一の一
天井。
照明器具のない、ただの木製の天井だ。
「う」
飛び起きる。ベッドに寝ている。
「ぐ、うえええ」
全身に痛み。プラス不快感。
それに耐えながら、見回す。
朝日が窓から入ってきていて、部屋の中は明るい。
ログハウスのような、素朴な造り。狭い。分かるのはそれくらいだ。
「うぅ、くそっ」
痛みと不快感に耐えながら、ベッドから落ちるようにして降りて、足をもつれさせながら部屋を出る。
出れば、すぐに地面。草が生い茂り、小川が流れている。
顔。顔だ。
一番最初に何よりもまずそれが気になり、よろよろと、四つん這いで小川を覗き込む。
そこに映っているのは、青空をバックにした、俺の顔だ。俺のよく知っている、俺の顔。多少ぼろぼろだが学生服もそのままだ。
俺は、俺か。
ここは?
ようやく全身の痛みと不快感がマシになってきて、余裕が出てくる。
あたりを見渡す。
木造の素朴な小屋が立ち並ぶ、町ではなく、村ですらなく、小さな集落というのが正しい表現な気がする、とにかくそういう風景が広がっていた。
不快感。日の光。頬に触れる風。
全てを感じる。非現実感が払拭されていく。
ひょっとして、これは、夢じゃあ、ないのか?
ごくり、と唾を呑み込む。
ここは、本当に、俺が今までいたあの世界じゃないのか?
じゃあ、さっきのあれも、夢だったんじゃないのか?
『夢ではない』
頭の中で声がして、びくりと震える。
超驚いた。
いたのか。あの声、あの髑髏の鎧の声だ。
『契約した限りは、死ぬまで一緒だ』
美少女なら言われて嬉しいけど、あの禍々しい鎧に言われてるわけだからなあ。
とどうでもいいことを考えてしまう。ともかく、混乱しすぎていて考えることがうまくまとまらない。ともかく、落ち着かないと。
「気がついたのですね?」
と、鈴が振られたような声がする。
「え?」
振り返った俺の目に、少女が映る。
鋼鉄の鎧と盾を持ち、剣を腰に差した騎士然とした少女だ。巨大な革製らしきリュックまで背負っている。
俺は固まる。
少女と、その格好のあまりのミスマッチに。
まだ幼さの残る顔と子どものような背丈、腰まで伸びた流れるような金色の髪と、青い目、陶器のような白い肌。
フランス人形がそのまま動き出したような可憐な少女が、重厚な盾と鎧、そして背丈からすれば過剰に巨大な剣までも装備している。
「む、これはすみません。いきなりこんな物騒な格好をした者に話しかけられては驚きますね」
自分の思慮の浅さを恥じるように顔を赤らめて、少女はごほんと咳払いをする。
「怪しいものではありません。私の名はリルカ。リルカ・ゴールドムーン。正式な騎士です」
ほら、と懐から何やら書かれている紙を取り出す。
だが、日本語でも英語でもないその文章を読むことなんて。
「あれ?」
できる。あれ? 読めるぞ。
『この世界に合わせて魂を調整されている。そもそも、言葉が通じているだろうが』
そりゃそうだ。
確かに、会話していること自体、すでに異常事態なわけだ。文字が読めてもおかしくはないか。
その紙は、確かにユッカという国から彼女を騎士と認める証書のようだ。
が、そもそもユッカという国自体知らないしなあ。
「あなたは近くの砂漠で倒れていたので、私が最寄のこの村まで運ばせてもらいました。あのままでは、モンスターの餌食になると思ったので」
モンスター。
そんなものがいるのか。
『この世界にはモンスターも、魔術も、それから魔族も存在する、はずだ。詳しい話はそこの少女から聞くのがいいだろう』
他力本願だな。
「しかし、どうして砂漠に?」
「いやあ、その迷ってしまって……ともかく、助かりました」
誤魔化しながら頭を下げる。
本当のことをうまく説明できる自信がない。
「いえ、騎士として当然のことです。礼ならば、快く宿を貸してくださったこの村の人々に」
「勇者様、ここにいらっしゃいましたか」
ばたばたと音がして、振り向くと家々の方から人の良さそうな老人と老婆が急ぎ足で歩いてきている。
「おお、これはこれは、お客人も起きられましたか」
「どうも」
俺は老人に頭を下げる。多分、宿を提供してくれた人だろう。
「いえいえ、このご時勢ですから、困った時はお互い様です。それに、勇者様の頼みとあっては断るわけもありません」
「村長。勇者と呼ぶのはやめていただきたいと言ったでしょう。私はただの騎士です」
恥ずかしげに、ぽりぽりとリルカは頬をかく。
「ああ、これは失礼しました。しかし、我らからすれば、やはり勇者様なのです。ささ、昼食のご用意ができました」
「いえ、しかし、もう私はこの村を出発しようかと……」
「ならばなお、お願いいたします。大したご馳走もできませんが、是非食べていってください。ああ、お客人も是非」
にこにこと笑う老人と老婆に気圧されるようにして、
「では」
とリルカが頷く。
俺も昼食をご馳走になる流れだな、こりゃ。
どうしていいか分からないし、とりあえず俺はその流れに乗ることにする。
村長の家で、村長だという老人とその妻の老婆、そしてリルカと俺で昼食ということになった。村長の家と言っても、俺が寝かされていた家と大して変わらない質素なものだ。
芋らしきものを煮たものと、黒パンが昼食だ。
結構シンプルでうまい。
俺はぱかぱかと食べる。ここで食事に文句を言うほど空気が読めないわけでもない。
「ご馳走になりました」
俺の半分くらいでリルカは手を止める。
やめろよ、ついでの俺がわきまえずに超食べてるみたいになるだろ。
『実際にそうだろうが』
「勇者様、もっと食べてくだされ」
「いえ、これ以上は。後は村の皆様で食べてください」
しかし、どうしてこの騎士少女は勇者なんて呼ばれているんだろうか?
『さあな』
お前にも分からないのか? 事情通っぽいのに。
『言っておくが、我はほとんど何も知らない。どうも、以前は大破していたらしく、その影響か記憶が曖昧なのだ』
えっ?
『ゆえに、お前が今の自分の状況や我についての説明を我に求めても、ほとんど何も答えられん』
何だよそれ。
とてつもなく、不安になる新事実だ。
『だからこそ、詳しいことは人に訊けと忠告したのだ』
それにしたってよ。大体、契約する時は色々と教えてくれたじゃんか。
『我自身にも説明しづらいが、あれは一種の本能に近いのだ。契約に関することについては、知識というよりも直感的に進んでいく』
「それでは」
俺とフォイルが脳内で言い争っているうちに、リルカは立ち上がるとなおも引き止めようとする村長とその妻に挨拶をして、家から出て行く。
その去っていく後姿すら、美しく、凛々しく、どこか尊い。
リルカの姿が完全に消えるまで、村長と妻はじっと見送っている。
やがてその姿が完全に消えてから、俺は我に返って途方に暮れる。
で、これから、俺はどうすればいいんだ?
『そこの老人達に知りたいことを訊くのがいいだろう』
どう訊くんだよ? この世界での常識的なことばかり訊いたら怪しいだろうが。
『記憶喪失ということにでもするがよい。あながち嘘とも言えなかろう』
確かに。鎧のくせに処世術に長けてるな。
「あの……」
俺は意を決して、口を開く
「おお、どうしたのかな、お客人」
リルカの消えた先を気にしていた村長が俺を向く。
「それはお気の毒な……」
何も覚えていない、というと村長もその妻も酷く気の毒がってくれた。騙したみたいで気が引けるが、いたしかたない。
さて、そうやって二人から聞きだした話を総合すると、話はいたってシンプルだった。
この世界では、多種多様な人間、モンスターと呼ばれる人に対して敵意を持つ生物、そして知能を持ったモンスターとでも言うべき魔族が存在する。魔族は人型が多いとか。
このうち、もっとも恐るべきは魔族で、人間の兵士に対して一騎当千、身体能力も魔術も人間の比ではないらしい。
で、その魔族と人間の間で、これまで何百年もの間、戦争が続いているということだ。魔族が単独行動主義者が多いことと個体数の少なさもあって、これまでは何とか人間と魔族は互角を維持しているとか。
「人間が一丸となって戦えばいいものを、人間の国同士の戦争もこれまで何度も起こっております。嘆かわしい」
村長は嘆息するが、俺からしてみれば当たり前だ。少なくとも元の世界での人間の歴史は戦争の歴史だ。
『ほう、そうなのか。興味深い』
何が?
『戦争の歴史がだ。我は鎧。戦争のための存在。興味があるのは当然だろう』
ここまではシンプルな話だ。
だが、問題はここからだった。
「魔族でも人間でもない、魔人という連中がいることで、この世の混乱は一層酷くなっております」
「魔人?」
「ええ、特に魔族の味方というわけでもないらしいですが、人間の味方というわけでもない。わけが分からぬ、恐ろしい存在ですぞ」
「ええ、本当に」
村長の話を受けて、その妻が体を震わせる。
「ある者は魔族に協力し、ある者は魔族も人間も手当たり次第に殺し、ある者は傭兵として国に雇われているとも聞きます。村を潰すこともあれば、町を守ることもある。そんな存在ですじゃ」
何だそりゃ、本当にわけが分からん。
「唯一つ共通するのは、誰もが魔鎧という鎧を身に纏い、不老不死であり、魔族に匹敵する力を持っているということです」
「えっ」
思わず声が出る。
何事かと村長と妻が目を見張るので、とりあえず愛想笑い。
おい、それって、ひょっとして。
『ふむ、どうやら我らも、その魔人とやらのようだ』
ようだって、自分のことなのに分からないのか?
『どうして我が存在しているのか、魔鎧とは果たして何なのか、一切分からぬ』
酷い鎧だ。
「しかし、ということは、魔人っていうのは、さぞや嫌われていたりするんでしょうかねえ?」
恐る恐る確認を取る。頼む否定してくれ。
だが現実は無情で、村長から返ってきた言葉は、
「無論。傭兵として雇っている側の国の人々からすら、畏怖と嫌悪の象徴だと聞きますぞ」
決めた。俺は絶対自分が魔人らしいとばらさないぞ。
『賢明だ』
ともかく、自分が何なのかは分かった。俺はどうやら魔人らしい。次の問題は、その魔人が何なのかがいまいちよく分かっていないということだが。
「それで、あの、勇者様というのは、一体……?」
とりあえず、分からないことを延々と考えていても仕方がない。
次の話題に移ることにする。まだまだ、俺は分からないことだらけなんだから。