カエルの子はかえる
絶体、絶命。足元の遥か下には海。逃げ場はない。文字通り、崖っぷちに追い込まれてしまった。
3メートルくらいの距離を置いて、もう会えるはずもない人が立っている。私の、とても大切な人。
永遠の別れを覚悟してきた。でも、荒れ狂う気持ちを抑えられなくて、つい思い出の場所に来てしまったのは、失敗だったみたい。
「今回は中々考えたな。突き止めるの大変だった」
「どうして、わかったの」
「俺をどっかの誰かと一緒にしないでくれ。あ、千世さんがお土産よろしく、と言ってたぞ」
親友よ、裏切ったな。出発の前、千世ちゃんだけには、と思って電話したのに。あれだけ一生懸命説得したのに。なんて友達がいのないやつ。
「知らない。私は、帰らない」
「やよい。いい加減にしろ。我が侭言って、どれだけ皆に迷惑かけてると思ってる」
「わかってる。みんなが心配してくれるのはありがたいと思ってる。でも、これだけは譲るわけにはいかないの」
達樹のためなのに。どうして、わかってくれないのだろう。私だって好きで逃げてるわけじゃないのに。
平凡でどこにでもいるような私と、王子様みたいな達樹が恋人同士になれたのは、宝くじ当たるよりも凄い奇跡だったんだと思う。
中学の生徒会で話をするようになったのが、始まりだった。それから、しばらくはケンカ友達みたいな関係が続いた。卒業式の日、学ランの第2ボタンが無くなってるのを見つけた時、私はすごく傷ついた。そうして、達樹への想いに気が付いたんだ。
運良く同じ高校には入れたけど、ガキ大将みたいなところが落ち着いて、学校でアイドルみたいに人気者になった。単なる同中の、美人でも、可愛くもない、地味な私には、手の届かない人になってしまった。けれど優しい達樹は、それまでと変わらない態度で接してくれた。
でもそれが達樹ファンの子達には気に入らなかったみたいで、私に対して、イジメが始まった。無視されたり、持ち物を隠されたり、落書きされたり。親友の千世ちゃんが励ましてくれなかったら、学校に居られなかったかもしれない。
最終的には屋上に呼び出されて、大勢の女子に囲まれてしまった。でも、そんな卑怯な手に屈したくなかった。せめて友達としてでもいい、そばに居たかったから。怖かったけど、立ち向かった。そしたら、まるで王子様のように、達樹が助けに来てくれたんだ。そして、達樹が私のことを好きだって、言ってくれた。まさか、都合のいい夢なんじゃないか、そう言うと、ぎゅっと抱きしめられて、そのまま……
いつの間にか、ファンの子達はいなくなっていた。そして、それ以来イジメはピタリとやんだ。達樹は何も教えてくれなかったけど、裏で色々動いてくれていたみたい。千世ちゃんがこっそり教えてくれた。
その後、高校時代は夢のように幸せだった。
でも大学は別々で、アメリカへ留学してしまったり、二人はすれ違うことが増えた。その上、達樹がいいところの御曹司だってことも知った。段々と、二人の世界は違うんだってことを、思い知らされていった。
就職活動を頑張って、同じ会社に入ることが出来た。私が精いっぱい頑張れば、二人は一緒に歩いて行けるって、そう思おうとしてた。でも、決定的な出来事が起こってしまった。
高校時代ほどじゃないにせよ、他の女子社員との関係は良好とは言えなかった。千世ちゃんみたいな人もいなかったし、一時期ちょっと辛かったけど、それは何とか乗り越えることが出来た。
けれど、最後に大きな爆弾が投下された。
ふわっとして、可愛らしい、いかにもなお嬢様。彼女は、達樹の婚約者だと言った。彼を惑わせるのはやめて欲しい、と。以前から、達樹にふさわしくないって事は言われ続けてきたけど、それでも達樹の気持ちを信じて、耐えてきた。でも、婚約者だなんて。彼女はさらに、私の就職が、彼の力によって決定された、と言った。私は、それで今まで努力してきたことで得てきた自信が、崩れてしまった。
こんな私がこれから先、達樹の隣にいる資格なんてあるんだろうか。達樹の重荷になる事しかできないのなら、これ以上、一緒にいることなんてできない。
きっと、達樹は優しいから、私のことを自分から突き放せない。だから、私は、離れることを決意した。
「私は、達樹にふさわしくない」
「マジで、言ってんのか」
「普通の家の子だし、美人でもないし、キャリアウーマンってタイプでもないし」
「そんな事はわかりきった事だし、俺はそういう条件で自分の女を決めたりしない」
「達樹には、ふさわしい婚約者がいるのに」
「婚約者?」
「総務の、入沢さん。すっごく素敵な人だった」
「俺に婚約者なんていないよ」
「え、」
「まあ、厳密には候補者は何人かいるらしいけど。まだ、期限までは時間あるし」
「そう、なんだ」
「まあ、これで彼女は候補から外せるな。浅知恵で勝手に引っ掻き回すようなタイプは、ごめんだ。ていうか、な?俺はお前と一緒にいられるように、今、一生懸命、頑張っているんですけど、どうしてこんな事するかな」
「だって……会えなくて不安だった」
「悪かった。言い訳でしかないけど、俺、焦ってた」
もう、寂しくさせない。そう言って、そっと包むようにして、抱きしめてくれる。いつの間にか、二人のあいだの距離は無くなっていた。あやすように、背中を撫でてくれる。達樹の温かい気持ちが、じんわりと伝わってくるようだ。
こうして、迎えに来てくれて、優しく抱きしめられているのに。私はどうしても不安が拭いきれない。
「私の、どこがいいの?こんな、どこにでもいるような、平平凡凡な女の子なのに…」
達樹は何か言おうとしたけど、やめてしまう。そして、気まずそうに、目をそらした。
「…答えられないんだ。やっぱり、私なんか……」
「……怒るなよ?」
なんだろう。その一言で、それまでの甘くて切ない雰囲気が、どこかに逃げてしまった気がする。
私が怪訝な視線を送ると、達樹は目を泳がせる。
「お前、何だかんだプライド高いからな」
「そんなことない」
「まあいいや、もう一度言うけど、怒るなよ?」
「?」
好きなところ教えてもらって怒る人なんているの?
「すぐ卑屈になってうじうじするけど、いつの間にか頑張ってすげえ根性出すとこ。俺にだけ喧嘩っ早いとこ。髪の毛が朝起きると必ず芸術的になってるとこ。あと、本気で笑うと目ェ見開いてるよな。最初見た時、軽く引いた。お前、気ぃ抜くと何かしら開いてるよな。あくびかみ殺す時、右の鼻の孔だけ広がってるし」
さっき言い淀んだのが嘘のように、すらすらと出てくる出てくる。私の好きな……ところ?は?
「あ、やっぱ、怒った」
「あ、あ、あ、当たり前でしょー!最初はまだいいけど、後の方、悪口じゃん!」
「そうかー?可愛いところじゃん。今度動画撮っていいか?」
「だめ!ぜったい!」
「ケチ」
「ケチじゃない!」
私が鼻息荒く言い返していると、達樹が安心したように笑った。思わずドキッとする。駄目だ。やっぱり大好き。こうして他愛ないケンカしてると、離れるなんて事、絶対できないって思ってしまう。
「こうやってさ、バカみたいな喧嘩してると、楽しいよ。他の奴とはこんなこと出来ない。どんな高条件が揃ってたってさ、息が詰まっちまう。お前がいないと、やっぱり駄目だ」
早く言ってよ。そう言いたかったのに、喉が詰まって、声が出てこない。瞼に熱が集まってくる。やばい、泣きそうだ。
達樹は胸の中に押し込めるようにして、ぎゅーっと、力強く抱きしめてくる。泣き顔、見られたくないから助かった。良かった。この温もりが、どこか遠いところに行ってしまわなくて。
「迎えに来てくれて、ありがとう」
「どういたしまして。もう、逃げんなよ」
「…………」
「返事しろよ!」
「努力、します」
「まあ、いいさ。もう、いいよ。また迎えに来てやるよ」
「でも、ぜったい、離れない、から」
そうして、今度は私の方から、ぎゅーっと、思いっきり抱きしめた。
帰りの車にて。
「そうだ、帰ったらまずお前んちのお祖母さんとこ行こうな。」
「え、なんでおばあちゃん?」
「あそこの場所、特定してくれたのハル子さんだから」
「えー、うそ。そっか、そんなところまで行ってくれたんだ。ありがとう」
「いや、俺が騒いでるの聞きつけて、連絡してくれた。やっぱ経験者は違うな」
「え」
「候補はある程度絞ったんだけどな。最後の決め手に欠けてて。ハル子さんのおかげで決まった」
「ええ」
「七回目あたりなら、初めて二人で旅行した場所が怪しいって」
「はあ?」
「五十回近く経験してるから、信じなさいってさ」
「うそ……」
「ちなみにお前のお袋さんには、三十回くらいまでは許してやって、と言われた」
「母よ…」
「ちなみに、俺の祖父さんは、ハル子さんの記念すべき最初に逃げた男、だそうだ」
「………」
「………」
「ごめんなさいごめんなさいすみませんでしたもうしません」




