プロローグ
運命を感じる。
というと、「頭どうしたのか」と思われるに決まっているけど、俺はともかくさっきから運命を感じている。
勉強も運動もそれなり。高校生になるまでにやった全てを中の下から中の上までの範囲でこなしてきて、高校生になった今も帰宅部のエースとして毎日授業終了と共に下校、自宅への帰り道を急いでいる俺が。
何の面白味もない俺が。
「後藤君、さよならー」
「ああ、うん、さよなら」
と、ついさっき、クラス委員長の佐伯さんに声をかけられたことにちょっとした幸福を感じていたような俺が。
まさか帰り道の途中に立ち寄ったコンビニで、強盗に巻き込まれるとは。
これは運命的だ。
「おい、さっさと金を出せ!」
黒っぽいシャツとズボン、そして昔懐かしの黒い目出し帽を被った強盗が、包丁を片手にレジのまだ大学生らしい女性店員を脅している。
店員は涙目で、ぶるぶると震えて動こうとしない。となりの男の店員が焦って動こうとするが、
「おい、お前は動くな。女、お前だ、レジの金だよ、早くしろ、おい!」
強盗が怒鳴る。
が、その怒鳴り声で女の店員が怯えて余計に動かなくなる。悪循環もいいところだ。
一方の俺は、店内にいる唯一の客として、ちらちらと強盗に目を向けられ、時折思い出したように包丁を俺にも向ける。
確かにちょっと郊外のコンビニではあるが、どうしてよりによって客が俺しかいないんだ。真夜中ってわけでもないのに。
そして、どうしてガラス張りだから外からは店内が丸見えだというのに、誰も近くを歩いていないんだ。
だだっ広い駐車場には軽自動車が一台だけ駐車されていて、それは多分そこのどちらかの店員のものだろう。コンビニに面した道路を車がかなりのスピードで時折通り過ぎはするが、あんなスピードじゃあ店内の様子に気づくはずもない。
そして、自転車も歩行者も通らない。詰んだ。
「早くしろ!」
強盗の叫びが絶叫に近くなっていく。
どうやら強盗も、この第三者が俺しかいないという状況がかなりの幸運によるもので、いつ崩れてもおかしくないという認識はあるようだ。焦っている。
俺は恐怖というよりも、驚きのために完全に感情が麻痺している。
生まれてきて、ここまでドラマチックな場面に出くわしてきたのは初めてだ。ずっと平々凡々と生きてきたから、ギャップがすごい。
「おい、お前っ」
血走った目の強盗が俺を睨みつける。
「えっ、あっ、はい」
「何涼しい顔してやがるんだっ!」
どうも、一周回って冷静になっているのが気に入らないらしい。
「いや」
言い訳をしようとした、そこで。
「え?」
俺も、強盗も、そしてコンビニの店員達も、ぽかんとした顔をする。
何かのはずみなのか、強盗自身も意図していない様子ではあるが。
俺の胸に、深く包丁が突き刺さっている。
「うっ、うわっ、うわああああ」
悲鳴を上げて、強盗が包丁から手を離し、ばたばたと手足を振り乱しながら逃げ出す。自動ドアに衝突してから、また悲鳴を上げて這い出るようにしてコンビニから出て行く。
俺は、呆然と自分の胸の辺り、学生服から生えている包丁を見る。
痛くはない。いや、痛いのか? 痺れている。熱い。
くらり、と目眩がして目の前が暗くなる。
重力が失われる。
また悲鳴。今度のはコンビニの店員のもののようだ。
でも、もう見えない。真っ暗だ。
ひょっとして、これって死ぬのか?
こんな呆気なく? せめて五十年くらいは生きられるんじゃないのか。
死ぬのか。マジかよ。
闇の中で自問自答する。
もうちょっと、せめて、何かあったら。
未練がない。未練がないことに未練がある。
死んだら両親と友達は悲しむかもしれない。でも、それだけだ。何かを頑張っていたわけでもないし、何かを成し遂げたわけでもない。
今死んでも、歴史にはもちろん、身近な人達の記憶の片隅にすら残らないかもしれない。そりゃあそうだ。何もしていない。誰かの役に立っていない。いや、自分のためにすら何も成していない。
くそっ、しょうがないじゃないか。だって、まだ時間があると思っていたんだ。
こんな、こんなところで死ぬなんて。
駄目だ、やっぱり、死にたくない。
生きて、何かをしたい。何かを成したい。成し遂げたい。
死ぬほど努力をして、高みに立ちたい。人のために動いて、認められたい。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
神様。
薄闇。
「ただの少年じゃあないか、いいのか、これで? 今までのとは随分違うが」
声が聞こえる。
「今回は、あれとの相性が最優先だ。改造し尽くせば、一応は使い物になるだろう」
「あれの調子は?」
「修復は完了しました。ただ、自我の方がまだ強く……」
「それはそうだろう。自我が何とかなるのなら、こんな少年をわざわざ蘇らせる必要はない」
「あれと魂の波長がもっとも引き合うのがこの少年だということに間違いはありません。もう少年の魂の調整は済んでいます」
「起動させることが最優先。後は、こちらの技術で補うか」
「所詮、実験の一部だ。気楽に行こう。使い物にならなかったなら、ならなかったでいい」
「では、そろそろ改造を施すか」
「契約はまだいいのですか?」
「先に改造しなければな。今までの奴とは違う。このまま契約させれば、体と精神が弾け跳ぶかもしれん」
それきり、薄闇が闇へと変わり、声が聞こえなくなる。
無音。
何もない。
静寂と暗闇の中で、薄ぼんやりとした意識で、俺は漂っている。
俺は、死んだのか?
『違う』
声が聞こえる。
だが、この声は自分の内部から聞こえている気がする。
違うって、死んでないのか?
『そうだ。お前は、元の世界で死ぬ直前で、魂を肉体に固定された。その上で、この世界に召喚された』
この世界って、何だよ。へ、別の世界ってこと?
『そうだ』
別の世界で、俺が蘇るって、そういうことか? 嘘みたいな話だ。
いや、嘘だろうな。夢だ。これは、夢。
そう考えれば納得がいく。
死ぬ寸前の俺が見た妄想。夢だ。さっきから妙に現実感がないのもそのせいだ。
何だ、夢だと考えたら途端に気が楽になってきた。この妙な声との問答も、それなりに楽しめそうだ。
ともかく、俺は別の世界で蘇るわけだな。
『蘇るかどうかは、お前次第だ』
え?
いきなり、予想と違う展開だ。俺の夢のはずなのに。
『肉体は魔術によって修復され、改造された』
改造?
『もはや別物と言っていい。お前の肉体は産み直されたのだ』
転生したってことか?
別に何でもいいけど、ともかく蘇らせられるなら、蘇らせてくれよ。
『だが、魂は未だ肉体に無理矢理に固定されているだけ。お前はいわば半死半生。魂を、真の意味で肉体に宿らせるならば、我との契約が必要だ』
契約?
途端に、声が悪魔のもののように感じられる。
『そうだ。我と共に戦え。我に従って戦え。引き換えにお前は蘇り、渇望を満たすことができるだろう』
それは。
夢だと思って気楽に考えていたが、一気に冷める。冷静な、そして寂しい気持ちになる。
それは、無理だ。
『何故だ?』
だって、俺はその望みがない。
こういう時に、蘇って叶えたいたった一つの望みなんて、ない。
死ぬ寸前にすら、それが見つからなかった。
『何もない。何もないのか。ああ、これが我が契約者か。だがこれも縁。いや、これこそ相応しいのかもしれん』
え?
『よかろう。契約だ。お前を我が主と認める。お前を蘇らせる』
いや、俺は、お前には従わないけど。
『それでよい。代わりに、お前が望むままに我を使え。それでよい。これも縁、きっと、それにも意味があるのだろう』
ん?
よく分からないけど、蘇ったら、勝手にしていいってことか?
『そうだ』
俺の夢だから当然と言えば当然だけど、俺に都合がよすぎる気がするけど。
『さて。本当にそうなのかは、神のみぞ知る、だ。どの道、同じことだろうしな』
意味が分からない。
『契約するならば、互いの名が必要だ。お前の名は?』
俺? 俺は、後藤。
『ゴドーか』
いや、ごと……やっぱなんでもない、ゴドーでいいよ。
別にゴドーでも何の問題もないだろう。
『我が名はフォイル。魔鎧フォイル。これにて、契約は完了だ。産み直された新しい肉体へ、お前の魂を結びつけよう。お前は、魔鎧の本体として、生まれ変わるのだ』
闇の中に現れたのは、赤と黒で構成された全身鎧だ。
あらゆる先端が捩れ曲がっている禍々しいフォルム。そして、何よりも金属製らしき髑髏の面が備え付けられている。
え、こいつかよ。完全に悪役じゃん。
軽く引いているうちに、意識が薄れていく。