エピローグ
「ちぇっ」
魔族の少女が地面を蹴る。
「どうした、ご機嫌斜めのようだが」
代行と呼ばれる少年が、相変わらず半裸で椅子に座っている。
あの暗い色のレンガに囲まれた部屋で、二人は向き合っている。
「モグラめ、せっかく忠告してあげたのに、無駄になっちゃったわぁ」
「倒されたか、なるほど」
白い肌と髪に指を這わせて、代行は笑う。
「勇者の旅は順調ということだ、何より何より」
『生きているのか』
奇跡的にな。
「うえっ」
口の中に入っていた泥を吐き出す。
全身、泥まみれだ。というか、泥に埋まっていたようなものだ。
既に魔鎧は解除されている。気を失っているうちに自然に解除されたらしい。
「ぬ、あっ」
立ち上がろうとして、ぬかるみに足をとられて転ぶ。というか、周囲全てがぬかるみで俺自身もぬかるんでいるとも言える状況だ。
それでも、全身のバランスをとりながら何とか立ち上がることに成功する。
「ああ、くそ、どこだここ」
見回すが、周囲は泥。一面泥。ただ、空があるし壁がないので、山からは流れ出たらしい。
「山の麓、村とは逆側です」
声がする。
そちらを向いても、泥しかない。というか周囲にあるのは泥だけだ。
いや、泥の中に、動く泥人間みたいなものがいる。
「びっくりした、新手のモンスターかと思った」
「似たようなものでしょう、あなたも」
不満そうにその泥人形が顔に当たる場所を拭うと、リルカの顔が現れる。
「何が起こったのですか、一体」
「さあ、さっぱりだ」
とりあえず誤魔化す。
「ああ、そうそう。リンが、あなたによろしくと」
リン?
「いつの話だ?」
「濁流が流れてくる直前です。例の葉を加えながら私の横を駆け抜けていきました。残っていたモンスターを片付けながら。剣の腕では、天と地ほどの開きがあるのは認めざるを得ませんね」
悔しげにリルカが言うが、そもそも人間の身で魔人の全力の一撃を防ぐ布を断ち切る剣士と剣の腕を比べてはいけない気がする。
「にしても、あいつもやっぱり準備してたのか、この葉」
俺は予備の葉を取り出す。
「私達と同じく、魔族の企みに気付いていたということですね」
リルカも取り出す。
この葉は、舟の葉と呼ばれる船乗りが携帯する葉だ。
これを呑むと、一時的に長く水に潜っていられるようになると同時に、全身が軽いマヒ状態になる。つまり、全身の力が抜けた状態になるわけだ。溺れそうな時には全身の力を抜いた方がいいという話は聞いたことがある。何でも、気絶していた方が溺れて助かる確率が高いとか。
ともかく、船乗り達はいざという時にこれを呑むらしい。
俺達は水が関係する可能性に気付いていたので、前もって道具屋でこれを買っておいたわけだ。
「だったら、あいつも生きてる可能性が高いな」
嬉しいような、残念なような。次に会ったら、あいつが妙なことをリルカの前で言わないように手を打たないと。あと殺されないように。
「あっ、そうだ」
道具袋の中を見てそれを見つける。
「どうしました?」
「すっかり忘れてた。これ、舟の葉買うついでに買っといたんだけど」
渡すのを忘れていて、こんなことになってしまった。
俺は道具袋の中から、よれよれになった泥だらけの花を取り出す。
ティアラという、小さくて地味ながらも白い綺麗な花だったのだが、今ではその見るかげもない。
「それ、花ですか?」
「そう。渡すの忘れてた」
「誰に?」
「リルカに。好きなんだろ、花」
「まあ、はい」
呆気にとられた顔をしていたリルカは、徐々に微笑む。
「ふふ、でも、それ、泥だらけですね」
「だな、今更、これを渡してもしょうがないどころか逆に失礼だ」
「いえ、記念です。もらいますよ」
「そう?」
結構嬉しそうに、リルカはその泥だらけの花を受け取る。
機嫌よさそうだ。泥だらけなのに。大抵の女の子が花が好きって本当なんだな。
『ほう、そんなものか』
妙なところで感心するフォイル。
「さて、ともかく村に向かいましょう」
「だな」
伸びをして、俺とリルカは同時に一歩踏み出そうとして、同時にこける。
あまりの醜態にしばらく二人でうんざりしながら仰向けに空を見ていて、それに気付く。
「あ、おい」
「ええ。ドワーフの村の次の目的地が決まりましたね」
「あいつも見てるのかな」
「見てますよ、きっと」
ずっと晴れていたというのに、空に虹がかかっている。




