一の二
「有り難いお人ですじゃ。あの方は、我が国の名門であるゴールドムーン家のご令嬢です」
村長は祈るように手を合わせる。
我が国、というのはユッカのことだ。
「当然、あんな可憐な方が騎士になる必要などなかったのですが、お父様が隣国の戦争で戦死し、お兄様が当主になったのを期に、自ら騎士に志願したのですよ。戦争に赴くためではなく、魔王を倒すために」
「魔王?」
そんなのもいるのか?
ますますファンタジーのテンプレートに沿ってる感じで分かり易いな。
『我には分からんな』
「魔族の王。居場所も何もかも不明ですが、確かに存在するとされております。魔王と倒せば魔族もモンスターも滅び、魔人もまた消え去ると、伝説にあります」
伝説って。そんな曖昧な。
ちょっとした呆れが顔に出てしまったのか、村長はふっと笑う。
「無論、それを信じて魔王を探索するようなことは誰もしません。が、あの方は、それを信じて、世界を周るおつもりなのですじゃ。そのために、わざわざ騎士になって、国王から直々に魔王討伐の命を受けたという形になされたのです」
なるほど、何の肩書きもない少女が魔王を探すって世界を周っても、誰も相手にしてくれないだろうもんな。
「正直な話、貴族の方々は誰も真剣には取り合ってくれてはないみたいですがねえ」
暗い声で村長の妻が言う。
「まあ、な。実際には、名門の娘が妙なことを言い出したから、体よく追い払ったということかもしれんが」
村長も声を落として、
「じゃが、それでもあの人は、わしらのような戦争や魔族、魔人の恐怖に飽いた人間にとっては、勇者なんですじゃ」
「なるほど」
なるほど、以上の声が出てこない。
おそらく、俺と同い年か、それよりも幼いあんな少女が、そんなことをしている。
正直なところ打ちのめされている。きっと、あの少女は死ぬことになっても、俺みたいに情けないことを思わないだろう。何の未練もないのが未練だなんて。
「しかし、お客人はこれからどうするおつもりですか?」
村長が話を変える。
「え」
そう聞かれると、困る。
明確な目的があるわけじゃあないし。いや、ただ、自分が何なのか、魔人が何なのかは知りたいけれど。どうして、この世界で蘇らされたのか、興味がある。
けれど、それを気にしてどうなるのか、という気もする。要するに、それは俺が元いた世界で、どうして人は生まれてきたのか、と気にするのと一緒だ。誰もが疑問に思うが、一生かかっても答えがない問題。あらゆる哲学の根本だ。
『あの少女に、リルカについていけ』
え? どうして?
突然のフォイルからの提案に驚く。
『魔王とやらを探すのなら、彼女の行く手には戦が待ち受けている。我は鎧。戦場にあってこと意味がある』
冗談じゃない。誰が戦うか。せっかく生き返ったっていうのに。
『だろうな。お前に自主的に動かれては、戦を避け続けるだろう。だから、あの少女に付いて行け』
だから嫌だって。
『あの少女は、死ぬぞ』
え?
意識が凍る。
あの幼い少女が、死ぬ? まるで現実感がない。悪ふざけにしか聞こえない。
『魔族や魔人がこの老人達の言う通りの一騎当千の化け物だとすれば、あの少女は死ぬ。見たところ、リルカはあの年代の少女としては確かに鍛えているらしい。だが、純粋な力量で言えば、一般的な熟練兵士程度だ。当然と言えば当然だが』
な、なんでそんなことが。
『分かる。我には分かる。立ち振る舞いを見ただけで、その者の技量くらいはな』
だとしても。
俺に何ができる? ただの学生の、俺に。
『我と共に戦え。あの少女の力になれる。約束しよう』
「う」
フォイルのあまりにも確信に満ちた言葉に、咄嗟に返せない。
もう、俺に反論の言葉は残されていない気がする。
それに、あの時、死を前にしたあの時、思ったんじゃなかったか。もう、何も成さず、未練すら持たずに死ぬのは嫌だと。
ここで引けば、また同じことだ。
「あの、ちょっとお聞きしたいんですが」
とりあえず、まずは一歩踏み出す。
全てはそれからだ。実際に戦うかどうかは、その後でいい。そのはずだ。
「はい?」
村長とその妻が、何事かと目を丸くする。
「あの勇者様が、どっちの方向へ行ったか、知ってますかね?」
ぜいぜいと息を切らし、ところどころ休憩しながら走ること二十分、持久走をしているかのような気分になりながらも、ついに俺の目が金色の髪が目立つ後姿を捉える。
あんな装備をしていながら、もうこんな距離を歩いているなんて、よっぽど体力があるらしい。
『お前が体力が無さ過ぎるだけだ』
やかましい。
「ゆ、勇者様っ」
息も絶え絶えで必死で呼びかけると、草原を歩いていたリルカは驚いた顔で振り返る。
「あなたは……」
「ええ、はっ、あ」
とりあえず足を止め、それ以上は喋ることができず身を屈めてしばらく息を整える。
戸惑いながらも、リルカはちゃんと足を止め、こちらの言葉を待っていてくれる。
「……あ、あの」
ようやく、言葉が出てくる。
「はい」
リルカは多少警戒している様子だ。
それも当たり前だけど。いきなりさっき会った奴が息を切らせて追いかけてきたら驚く。
「実は……」
ひとまず、自分が記憶喪失であるということを話す。どうしてあんな砂漠に倒れていたかも覚えていないことも。
まずは、警戒を解かなければ。
「それは、何と言っていいか……おつらいでしょう」
リルカは形のいい眉をひそめる。
「いえ、それで、勇者様の、その、ご事情も知らず、すみません」
知っていれば、それなりの対応をしていたが、リルカが一体何者なのか分かっていなかったので結局まともに対応できていなかった。
「いえ、そんな……それより、その、勇者様はやめてください」
ますます眉をひそめるリルカ。どうやら、謙遜ではなく本当にそう呼ばれるのが苦手なようだ。
「ええと、それじゃあ、何と?」
「名前でいいです。リルカと。それから、敬語も必要ありません。そちらの方が年上でしょう?」
「ええ、ああ、そう」
汗を拭いながら、凛としたリルカに気圧されながらも、
「じゃあ、改めて、お願いがあるんだ」
俺は切り出す。
「はい?」
きょとんとリルカは小首をかしげる。その仕草はとても幼く、騎士姿とまるで似合っていない。
「俺を、同行させてくれ」
頭を下げる。深く下げる。
さっき出会ったばかりの、行き倒れの記憶喪失だという男を同行させてくれるだろうか? 普通に考えたら、させてくれるわけがない。
が、そこを曲げて頼み込む。誠意を伝えるしかない。
しばらく、リルカはぽかんとしていたが、
「あの、この旅がどんなものかは……」
「さっき聞きました。危険なものだということも」
そこを承知で頼んでいるのだ。
「では……」
「それでも、お願いします」
頭をもう一段低くする。
「危険な旅です。騎士の使命として、民を守るために私が命をかけるのは当然のこと。けれど、あなたは違います。それに」
一度言い淀んでから、
「あなたが、戦力になるとは思えません」
う。
確かに、こうやって、未だに息を整えることすらできない状態では、反論できない。できないが。
「い、いや、これから鍛えるし、最初は、もう本当に荷物持ちくらいでいいから。頼むよ。リルカのために何かしたいんだ」
縋るように言って顔を見ると、リルカは目を少し泳がせてから顔をそむける。
どうも、こういう風に真正面から頼まれるのには弱いようだ。
「ええと、その……今、私がどこに向かっているかは分かりますか?」
「ああ、聞いてきた。魔王の伝承が伝わってる、カミサっていう町に行くんだろ?」
このユッカという国と、隣国のジーグという国の境。その辺りにカミサという町はあるらしい。
「ええ、とりあえず、そこまで同行してくれますか? それだって、モンスターが出るし、危険な旅です」
何故か耳たぶを赤く染めたまま、こちらを見ずにリルカが言う。
なるほど、試験期間ということか。
「ああ、恩に着るよ」
心底言う。
「では行きましょう。時間は有限ですから」
そうして、歩き出すリルカに俺は小走りで並ぶ。
もちろん、荷物を入れたリュックは俺が背負うことになった。というよりも、遠慮していたリルカから強引に奪った。
まずは荷物持ちくらいしないと。
しかし、まずリュックが重い。かなり重い。大きいし中身がぱんぱんに詰まっているから、重いだろうと予想はしていたが、それでも重い。
が、重いと感じていることを表に出すわけにもいかないので、多少足をふらつかせながらも平然とした顔で歩く。
「あ、そうだ」
しばらく歩いてから、リルカが我に返ったように足を止める。
「え?」
「お名前を、聞いていませんでした。あなたのお名前。あっ、記憶がないから、お名前も」
「いや、名前は覚えている」
慌てて答える。変な名前でも付けられたら嫌だし。
「俺の名前は」
『ゴドーだろう』
「ゴドーだ」
あっ。
フォイルめ、変なタイミングで。
「ゴドーさん、ですね」
ええい、もう仕方がない。それに、考えてみればこちらの方が都合がいいかもしれない。フォイルとリルカで別々の名前を教えたら混乱しそうだ。
「ゴドーでいいよ。勇者様にさん付けされるのはいくらなんでもおかしい。俺が呼び捨てなのに」
「じゃ、じゃあ、ゴドー。これから、よろしく」
ぷいと俺から顔を逸らして、リルカは再び歩き始める。
おい、うまくいったぞ。予想外に。
『そのようだな』
これで、とりあえずはいいとして。なあ、フォイル。
『む?』
モンスターに襲われたりした時、どうやってお前と一緒に戦えばいいんだ?
『さて……』
おい、嘘だろ。
俺の顔から血の気が引く。
『思い出せぬ』
最悪だ。
一日ではカミサに着かなかった。
夜、手早くキャンプを張るリルカをちょっとだけ手伝う。
「さすが、手馴れたもんだな」
感心すると、
「必要だから自然と身についただけです。百日前、旅に出る前は何も知りませんでした」
旅に出たのは、百日前なのか。結構最近だな。
「それより」
キャンプを張り終えたリルカがちょっと怖い目でこちらを見てくる。
「な、何?」
「これから私は、狩りに出かけます。ここの辺りには、野兎が出るはずなので」
「あ、じゃあ、俺も」
「失礼ながら、足手まといです」
ぴしゃりと言われる。もちろん、反論する余地はない。
「あなたには、訓練をしてもらいます」
「訓練?」
「そうです。ほら」
と、拾い集めていた薪の一本、それも一番太く長いものを渡される。
「帰ってくるまで、それでひたすら素振りをしてください」
にこりと笑いかけられる。
マジかよ。
『必要だな』
フォイルが追い討ちのように呟く。
仕方なく、俺は言う通り、薪を受け取る。
ずしりとした手ごたえ。結構重い。
「じゃあ、素振りしとくよ」
「ええ」
というわけで、森に出かけるリルカを見送りつつ、俺は薪を最上段に振りかざす。
「よっ」
振り下ろす。
その一回だけで、結構な負担が腕と背中にくる。
また振り上げて、振り下ろす。
それを繰り返す。
すぐに腕と背中の筋肉が震えだす。
『情けないことだ』
うるさいよ。
無視して、必死でただ薪を振るう。
ふと不安になる。
本当に、こうやっていることに意味はあるのか。この道の先に、俺は何か成すことができるのか? それとも、そんなことはできないのか。
考えるな。ただ、今は薪を振れ。
自分に言い聞かせて、必死で薪を振るい続ける。
『心配するな。我がいる限り、お前は必ず何かを成し遂げる』
そうか。
リルカを守って、おまけに自分が何者なのか、魔人って何なのかまで知れる。そんな道が続いているといいな。
そう思いながら、後は無心で、二の腕が震えるのも指が痺れるのも無視してひたすらに薪を振り続ける。
やがて帰ってきたリルカは一匹の野兎を片手に持っていた。
薪を放り出して、食事の用意をしようとした俺だが、リュックから鍋を取り出そうとしたところで、腕が上がらないのに気がつく。
呆れた顔でリルカは、
「ゴドー、その、頑張りましたね……」
その後、リルカが採ってきた野兎で作った汁を、俺は両腕が上がらずに四苦八苦しながら何とか口に運ぼうとする。
それを見てリルカは、もはや可哀想なものを見る目で見ている。
「リルカ、何も言わないでくれ」
情けなさに耐えながら、俺は木製のスプーンの載った兎肉を何とか口に運ぶ。
『だらしがないな』
フォイルの情け容赦ない一言に、俺は黙って肉を咀嚼する。
そうして、明日はおそらく地獄のような筋肉痛の状態でリュックを背負わなければいけないことを思い出してうんざりする。
夜。
薄い布に包まるようにして、俺とリルカは焚き火の傍で眠りにつく。もちろん、一人一人ばらばらにだ。布が予備を含めて二人分あって助かった。
「ふう」
以前の俺なら、こんな野外で薪を枕にしてなんて眠れそうもないが、今日はとてつもなく疲れた。すぐに眠れそうだ。
「なあ」
眠りの直前、フォイルに小声で語りかける。リルカも寝ているから大丈夫だろう。
『何だ?』
「お前、魔鎧が何かも、魔人が何かも記憶が無いんだよな」
『うむ。霧の向こうだ』
「じゃあ、どうして死んだはずの俺がこっちの世界で魔人になってるかも、知らないんだよな?」
『それは、あの時説明したように魂が固定され、この世界に召喚されたからだ』
意外にもあっさりとフォイルが答えるので、俺は驚く。
「誰が、何のために?」
掘り下げようとしたが、
『さあな』
結局、何も分からないわけだ。期待して損した。
「けど、リルカに付いて行けば、ひょっとして、他の魔人に会えるかもしれない。そうすれば、俺の知りたかったそれにも、答えが見つかるかも」
フォイルの返事はない。
もとより、それを待つつもりもなく、俺は眠りに落ちる。
最後に、布を体に巻きつけて、騎士の備えだと言って鎧姿のまま眠りについたリルカの、そのあどけない表情を見る。
間違っている気がする。
こんな少女が、鎧姿のままで野外で眠るなんて。
この道の先に、その間違いが正される結末が用意されていればいいけれど。