一の十六
夢を見ていたような気分だ。
けれど、夢じゃあない。さっきまで、俺であって俺じゃなかった。
『動けるか』
ああ。
喋る気力もなく、フォイルの声に脳内で応える。
『うつぶせのままだと呼吸しにくい。まずは仰向けになれ』
「ふっ」
全力で体を捻り、何とかその場で仰向けになる。作り物のような青い空が視界に広がる。
まずは深呼吸。それを繰り返す。何度も、何度も。
『勝てたな』
「ふっ」
思わず笑って、
「お前が、勝ったんだろ。俺は何もしてない」
かすれた声でそう言う。
『いや、正直なところ、相手があれほどとは予想していなかった。お前が奴を至近距離まで引き付けてくれなければ、我が魔鎧解除までに奴を倒すことは難しかっただろう』
「そっか」
お世辞でも、そう言ってもらえると救われる。
「……なあ、結局、あれは何だったんだ? お前に俺を捧げた瞬間、俺はまるで夢を見ているようだった」
『我がお前の体の主導権を借り受けたのだ。我が持っている戦闘技術を、ダイレクトに使用することができる』
確かに、信じられない動きをしていた。まるで俺の体だとは信じられない。
「あれ、他の魔人もできるのか?」
『おそらく不可能だろう。自我ある鎧でなければあんな真似はできないはずだ。記憶がないため自分のことながら不確かな話ではあるが、直感としては我以外には不可能に感じる』
なるほど。相当だな、フォイルは。俺は、凄い鎧の契約者として選ばれたらしい。というか。
「もう、全部お前がやっちゃえばいいんじゃないか、戦闘」
『駄目だ』
名案に思えたその思いつきは、しかしフォイルにきっぱりと断られる。
『それでは限界がある。我とお前で、一心同体で成長し、戦っていかねば奴には決して叶わん』
「奴?」
誰だ?
『む? 奴とは、誰のことだ?』
自分で言ったことなのに、フォイルは訝しがる。
「まあ、とりあえず、生き残った。それでよしとするか」
『うむ』
「ああ、大分疲れた。ポーションの残りもないし、ちょっとだけここで眠っていいか?」
『構わんが、今日のうちにリルカは出発するのだろう?』
「ああ、そうだ、リルカが……」
そこで跳ね起きる。
しまった。カスターを倒したことで緊張の糸が切れて、すっかり忘れていた。
「りっ、リルカだ、あっち、うまくいったのか?」
『我が知るわけなかろう』
くそっ。
ふらつきながらも立ち上がる。ここで寝ているわけにはいかない。
『もう少し休息することを推奨するが。肉体が限界に近い』
「そんなことを言ってられるか」
カスターの前では余裕を見せたけど、本音を言えば心配でたまらなかった。さっさとリルカの無事を確認しなければ。
「エルジェーベトは始末した」
「うっ」
だが、後ろからの突然の声に俺は動きを止める。
恐る恐る振り返れば、そこにはシャツとロングスカートという格好の、地味な、だが酷く鋭く美しい印象を持たせる女性が立っている。
さっきまで、誰もいなかったはずだ。そして誰かが近づいてくるのも見えなかった。音すら聞こえなかったし、気配もなかった。
それなのに、そこにそいつはいた。
「う、上杉、謙信」
「エルジェーベトを倒した場合は、褒賞としてもう一つ、宝石が貰えるのだったな」
平然とした顔で上杉謙信は契約の話を始める。
「あ、ああ。そこらに転がってるから、持って行ってくれ。なあ、それよりも、エルジェーベトを倒したってことは」
「もちろん、本来の依頼の方も完了している。護衛対象の少女は無事だ」
途端、安心のあまり俺はその場にひっくり返っていた。
「……ありがとう」
ようやく口にできたのはそれだけ。
「依頼された仕事だ。礼は不要」
細い目で俺を見下ろし、上杉謙信は言う。
「それでも、ありがとう」
「ふむ」
軽く頷いて俺の礼を受けると、上杉謙信は俺から視線を外して辺りを眺めている。おそらく宝石を捜しているのだろう。
上杉謙信の横顔は鋭く美しい。若い女性だ。
そこで、気にはなっていたが、依頼した時にはとても余裕がなくて聞けなかった質問をしてみる気になる。
「なあ」
顔だけ向けて問いかける。
「何だ」
俺の呼びかけに応えながら上杉謙信の姿が一瞬ぶれたかと思ったら、次の瞬間、その手には金剛石が握られている。
凄まじいスピードだ。
「上杉謙信、なんだよな」
「うむ。毘沙門天の化身なり」
当然のように返してくる。
上杉謙信。戦国最強との呼び声も高い、稀代の戦国大名。毘沙門天の生まれ変わりを自称した軍神。戦に次ぐ戦のほとんどに勝ち続けた越後の虎。
日本の戦国時代を代表する強者。その上杉謙信が、ここにいる。教科書の中で出てくるあの名前の英雄が、ここに。
最初に名前を知った時も、交渉のために会った時も信じられなかったし、今も信じられない。これが、あの上杉謙信?
「俺は、あんたから大分遅い時代に産まれた。あんたのことは知識として知ってる。女性説があるっていうのも。けど、それにしても、あんたが死んだのはかなり年配になってからだったはずだけど」
「その通りだが?」
何がおかしいのか、と上杉謙信は片目を閉じて訝しげな表情を作る。
「けど、あんた、どうみても若い。二十代ってとこだろ?」
「知らないのか。魔人として生まれ変わったものは、自らの全盛期の姿で生まれ、そしてそこから歳をとらない。不老不死だ」
そうなのか?
『そうらしいな』
フォイルは頼りにならない。
「ふむ、お前は見たところ、まだ若い。若すぎる。とても全盛期といった年齢ではない。だが、その年齢が全盛期なのだとしたら、若くして死んだな」
一方の上杉謙信はそう言って、こちらの内心を抉り出し見通すような鋭い眼光を向けてくる。
図星だが、ここで情報をあまり明かすのは危険だろう。上杉謙信は、後々に敵になる可能性だってある。向こう側に雇われたらおしまいだ。
ということで、黙って見つめ帰す。
『賢明だ』
しかし、もしも上杉謙信と敵対するかも、と考えただけで気が滅入る。勝てる気がしない。
「それでは、さらば」
上杉謙信が背を向ける。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
ようやく会えた、まともにコミュニケーションとれる魔人なんだ。
「俺達魔人や魔鎧について、何か知らないか? あと、魔王についてとか」
「悪いが、何も。興味もない」
背を向けたまま、上杉謙信は語る。
「気がつけば私の魔鎧、シロガネと共に私はあった。彷徨ううちに自分が魔人と呼ばれる存在であることが分かり、魔族、そして時々は人が私と接触を持とうとしてきている。それだけだ」
「それだけって……」
俺は一瞬絶句してから、
「自分が何でこの世界にいるのか、自分が身に着けている魔鎧ってのが何なのかとか、気にならないのか?」
「私は軍神。ただ、正しい戦ができればそれでいい」
そうして、上杉謙信は去っていく。
もう止める気力もないし、止める必要もないだろう。
俺は、地面に寝転がったまま、深呼吸をする。
『あれが魔人というものだ。仕方あるまい』
「ああ……リルカとココアに会いたいな」
最初に出てきたのは、そんな言葉だった。
『会えばよかろう』
「どんな顔をして会えばいいと思う? 俺、多分印象最悪なんだけど」
『全くもって肝の小さい』
ため息が聞こえてくるようだ。
ほっとけ。
まあ、ともかく。
「どっと疲れた。寝ていいか?」
もう限界だ。
『仕方あるまい。モンスターが襲ってきたら、起こしてやる』
それはありがたい。
目を閉じて、朝の日差しを全身に浴びながら思う存分に体を伸ばす。
少しだけ寝よう。寝て起きて、元気を取り戻したら、勇気を振り絞ってリルカとココアの前に戻るとするか。
「あーあぁ、困ったわねぇ」
魔族の少女が頭を抱えて嘆く。そうして、ちらちらと横目で椅子に座った少年を見る。
暗黒色の石作りの部屋。相変わらず半裸の少年の前に現れてからずっと、魔族の少女はそんな態度だった。
「僕に、何かあったのか、と訊いて欲しいのか」
さすがに限界だったのか、うんざりとしたのを隠そうともせず少年は言葉を投げる。
「いやぁ、実はさぁ」
「ああ」
「そのぉ……例の魔人二人が、結局フォイルと獲物の女の子を襲ってぇ」
「予想通りじゃないか。何も驚くことはない」
無表情に少年は切って捨てる。
「返り討ちに遭って、二人ともお陀仏になっちゃったの」
「ほう」
かすかに少年は白い眉を上げる。
「二人とも? 片方ではなくて」
「ええ、二人とも」
「どうやって?」
興味を覚えたのか、少年が追求する。
「それが、どうもぉ、上杉謙信がエルジェーベトを倒したらしくて」
「なるほど。確かに、彼女が相手ではエルジェーベトでは勝てないか」
少年は細い指で自分の頬を撫でる。
「しかし、エルジェーベトも上杉謙信を敵に回すことは避けるだろうに、何があった? ふむ、策を使われたか」
軽く首を振って、
「まあいい。それで、魔鎧は?」
「ついさっき戻ってきたわぁ。修復までカーミラの方が三百年、エンジェル・アイの方が百年ってとこねぇ」
「そうか……二人とも、貴重な戦力ではあったんだが、残念だ」
まるで感情の篭っていない棒読みで少年は言う。
「魔族も魔人も個人行動主義者だから、誰も協力してくれないものねぇ」
一方の魔族の少女は、本当に二人を失ったことを落胆しているようで、
「ああ、また使える人材をスカウトしきゃいけないわぁ。面倒臭いわねぇ」
心底嫌そうにため息をつく。
「減ったものは仕方なし。世は全てこともなし、だ。魔王様の予言も新しいものはない。とりあえずは、警戒しておくということでいいだろう」
「魔人フォイル、要チェックってわけねぇ」
だが、そこで少年は首を振り、
「いや、どちらかと言えば、ええと、ほら」
思い出せないのか、少年は自分のこめかみをとんとんと叩いてから、
「ああ、そうだ、リルカ」
「リルカ?」
きょとんと魔族の少女は首を傾げる。
「勇者だ。エルジェーベトの獲物だった少女。フォイルと行動を共にしている、ほら」
「ああ、はいはい」
ぱんと手を叩いて、
「いたいた。ちょっと前から噂になってたわねぇ。勇者様ね、勇者様。けど、普通の人間でしょ?」
どうして警戒する必要がある、とばかりに魔族の少女は言う。
「エルジェーベトの手を逃れ、魔人フォイルと一緒に旅をする勇者。警戒する価値はある。そうは思わないか?」
「ふうん、わかった」
あまりピンと来ないのか、魔族の少女は眉を寄せながらも、とりあえずといった感じで了承する。
「じゃあ、ちょっと勇者ご一行の動きを見張ることにするわぁ。どうせ、フォイルのことは見張るつもりだったしねぇ」
フォイルを見張るということは、一緒に同行している勇者を見張ることにも繋がる。結局やることにあまり違いは無い。
「頼む」
「ところでぇ、代行?」
ふっと魔族の少女が声の調子を変える。これまでの沈んだものから、華やかなものに。
「何だ?」
様子が変わったことを訝しんで、少年は眉を寄せて身を引く。
「ずっとそこで椅子に座ってるだけで、暇じゃあないの?」
「暇だ」
断言する。
「じゃあ、どう? 一緒に食事でもぉ」
からからと笑いながら少女が誘うが、
「魔人に食事は不要だ」
少年は表情をなくしてそう応える。
「必要不要じゃなくて、親睦を深めましょうよぉ」
「ふむ」
と、少年はそこで顎に手を当てて少し考えて、
「偶にはいいか」
「えっ、うそっ」
誘った魔族の少女の方が驚く。
「驚くこともあるまい。僕も、息抜きをしたい時くらいある」
そうして、少年が腰に布を巻いただけの格好で立ち上がる。
「それで、どこで食事を?」
「えっ、えっとお」
魔族の少女は戸惑いながらも、
「その前に、代行、服を着てぇ。その格好じゃあ、洒落た店にも連れて行けないわぁ」
腰布一枚の姿で外に出るのはさすがに目立ちすぎると判断したらしい。
「服か」
少年は珍しく悩んだ素振りを見せて、
「すまないが、まずは僕の服を買ってきてくれないか?」




