二の三
そもそも場所を知らないだろう、と思ったが、夜の盛り場ということでさすがに外から見ても酒場だと分かるようになっている。
入り口は広いし、篝火が燃やされている。
俺達が追いつく寸前で、リルカはそこに飛び込んでいく。
どうする気だ?
それほど広くない酒場の中には、筋骨隆々としたドワーフの男達がぎゅうぎゅうに詰まっている。
金属製のジョッキで酒を飲み交わし、大声で話しながらげらげらと笑い合っている男は、突如として飛び込んできた乱入者に視線を集中させる。そりゃそうだが。
「皆さん、私はリルカ・ゴールドムーンです」
入った途端、騒然としている酒場内でもはっきりと聞こえるような、力強く澄んだ声でリルカは名乗る。
「おお、あの勇者様か」
「凄い、見たら本当に別嬪さんだな」
「いやあ、何しに来たんだ、こんなとこまで」
一瞬だけ静まり返るが、すぐに陽気なドワーフ達は笑いながら口々に話しかけてくる。
「何だ、その後ろの兄ちゃんと姉ちゃんは」
「兄ちゃんの方は荷物もちだろ」
鋭い。
「皆さん、鉱山の現状を聞きました。私が、モンスターを倒します」
「やめとけって」
「そうそう、俺もこのザマだぜ。ありゃあ、騎士団を一師団くらい投入しないと無理だ。魔族がいるんだから。勇者さまでもどうにもならないって」
酔っ払いの中で、全身がミイラのように包帯まみれなドワーフが手を挙げる。
あれが、討伐隊だったドワーフか。
しかし、この反応を見ても分かるが、どうもリルカが勇者として尊敬されているのと、その腕前が信用されているのは別なんだな。
確かに、年端のいかない少女が魔王を倒すと言ったところで、本気で信じるのと応援するのは別の話か。
「いいんですか、皆さん、村を捨てても」
尚も訴えかけるリルカだが、
「そりゃあ、嫌だけどさ、だからってそのために俺達の仲間やあんたが死ぬなんてもっと嫌だからなあ」
一人の酔っ払いが、そう言って笑う。
「そうそう、大変かもしれないが、別の場所に一から村を作って、山を掘るしかないな」
「仕方ない。飲んで笑って忘れようぜ」
そうしてドワーフ達の大合唱が始まる。
これは手ごわい。
「わっ、私は」
その雰囲気の中、突然、リルカが叫ぶ。
「私は、嫌ですっ、逃げるのは」
そうして、くるりと背を向けると、酒場を飛び出す。
「ああー、参ったな、からかったつもりはないんだけど」
「兄ちゃん、フォローしといてくれよ。俺達だって逃げたくて逃げるわけじゃないからよ」
苦笑しながら、酔っ払い達が言う。
「ただ、逃げずに戦って死ぬよりは、逃げて笑った方が勝ちなんじゃあないかって、そう思っただけだ。結局、飲んで食って歌えばいくらでも笑えるからなあ」
「世の中、あなた方みたいな人ばかりだったら、平和なんでしょうね」
皮肉でも何でもなく、心底思って言う。
「はっはっは、そうだろ?」
よっぱらい達は嬉しそうに笑う。
「ゴ、ゴドー」
リルカが出て行った先の出口と俺の顔を不安げに見比べていたココアが、俺の袖を掴む。
「帰るか。多分、リルカも宿屋に戻っている」
落ち着かせるように、なるべく何でもない風な口調を装う。が、内心はこっちも不安だ。
あの様子じゃ、逆に追い詰められて今すぐに山に突っ込んだりしそうで怖いな。
一応、頭だけ下げて俺達も酒場を出ると、ともかく宿屋への道を急ぐ。
「おや、お帰りなさい」
出入り口で主人と出会う。
「あ、どうも。あの、リルカ、戻りました?」
「ええ、ついさっき。あちらのお部屋に案内しましたが」
それを聞いた途端、ココアがその部屋に向かってダッシュする。
慌てて俺も追う。
「あの、勇者様っ」
ドアを叩くようにノックして、ココアが部屋に向かって呼びかける。
「ああ、ココアですか」
意外に落ち着いた声がすぐに返ってくる。
「あ、う、だ、大丈夫、なんですか?」
そのあまりの平静さに、逆にココアの方が戸惑っている。
「ええ、すいません。ムキになって。もう大丈夫です。ただ」
声に照れた笑いが混じる。
「少し、恥ずかしいので、今日はもう寝ます」
「あ、ああ、はい、分かりました。ふひひ」
ココアも笑って、安心したのか大きく息を吐いてからドアから離れる。自分の部屋をとるためだろう、主人の方に向かうココアの顔は安堵しきっている。
入れ替わるようにして、俺もドアの前に立つ。
「ゴドーですか?」
こちらから声をかける前に、どうやら気配か何かで気付いたらしい。
「ああ」
「大丈夫ですよ、私は」
「安心したよ。これから、どうするんだ?」
「どうするとは?」
リルカの声は平静そのものだ。
「鉱山だよ。明日にでも、突撃するとか?」
無謀だからそんなわけないよな、というニュアンスを込めて問いかけてみる。
「誰からも望まれていないのに、勝手に命をかけるなんて愚か者のすることです。私が命をかけるのは人の助けになるため、魔王を倒すためです」
極めて冷静な答えが返ってきて、俺は胸を撫で下ろす。
「ただ」
と、リルカの声がほんの少しだけ固くなる。
「本当は、愚か者になりたかったんです」
「どうして?」
驚く。
愚か者になりたいなんて、彼女の口から出てくるとは思ってもいなかった。リルカと愚か者の間には、何千光年もの隔たりがある気がする。
「負けて死ぬのが分かっているのに逃げないのは、愚か者です。私は愚か者ではないし、父もまた、私が愚かであることを望みませんでした。だから、私は助かりました。けれど」
見捨てて逃げて、父は死んだ。
不自然なほど平静な声で、リルカはそう続ける。
「魔人アッティラを、いえ魔人全てを滅ぼすために、私は魔王を倒すことを決意しました。でも本当は、私が倒したいのは、あの時の自分なのかもしれません」
「倒さないでくれよ」
思わず、俺は口に出している。
逃げ出した自分を倒したいという言葉に耐え切れない。
「どうしてですか?」
不思議そうな声。
「その時、逃げてくれたから、今、リルカが生きているんだろ」
「……ええ」
「だったら、消さないでくれ。俺は、それに多分ココアや他の大勢の人も、その時のリルカに感謝してる。その時死んでいたら、こうして出会うこともなかったんだ」
気が付けば、結構恥ずかしいセリフが口から流れ出ている。
その恥ずかしい心情吐露に対して、リルカからの返答はない。
沈黙の中、どんどん恥ずかしさが増していく。顔が真っ赤に熱くなっていくのが分かる。
「お、おやすみ」
それだけ言って、俺は逃げるようにドアを離れる。
「ゴドー」
その去り際、声が聞こえる。
「ん?」
振り返る。
「ありがとう」
「ああ」
何に対する礼なのか分からず、俺はまだ赤い顔のまま曖昧な返事しか返せない。




