスターが俺の顔を凝視する。
「兄ちゃん……見ない顔だけど、ひょっとして」
「はい?」
「あの、勇者様の連れかい?」
またそれか。
「ええ」
「そうか、勇者様のために金を稼ごうってのか、よし、分かった!」
突然、マスターは眠そうだった顔を一変させ目を見開くと、引き出しから書類の束を取り出して猛烈な勢いでまくっていく。
「ええと、これでもない、これも、ううん」
「あの……?」
「これだ」
マスターが突き出してきたのは、コボルトの討伐依頼だ。最近、町の近くで荷馬車が襲われた事件があり、どうやらそれにコボルトが関係しているらしい。
報酬を見れば、三百ゴールド。二人が宿屋に十日間は泊まれる金額だ。
「コボルトは低級なモンスターだ。ちゃんと準備していけば、最悪でも死ぬことは無いだろう」
マスターはそう言って、
「いいか、兄ちゃん、危なくなったら逃げろよ、絶対にな」
真剣な目で見つめてくる。
「はい。でも、どうして急に……」
自殺行為だと言って紹介してくれなかったのに。
「いや、兄ちゃんを侮っていて悪かった。噂の勇者様の連れだとはな」
と、マスターは頭まで下げる。
「俺にゃ、兄ちゃんを侮ることなんてできねえよ。あの勇者様に付いていっているんだもんな」
「え?」
「俺だってよ、勇者様が正しいことも、危険な旅に出ていることも知ってる。あんな小さな女の子だけに任せて、俺達は何してるんだって情けなくなるぜ。けど、俺は、俺達は、兄ちゃんみたいに付いていけないんだ。家族や友達がいる、今の暮らしを捨てられない。そんな度胸もないんだよ。だから、兄ちゃんのことは尊敬するぜ」
俺は何と言っていいか分からず、黙ってしまう。
その尊敬は的外れだ。
捨てられない今の暮らしとやらが、俺には元々存在していないだけの話だ。
「じゃあ、頼んだぜ」
ぽん、とその依頼書を渡してくる。
達成条件のところに、ドロップアイテム「コボルトの尻尾」の受け渡し、と書いてある。
これ、どういう意味だ?
「ドロップアイテムって、何ですか?」
恥を忍んで質問すると、
「えっ、兄ちゃん、そこから知らないのかよ」
マスターは仰天してから、丁寧な説明を始める。
「モンスター、それから魔族もそうらしいけど、死んだらその死体は一定時間で消えるんだよ。けど、死んだ後に残るアイテムがある。それがドロップアイテムだな。もちろん、消える前に直接死体から取ることもできるぜ。コボルトの場合は、そのコボルトの尻尾ってアイテムがドロップアイテムなわけだ。要するに、ちゃんとコボルトを倒しましたよって証拠をギルドに渡したら依頼達成ってわけだ」
なるほどなるほど。
「分かりました。さくっとコボルトの尻尾とやらを持って帰ります」
自信はないが、虚勢を張る。
ここで自信なさげにして、やっぱり駄目だと依頼を取り下げられたらかなわない。
「おう、頑張ってこいよ。絶対に死ぬなよな、兄ちゃん」
マスターの言葉に頭を下げて応え、俺は受付を離れる。
『やる気に満ち溢れているな』
フォイルが声をかけてくる。
どうも買い被られているみたいだから、その買い被りに追いつくには気合を入れないといけない。
そう気付いただけだ。