第八章 弱小。決着
第八章 弱小。決着
そして迎えた九回の裏。野球部最後の攻撃。
カッキィイイン!
「「「「!?」」」」
「HAAAAAAAAAAAAAAAH!?」
ノーアウトランナー一塁での明嗣の打席。明嗣のバットが火を噴いた。
桜の浮いてしまった球を容赦なくジャストミート。打球はセンターの頭上を軽々と越えてグラウンドの外へと飛んでいった。ツーランホームランだ。
「まだ試合は終わってねーぞ。藤田龍示」
「ぐぬぬぬっ……! さっさと諦めてくれればいいものを……!」
ダイヤモンドを走る道すがら、明嗣が龍示に言った。
「ごめん、龍示。最悪、ホームラン打たれても一点リードしてるし勝負してもいいかなって思ってたら本当にホームラン打たれた」
「気にすんな。俺も、最悪ホームラン――――以下同文」
ランナーの影人と打者の明嗣がホームを踏んで、点数はこれで四対三。龍示の脳内にかすかではあるものの再び『負け』の二文字がチラつき始める。未だ優勢であることに変わりないものの、恐怖を味わうには十分な状況だ。
「次の五番、ちょっと恐いから俺がまた行くわ。六番バッターのモブキャラからまた頼む」
五番打者は一功。ここまでの打席は全部凡退なのだが、あの筋骨隆々の体が持つ並々ならぬパワーとアッパースイングは素人だからといって侮れない。なにかの拍子でバットの芯に衝突してしまうと考えると十分に恐い。
「オッケー。よろしく、龍示」
桜は笑顔で龍示にバトンを渡す。
龍示はマウンドに、桜は龍示の守っていたセカンドへ。
負けた時の代償のプレッシャーで凝り固まりそうになっている体をほぐすように、龍示は腕をグルグル回す。
「絶対アッキーに続いてやるんだから! ホームランよ! ホームラン! 龍クン、覚悟なさい! そして皆にご奉仕なさい!」
「嫌に決まってんだろボケぇえ! あんた先輩なんだろうけど、もう関係ねぇ! これだけは言わせてもらうわ! 死ね!」
「ふふふっ。威勢に満ちたその顔……男の快楽に堕ちた時にどんな表情を見せてくれるのかしら?」
「やかましい。奴隷になるのはあんたの方だ。あんたの残りの高校生活、全部俺に捧げてもらうぜ? 死なない程度にしごいてやるから覚悟しとけ」
「……ゃん♪」
一功は龍示の罵倒に頬を赤らめて体をクネらせた。
『プレー!』
審判のコール。
龍示はワインドアップのモーションで、
「……くたばれぇええええ!」
「「「「!?」」」」
龍示の放った鋭い球はストライクゾーンを大きく外れて、
「!?」
ガスッ!
「ギャヒィイン!?」
一功の頭に球が直撃。
豚のような悲鳴とともに、ズシンと音を立てて一功の巨体がバッターボックスの中に沈む。龍示の投げた球は一一〇キロ前後のストレート。それでも当たれば全然痛い。
『デッドボール!』
「しまったぁあああああ!」
龍示は頭を抱えてマウンドに膝をついた。どうやら意図しないものだったらしい。
「あぁ……痛かったぁ……♪」
一功はムクリと起き上がると、なぜか恍惚とした表情で一塁へと向かった。これでノーアウト一塁。同点のランナーだ。
「いいぞ! イッコウ! よく逃げずに当たった!」
「ナイスM!」
野球部ベンチの間にも、次第に活気が戻ってくる。まだ、試合を諦めていない。アウトが一つも無い状態。野球部のチャンスはまだまだ続く。
龍示は桜のいるセカンドへと戻っていって、
「ふっ。後は頼んだぜ、桜」
「あんた何しにマウンド行ったの!?」
そんなこんなで再び、ピッチャー交代。
打者は六番、椛鳥永路。モブキャラだ。セリフは『俺の股間のキャンディをしゃぶりやがれ! 藤田龍示!』の一言だけ。酷い。
セットポジションからの一球目。
「俺の――――以下略」
カン。
低めの球を当たり損ね、ボテボテのピッチャーゴロ。桜は難なく捕球して、
「沖田君!」
「オッケー!」
二塁ベースに入った沖田に送球。
『アウト!』
二塁フォースアウト。
「和ちゃん!」
「はいっ!」
沖田はファーストに送球。椛鳥も必死で走るが、
『アウト!』
ダブルプレー。同点のランナーは消え、ノーアウトが一気にツーアウト。
「よっしゃぁああ! ナイスだ! 桜! 沖田もよくミスしなかった! さすがだな!」
「当然。龍示の尻ぬぐいなんていつものことだよ」
「あと一人だよ! 絶対に勝とうね!」
「「「「おう!」」」」
盛り上がる龍示チーム。勝利はもう目前にまで迫っていた。
***
「おいおいおい! どうすんだよ! 負けちまうぞ!」
「頼む! 打って! 頼むから打ってくれ!」
対して、負けの二文字を目前にまで突きつけられている野球部チーム。一功はなんとかチームの緊張を和らげようと声をかける。
「ドンマイよ! ドンマイ! 野球はスリーアウトから!」
「いや、野球はスリーアウトまでだ。イッコウ」
横にいた明嗣がツッコんでやる。
一功は『あらヤダ、あたいったら……』と少し恥ずかしそうにしてから、
「ドンマイ! 野球はスリーアウトまで!」
「そういう意味じゃなくて! 正しくは『野球はツーアウトから』な!」
明嗣の言った『野球はツーアウトから』という言葉は野球における格言みたいなものだ。簡単に言うと、ツーアウトだからといって諦めたりするな、もしくは油断するな、試合は最後まで何があるか分からないぞ、というような意味で使われている。
確かに、一功の言う通り、諦めてはいけない。
「そうだ! まだ試合が終わったわけじゃねぇんだ! 最後まで気合入れていこうぜ!」
「そうよ! あたいはそれが言いたかったの!」
「おう! 負けてたまるかってんだ!」
「っしゃぁあ! ピンチなんざ上等だ! 次のバッターは誰だ!?」
全員の視線がネクストバッターズサークルの方へと向かう。
七番打者、西賢治。
「おまえ……モブキャラ……?」
野球部最後の望みは、一人のモブキャラに託されることとなった。ちなみに、ガヤ以外のセリフは『テクノブレイクッ!』の一言のみ。
「「「「………………」」」」
不安だ。不安でしょうがない。野球部チームの士気がまたしてもダダ下がりになっていく。
そこへ、一功が西賢治の元へと向かってアドバイスをする。
「いい? 打席では絶対に喋っちゃ駄目よ? モノローグで誤魔化すの♪ そうすれば自然に一番のイッチーまで回るわ♪」
「なんでだ!? 意味分かんないんだけど!」
一功の意味不明な理屈に、西がツッコむ。そんな西に一功は言って聞かせる。
「考えてもみなさい? ここまで試合をやっておいておきながらモノローグで締めくくられるわけないじゃない♪ 最後には最後を締めくくるに相応しい場面がやってくるはずでしょ? あたい達が勝つ場合は点を入れる場面が、龍クン達が勝つ場合は最後の打者を打ち取る場面がね♪」
「…………!」
西は息を呑んだ。なんだか、一功の言葉に妙な説得力を感じてしまう。
「逆に言えば、モノローグが出ている内は安全ってことよ♪ 試合はまだまだ終わらないわ♪」
「なるほど……! 君の言いたいことは分かった! そうと決まれば僕は打席では一言も喋らない!」
なぜだか勝機が見えてきたような気がする。まだまだ試合を終わらせてたまるものか、と、西は意気揚々と打席へと向かった。
そして、打席に入ると西は金属バットのヘッドを桜に向ける。
「残念だが、試合はまだまだ終わらない。君に最後の場面を飾らせてなるものか」
不敵に笑う西に、桜は頭の上に『?』を浮かべる。
西は天を大仰に仰いで叫ぶ。
「神よ! 場面転換だ! この打席の描写はいらない! モノローグでお茶を濁して、なんやかんやで僕が進塁していたことにするのだ!」
***
西賢治はあえなく三振。試合終了。
長きにわたった戦いは、四対三で龍示チームの勝利で幕を閉じた。
「なぜだぁああああああああああああああ!?」
「うぉおっしゃぁあああああああああああ! 」
龍示は歓喜に震えた。ようやく、だ。ようやく肩の大きな大きな荷が下りたのだ。龍示だけではない。
「やったぁああ! やったやった! 勝ちましたぁあ!」
沙希はベンチでピョンピョン飛び跳ねて喜ぶ。
「「「「そんな終わり方あるかぁあああああああ!」」」」
野球部ベンチの悲痛な叫びが虚しく響き渡るが、そんなことを言われても龍示の知ったことではない。そんなことよりも、
「龍示っ!」
セカンドへと駆け寄ってくる桜。
「おう! 桜!」
パン! と息の合ったハイタッチ。チームメイトとこの喜びを分かち合うことが何よりも気持ち良い。
「藤田君、おめでとう!」
「沖田! 勝てたのはおまえのおかげだ! ナイスプレーだったぞ!」
沖田ともハイタッチ。続いて和。
「兄さんっ! アタシも!」
「おうよ!」
元気な犬のように駆け寄ってきた和にもハイタッチ。もっと他のメンバーとも喜びを分かち合いたいところだが、今はやるべきことがある。
「皆、整列だ!」
試合の前のように、両チームが整列。
『四対三! 藤田龍示チームの勝ち! 礼!』
「「「「ありがとうございましたっ!」」」」
「「「「…………ありがとうございました…………」」」」