一の十四
まずい流れだ。
『手はあるか?』
フォイルまでもが心配している。
「やってみる」
呟いて、俺はカスターを睨みつける。どうにか、全力で動けるレベルには回復している。
問題は、更に離れた俺とカスターの距離だ。離れれば離れるほど向こうが有利。そう、状況はカスターに有利に傾いている。もう一つの条件もだ。
『撃ってこないな。まさか、気付いたか?』
フォイルの危惧は俺も同様だ。
カスターが撃ってきたら、今度こそそれを避けて突っ込もうと思うが、カスターは砲口を俺に向けるだけで撃ってこない。
これが時間稼ぎだとしたらまずい。
俺の魔鎧装着可能時間が少ないことを見切られているのかもしれない。実際、決着を急ぐこれまでの俺の戦闘スタイルから、推測は可能だろう。
「仕方ないな、こっちから行く」
俺は自分に言って聞かせ、踏ん切りを付ける。
『よかろう、行け』
踏み込む。
次の瞬間、轟音。やはり俺が動いた瞬間を狙っていたか。だが、砲弾は外れる。俺が真っ直ぐカスターに向かっていないからだ。斜め前に跳んだ俺をかするように、砲弾が飛んでくる。
「ふっ」
次の一歩、全身の力で地面を踏みしめ、今度は逆斜め前に跳ぶ。
またもや轟音と共に発射された砲弾は俺に当たらない。
いけるか。
俺は、ジグザグに走ってカスターに近づく。いや、近づこうとする。
『おのれ』
忌々しげなフォイルの声が俺の気持ちを代弁する。
砲弾を喰わないように、ランダムにジグザグに走りながら近づこうとする俺と、ただ真っ直ぐ後ろに跳んで距離をとろうとするカスター。二人の距離は、ほとんど縮まらない。
リロード中に真っ直ぐ走ることができれば、距離を縮めることができるかもしれないが。
『先程から、奴は連射をせず、片方の腕で撃ちながら片方の腕で弾を装填するのを続けている。完全に無防備な装填時間は期待できない』
くそっ。
斜めに跳びながら毒づきたくなる。砲弾が腿をかする。
偶然に相手の弾が命中するもしくは俺の魔鎧装着が限界にくるのが先か、それともカスターの弾切れが先かのチキンレースか。
『弾切れはない』
だが、冷酷無比な事実をフォイルが告げる。
弾切れが、ない?
『観察できた。奴の魔鎧、エンジェル・アイは先程から地面を踏み砕き、足裏から小石、岩の欠片、果ては土塊を吸引し、それを腕の砲から撃ちだしている。連射できるのは各砲四発までと制限があるようだが、弾切れはない』
嘘だろ。
絶望的な思いに染まり、それでもなお足だけは動かす。止まれば当たる。止まれば死ぬ。
「ぐっ」
だが、止まらないでも当たった。避け切れなかった。あるいは、俺がジグザグに動く先を予想して勘でカスターが撃ったのか。
斜めに跳躍しようとした瞬間の足に衝撃。そのまま転ぶ。
まずい。咄嗟に、頭を抱える。
「が、あ、あ」
轟音と共に、滅多撃ちにされる。吹き飛び、転ぶ。耳鳴り、視界がどろどろに溶ける。
くそ、本当にカスターの勘で当たったのか?
ぐるぐると回転する脳髄の片隅で、そんなことを考える。
『違う。奴め、こちらの裏をかいた。後ろではなく、前に跳びながら砲弾を発射した。避け切れなかったな』
そういうことか。向こうが距離を詰めてくるなんて、考えもしなかった。
くそ、全身が痺れているみたいだ。立てるか?
脚を震わせながら立ち上がった俺が溶けかけた視界の中で見たのは、リロードが既に終了したカスターが更にこちらに跳び寄ってくる姿だ。
まずい。避けなければ。
だが体が動かない。
そうして、至近距離からの八発。
それでも、フォイルは耐える。フォイルは、だ。
中にいる俺は、血を吐き、衝撃の中、踊るように体を揺らす。
やがて砲撃が止んだと同時にその場に倒れる。
片腕が訳の分からない方向へと曲がっている。
逃げなければ。
痛みと耳鳴りの中、それだけ考えて地面を這おうとしたところで、どうやら脚も片方折れているらしいと気付く。
『まずい、重傷だ。魔鎧装着中であろうと完全回復には時間がかかる』
そんな時間装着していることができないし、何よりも。
仰向けに倒れてた俺の、赤く染まって溶けた視界に、砲口をこちらへ向けるカスターが映る。
何よりも、回復する前に殺されそうだ。
だが、カスターの腕をこちらに向ける速度がいやに遅い。時間が間延びしている。死の直前だからなのか、世界がスローモーションのようだ。
死の直前? 死ぬのか、くそ。
手は打った。リルカを助けるために、手は打ったのに。肝心の俺が、一対一で敵わないとは。笑い話だ。
体が軋む。もう、限界か。
「……解除」
血と一緒に言葉を吐き出す。
フォイルが消え、俺は生身になる。もう、これ以上つけていたら死ぬだけだ。そうでなくとも、撃たれて終わりだろうが。
これで、終わりか。何もできなかった。
『そうとも限らん』
何?
『見ろ。奴は痺れを切らして、我らに確実なダメージを与えるために、自分にとって何よりも重要なはずの距離を自ら捨てた。今、奴はすぐそこにいる』
確かに、真っ赤な視界の中で、奴はすぐ近くにいる。万全の状態でフォイルを纏っているならば、立ち上がって一歩で、懐に踏み込める距離。
問題は、今俺は万全な状態ではなく、そして距離の近さがすなわち奴の攻撃の危険さと比例しているということだ。
『いや、奴をここまで近づけたのは、間違いなくお前の功績だ』
近づくことが重要なんじゃない。勝つことが目的だろ。近づいて殺されるんじゃあ、何の意味もない。
『そうか、負けて死ぬのは嫌か』
当然だろう。
『ならば、ゴドーよ』
拡張された時間、赤く溶けた視界の中で、フォイルの声が何重にも重なって聞こえる。
『我に代われ』
「血、血、血、血、血」
うわ言のように呟いて、優雅な形の目を血走らせてバートリ・エルジェーベトはついにカミサの町へと侵入する。日が昇ったばかりの早朝とはいえ、朝市やカミサを通過する行商人のため、往来する人々は少なくない。
町の人々の視線は集まる。当然だ。彼女は見ただけで高級と分かる、金細工をあしらったドレスを着ている。そして滲み出る気品。まさく貴婦人。人の目を引かないはずがない。
だが、表情だけが飢えた獣のようだ。
エルジェーベトは視線をうっとおしいとも感じていない。もちろん、話しかけてくるなりなんなりして邪魔をするのならば殺そうとは思うが、今のところはそれもない。
視界の隅で、美しく若い女をカウントして、後で持って帰ろうとは思っている。だが、それはあくまでもついで。
一番の目的は決まっているので、それを手に入れるまでは迷うことはない。エルジェーベトは、この世に生を受けてから我慢したことなどない。欲しいものは、それを手に入れるまで求め続け、そして手に入れてきたのだ。
そう、全てを。
だから、今彼女の中を占めているのは、ルーキフェル遺跡で目にした少女だけだ。ギガハウンドに立ち向かう少女の鮮烈な姿だけが、脳裏に焼きついている。
エルジェーベトは魔人として追跡能力に特化されている。一度目にした獲物は、どこにいたとしてもすぐに見つけることができる。
猟犬じみたその能力で、エルジェーベトは迷うこともなくカミサの町を進んでいく。
宿屋が見えてくる。
近い。この近くだ。
エルジェーベトはいつしか気配を消し、足音を忍ばせる。
獲物に泣き喚かれても一向に構わない。むしろ好物だ。だがせっかくの好物を攫って、血と苦痛を浴びるというのに、その前にどうでもいい人間の、特に男なんかの血は浴びたくない。獲物の悲鳴を聞いて衛兵なんかが来れば面倒だ。
やがて来る血と悲鳴を堪能するためだけに、ほとんど無意識のうちに彼女は姿形を隠しながら移動している。
やがて、それを見つける。
美しい金髪、ほっそりとした体つき、そしてそれには不釣合いな無骨な鎧。
後姿だけで、それと分かる。
この早朝から、一心不乱にその背丈からすれば大きすぎる剣を持って、宿屋の裏のスペースでひたすらに素振りをしている。
あれだ。
知らず知らずのうちにエルジェーベトは舌なめずりをしている。
あの穢れ無き少女。あの少女の血と悲鳴を浴びたい。飲みたい。喰らいたい。
よほど素振りに集中しているのか、背後から近寄るエルジェーベトに少女は気付かない。ただひたすらに素振りを繰り返している。
いや、気付かないのにはエルジェーベトが限界まで気配を殺しているからだ。彼女にとって、血と悲鳴を最も甘美に味わうために力を尽くすのは当然のことだ。
少女はただひたすらに素振りをしている。ひたむきに、真っ直ぐ前を見て。
そのひたむきさが美しい。その美しい少女の血が手に入るのが、嬉しくて仕方ない。
一歩近づく。少女は何も気付かない。もう一歩、まだ少女は気付かない。無理もない。今や、エルジェーベトの気配はゼロに等しい。
やっぱり、まずはこの少女だけを攫おう。
エルジェーベトは決める。
最初は、じっくりとこの少女だけを味わうことにしよう。
更に一歩。
もう、こちらの手が少女の肩に届く。
そして、エルジェーベトは手を伸ばす。
「ん?」
何かの気配を感じて、リルカは手を止めて振り向く。
「……気のせいですか」
ふう、と息を吐いて流れる汗をハンカチで拭う。
こんな早朝からひたすら素振りをするのは、自分の中にあるもやもやとした邪念を振り払うためだ。だというのに、その邪念に負けて手を止めてしまうなんて。
「情けない」
ぽつりと呟く。
自分が何を思い悩んでいるのか、リルカには分かっている。
ゴドー。初めて自分と一緒に旅をしたいと、それも何の力もないのに危険な旅に同行したいと言ってきた、あの青年。いや、少年と青年の間くらいか。
嬉しかった。戦いが苦手なはずなのに付いて来てくれるゴドーの存在が。危険を冒してまで自分と一緒に来るというのが、自分の価値を、自分がしていることが無意味でないと証明してくれているような気がした。どれだけ多くの人々に行く先々で讃えられても、結局リルカは一人だった。それが、短い間だったが、ようやく一人ではなくなった。
それが、もう、いなくなるかもしれない。
昨夜も、何とか話をしようと思ったが、ゴドーは結局リルカが寝るまで宿には帰って来ることなく、そしてリルカが起きた時には姿が消えていた。
避けているとしか思えない。
いや、いい。それでいい。
リルカは素振りを再開する。
彼には危険過ぎた。それに、今の自分には新しい仲間がいる。ココア。魔術師だ。実力もギガハウンドの戦いで見せてもらった。彼女が旅に着いてきてくれる。
それでも、やはり。
代わりがいるし短い間一緒にいただけだからその仲間と離れても平気だ、という風には、リルカには思うことができなかった。
まるで、胸に小さな棘が刺さっているようだ。
もどかしく、苦痛で仕方が無いが、しかしリルカ自身にはだからどうすればいいのかが分からない。
ただ、そのもやもやとしたものを燃焼させるために、ひたすらに素振りをするしか思いつかない。
「がっ」
飛んでいる。
文字通り、空中を飛んでいる。舞っている。
エルジェーベトには、何が起こったのか瞬間的に判断できない。
もう少しで獲物に手が届く、そう思った瞬間、衝撃と共に空にいた。
肋骨に痛み。折れているかもしれない。魔人である自分の骨を折るなど並大抵の攻撃ではない。
空中を飛ばされ、エルジェーベトは凄まじい勢いでカミサの町から離れていっている。
ばさばさとドレスが風でなびく。
攻撃?
やがて、エルジェーベトの頭の片隅に、推測が持ち上がる。肋骨の痛み、今の状況。何者かに、獲物に手をかける寸前に物凄い力で殴り飛ばされたか、蹴り飛ばされたのではないか。
だが、その推測が占めるのはあくまで頭の片隅。
大部分には、
「血、血、血、血がぁっ」
獲物の血を獲る寸前で邪魔をされたということへの憎悪がはちきれんばかりに詰まっている。
空中で姿勢を変えると、エルジェーベトは減速する。ふわり、とほとんど音もなく着地するエルジェーベトの表情は、餓えた獣のものとなっている。
「血、血が」
彼女の口の端から、たらりと血が一筋垂れる。
それを指で拭って、目で確認したエルジェーベトはがたがたと震えだす。
「血、血が、私の血がぁ」
ぎょろぎょろと、目を動かすエルジェーベトがいるのは森の中だ。カミサから離れた森まで、飛ばされたのだ。
木から木へと飛び跳ねるようにして、影が凄まじい勢いでエルジェーベトに迫る。
だがエルジェーベトはそれに目を向けることもなく、自らの指についた血を凝視したままがたがたと震え続けている。
そして、影はエルジェーベトの前で止まる。
「どうして、お前が」
ようやく、ゆっくりとエルジェーベトの目が指から離れて人影に向く。
その人影は、無言で立っているだけだ。
長い黒髪、飾り気のないシャツとロングスカート。
以前、カスターとエルジェーベトを退かせた女だ。
「どうして、邪魔をするの? もう新しい日が昇ったのに」
狂おしく身もだえして、エルジェーベトの目が吊り上っていく。
「新しい契約が成立した。彼女の護衛、特に彼女を襲う人間の排除を。一日限定で」
律儀にも質問に答えて、女性は糸のように細い眼で獣の如きエルジェーベトを見返す。
「じゃあ、じゃあ、明日、明日なら、見逃してもらえる?」
「もちろん。ところで、エルジェーベト。その状態のあなたが、明日まで待てる?」
女性の発言が終わらないうちに、餓狼の様でエルジェーベトが跳びかかり、
「所詮獣か」
呟いた女性にカウンターで蹴り飛ばされる。
「ぎぃっ」
木の幹に衝突したエルジェーベトは、しかし即座に立ち上がりまるでダメージを感じさせない。
いや、痛みを感じていないのだ。血への餓えが、他の感覚を麻痺させている。
「ちょうどいい。お前の、血も、浴びてみたかった。お前は、美しいものねえ。ちょっと、歳はいってるけど」
目を血走らせたエルジェーベトが手を体の前で交差させ、指を猛禽類の如く立てる。
「魔鎧カーミラ、装着」
それに対応するように、女性は細い目をかっと見開く。
大きく開かれた美しい目は、壮絶な圧力でエルジェーベトを貫き、
「魔鎧シロガネ、装着」
そうして、女性も唱える。
一瞬の後に、エルジェーベトは真っ赤な刃のドレスのような鎧に身を包んでいる。
一方の女性は、白銀に輝く細身の鎧を纏っている。
細くあらゆる先端が鋭く尖ったその鎧は、まるで全身が一つの凶器のようだ。顔の部分が鏡のように滑らかな球面の面に覆われており、まるで感情というものを感じさせない。
白銀の鎧は、その尖った指先をエルジェーベトに向ける。
「正しい契約の元に、打ち倒させてもらう」
「やってみろ、戦争屋ぁ」
突如として甲高い絶叫をあげて、エルジェーベトが白銀の鎧に突っ込んでいく。




