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弱小。BL野球部  作者: 一般人凡人
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第四章 弱小。反撃開始

第四章 弱小。反撃開始


結局、龍示は桜と昼をファミレスで一緒にすることとなった。沙希と一緒できなかったのは残念だったが、桜と他愛の無い話をしている内に、そんな気持ちは吹っ飛んでいった。沙希と一緒でなくとも、気の置けない桜との時間が楽しいことには変わりない。昼食の時間はあっという間に過ぎていく。

この時間を心地よく思っているのは桜も同じで、桜はファミレスを出てからも龍示の家へお邪魔すると切り出した。まだまだ話し足りないようだ。

 もちろん、龍示はそれを断る理由など無い。

 二人は一緒に藤田家へ。

 時刻が一七時に差しかかろうという頃に到着。

「ただいま」

「お邪魔しまーす」

 玄関で挨拶をすると、奥の方からドタドタと慌ただしい足音。

「おぉ! 兄さんが正気に戻ってる! 夢遊病はもう大丈夫なの?」

「夢遊病じゃねーよ。トランス状態だ」

 どちらも危ない症状であることに変わりはない。

「よかったぁ……。さすがは桜ちゃん。兄さんのスペシャリストだね」

「うるさい。丸投げのスペシャリスト」

 龍示の無事が分かってホッとした和も加わり、三人は一緒に遊び始める。

和と桜は頻繁に遊ぶことがあるのだが、龍示も混ざってこうして三人揃って遊ぶのは久しぶりかもしれない。

三人はリビングの大きなテレビを使って桃鉄に興じる。

 最初の内は、久しぶりにやるテレビゲームの話題で盛り上がっていたのだが、次第に話の内容はゲームとは関係の無い雑談へと移っていく。

「そういえば、野球部って練習してるの兄さんだけなんだっけ?」

「ああ。俺だけだな」

「沙希先輩に野球部を立て直すって約束したんでしょ? ぶっちゃけ無理なんじゃない?」

 曲者揃いのゲイ集団をまとめて、真面目に野球に打ち込むよう説得するのは困難だ。新しく真面目な部員を集めようと試みても、昨日の龍示のような事態を恐れて誰も集まらないだろう。しかし、

「いや、カタをつける目処(めど)は立った。明日にでも行動するつもりだ」

 龍示は自信満々に言った。

「「……え?」」

 一体、どんな手段を用いて説得するというのだろうか。

 桜は龍示に尋ねる。

「どうやって? 昨日こっ酷くやられたばっかじゃん。どうやって説得するかっていう以前に、話すらまともにできる状態か怪しいくらいなのに」

「関係ねぇな。もう連中の弱みは握った」

「弱み……って、脅迫する気!?」

「さあな。あ、おまえの番だぞ。サイコロ振れよ」

「……追及はしないであげる」

 それきり、龍示の部についての話は終わり、他愛の無い話でまったりとした時間を過ごすのだった。そんな中、

(そのためには鷺咲さんの力が必要だ……。見てやがれ……ゲイどもが……!)

 龍示は人知れず復讐の牙を磨いでいるのであった。


***


 そして、翌日。龍示は学校の体育館の前で待ち合わせをしていた。待ち合わせの相手はというと、

「お待たせしました~。藤田君!」

 沙希だ。

「おぉ、鷺咲さん。おはようございます。全然待ってないから大丈夫ですよ」

 約束の時間の五分前に沙希は現れた。

「それより、昨日はいきなり電話してすんませんでした」

「いえいえ。むしろ、嬉しかったです。藤田君が私を頼ってくれるなんて」

 龍示は昨晩、野球部の立て直しの問題に決着をつけるため、沙希に電話で頼みごとをしていたのだった。内容は大きく分けて二つあった。しかし、

「その……けっこう無茶なお願いしちゃったと思うんですけど……。うまくいきましたか……?」

 頼んだ内容が無茶な上、頼んだタイミングも急だった。とても一晩でこなせるとは龍示は思っていなかったが、沙希はニッコリと笑って、

「はい。ミッションコンプリートです」

「!」

 どうやら沙希はやり遂げたらしい。そして、沙希は頼みごとの経過について、報告を始める。

「これが例のブツです。ボス」

 沙希はカバンからビデオカメラを取り出し、龍示に渡した。そして芝居がかった口調で報告を続ける。

「中のデータは確認しました。ボスの求めていたもので間違いないかと」

 龍示が頼んだことの一つがこれ。ビデオカメラと、とある映像データの入手だ。

「ほぅ……」

 龍示も組織のボスっぽい雰囲気を出して沙希に応じる。

 頼みごとの二つ目。

「それと野球部の人達は部室前に集めました。現時点で大体の人数が揃ってるので、私達が向こうに着く頃には全員集まっているかと思います」

 野球部全員の招集だ。部員全員の都合がはっきりしない状況の上、急な話を部員に応じてもらうのは非常に困難かと思われたが、沙希は見事きっちりとこなしてみせたのだった。

 龍示は『うむ』と大仰に頷き、

「よくやった。貴様には褒美をやらねばな。何が欲しい? 乾電池か? それともポテトティッシュか?」

「じゃあポテトティッシュで。……というか、ポテトティッシュってなんですか?」

「口から吐き出したイモをティッシュで包んだ料理だ。何度言えば分かる?」

「それ完全に汚物じゃないですか! それに『何度言えば分かる?』って言われてもこっちは初耳なんですけど!?」

「フ……」

 龍示は沙希のツッコミに笑った。

「ふふふっ」

 沙希もつられて笑った。

「フハハハハ!」

「あははははっ!」

 次第に二人の笑い声が大きくなっていく。

「何が可笑しい!!」

「!? ……え……? す、すみません」

 突然の龍示の怒鳴り声に沙希は委縮した。

 龍示は『しまった』と顔を歪め、

「あ、すみません。伝わりませんでしたか? 一応、冗談だったんですけど……」

 解説しておくと、るろうに剣心の一四巻の場面だ。

「くっ……精進します……!」

「しなくていいです。と、まぁ、冗談はこれくらいにしておきましょうか」

 龍示がそう告げると再び沙希の表情が引き締まる。

「これから連中に特攻をしかけるわけなんですけども……準備は大丈夫ですか?」

「はい。それより、私よりも藤田君の方が心配です。一昨日(おととい)、酷い目に遭ったばかりじゃないですか」

 ゲイ集団である彼らの標的に、女である沙希はなり得ない。沙希の言う通り龍示の方が危険な状態だ。しかし、

「大丈夫です。対策はしっかりしてありますから」

 心配は無い。

「行きましょう。鷺咲さん」

「……はい!」

 二人はいざ、敵の待つ部室棟へ。

 一昨日、強烈なトラウマを植えつけられたばかりの龍示を心配そうに沙希が覗き見てみる。

「!」

 しかし、龍示の顔からは恐怖の類の感情というものが全く感じられなかった。むしろ、その逆。龍示は殺人狂が獲物を見つけた時のような危ない笑みを浮かべていた。獰猛な肉食獣のようにギラギラとした眼。隠そうとしても隠しきれていない、滲み出てくる凄まじい殺意のオーラ。

(…………!)

 沙希は龍示に恐れ(おのの)き、龍示よりもゲイ集団の方が心配になった。そして心に誓う。龍示を怒らせる真似だけは決してしてはいけないということを。


***


 パァアアアン!

「ぎゃあぁあ!?」

 龍示は部室棟に着くなり、野球部員の一人に発砲した。

「ちょっと龍クン!? あんた何やってんの!?」

 部員の一人、大柄の筋肉男である一功が抗議の声を上げるが、

「黙れ」

 パァアアアン! パァアアアン!

「ぎゃあぁああ!? 痛ぁあああ!」

 一功は猛烈な痛みに悶絶し、地面を転がり回った。

 ちなみにこの銃はもちろん実弾ではなくガス銃だ。更にちなみに、このガス銃は六年前のクリスマスに和がサンタのおじさん(親)からもらった代物である。

「余計な口聞いたらまた撃ちますから」

 龍示は和から無許可で拝借したガス銃の銃口を部員に向けていき、脅しをかけた。

「「「「…………!」」」」

 部員皆は一昨日のような恐いもの知らずの態度に出ることはなく、龍示の言うことにおとなしく従う。誰だってあれで撃たれるのは恐い。龍示の隣にいる沙希ですら軽く怯えているくらいだ。

「一昨日は好き勝手してくれましたね。あれ、どう責任取ってくれるつもりですか?」

 龍示は威圧的に切り出した。とりあえず銃を下ろし、部員に発言の権利を与える。

「……うちの連中が馬鹿やらかしたらしいな。おれの監督不行き届きで申し訳ないことをした。すまなかったな」

 龍示の前に出てきて、そう言った男は金髪のイケメンである木原明嗣だ。彼は見た目の軽さとは違い、真摯に頭を下げて龍示に謝罪した。

「すまなかった? 謝罪の言葉にはね、価値なんて何もありはしないんですよ。俺が言ってるのはどう責任を取るのかって聞いてるんです」

 龍示の横で聞いていた沙希は得心した。部員達に謝罪の意として練習に参加してもらうつもりなのだと。

「ちょっと待ちなさいよ~! そもそも、あたい達は何も悪いことなんてしてないんですけど~?」

 痛みから復活した一功が知らばっくれ発言。それに部員達は乗っていく。

「そうだぜ。俺らが何をしたっていうんだよ?」

「勝手なこと言って、俺らを悪者扱いしてんじゃねーよ」

「そうだそうだ! 証拠でもあんのかよ!」

 場は一変して、龍示達が悪者のような雰囲気になった。しかし、そんなことは想定済みである。

「あるよ。証拠」

 龍示は先ほど沙希から渡されたビデオカメラを取り出し、ボタンを操作していく。ビデオカメラの小さなディスプレイは再生モードに切り替わり、それを部員達に見せつける。

 映像は、一昨日の龍示のトラウマ現場だ。小さなスピーカーから、

『はぁっ……はぁ……! 興奮するぜぇ……!』

『ぎぃゃああ! 触んじゃねぇええ! くっ……だからっ! やめろってぇえ!』

『いいの? ここがいいのぉ? 龍クン♪ それとも、もっと乳首コリコリしてあげよっか?』

『放せボケぇえ! ぅあ!? さすがにそこはやりすぎだろ!? 本当やめ――』

『んぁあ~いい顔~♪ すっごく興奮するわ~♪』

『我に身をゆだねよ……。ペロッ』

『ひぁ!? 変なとこ舐めんじゃねぇえ! アッー!』

 プチ。

 龍示はビデオカメラの電源を切った。同時に、心に巣食うおぞましい闇に呑まれてしまわないよう、気をしっかり保つ。

「あんた達のしたこと、この通りバッチリ記録されてます。一人一人の顔もくっきり映ってるレベルで」

「「「「!」」」」

「これ、警察に見せたらどうなると思いますか? 聞くまでもないですよね。立派な犯罪ですもん」

 そんな龍示の言葉に、部員達に本格的な緊張が走った。しかし、例外が一人。一功だ。

「ふっふっふ♪ 甘いわね~龍クン♪」

「……は?」

 この反応は予想外で、龍示は自身のプランがあっさりと破られてしまうような嫌な予感に駆られた。犯罪の証拠を突きつけられてもなお、この一功の余裕はなんなのだろうか。この状況に一体どんな抜け道があるというのだろうか。何にせよ、聞いてみない限り話は進まない。龍示はおとなしく一功の言葉を待つ。

「この国にはね、少年法っていう素敵な法律があるのよ♪ 二〇歳未満の少年である、あたい達はね、龍クンの体を好き放題触りまくろうが、トラックでおばあちゃんを引き殺そうが、罪に問われることなんてないの~♪ 残念でした~♪」

「「「「………………」」」」

 ツッコミ所が多すぎて、どこから手をつけていいのか分からず、この場の全員が言葉を失った。

 なので龍示は、

「………………」

 パァアアン! パァアアン! パァアアン!

「ぎゃああああ!? いやぁああああ! 痛ぁああっ! 本当に痛いぃい!」

「話の腰を折らないでください。一応言っておきますけど、罪には普通に問われますから」

 一功は地面で悶絶していて声がとどいているのかどうか怪しかったが、龍示は無視した。こいつには話が通じないと早々に見切りをつけた。

 この雰囲気に見かねた部員の一人、ヤンキーイケメンの影人が龍示の前へと出て、口を開く。

「オマエは問答無用で俺らを潰すつもりは無いんだろ? オマエは、こうして話し合いの場を設けたわけだからな」

「……俺が言いたいのは、あんた達の学校生活を無茶苦茶にできる材料を俺が握ってるってことです」

「「「「………………」」」」

「……御託はいい。オレらに逃げ道が無いってことは分かった。オマエはオレらに何か要求があるんだろ?」

「話が早くて助かります」

 龍示はコホンと息をついてから、要求を口にする。

「俺とあんた達で勝負してください。この要求を聞いてくれるなら、このデータは削除します」

「「「「……?」」」」

 部員達は話が飲み込めない様子だった。龍示の隣にいる沙希もポカンとしている。

「勝った方が負けた方の奴隷ってことで。俺が勝ったら、あんたらの学生生活の全部を野球に捧げてください」

 これまで静観していた金髪のイケメン、木原明嗣はおもしろそうに笑みを浮かべ、

「おもしれーじゃねえか。逆に、おれらが勝ったら、おまえを好きにしていいんだな?」

 龍示は頷く。

「これからの高校生活、あんたらのパシリでも何でもやってやりますよ」

「いや、」

 明嗣は首を横に振った。

「?」

「パシリじゃねー。おまえ、奴隷って言ったろ?」

「……?」

「性奴隷だ。おれらが勝ったら、おまえの貞操をいただくのはもちろん、その後もずっと好きにさせてもらう」

「「「「!?」」」」

 部員達の眼が野獣の如くギラリと光る。

「そ、そんな……!」

 沙希は困惑する。

普通に考えれば明嗣の言うバカげた話など論外だ。そもそも、明嗣は図々しい条件を出せる立場ではない。なにせ脅されている側の人間だ。おこがましいにも程がある。

しかし、龍示は、

「キマリですね」

 自分が負けることなど微塵も思っていないような、圧倒的な余裕の笑みを浮かべた。どんな勝負かも決まっていないというのに、凄い自信だ。

 そうだ。どんな勝負かを決めなければならない。

「勝負の内容ですけど――」

「野球でいいぜ。九回までの試合形式でな」

 龍示が何かを口にする前に、明嗣が言った。

「……!?」

 この反応、龍示は予想外だった。まともに野球の練習などしていない連中が野球で勝負をしかけてくるなんて、自殺行為も甚だしい。

 しかし、口にした明嗣本人の表情は相変わらず、おもしろそうに笑みを浮かべているだけで何を考えているのか全く分からない。明嗣は再び口を開き、

「その代わり条件がある。そっちのメンバーに、他所の学校から野球部員……いや、野球経験者を入れるのはナシな。そうなったら勝負になんねーだろ? でも、それだけじゃ悪いから、うちの学校の野球経験者はオッケーにしておいてやる」

「……こっちのメンバーが集まらなかったら、こっちの負けってことですか?」

「おう」

「期限は?」

「二週間後に試合でどうだ?」

 明嗣の自信の根拠は分かった。二週間で寄せて集めたチームなど烏合の衆も同然。うちの学校に野球経験者だって何人いるかも知ったことではない。下手すれば龍示以外のメンバーが全員素人ということすらあり得る。この条件では野球部員側の方が圧倒的有利だ。

 しかし、

「いいですよ」

 龍示はその圧倒的に不利な条件を飲んだ。例の脅し道具を使えば楽に覆せるであろうというのに。

「へぇ……」

「ちょっとアッキー! 勝手に話進めないでよ~! あたい、野球で勝負なんてできないわよ?」

 一功が抗議の声を上げるが、

「………………」

 パァアアン!

 龍示はガス銃で一功を撃った。

「痛ぁああああ!?」

「勝負を受けないなら、警察のお世話になるだけですけど?」

「なんで撃つのよぉ~! 分かったから! 勝負するわよぉ!」

「皆もいいですか?」

 龍示が部員に確認を取るとコクコクと行儀よく頷いた。ガス銃で撃たれるのは恐いらしい。

 龍示は、ふぅ、と息をついて、

「話は以上です。鷺咲さん、帰りましょう」

「は、はい……」

 沙希を連れて、この場をおとなしく立ち去った。

「「「「………………」」」」

 この場に取り残された野球部員達の間で妙な沈黙が流れる中、

「……ふっ。ふふふ」

 明嗣だけは楽しそうに笑うのだった。


***


 龍示は今日の練習を中断。携帯で桜を呼び出し、沙希を含めた三人でファミレスに集合した。

 三人は禁煙席に案内され、簡単に注文を済ませる。

 野球部との勝負の事態を一切知らない桜に、龍示は話を切り出す。

「おまえを呼び出したのは他でもない。助けてください」

「いや、いきなり助けてとか言われても……。なんかあったの?」

「実はな――」

 龍示は野球部員と野球で勝負する(むね)と、龍示が勝てば野球部が真っ当な部として生まれ変わることを伝えた。

「なるほど。野球部の人と勝負ねぇ……」

「おまえに頼みたいのは二つ。メンバー集めと試合の参加だ」

「え!? あたし試合出るの!?」

 メンバー集めは分かるが、まさか自分が試合に出ることを頼まれるとは、桜は思わなかった。

そんな桜相手に龍示は更なる爆弾を投下してくる。

「おう。ピッチャーお願い」

「無理無理無理無理! バッティングはともかく、ピッチャーとか!」

「おまえリトルとソフトでピッチャーやってただろうが」

「ソフトはともかく……野球の試合では、ほとんど投げたことないよ? 龍示がピッチャーだったからいつも外野でしか出番無かったし」

「つっても、おまえしかいねえんだよ。俺は無理だし、新しいメンバーに期待するのも無理だ。うちの学校から野球経験者探すだけでも大変なのに、その上投手ができるやつなんて見つかるとは正直思えない」

「うーん……」

「大丈夫です、桜ちゃん! うちの野球部は生粋(きっすい)の弱小ですから。夏の大会、初戦敗退どころか一回、一〇―〇のコールドで負けてるようなチームなんですよ。そんなチームに桜ちゃんの球が打てるとは思えません」

「なんか超希望出てきた!」

 桜は一転して急に安堵した。

察するに、うちの野球部は素人の寄せ集めみたいなものなのだろう。男子相手とはいえ、桜の球は素人に簡単に打てるような球ではない。

「一番の問題は、やっぱメンバー集めだな。野球経験者なんて贅沢は言わねえから、とりあえず運動神経の良さそうなやつに声をかけてくれ。おまえ、人脈あるだろ?」

「あるかどうか分かんないけど、とりあえず頑張ってみるよ」

「俺もクラスで一人、野球経験者知ってるからそいつに声かけてみる」

 龍示と桜が互いにやる気を出しているところ、沙希は申し訳なさそうな顔で、

「あの……私、役に立てるか分かりません……。連絡先知ってるの、家族と野球部と藤田君と桜ちゃんしか知らないんです……」

「「マジで!?」」

 龍示は歓喜した。沙希には親しい異性がいないということがはっきりしたのだ。これを喜ばずにはいられない。

「歯痒いですね……。皆で頑張ろうっていう時に力になれないっていうのは……」

「大丈夫だよ、沙希。最悪、沙希はメンバー集めの切り札として利用させてもらうから。少し嫌な思いさせちゃうかもだけど、沙希はいい?」

「もちろんです! けど……私にできることがあるんですか……?」

「!」

 龍示は桜の魂胆に気づいて、桜にアイコンタクトを送る。

(おまえ、鷺咲さんを餌にするつもりだろ!)

(正解。沙希みたいな可愛い子と親しくなりたいって男子はいっぱいいるだろうしね。そういう人達が沙希にいい所見せたくて躍起になって頑張ってくれることは間違いなさそうでしょ?)

(却下だ! 鷺咲さんが他の男子と仲良くなるなんて! お父さんは許しません!)

(いいの? メンバー集まらなくて負けても)

(うぐっ!)

 龍示はもう何も反論できなかった。男に貞操を奪われるよりは沙希に親しい男友達ができるのを我慢する方が何倍もマシだ。

「二人に確認したいんだけど、他所の学校からの助っ人ってナシなんだっけ?」

「経験者だけナシです。未経験者なら問題無いと思います」

「なるほど……。メンバー探しの条件は分かった。それで? これからの活動はどうしていくの?」

「「?」」

「言い方が悪かったね。どれだけの時間をメンバー集めに使って、どれだけの時間を練習にあてるのかを聞きたかったの」

 桜の質問を受け、龍示と沙希は険しい顔になった。

「…………難しいな」

「……二週間だけですもんね」

 メンバーが集まらないと始まらない状況とはいえ、所詮は短期間で寄せて集めた雑魚チーム。練習の時間が無くては、いざ試合になっても、まともな野球などできるはずもない。かといって、先に述べたように練習に時間を割きすぎてメンバー集めが間に合わなければ戦う前に負けが決定してしまう。これからの時間配分の調整が勝負の行く末を決めると言っても過言ではない。

 そう考えると、この勝負の困難さが今になって実感として湧いてくるのだった。二週間という準備期間はあまりにも短すぎる。

「……もしかして俺ってピンチだったりしますか?」

「……ピンチというか……勝負を受けた時点でもう虫の息かもしれません」

「うまいこと言いますね。はっはっは。どうしよう。本気で」

「ちょっとちょっと……」

 そう言う桜も内心では不安でいっぱいのはずだ。

弱いチームを相手に投げるとはいえ、まともに守備が機能しない状況では勝てるはずもないのだから。一人でも多くの仲間に、少しでも長い時間に練習に励んでもらわなければならない。また、桜自身もカンを取り戻すためにも、少しでも多く練習しておきたいはずだ。あまりメンバー集めに時間を割いている余裕などない。

 どうしたものか、と龍示と桜が頭を悩ませているところへ、

「いいこと思いつきました! 桜ちゃん。うちのクラスの人達の連絡先を知ってる範囲で全員分教えてくれませんか?」

「いいけど……? どうしたの?」

「メンバー集めは私に任せてください。桜ちゃんと藤田君は練習の時間はちゃんと練習してくれてかまいません」

 沙希の申し出はありがたい。長く練習できるに越したことはないのだから。その上、沙希を餌にするという桜の嫌な企みにも沿った考えだ。しかし、

「確かに……それは助かるけど……。いいの? あんま話したことのない人に対して頼みごととか気がひけると思うんだけど……」

 桜の言うこともそうだが、メンバーを勧誘するにあたって『押し』が必要な場面も出てくるはずだ。大人しい性格の沙希には辛い役割のはずなのだが。

「大丈夫です。私は試合で役に立つことはできそうにありませんから、これくらいは頑張らせてください」

「「………………」」

 そう言った沙希の顔からは意思の強さがはっきりと見て取れ、断ることなどできそうになかった。

「じゃあ、お願いします。鷺咲さん。俺達も空いた時間はメンバー集めしますから」

「はい! 頑張りましょう!」


***


 その頃、野球部員達は龍示との勝負に向けて何をするでもなく、部室でイチャイチャと無駄な時間を過ごしていた。一応述べておくと、この前のように裸で絡み合うような状況にはなっておらず、健全に(?)イチャついている。

「アッキー。大丈夫なの~? あんな勝負引き受けちゃって。あたいら野球、超弱いじゃん」

 一功は明嗣の膝に頭をのせながら尋ねた。

 明嗣は一功の首筋を優しい手つきで撫でてやる。

「大丈夫だ。普通に考えれば、俺らが負けることはありえねえ。おい影人」

 スマホをいじっていた影人は画面から視線を外して、明嗣に向けた。

「おまえ、当日は本気で投げろ。いいな?」

 明嗣にそう言われた影人は、

「……分かってる」

 本当に分かっているのか、小さい声で返した。

「これで俺達の勝ちは決まったようなもんだ。よかったな、イッコウ」

「いや、そう言われても納得できないんですけど? カゲちんって実は野球うまいの?」

「まあ、あいつが二週間頑張ったところでどうにかできないくらいにはな。あいつの尻の貞操はもらったも同然だ」

「あ、ズル~い! あたいだって龍クンの貞操欲しい~♪」

「おまえにはあいつの童貞をくれてやる。そっちの方がおまえもいいだろ?」

「そうね~♪ 超楽しみ~♪」

 そんな二人の会話を聞いた他の部員達が、

「おいおい、俺だってあいつの貞操は欲しいぞ! 二人で勝手に話進めんじゃねえ!」

「そうだそうだ! 俺もあいつの『初めて』が欲しい!」

 龍示の貞操を巡り、言い争いが勃発した。

 そこへ、

「おまえら……藤田龍示をあんまナメてんじゃねぇぞ……?」

 影人が真剣な声音で言う。

 部員達の言い争いが一時中断し、視線が影人に集まる。

「腐ったとはいえ、かつてはピッチャーの……いや、全野球人の頂点に立ったほどの化物だぞ?」

「それって昔の、ていうか、子供の中での話でしょ~?」

「じゃあ聞くが、プロでもメジャーでもいい。その中で頂点と呼ばれているピッチャーがいたとしよう。そいつがリトルリーグの世界大会という舞台に立ったとして、あいつと同じような記録を打ち立てられると思うか?」

「……なによ? その記録って」

 影人に代わり、明嗣が答える。

「……全打者全打席三球三振だろ? それも世界大会の全部の試合で」

 かつて世界中の人々を賑わせた有名な記録で、ギネスにもなっている。

「どんだけ~!? 今時、マンガにすら出てこないわよ! そんなチートキャラ!」

 しかし、龍示の実績はそれだけではないと影人は続ける。

「それだけじゃねえ。テレビの企画でプロのオールスター軍団と勝負する機会があったんだよ。結果どうなったと思う?」

「そんなん聞いたことねえけど……まさか、抑えたのかよ?」

「全員三球三振だ」

「「「「!」」」」

「そうしたら球団側はプロの選手の不甲斐無い映像をテレビで流すわけにはいかないっつってな。関係者に大金出してそのVTRはお蔵入りにさせたんだよ」

 アホみたいに信じられないような話だ。

「おいおい、待てよ。確かに小学生の分際で平気で一四〇キロオーバーの球投げる化物だとしても、だ。相手はプロだぞ? そんなん無理に決まってんだろ。デマだデマ。つーか、何でそんな裏事情をおまえが知ってんだよ?」

 きっと一般人がネットを介して広めた根拠の無いデマなのだろうと明嗣はタカを括っていた。しかし、

「オレの親父、テレビ関係者だから。ちなみに、その企画持ち出したのもオレの親父だ」

 その情報の信憑性が一気に増した。

「マジで!?」

「おうよ」

 影人はなぜだか得意気な顔で答えた。

「つーか、おまえの親父、口軽過ぎじゃね? なに裏事情をペラペラと息子に暴露してんだよ……」

 裏事情というか下手したら犯罪の一部始終だ。

「オレが言いたいのは、藤田龍示という化物が、爪と牙が一度抜け落ちたくらいで終わるようなやつだとは到底思えないってことだ」

 影人のこの考えは、龍示の不甲斐無い練習風景を目の当たりにしてもなおのものだ。

打者として大した実力が無いことが分かっていても、あの男は何か恐ろしい力を隠し持っている。影人の眼はそう語っていた。

「……それでも我らが負けることなどあり得ないと思うがな。野球は九人でやるものだ。素人の集まりの中で一人だけ凄い打者がいたところで勝負が引っ繰り返るとは思えぬ」

 銀髪眼帯中二病男、イチローは影人とは逆の意見だった。そして、イチローの意見に、この場のほとんどの部員がコクコクと賛同するように頷く。

 なんにせよ、と明嗣は言う。

「影人の考えもイチローの考えも、どっちも一理ある。とにかく、だ。手を抜くような真似すんじゃねえぞ? 準備を怠らないに越したことはねえ。暇なやつは練習でもしとけ。全員、あいつの体をモノにしたいんだろ?」

「「「おう!」」」」

 圧倒的に有利な状況とはいえ、油断して負けてしまう可能性が全く無いわけではない。この場にいる全員は、何としても龍示の体を堪能したいのだ。

「俺、バッティングセンター行ってくる!」

「おう! 俺も俺も!」

「練習するぞぉお!」

 部員達は次々に立ち上がり、やる気全開で練習に取り組む宣言をし始めた。

「絶対に勝って、あの体を思う存分に堪能するわよ~!」

「「「「うぉおおおおお!」」」」

 こうして、部員達は龍示が望まない形で真剣に野球の練習に励むのだった。


***


 その日の夜、龍示は自室のベッドに腰かけて携帯の電話帳とにらめっこしていた。その理由はもちろんメンバー集めだ。

(ここにきて新キャラを登場させるのも気がひけるが……しゃあねえか……)

 龍示は『(おき)()(むね)(とき)』というアイコンにカーソルを合わせ、発信ボタンを押した。

 数回のコール音の後、

『もしもし。藤田君?』

 聞こえてきたのは柔らかで落ち着いた感じの女性の声。沖田宗時という人物のものではなさそうだが、

「おう。今、時間いいか?」

 龍示はノータッチ。どうやら声の主は沖田宗時という人物で間違いないらしい。

『いいけど……ふふっ、珍しいね。こうして藤田君から電話かけてくれるなんて』

「緊急事態なんだよ」

『? どうしたの?』

「実はな――」

 龍示は野球部との勝負について一から沖田に説明した。

『……それは確かに緊急事態だね……』

「だろ? それで、おまえ中学で野球部だったって言ってたよな?」

『! 覚えててくれたんだ。反応が淡白だったから、てっきり聞き流してるのかと思った』

「聞き流すっつーか、どう反応していいか分かんないんだよ。気、悪くさせてたんならごめんな」

『ううん。じゃあボク、藤田君に嫌われてるわけじゃないんだね?』

「? なんで俺がおまえを嫌うんだ?」

『……今まで少し、馴れ馴れしく接しちゃってたかなって。ほんのちょっと不安だったんだ。でも、違うみたいで良かった』

「嫌うわけねえだろ。けど、相手に『嫌われてるわけじゃないんだね?』って聞かれて『嫌い』って答えるやつもなかなかいないよな。例え内心で嫌ってても『嫌いじゃない』って返すのが普通だと思うんだけど」

『それは暗にボクを嫌ってるってこと!?』

「嫌うわけねえだろ。けど、相手に『それは暗にボクを嫌ってるってこと!?』って聞かれて『嫌い』って答えるやつも――」

『ループしないでいいから! 嫌われてないならいいから!』

 龍示は悪ふざけをやめて、話を本題に戻す。

「話戻すけど、どうなんだ? 力、貸してくれるか?」

 龍示が問いかけると、しばしの沈黙が流れた。沖田は少し悩んでいるようだ。そして、

『……うん、いいよ』

 OKの返事。

「うぉっしゃぁあ!」

 龍示はガッツポーズで雄叫びを上げた。経験者の加入はでかい。

『で、でもでもっ! あんまり喜ばないでっ! ボク、あんまりうまくないから、きっとガッカリさせちゃうし……』

「おまえ、運動神経は割と良い方だろ? 体育の時間で見た限りでは」

『そ、そうかな? ていうか、藤田君、ボクのことちゃんと見ててくれたんだね。えへへっ……』

「とりあえず、練習時間は後でメールするから。都合の合う日は来てくれると助かる」

『ありがとう。練習は全部行くから。ちょうど予定も無いしね』

「おぉ……。マジでありがとうな、沖田」

『ボクの方こそ。頼ってくれて嬉しいよ』

「夜遅くにすまなかった。そんじゃあな」

『ううん。大丈――』

プツッ。

龍示は沖田が何かを言い終える前に電話を切った。ささやかな嫌がらせだ。

(よし。一人確保だ。次は……)

 龍示は再び携帯の電話帳とにらめっこし、メンバーを探す。

(そういや、確実に来てくれるやつが一人いたな……)


***


 翌日。午前一一時半。練習の始まる三〇分前。

 龍示は学校の校門前で、練習に参加するメンバーを待っていた。

 少し早く来すぎたか、と龍示は後悔しそうになったが、程なくしてメンバーの一人が到着する。

「おい、借金五〇万減らしてくれるってのはマジなんだろうな?」

 龍示の言った『確実に来てくれるやつ』こと武山先生だ。

多額の借金を龍示にしているという弱みにつけこんで、龍示がメンバーに加えた。

とはいえ、学生同士の(いさか)いに教員を引っ張りこむのはどうなのだろうか。

「マジだ。その代わり、試合でミス一個するたびに二万ずつ借金増やすから」

「うっ……」

 武山は野球の未経験者だ。試合でミスを少ししてしまうかもしれない。

「まぁいいだろう」

しかし、さすがに五〇万の報酬が全部チャラになってしまうことにはならないはずだ。とりあえずは練習を重ねてミスを減らす努力をしよう、と武山は妥協した。

「お待たせ、龍示」

 そうして、次に現れたのは桜ともう一人。

「ど、どうも、こんにちは。わたし、井上千(いのうえち)(さと)っていいます」

 どうやら桜が連れてきたメンバーのようだ。龍示達とは違う他所の学校の制服に身を包んでいる。

「千郷はね、中学のソフト部であたしとバッテリー組んでたんだ。ていうか、龍示も同じ中学だったんだから顔くらいは見たことあるんじゃない?」

「……あるような……ないような……」

 クラスが一緒だったわけではないので、印象に残っていないというのが龍示の正直なところだった。龍示と違う中学の出身と言われたら、龍示はあっさりと信じてしまう。

 千郷はおずおずとした感じで龍示の前へとやってきて、

「あの……藤田龍示君ですよね……? 良かったら、その……握手してもらえませんか……? わたし、ずっとファンでした」

「も、もちろんですとも! えぇ!」

 女子からこのように言われて喜ぶなというのは無理だ。それに、よく見ると千郷は少し可愛らしい顔をしている。沙希という高嶺の花を恋人にするよりは、簡単に摘みとれる野に咲く花である千郷に手を出してみるのもいいかな、と、龍示は下衆(げす)めいたことを考えた。

 龍示と千郷はギュッと握手を交わし、千郷は感激の声を控えめにあげた。どうやら本当に龍示に憧れていたらしい。

 龍示は、かつて沙希に見せていたエセ爽やかな笑顔を浮かべて、

「どうです? 千郷さん。今度ご一緒に食事でもどうですか?」

「えぇ!? えっと! えっと!」

 突然の龍示の申し出に千郷は顔を赤く染めて戸惑った。

 それに見かねた桜は龍示に教えてやる。

「千郷、彼氏いるよ?」

「三秒以内に俺の視界から消えろ。殺すぞ」

 龍示は鋭利な睨みを利かせて千郷を威圧した。

「えぇっ!?」

 千郷はマスオさんのような驚きの声を上げたのち、龍示の視界から消えようと、走って龍示の背後へと場所を移した。

 龍示も嫌がらせをするようにグルリとその場で回って方向転換し、千郷を視界から逃がさないようにする。

「!」

 千郷はなおも龍示の視界から離れようと懸命に抗うが、それを龍示は許さない。

 三秒が経過すると、なんと龍示は懐からガス銃を取り出し、銃口を千郷に向けた。

「ゲームオーバーだ。死ね」

 龍示がトリガーに指をかけたところで、

「やめなさい」

 桜が龍示の頭をパンと叩いた。

「あいてっ」

 龍示は親に叱られた子供のように、おとなしくガス銃をしまった。

「ね? 千郷、あたしの言った通りでしょ?」

「……うん。幻滅した」

 千郷はもう龍示に憧れの視線など向けておらず、『なんなのあの人……』と不審者に向けるような目をしていた。

 龍示は千郷に彼氏がいると分かった時点で千郷から幻滅されることなど痛くもなんともないので、サラリと受け流し、気になったことを桜に尋ねる。

「つーかさ、他所の野球経験者は駄目って話だろ? なんでそいつ連れてきた?」

「ソフト経験者だからね。野球経験者じゃないじゃん」

「おぉ!」

 盲点だった。

 桜と龍示のいた中学の女子ソフト部は全国大会に出場するほどの強豪だ。戦力としては申し分ない。

「その理屈なら、おまえの元チームメイト呼びまくれば勝てるんじゃね?」

「チームメイトで応じてくれたのは千郷一人だけ。他の人達は高校でもソフト続けてて、時間作れないって断られちゃったんだよ」

 桜のクラスは沙希が担当するため、桜自身が連れてこれたのは一人だけとなる。

「くっ……なんでよりにもよって彼氏持ちだけが来るんだよ……」

「なら、わたし帰りましょうか?」

「すんませんしたぁあ! 帰らないで! 一区切りついたら中華でもおごるから!」

 龍示はひたすらに頭を下げて千郷という貴重な戦力をなんとか引きとめた。

「おい、龍示。今日はあと何人来るんだ?」

 この場の空気と化していた武山がようやく口を開いた。

「おぉ、『なんでこの場に先生がいるんですか?』というツッコミすらされていない空気と化していた片玉。あと一人だよ」

「なんだよ!? 『空気と化していた片玉』って! 確かに一つは蒸発させちゃったけども!」

「あの……女子の前でそういう言い回しはやめてもらえますか? 先生」

「うぐっ……すまない、深山」

それから五分程した頃に、最後のメンバーがやってきた。

「ごめんっ、ちょっと遅かったかな?」

 現れたのは男子の制服に身を包んだ女の子(?)だ。背は一六〇センチ前後で、髪は黒で、サラサラのショート。愛嬌のあるパッチリと大きな目が特徴的だ。

「全然。ちょうどいい時間だろ」

「そう? 藤田君、そっちの人達は? って、なんで先生までいるの?」

 女子達と一緒に野球をするという発想の無かった沖田は龍示に尋ねた。

「チームメイトだ。片ボールは素人だけど、そこの二人はソフトで全国大会に出たことのある素晴らしい戦力だ」

「片ボールってなんだ!? せめて呼び捨てでもいいから名前で呼んでくれ!」

 武山のツッコミに戸惑いつつ、沖田は女子二人を感心するように見てから、

「えっと、ボク、藤田君のクラスメイトの沖田宗時っていいます。皆の足引っ張っちゃうかもしれないけど、これからよろしくお願いします」

 沖田はペコリと頭を下げて挨拶をした。

 すると、桜がおずおずと、

「沖田……『君』……でいいんだよね?」

「……はい。女子だって、よく間違えられますけど……。立派な男です」

「失礼なこと聞いてごめんね? あんまりにも可愛い顔してるから……」

「いえいえ」

「あたしは深山桜です。よろしくね?」

「わたしは井上千郷っていいます。違う学校ですけど、よろしくです。沖田君」

 互いに穏やかな雰囲気で自己紹介をしていく。

 それが終わると龍示は全員に告げる。

「鷺咲さんはメンバー集めで来れないから、今日はこれで全員だ。着替えたらグラウンドに集合な」


***


 龍示は沖田と武山をつれて、更衣室と化している体育倉庫へむかった。鍵は武山が事前に持っている。

 三人は中で砂埃の無い場所を見繕って着替えを始めようとしたところで、武山が気まずそうに口を開く。

「おい……沖田は別に着替えなくていいのか……?」

「へ?」

 同じ男だろうという意見もあるだろうが、沖田の見た目が見た目だ。男からジロジロと不快な視線を向けられることもあったはずだ。

「あぁ……確かに。おまえ、体育の時間どうしてたっけ?」

 沖田は少し困ったように、

「……人のいないタイミングで着替えてたよ。一緒に着替えると、何人かジロジロ見てくる人がいるからね……」

「あぁ……おまえの場合、自意識過剰ってわけじゃないもんな。現に男から言い寄られまくってるわけだし……。同情するぜ……」

「藤田君……」

 龍示は分かる。同じ男から変な好意を持たれてしまうことの恐ろしさを。しかし、武山は、

「けど、男子の気持ちも分からんでもないな。なにせ、そこらへんの女子より全然可愛い顔をしているんだから」

「おい沖田。他所(よそ)で着替えてこい。変態片玉教師がおまえの脱衣シーンを心待ちにしてるみたいだから」

「してないから! 確かに俺の発言もあれだったけども! すまない、沖田。俺は外で着替えてくる」

 武山はやはり沖田と同じ場所で着替えるのは気まずいらしい。

 龍示も、

「悪い、沖田。俺はこれから野外で始まる片玉ストリップショーの呼び込みに行かなくちゃいけなくなった」

 なんだ。その片玉ストリップショーというのは。

「行かなくていいよっ! ていうか、藤田君、武山先生に失礼すぎない!? 一応、教員だよ?」

「……ありがとう、沖田。こいつはいいんだ。病気みたいなもんだから」

 武山は沖田に感謝の言葉を送り、体育倉庫から着替えを持って出て行った。

「………………」

「………………」

 取り残された龍示と沖田の間に微妙な沈黙が流れる。

 少しして沖田が、

「……着替えよっか?」

「……お、おう」

 龍示は着替えを始め、服に手をかけるが、

「………………」

 龍示の視線は、ふと、沖田の方へと向いた。沖田を変な目で見る男子の気持ちが分かると言った武山を、変態呼ばわりした龍示であるが、内心では龍示も同じ気持ちだった。どう見ても沖田は美少女にしか見えない。

 サラサラと細やかな髪。細い首筋。色白の綺麗な肌はツルツルのスベスベ。

「……!」

 一度意識してしまうと止まらない。沖田の体の一つ一つが、沖田の仕草の一つ一つが艶めかしくてしかたない。龍示は武山と同じく、気まずい思いをするのだった。

「やっぱ俺……外で着替えてくる……」

 そう言った龍示に、沖田はキョトンとした顔で龍示を見る。

「藤田君も……気になる?」

「い、いや」

 ダウト。

「おまえが抵抗あるんじゃないかって。俺が意識してるしてないの問題じゃなくてな。男子と一緒に着替えるってこと自体、おまえの精神衛生上に良くないんじゃないかって」

 そんな龍示のまくしたてるような言いわけに、沖田はクスッと笑う。

「……そんなことないよ?」

 沖田の答えに龍示は逃げ道を無くした。

「確かに、男子と一緒に着替えるのは、ちょっと抵抗あるけど……藤田君なら、大丈夫だから」

 沖田は自分の言った言葉が嘘ではないというように、じっくりと龍示との距離をつめてくる。

「……?」

 なんでだ? そう聞きたいのだが、龍示はうまく言葉にできなかった。

「!」

 というか、気がつけば沖田との距離がかなり近くなっていた。数字にして三〇センチもない。完全に恋人同士の距離だ。

少し視線を下げれば、美少女の顔のアップ。それに、今この場には龍示と沖田の二人だけ。意識するなというのはさすがに無理だ。

 そんな内心であたふたしている龍示に追い打ちをかけるように、沖田は制服をはだけさせ、可愛らしい顔からは想像もできないような妖艶な笑みを浮かべる。

「なんなら……じっくり見てみる……? ボクの体……」

「っ!?」

 なぜ、そのような意味深なことを言うのか。冗談だということは分かる。しかし、冗談だけではない気もする。

「今なら……二人っきりだから……ね?」

奥を見通せない沖田の深い深い瞳に、龍示は吸い込まれていくような感覚を覚え、頭から思考が段々と抜け落ちていく。

「いいんだよ……? 好きにしても……藤田君なら……」

(マジで!?)

 龍示はゴクリと喉を鳴らす。このまま沖田の放つ色気に惑わされたらどうなるのだろうか。今は二人っきり。周りの目を気にする必要は無い。沖田本人も冗談半分ではあるが、見てもいいと言っている。体育倉庫の暗がりの中、ほんのりと赤く上気した滑らかな肌も、スラリとしなやかな手足も、小さな丸みを帯びた可愛いお尻も。好きなだけ。

 龍示の中の悪魔が囁いてくる。

(悪魔:好きにしちゃえよ。本人もいいって言ってんだから。男っつっても、そこら辺の女よりもよっぽどの上玉だ。こんな滅多な機会、見逃しちゃっていいのかよ?)

(うぐっ……確かに千載一遇のチャンスかもしれねえ……)

 負けじと天使も、

(天使:あswいgふみfskかかきklmzあ3じにvknまsづ高橋大輔)

(天使何言ってるか分かんねえんだけど!? つーか最後『高橋大輔』って言ったろ!? どんな文脈!?)

(悪魔:沖田本人も誘ってるって。WinーWinじゃねえか)

(そうだよな……。WinーWinだよな……)

(天使:………………)

(天使喋れよぉお! いいの!? このまま男相手に手出していいの!? いいわけねえだろうが!)

(天使:…………私も見たい)

(こいつ駄目だぁあ!)

 龍示の中の天使も龍示と同じく下衆だった。

龍示は理性を総動員して自身の欲望を抑える。しかし、日頃持て余した性欲の勢いは計り知れない。今まで生きてきて、こういうピンク色の場面になど出くわしたことなどないのだ。モテない男にこの空気は辛い。段々、沖田が男だという歯止めもきかなくなってきてしまう。

(ここらでおいしい思いをしても……いいよな……?)

 龍示が欲望に屈しかけたところで、

 ガラガラ。体育倉庫の扉が開けられる音。

「「!?」」

 二人はビクリと体を震わせて入口を見てみると、

「おまえら、まだ着替えてなかったのか……」

 救いの手ならぬ救いの玉がやってきた。

 武山は二人のぎこちない様子を訝しむ。

「というか、これまでの時間何してたんだ?」

 言えるわけない。

「わ、悪い! すぐ着替えるから!」

 龍示は武山の追及を逃れるように着替えを持って体育倉庫から逃げ出すように出て行った。


***


 武山は呆けたように龍示を見送る。

「……最近、あいつ人間じみてきたな……」

「あの……藤田君を動物みたいに言うのはやめてもらっていいですか?」

 沖田が控えめに武山に言った。

「いやいや、そういう意味じゃなくて、だな。ちょっと前までのあいつは傍若無人が服を着て歩いているようなやつだったから……」

「確かにボクも、藤田君の取り乱した顔は初めて見ました」

「そういや、なんで取り乱してたんだ?」

「……どうしてなんでしょうね」

 沖田は苦笑してはぐらかした。

「……まぁいいか。俺は先に外で待ってるから」

 武山は荷物を倉庫に置いて出ていった。

「………………」

この場に一人残った沖田は、先ほどの龍示との出来事を思い出す。

 真っ赤に染まった顔。心中をごまかそうとした時のぎこちない喋り方。どうしていいか分からないというように泳ぐ視線。全てが初々しくて、見ていてたまらない気分になる。

「脈は……全く無いわけじゃないみたいだね」

 沖田は小悪魔のような笑みを浮かべて呟いた。


***


 ランニングと柔軟を済ませると、龍示はポジションについての話を切り出す。

「桜と彼氏持ちはピッチャーとキャッチャーでいいとして……沖田、おまえ中学でどこやってた?」

「外野一通りとセカンド、ショート、サードかな。やろうと思えばどこでもできるよ」

「そうか。じゃあ、ショートをお願いしていいか?」

「任せて」

「じゃあ頼む。今は内野ゴロを確実に捌けるやつが一人でも多く欲しい」

「うんっ。……藤田君に頼られちゃった……えへへっ」

「武山。おまえレフトな」

内野と外野なら、仕事量、考えることが少ないのは断然外野だ。内野は直接打球が来なくても併殺、中継など、やらねばならないこと、瞬時に判断すべきことがたくさんある。外野にもそういう仕事はあるのだが、内野より考えることはずっと少ない。レフトは初心者に任せるポジションとしては妥当と言える。

「嫌だ。DHで」

「DHねえから」

武山は守備でミスして報酬の額が減るのが嫌らしい。

「で、俺はセカンド。今この場にはいねえけど、ファーストは和で。昔から俺とキャッチボールやってるし。捕球はそこそこできるはずだ」

「和って誰なの?」

 沖田が探るように尋ねた。

「俺の妹だ」

「へぇ……藤田君、妹いたんだ」

 とりあえず、現状で試合に参加できるメンバーのポジションは確定した。

 ピッチャーが和。キャッチャーが千郷。ファーストが和。セカンドが龍示。ショートが沖田。レフトが武山。以上だ。

 桜は頭の中で整理して、

「じゃあ足りないのは……サードとセンターとライトの三人だね。できればもう少し経験者が欲しいところだけど……」

「ここにいる全員はもうアテが無いんだろ? 後は鷺咲さんに任せるしかねえ」

「……だね。じゃあ、龍示。もう練習始めよう?」

「おう」


***


 その頃、沙希は自室にて携帯電話でクラスメイトに電話をかけ続けていた。学校の知り合いで野球経験者、もしくは運動神経の良い人に心当たりはないかをずっと尋ねているのだ。人数を集めることが第一条件とはいえ、誰かれ構わず勧誘するわけにはいかない。なるべくは上手な人が欲しいのだ。なのでまずは情報収集。勧誘はその次だ。

「あ、はい。ありがとうございます。いえいえ、大丈夫です。それじゃあ、はい」

 沙希は電話越しの相手にペコペコと頭を下げながら通話を切った。

 側にあるテーブルには大きなメモ用紙とボールペン。メモには様々な男子の名前が並んでおり、その横には『正』の字で数がカウントされていた。名前は電話相手から推薦されたメンバーであり、数は何人の人に推薦をされたのかという数である。

(ここまで野球経験者の情報はゼロ……。大丈夫かな……)

 沙希はブンブンと首を振って、ネガティブな思考をふるい落とす。

「次! 頑張ろう!」

 沙希はまた一人、クラスメイトへと電話をかける。

『はい? もしもし?』

 出てきたのは女子の声。

「えっと! 突然申し訳ありません! 同じクラスの鷺咲です」

『え……? 鷺咲さん?』

「はい。桜ちゃんから番号を教えてもらっちゃいました。すみません。嫌なら電話帳から消しておくので、せめて用件だけでも聞いてもらえませんか?」

『いやいや、いいから。消さなくて。あたしも鷺咲さんの番号登録しておくから』

「あ、ありがとうございます!」

 簡単な挨拶が済んだところで、沙希は早速心当たりを聞く。相手から返ってきた答えは、

『あぁ、あの人いるじゃん。藤田って人』

 また、だ。今日何度目だろうか。こうして龍示の名が挙がるのは。沙希はお決まりとなりつつある返し文句を唱える。

「藤田君はもうメンバーにいるんで、他に心当たりはありませんか?」

『うーん……男子のこと、あんま詳しくないからなぁ……。ごめん、無い』

「そうですか。それなら仕方ないですよね」

『せっかく電話かけてきてくれたのにごめんね』

「いえいえ。……それよりも、藤田君ってそんなに凄い人なんですか? 今まで聞いた人全員が真っ先に藤田君の名前を出すんですよ」

『え? 凄いんじゃないの? 今はどうか知らないけど……。有名人じゃん』

「そうなんですか……?」

 有名人と言われても、沙希は龍示の有名人としての顔を知らない。きっとローカル規模なんだろうな、と沙希は結論づけた。

沙希の見る限り、龍示の野球技術は少し頼りない印象だった。事実、そうである。桜が完璧に打ちまくっていた球も、龍示はほとんど打ち返せなかった。体力や身体能力の基準といったものは分からないが、長らく運動からも離れていたらしいし、少なくとも一流アスリートのそれとは思えない。

 しかし、電話の相手から挙げられる数はぶっちぎりでトップだった。それもクラスメイトで顔馴染みである桜を抜いて、である。そんなに凄い選手だったのだろうか。全国大会に行った桜よりも。

「ありがとうございます。それと、できれば他のクラスで男子に顔のきく人がいたら連絡先を教えてほしいんですけど……」

『ん~と……あ、そうだ。あいつならいいかも。うん、いいよ。メールすればいい? あ、でも鷺咲さんのアドレス知らないわ』

「あ、ありがとうございます! それじゃあこっちから空メール送信するので、アドレスを教えてもらっていいですか?」

『うん、いいよ。メモ大丈夫?』

「オッケーです。お願いします」

 沙希はメモ帳をもう一つ出して電話相手のメールアドレスを(つづ)っていく。電話の結果、良いメンバー候補が見つからなかったとしても、こうして次に繋げていくことを怠らない。

「ありがとうございました。それでは、失礼します」

 沙希は通話を切ると軽く溜息をついた。

 メモ用紙の中身を改めて見てみると、名前はたくさん記入されているものの、数の配分が全体的にまばらで、誰を勧誘していいのか分からない。これといった人が出てこないのだ。

「野球経験者ってこんなにも見つからないものなのかぁ……」

 思ったよりもメンバー探しの道は険しい。

 沙希はパンと頬を両の手で挟むように叩いて喝を入れる。

「よしっ。次いこう」


***


 時刻は午後六時半。龍示、沖田、武山の三人は練習を終えて体育倉庫に置かれたマットに腰を落とした。

「なぁ、俺の練習量を少し減らしてくれてもいいんじゃないか? 俺、今年でサーティワンだぞ? 若くないんだから、もう少し加減をだな……」

「楽して借金減らしてもらえるとでも思ったか? 片玉さんよぉ……んな虫の良い話あるわけねえだろ」

「すみませんでした」

 それでも二週間頑張れば五〇万なのだ。割の良い話には変わりない。まぁ全て借金の返済にあてられて手元には一銭も残らないのだが。

「あの……藤田君、借金ってなに?」

「言っていいか?」

「駄目だ」

 武山は即答した。

「にしても、沖田は凄いよなぁ……。あれだけ動いたのに全然平気そうじゃないか」

「そんなことないですよ。結構バテバテですもん」

 沖田は謙遜するが、三人の中で一番体力が余っているかは一目で沖田だと分かる。

「逆に、龍示は意外と大したことなかったな。練習中の集中力は凄まじかったけど、能力では全体的に沖田に劣ってるんじゃないのか? 体力も技術も」

「やかましい。これでも最初に比べればマシな方だ。……確かに沖田が予想以上にうまかったのは認めるけどよ」

 龍示の称賛の声に、沖田は照れたように笑う。

「ありがとう。でも守備だけだよ。バッティングはからっきしで使いものにならないからずっとベンチだったし」

 今日のメニューはほとんどが守備練習だったため、沖田のバッティングを見る機会は無かった。こうして自信が無いように言われてしまうと、実際にこの目で確かめておきたいところだが、しかし、龍示は気にしない。

「バッティングに関しては心配するな。向こうは一回で一〇点も取られるようなヘボピッチャーなんだ。素人でも打てるレベル、もしくはまともにストライクすら投げられないレベルと考えていい」

 つまりは、打撃はそこまで練習せずとも、ある程度の成果は望めるということだ。

「……なるほどね。要するに、こっちの守備がまともに機能すれば自然と勝てるってことでいいの?」

 まともに守備が機能するということはすなわち、アウトにできる打球をアウトとして処理すること。口にすれば簡単だが、これはなかなかに難しい。

「そういうことだ。そのために、もう一人か二人経験者が欲しいとこだけだな……。特にサード」

「初心者にサードはちょっとキツいかもね。強い打球がバンバン飛んでくる場所だし」

「……鷺咲さんがいいやつ連れてくるよう祈るしかねえな」


***


 沙希はあれからずっと休憩を挟むことをせずに、ひたすらに情報を集めていた。気がつけば日は暮れており、結構な時間が経っていたことに気づかされる。

「ちょっと休憩~」

 沙希はベッドに寝転び、しばしリラックス。休憩がてら、改めてメモの中身を確認してみる。

 残念ながら野球経験者の情報は全くといって見つからなかった。他校ならばという条件ならば結構の数があったのだが、ルール違反となってしまうため諦めるより他は無い。しかし、沙希の頑張りの成果は全く出ていないわけではない。

「……候補はけっこう絞れたな……」

運動が得意な人間はある程度絞ることができたのだ。数にして一〇人弱。全員の連絡先も入手済みだ。その中で、果たして何人の人がメンバーとなってくれるのか。そろそろ直接的な勧誘を始めてもいい頃かもしれない。

(これからは勧誘かぁ……。頑張らなくちゃ……!)

 ガチャ。ノックも無しに部屋のドアが外から開け放たれた。

「姉さん、入るよ」

「岬!? びっくりさせないでよ。ノックしてから入ってって何回言えば分かるの?」

「何回言われても分かんない。夕飯、外食にしようと思うんだけど、どこか行きたいとこある?」

「そっか、お父さんとお母さんは帰り遅いんだったね。う~ん……さっぱりしたのがいいな。そうめんとか」

「なるほどね。けど、そうめんのある店って無くない?」

「だね。見たことないね。需要無いのかな?」

 見たことないのなら口にするなと言いたいところだが、きっと疲れて頭が働いていないのだろう。

「さあね。似たようなのだと、ざるそばとか?」

 ざるそばのある店はけっこうある。代案としては悪くなさそうだが。

「ざるそばの気分ではないんだよねぇ……」

「面倒臭いな……。行きたい店が無いなら勝手に決めちゃうよ? 後で文句も受け付けないから」

「うん。悪いけどお任せする。今、出かける支度するから」

「分かった。それじゃあ下で待ってる」

 岬は踵を返して部屋から出ていった。

(勧誘は夕飯の後にしよう……)


***


 鷺咲姉妹はいざ外へ。行き先は結局、無難にファミレスとなった。様々な種類があるファミレスならば沙希の要望に合うものも一つはあるだろうという岬の配慮だ。

 ファミレスの場所は家から歩いて五分程の所にある。

 気温は昼と変わらず高いままのはずなのだが、ギラつくような日差しが身を潜めるだけで暑さが和らいでいるように感じられる。情緒とでもいうのだろうか。昼ではやかましいだけだったセミの鳴き声も、日が落ちた今では『夏』を演出してくれているような気がして親しみが持てる。

「……夏……だねぇ……」

「くすっ……なに感慨に(ふけ)ってるんだか……」

 岬は人前では絶対に見せないような柔らかな笑顔を浮かべた。

 沙希は思いを馳せるように夜空を見上げる。

「もうすぐ甲子園かぁ……。今年も楽しみだなぁ……。うふふっ」

 沙希は本当に楽しみにしているようだった。その証拠に、眼がクリスマスを待つ子どものようにキラキラとしている。

「……! そう……だね……」

 岬はそんな沙希の笑顔にどう返していいか分からず、ぎこちなく相槌を打った。

 岬の頭に、桜から以前言われたことが反芻(はんすう)される。馬鹿にもできないくらいに馬鹿げた夢。そんな夢に価値なんてあるのだろうか。

「姉さんは……さ。甲子園に行くって夢があるでしょ? それ、本当に叶うと思う……?」

「……!」

 沙希は目を丸くしてこっちを見た。

なにせ自分から野球の話を切り出すなんてことは、もっと言えば沙希の夢について聞くなんてことは初めてだったから。

「ご、ごめん。嫌な言い方するつもりはなかったの」

 岬は慌ててフォローするが、沙希は笑顔で気にしていないことを伝えた。

そして、沙希はしばし考えるようにしてから、答える。

「……分かんないや」

「……え?」

「少し前なら無理って答えてたかもしれないけど……今は分かんない。可能性が限りなく低いってことは分かるんだけどね」

 沙希は苦笑とも違う笑みを浮かべて続ける。

「でもね、凄く楽しいんだ。藤田君と出会ってからの今が凄く楽しいの。私、前に進んでるんだなって。ちゃんと夢に挑んで頑張ってるんだなって。凄く充実してる。もちろん、進んでいるっていっても、肉眼じゃ感知できないくらいに小さい距離かもしれないけど……それでも今までとは全然、何もかも世界が違って見えるんだ。夢に挑むってこういうことなのかって……憧れてるだけの時じゃ絶対に分からなかった。憧れてるままで終わってたらって思うとゾッとしちゃうな」

「………………」

 正直、岬には分からない。辿りつけないと分かっていても歩みを進めることと、辿りつけないと分かって何もしないことの違いが。沙希は言っていた。肉眼じゃ感知できないくらいに小さい距離しか進んでいないのかもしれないと。それなのに、どうして世界が違って見えると言うのだろうか。立ち止まっているときと距離は変わらないはずなのに、どうして景色が違って見えるというのだろうか。なぜ、沙希がわざわざ疲れる方を選択するのか、岬には分からない。

「今はこの気持ちを受け止めるので精一杯って感じ。夢が叶う叶わないってことまでは、まだ頭が回らないかも」

「…………そっか」

 叶わない夢をもつことが良いことであるのか、それとも悪いことであるのか、岬には分からない。それでも、今の沙希はとても楽しそうだ。

「けど、岬とこういう話するの珍しいね。何かあった?」

「……別に。姉さんが浮かれてるみたいだったから気になっただけ」

「浮かれてるって……頭の悪い人みたいに言わないでよ」

「現に悪いでしょ? 頭」

「そんなハッキリ言わなくてもいいじゃん! うぅ……双子なのになんでこうも頭の出来に差がでるかなぁ……」

 二人はそれきり他愛の無い話をしながら、程なくしてファミレスに到着。

 ドアを開けて中に入るとひんやりと気持ちいい冷気が二人を出迎えた。

 いざ、席を取るために名前を書きに行こうと奥に進んだところで、

「「げっ(あっ)!」」

 二人は待合室で見知った顔を発見した。


***


 練習を終えた野球部のメンバーはファミレスに集まっていた。

 一同、空腹を我慢しながら待合室で待っているところへ、

「おぉお! 鷺咲さん! 奇遇ですね!」

 鷺咲姉妹の入店と出くわすこととなった。

 龍示は歓喜する。疲れたときに沙希の顔を見れるのは何よりのご褒美だ。癒される上に、テンションも上がるというもの。

「沙希! 岬さんも、こんばんは! 姉妹仲良く一緒に夕飯?」

「はい。みんなも一緒に夕飯ですか?」

「ええ。ちょっとしたメンバーの親睦会も兼ねてます」

「へぇ、楽しそうですね」

 沙希はそう言った後、ある違和感に気づいて尋ねる。

「あの……どうして先生も一緒なんですか?」

「俺もメンバーなんだ。龍示(こいつ)に言われて仕方無くな」

「嫌ならやめてもいいんだぜ? 片……け山先生?」

「かたけやま先生って誰だ!? 分かってるよ! すんませんでした! 誠心誠意、龍示様のために尽くさせていただく所存にございます!」

 武山は土下座して龍示に詫びた。

「藤田君、どっちがマネージャーの方の鷺咲さんなの?」

 横にいた沖田が尋ねてくる。沖田は龍示と同じクラスなので、鷺咲姉妹と直接の面識は無い。

「一応両方だよ。性格の良さそうな方が沙希さん。性格の悪そうな方が岬だ」

「ああ、……えっと……もう少し違う表現無い?」

「でも、おまえ一瞬納得したろ?」

「そ、そんなことないってば!」

 沖田は気まずそうにチラリと二人の様子を窺ってみると、沙希は苦笑していて岬は無視を決め込んでいた。

「ねぇ、二人とも。良かったら一緒に食べない?」

「いいですね! 岬、一緒に食べようよ」

 沙希は眼をキラキラとさせて岬を誘うが、

「わたし帰る」

 岬はきっぱりと断り、

「岬……」

残念そうに眉根を寄せている沙希に背を向けて出口へと向かおうとする。

その様子を目にして、龍示の口に自然と邪悪な笑顔がこぼれる。。

(くっくっく……! 最大の邪魔者が消えたか……! これで心置きなく鷺咲さんに近づけるというもの……! ふはははは!)

「やっぱ一緒する」

 岬は一転して参加する旨を伝えてきた。

「岬! ありがとう!」

「はぁ!? よ、良かったぁ~! やっぱ皆一緒じゃなきゃ良くないよなぁ~。うん」

 龍示は沙希の前だということで、岬への追及は自重した。

(ふん、あんたの思い通りになんてさせないから)

 岬は龍示を睨み返して釘を刺してくる。

(ぐぬぬ……! おとなしく帰ってウンコでも食っていれば良かったものを……!)


***


 一行はテーブル席を繋いだところへと案内された。

 席順は奥の方から、武山、沖田、岬、龍示。対面する形で沙希、桜、千郷となった。

「おい、なんでおまえが俺の隣に来んだよ」

「わたしが姉さんの側にいったら、姉さんがわたしに変に気を遣って楽しめなくなるでしょ。ついでに、あんたに好き勝手させないように監視もできるし」

「ちっ……早く歳取って死ね」

「女子に対して死ねとか、超ありえないんですけど?」

 龍示と岬は席に着くなり早速火花を散らし始める。

「はい、藤田君。メニューだよ。岬さんもどうぞ」

 龍示の隣にいた沖田が気を利かせて二人にメニューを渡した。

 龍示は沖田に礼を言ってからメニューを眺める。

「沖田、おまえ何食う?」

「う~ん……迷うなぁ……。実は財布の中が心許ないんだよねぇ……。あ、これ、おいしそう! うっ……高い……!」

 沖田はメニューとにらめっこしながら表情をコロコロと変えては一喜一憂している。見ていてちょっとおもしろい。

「好きな物頼めよ。金なら出してやるから」

「えっ、駄目だよ、そんなの」

「礼だよ。礼。一緒に野球やってくれるんだ。夕飯くらい奢らせてくれてもいいだろ?」

「藤田君……いいの……?」

「おう。デザートも好きなだけ頼め」

「やったぁ! じゃあじゃあ……パフェとかいっちゃっていいかな?」

「おう、頼め頼め」

「ありがとう、藤田君!」

 沖田は子どものように無邪気に喜んだ。こうも喜んでくれると龍示も嬉しく思う。

「おい、龍示。俺は?」

 美味しい話を聞きつけた武山がハイエナのようにやってきた。

「おめーは(かた)(たま)()かけご飯でも食ってろ」

「そんなメニュー無ぇよ! なんだよ、片玉子かけご飯って!」

「つーか、おめー社会人だろうが。プライド持てよ……」

「俺のプライドの大半はおまえにぶっ壊されたんだろうが!」

 だからといって社会人が学生にたかるのはどうかと思うが。

「ちっ……いいよ。おまえの分も出してやるよ」

「おっしゃあ! 肉だ! 肉を頼むぞ!」

「藤田君、お金大丈夫なの?」

「ん? ああ。全然平気だ」

 龍示は桜と沙希の分も払ってやろうかと思ったが、二人はそういうことを嫌いそうなので、あえて何も言わなかった。岬と彼氏持ちこと千郷にはハナから奢る気など無い。

 一行はウエイトレスを呼んでメニューを注文をすると、それぞれ近くにいる人と雑談に興じる。

「沙希、メンバー集めの方はどう?」

「野球経験者は見つかりませんでしたけど、勧誘する候補はある程度絞れました。帰ったら本格的に勧誘を始めるつもりです」

「おぉ、やるじゃん。この調子ならメンバーが九人揃うまでにそんなに時間はかからなそうだね。よく頑張ったね」

「はいっ。ありがとうございます」

 沙希と桜は互いの現状を確認しあい、

「聞いてくれよ、沖田。この前親戚の葬式に行ったときの話なんだけどな? 姪っ子のミキちゃんに久しぶりに会ったんだよ。そしたら言葉を喋れるようになっててな? それが可愛いのなんのって。親戚が死んだこととか、もうどうでもよくなっちゃってなぁ……。だってな? 俺のこと『コースケおじちゃん』って呼んでくれるんだぞ? な? 可愛いだろ?」

「は、はぁ……。そうですね……」

 沖田は武山の退屈な話に付き合わされており、チラチラと龍示の方に助けを求める視線を送っていたが、龍示はそれに気づかない。

 取り残される形となった龍示と岬と千郷はというと、

「………………」

「………………」

「………………」

 気まずい沈黙の空気にあった。

「……おい、彼氏持ち。おめー今、俺の足蹴ったろ?」

 突然、龍示が千郷に因縁をつけ始めた。

「え? わ、わたしじゃないです!」

「あ? じゃあ、おめーか? 岬」

「は? ウザっ。わたし何もしてないし。勝手に人疑うとか最低」

「やっぱおめーだろ。眼にフォーク刺してやろうか? あぁ?」

 険悪な空気が流れる中、

「……ごめん、藤田君。足当てちゃったのボク……」

 おずおずと、気まずそうに言ったのは沖田。武山の退屈な話に対するSOSのサインだったのだが、こんなに険悪な雰囲気を作ってしまうとは予想だにしていなかった。

「へ? ま、マジで?」

「うん……。本当ごめん。いろんな意味で」

「………………」

 龍示はビクビクしながら千郷と岬を見てみると、

「…………最低です」

「死ねば?」

(めっちゃ気ぃ悪くしてる! どうしよう!)

 二人は龍示に最低な汚物を見るような視線を向けていた。さすがの龍示もこれは気まずい。

「ご、ごめんな……?」

「……追加注文、頼んでいいですか?」

「……わたし、バナナストロベリーパフェ」

「……どうぞ好きなだけ注文してくれ」


***


 最初の方こそ気まずい空気が漂う場面もあったが、時間が経つにつれ会話ははずんでいき、沖田、千郷の新参組も、今日初めて顔を合わした面々と打ち解けていった。

 二時間くらいして、親睦会はお開き。会計を終えると一行は外へ出て、冷房で冷えた体を温める。

「藤田君、ごちそうさま。あの……本当にお金大丈夫なの? 結局みんなの分も払っちゃって……」

「おう。昔、貯めた金が腐るほど余ってるからな。平気だ」

 皆はまだ話し足りないのか、外に出てもそれぞれ雑談に興じるグループが出てくる。

「みんな、ちょっと聞いてくれ」

「「「「?」」」」

 皆は雑談をやめ、龍示へと視線を向ける。

「今回、こうして協力してくれること、本当に感謝する。ありがとう」

 龍示は桜、沖田、千郷、武山に視線を向けて言った。

「どういう理由で協力してくれてるのかは、俺は知らないけど、多分、気まぐれ程度のちょっとした感じなんだろうと思う。だから、これから頼むことは気に食わなかったら聞き流してくれ。聞く義理も無いだろうしな」

「「「「………………」」」」

 皆は真剣に龍示の言葉に耳を傾ける。

「もし、もう一度気まぐれを起こしてくれるのなら、明日からの練習は本気で取り組んでほしい。……えっと、勘違いするなよ? 別に、今日の練習に取り組む姿勢が不真面目だったってことじゃない」

 ただ、と龍示は言って、

「……無理、してくれ。勝つために一緒に全力を尽くしてほしい。今度の試合は絶対に負けるわけにはいかない、本当に大事な試合なんだ。なんとしても絶対に勝たなきゃいけない……!」

 この場にいるほとんどの人が唖然とした。なにせ、チャランポランの化身である龍示がこんなにも必死になって頼みごとをしてくるのか。

「ねぇ、藤田君……。聞いてなかったけどさ、どうして野球部の人達と試合することになったの?」

「そういや、俺も聞いてなかったな」

「わたしもです」

 沖田、武山、千郷は詳しい話を聞いていなかったらしい。

「今の野球部が真っ当な部じゃないってことは知ってるか? まぁ、今言ったから知らなくてもいいけど……。今、野球部でちゃんと活動してるのは俺と鷺咲さんの二人だけで、他の部員は練習にほとんど顔を出さない有様なんだ」

「俺は今何も聞こえていないことにしておいてくれ。一応言っておくが、我が校に不健全な部活は存在しません」

 武山は教員として見て見ぬふりを決め込む。いじめを頑として認めない卑怯な大人と姿がかぶるのは気のせいだろうか。

 龍示は武山を無視して話を続ける。

「今度の試合に勝てば、野球部が真っ当な野球部として生まれ変わるんだ。全員、毎日、練習に顔を出すのはもちろん、真剣に野球に打ち込んでもらう。そんで、目指すは甲子園ってところだな」

「「「「……!」」」」

 甲子園。なんとも非現実的な言葉だ。しかし、それに何かを言う者は一人としていなかった。

「と、まぁ、余計な話はここまでにしておこうか。こっからが本題だ。絶対に負けられない理由を言っておく」

「「「「……え?」」」」

 今のが本題じゃなかったのか。甲子園に行くためにも絶対に負けられないということではなかったのか。

 一同は黙って龍示の言葉を待つ。


「今度の試合に負けたら、野球部の野郎どもに……俺の尻の貞操が奪われちまうんだよ!」


「はい、解散~! お疲れ~!」

「お疲れ様でした~!」

「帰ろ帰ろ~!」

 桜が言いだしたのをきっかけに、メンバーが解散し始めた。しかし、龍示の話に食いついた者がここに二人。

「そんなの絶対に駄目っ! どうしてそんな約束しちゃったのさ!? 藤田君!」

「詳しい話、聞かせなさいよ。じゅるり」

 沖田と岬だ。特に岬の食いつきは凄い。

「くふふっ……あんた、誰に攻めてもらうの? やっぱここは王道で木原先輩? イチロー先輩もいいなぁ……。クカカカッ」

岬は麻薬中毒者のように爛々と目を輝かせて龍示の元へと詰め寄ってくる。

「おい!? おまえどうした!?」

 岬の尋常じゃない様子に龍示は恐怖する。

 それでも岬は止まらない。

「ゲヘヘェ……やっぱ無理矢理のシチュってマジ萌える……! あぁあ! でもでも! 影人先輩が無理矢理迫るとか……! ヤッバ! 最強じゃん!? ゴフェフェフェ! あぁ、ヤバイヤバイヤバイ! 想像したらマジヤバくなってきた! キヒィ!」

 岬の脳内では龍示が男に襲われるシミュレーションが何回も何回も繰り返され、同時に脳内麻薬的なホルモンがバンバンに分泌されていく。

 龍示と沖田はそんな岬の様子を前に一歩後ずさる。

「おまえ……さ。もしかして、ゲイのカップリングが好きな特殊な人だったりする……?」

 前に野球部員が裸で仲睦まじく絡み合っていた様子を岬がハァハァしながら覗いていたのを思い出す。あれは好きな男子を覗いていたからというわけではなく、そういう関係に興奮する性癖の持ち主だったということなのだろうか。

「当たり前じゃん? つーか、ゲイじゃなくてBL。覚えておきなさい」

「いや……どっちでもいいんすけど……。うぷっ……やべっ、トラウマが……」

 龍示の強烈なトラウマが脳に襲いかかり、龍示は必死に吐き気を押し殺す。

「グヒヒヒッ……ヤバい……シチュが……! シチュが泉の様に湧いて出てくる! こいつが無理矢理犯されるシチュが!」

「脳細胞有給取れぇえ! こいつに妄想なんてさせちゃ駄目だ!」

 龍示のツッコミも空しく、岬の妄想はとどまることを知らず、岬は所々で奇声を上げたり、気味の悪い笑い声を上げて気持ちよさそうにトリップしていた。

「藤田君……行こう……?」

「あ、あぁ……」

 龍示は沖田に手を引かれて、この場を立ち去った。

 一人、取り残された岬は人目も(はばか)らず、尚もこの場で妄想に(ふけ)るのだった。


***


 野球部打倒の練習の三日目。とうとう沙希はメンバーを三人、新たに加えてみせたのだった。

 龍示、桜、沖田、武山、千郷、そして今日初めて練習に参加する和の六人は、体育倉庫の前で集合している。

「兄さん、こんなメンツで勝てると思ってんの? 男子、兄さんとおじさんの二人だけじゃん……」

 おじさん=武山。

「今日、鷺咲さんが連れてくるのは三人とも男らしいぞ。ちなみに、この場にも男子は三人いる。おまえが女だと思っている連中の内、一人は男だ。当ててみろ」

「うそ!? 本当に!?」

 和が周囲を見回して尋ねてみると、他の人は龍示の言ったことにうんうんと面白そうに頷いた。

「うーん……誰だろ……?」

 和は一人一人の顔をよく見てみる。

「ねぇ、和。あたしまで疑う必要性は無いでしょ? 何年間一緒にいると思ってんの? ここであたしが実は男でしたってなったら話的にどうなの?」

「あ、そっかそっか」

 和は自分の馬鹿さ加減に気づいて苦笑した。

実質、正解は沖田と千郷の二択だ。

 和は悩んだ挙句、千郷の前へとやってきて、

「こっちが男だ! 兄さん、正解は?」

「ハズレだ。正解は隣のやつだよ」

「えぇえっ!? ウソでしょ!? 男の方が可愛いじゃん! ……って、あぁあ!」

 大失言。

 和の失言に、この場にいる全員が気まずそうに地面に目を伏せた。

 すると、千郷が、

「ねぇ、桜……わたし、藤田兄妹苦手かも……」

「ごめん……。でも一応言っておくけど、和、根は良い子だから。あんまり嫌わないであげて。龍示は嫌っても仕方無いけど」

「すみませんでした! 本当にすみませんでした!」

 和はすまなそうに、千郷へ頭をペコペコと下げて謝罪する。

 千郷はこうも素直に謝られると挨拶に困る。

「い、いえ……あの…………」

 こうやって、自分の非をすぐに認めて相手に謝ることができるということが、龍示とは違うのだろうな、と千郷は和の認識を改め――

「すみません。動揺した余り、つい、本……当に思ってもいないことがポロリと出てしまって」

 ようとしてやめた。

「『本音』って言おうとしましたよね? ポロリと『本音』って言葉が出そうになりましたよね?」

 とはいえ、千郷は和が本当に反省しているのが分かっているため、強くあたることができず、膝をついて項垂(うなだ)れた。

 しかし、ドSである龍示は悪魔のような笑みを浮かべて千郷に追い打ちをかける。

 龍示は千郷を指差して、

「おい、和。あの男な、彼氏持ちらしいぜ。あ、男じゃなかったか。女だ女。あっはっは」

「(ギロッ!)」

「や、やめてよ、兄さん……。あの人凄く睨んでるよ……?」

 和は龍示の服をクイクイと引っ張って千郷を馬鹿にするのをやめるように言うが、龍示は聞く耳を持たない。

「笑っちゃうよなぁ? 男に間違われるような女に彼氏って! それじゃあ、まるで、ゲイ…………うぷっ……オエェエロロロ! ゲロロロロ! おぇええっ」

 龍示はかつてのトラウマが刺激され、拒絶反応を起こすように()(しゃ)(ぶつ)を撒き散らした。

「ぎぃやぁああ! 兄さん、汚い! 気持ち悪い!」

「なに勝手に自爆してるんだか……。自業自得だよ、龍示」

「……ざまあみろ、です。くすっ」

 一同は龍示から距離を取り、沙希と新メンバーの到着を待つ。

 そして、少しもしない内に沙希が到着。が、新メンバーの姿がどこにも見当たらない。

「みなさん、お待たせしました! 全員、お揃いみたいですね」

「あれ? 沙希、一人?」

 桜の問いに沙希はニッと笑って答える。

「もちろん、ちゃんと新メンバーの方々には来てもらってますよ」

 沙希は近くの物陰の方へ手をやって、皆の視線を向け、

「それでは、ご登場してくださーい!」

 そこにいるであろう新メンバーの人達を呼びかけた。

 沙希の呼びかけに応じるように、人影がヌッと三つ現れる。

「「「「!?」」」」

 新メンバーを目の当たりにして、一同の顔が驚愕に染まった。

 特徴の無い顔立ちに、特徴の無い髪。中肉中背の平凡な男。それが三つ並んでいる。これだけだと大して驚くポイントは無さそうに思えるが。

「全員同じ顔じゃねぇかぁあ!」

 そうなのだ。全員同じ顔なのだ。否、同じ顔というよりは、同じ人間と言った方が的確かもしれない。

「それでは皆さん、自己紹介をお願いします」

 三人はシンクロしてコクリと頷き、

「「「茂分(一男)(二男)(三男)です」」」

「あの……聞き取れないので一人ずつ順番にお願いします」

「「「あぁ、すみません」」」

 まず、一番右の男が前に出て、

茂分(もぶ)一男(かずお)です。お察しの通り、僕らは三つ子なんですけど、僕が長男です」

 三つ子でなかったらクローンだ。むしろ、三つ子よりクローンの方が信憑性があるかもしれない。それくらいに三人の姿はそっくりなのだ。

 次に、真ん中の男。

茂分(もぶ)三男(みつお)です。名前の通り、三男(さんなん)です。よろしくお願いします」

 最後に左の男。

茂分(もぶ)二男(じだん)です。次男やってます。よろしくお願いします」

 三人の自己紹介が一通り済んだところで、龍示が早速前に出てくる。

「おい、あんたらの親連れてこい。俺が代わりにぶっ殺しておいてやる」

「「「いや、やめてください!」」」

「おかしいだろ!? 子供にいい加減な名前つけてんじゃねえよ! あんたら絶対にいじめられてたろ!? 特に()(だん)! おまえだよ!」

 龍示が珍しく他人のために憤慨する。それも出会ってすぐの人間に。

「確かに、よくからかわれました。無意味に頭突きされたりとか……」

 ネタが超古い。

「だろうなぁ!」

 どうやら、この三つ子はいろいろと苦労してきたようだ。

「あの、ちょっといいか?」

 そう言って前に出てきたのは武山。

「おまえら三人、どうやって見分ければいいんだ? 顔も髪も全部一緒じゃないか」

「「「あぁ、それなら……」」」

 三人は半そでのシャツを深く巻くって、皆に二の腕を見せる。するとそこには『一』『二』『三』とそれぞれ文字が描かれていた。

「「「タトゥーです」」」

「「「「!?」」」」

 一同は驚きの余り言葉を失った。

 代表して一男が説明する。

「両親も僕らの見分けがつかないって言って、小さい頃に彫らせたんですよ」

「髪型変えろよ! つーか、親が率先して子供の人権を踏みにじってんじゃねえよ! あんまりだろ! その仕打ち!」

 子が親を殺す事件に発展してもおかしくない状況だが、三人はそんな恨みとか憎しみとかいう感情は持ち合わせていないようで、表情はどこまでも穏やかだった。

「確かに、あんまりな話ですけど……別に悪い人ってわけじゃないんですよ」

「悪い人だよ!」

 龍示が三人を代弁するように怒ってみせるが、その怒りは見当違いのようで、三人は苦笑するばかりだった。

 龍示の空回り気味のツッコミが一通り済んだ後、今度は古株側の自己紹介。それが終わると早速着替えて練習の準備に取り掛かる。

 その途中の雑談で分かったことだが、この三つ子は野球経験者ではないものの、運動神経は抜群のようで、中学時代、一男はサッカー、二男は空手、三男はテニスで活躍していたらしい。ちなみに、二男に格闘技の心得があることを知ってからというもの、龍示は二男に対してだけ敬語を使うようになった。

 練習する準備が整うと、龍示は一旦、皆を集めた。

「今、こうしてメンバーが九人集まったわけだが、経験者はたったの四人。正直、ちょっと厳しい」

 経験者、すなわち、龍示、沖田、桜、千郷の四人だ。武山以外の面々は運動神経がいい部類ではあるものの、ちゃんとした野球ができるのか、と問われれば答えに詰まるところだ。

「……守備が機能しないと勝てないもんね」

 沖田も龍示と同意見のようだ。見れば、桜と千郷も頷いていた。

「だな。だから、これからの練習は主に初心者に重点を置きたい。沖田の言った通り、特に守備。そこで、だ。経験者組には初心者組の指導を頼みたい」

 正直、経験者組としては自分ももっと練習しておきたいところだが、誰も龍示の意見に口を挟む者はいなかった。野球はチームのスポーツ。一つでも歯車が噛み合わなければ全てが崩れてしまう。初心者の上達はチームで試合に挑む上で必須の課題と言える。

「三つ子、武山、和。ちょっとキツい練習になるかもだけど……大丈夫か?」

「「「大丈夫ですよ」」」

「報酬の分は働いてみせるさ。…………人生で一回、言ってみたかったセリフを言えたぞ」

「心配無いよ。アタシ、兄さんより体力あるし」

 初心者組は嫌な顔一つせず、応じてくれる。龍示と違って良い人達だ。

三つ子の動機が少し気になるところだが、それは今度にでも聞いてみよう、と龍示は思った。

「よし。それじゃあ練習始めるか!」


***


その頃、野球部の面々はというと、街のスポーツジムで打倒龍示に向けて体を鍛えていた。ちなみに、龍示との勝負が決まってから毎日だ。

学校にも筋力トレーニングのための機器は設備されているのだが、こっちの施設の方が規模は圧倒的に大きく、機器の種類も充実している。

しかし、野球部の面々に総じて言えることは皆、集中力が無い。というのも、

「あの男……マジイケメン……。じゅるり」

「苦悶に満ちた表情。滴る汗。震える筋肉。……エロい!」

「あぁ……。強引に攻めてこられたらと思うと興奮するぜ……!」

 他所の男客に発情していた。トレーニングの手を止めたり、余所見をする者は後を絶たない。ゲイにとってスポーツジムは絶好の視姦スポットらしい。

「ねぇねぇ、アッキー。あそこに中学生っぽい子がいるわよ。ショタとか超興奮するんですけど~♪」

 同じく、余所見をしている一功はハイプーリーのハンドルを軽々と連続で引き下ろしながら、明嗣に話しかける。重量はかなりあるはずなのに凄い余裕だ。

「話しかけるな。それとノンケには絶対に手ぇ出すんじゃねえぞ」

「分かってるわよ~。けど、一回くらい味見してみたいのよねぇ~」

 明嗣は真剣にトレーニングに励んでいるようで、ビッシリと汗をかいていた。

 真剣にトレーニングに励んでいるのは明嗣の他に、もう二人。影人とイチローだ。二人は少し離れた所で、トレッドミル(ベルトコンベアーの上を走るやつ)で汗を流していた。

「はぁ……はぁ……。やるじゃねえか、イチロー。けっこうなペースでずっと走ってるってのに随分と余裕そうじゃねえか」

「ふっ、我は魔を統べりし者……。己の強大な魔の力を制御するためにも、日頃からこうして肉体(うつわ)を鍛えておかなければならないのだ……。うぬこそ、ここまでよく我のペースについてこられるな……。褒めてつかわす」

「はぁ、はぁ、うるせえ……。オレだってトレーニング自体は一日だって欠かしちゃいねえってのに……。屈辱だ……」

「ほう? 野球はもうやめたのではなかったのか?」

「……うるせえ。習慣みたいなもんだよ。多分、木原も……」

「ふっ、くだらぬ。なんだかんだで、うぬも木原も未練はタラタラのようだな」

「……かもな」

 影人は苦笑して肯定した。

「……倒すぞ。やつを……藤田龍示を……!」


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