四日目
『ご覧下さい! 狐です! 狐の面が白いです、とても白いです! 筒路の上を飛ぶように駆けていきます! 何かを担いでいるようですが、ここからは確認できません! 果たして狐は今夜も予告の物を盗んだのでしょうか! それにしても白いです!』
見事妖精を盗み出した翌日昼過ぎ。
目覚ましにとつけた動画端末から飛び出した声がヤオの寝惚けた頭に突き刺さった。
……この報道人は何でここまで白さを強調してるんだ。
数秒遅れて報道内容を理解し、ぼんやりと疑問に思う。
「そんな白いか?」
呟きながら画面の中の狐の面と、寝台の上に投げ出したままの実物とを交互に見比べて。
「……白いか」
納得で落ち着いた。
画面を見ながら、ヤオはこの後のことを思い出す。
逃げ切ったと判断した彼は一応ぐるっと遠回りしてから部屋に戻ったのだが、いつもの如くとてつもない疲労感に襲われ木箱を放り出して寝台に倒れこんだ。そして今に至る。
つまり、まだ木箱の中を確認していないのだ。
情報によれば妖精とは大きな一つの水晶から名のある彫刻家が彫りだした像らしい。そしてその美しさは昔から何人もの人間の心を魅了してきたという。
一目見たところで罰は当たるまい。
約一ヶ月ぶりの、しかも大きな仕事を成功させたという高揚感で、ヤオは少し浮き足立っていた。浮かれながら木箱を振り返り、その様相に目を疑った。
妖精の入った木箱が、独りでに、蠢いている。
あまりの事態に動けなくなったヤオの目の前で、木箱の蓋が少しずつずれていく。そしてばたんと音を立ててあっけなく床に落ちた。
ヤオはその音で我に返ると、慌てて木箱に近づいて――今度こそ本当に凍りついた。
木箱の中にあったのは美しい水晶の妖精ではなく、一人の少年だった。可愛らしい顔をしていてまるで妖精のようだなどと言っている場合ではない。
「あー狭かった」
「……っな」
「な?」
「何だお前!」
「……」
思わず飛び出した叫び声で、少年は初めてヤオの存在を知ったらしい。木箱の中で座り込んだままヤオを見つめ動かなくなった。目を見開き、驚いたような表情で。
似たような表情で見つめあうこと暫し。先に視線を逸らしたのはヤオだった。よろっとよろめいて、長椅子の背にしがみつく。停止していた頭脳が急速に動き出す。
何? 何で妖精が入ってるはずの木箱に子どもが入ってる? 間違えた? いやいやそんなまさか情報屋から買った情報にもちゃんとあの時間あの場所にあるのは妖精だってあったぞ間違えちゃいないじゃあ何でここに子どもがいて妖精がない!?
一秒足らずの自問自答を終えて、項垂れたままちらりと少年を窺う。きょろきょろと部屋を見回している少年の顔をもう一度見て……冷や汗が流れた。
……やっぱりあの顔見たことある。
情報収集で見た雑誌に悉く載っていたのだ。『孫馬鹿カラト』の通称と同じくらいに有名な顔と名前。カラトと共に笑顔で映っている写真、その下に……。
「なあ、お前、名前は?」
「ユキ」
『カラト会長とその孫、ユキくん(十)』。
木箱から出て部屋を物色し始めていた少年はさらりと答えた。
どうしてこうなった。
さりげなく出口を塞ぎながら、何とか打開策をと頭を抱えた。窃盗専門のヤオに誘拐に関する知識はない。しかしユキをだしに妖精を要求したり改めて盗みに入ったりしたところで上手くいくはずがないことだけはわかる。いや、そもそもそんなことをしたらこれからの営業に響いてしまう。
「ねえ」
「…………え?」
不意にかけられたユキの声に、ヤオの思考は彼を宇宙に送る案が出たところで止まった。
たっぷり間をおいて、恐る恐る少年を振り返る。そこには、数多の写真にあったような、邪気の欠片もないような顔。
「何だよ。言っとくが外には絶対に出さないからな。勝手に逃げようとかしたら、」
「男の人だよね?」
頑張ってできる限りの脅し文句を言うはずだったヤオの言葉はあっさりと遮られた。一瞬むっとするものの、ユキの質問の意図を把握し、溜息をつく。中性的な作りの顔で、勘違いした輩が声をかけてきた経験は少なくなかった。背丈は充分にあるはずなのだが。
「間違いなく男だよ。優しい姉ちゃんじゃなくて残念だったな」
「ふうん……」
そう答えた頃には、ユキの興味は台所に置かれたぼろい……もとい年代物の冷蔵庫に移っていた。
これだから子どもは、と思いつつ、どうやら騒ぐ気がないことに安堵する。仕方ないかと、もう一度溜息をついた。
「ちょっとこっち来い」
「なあに?」
手招くと特に警戒する様子もなく素直に近寄ってきた。その様子に少し不安を覚えながら、目線を合わせるためにしゃがみこむ。
「一応言っとくが、俺はお前を誘拐するつもりはなかった」
「……うん。予告状見たよ」
「そう。それなら話は早い。三日後に依頼主から連絡が来る。その時にどうするか決めるから、それまで嫌でもうちに居てもらうからな」
悪いけど、と言いかけて慌てて口を閉じた。
「わかった……でも、僕も妖精だよ?」
「……」
妖精のように可愛い子ってか。
ヤオは何も言わずにユキの髪を掻き乱す。
やめてよーとユキが無邪気に笑った。
「ねえ、何て呼んだら良い?」
乱れまくった髪を戻しながらユキがそう尋ねた。
「別に……なんでも良いが」
「えーじゃあ“狐”さん?」
「却下」
渋い顔で即答。
「“九尾”さん」
少し悩む、が。
「……ばれるな」
「ばれるね」
ユキもあっさり頷いた。
「……おじさん何歳?」
「おじっ…………二十六」
「じゃあお父さんは?」
「却下に決まってるだろふざけんな」
「僕十歳だけど見た目的には大丈夫だよ」
「却下却下。他考えろ」
そう言ったものの、これ以上案はない。ヤオは少し躊躇したが、諦めて口を開いた。
「……ヤオ」
「え?」
「ヤオで良い。ここらじゃそれで通ってるしな」
「ヤオ……うん、わかった」
ユキは確認するように繰り返すと、ヤオを見上げにっこり笑った。屈託のないその笑顔に、ヤオもつられて笑顔になる。が、慌てて表情を引き締めた。
「ヤオ、これからどうするの?」
一瞬呼び捨てかと思ったものの、言及するのも面倒で放置し、質問に答えるだけとする。
「どうするもこうするも、大人しくしてる」
「えぇー」
不満げな様子に、嫌な予感。
「お前まさか……俺の仕事についてくる気だったのか」
「うん、子連れ狼ならぬ子連れ狐ってことで、どう?」
「どう? じゃないお前ほんとにふざけんじゃねえよ」
脱力し、長椅子に突っ伏した。うつ伏せのまま目を瞑る。そんなつもりじゃないのに、疲労が眠気を連れてくる。ああそう言えば普段より寝てなかったっけか……。
「強いね、ヤオは」
完全に意識が沈む直前、ユキがそう言った気がしたのは果たして現実のことだったのだろうか。
その頃、唐櫃会社。
椅子に腰掛けているカラトの前に、深々と帽子を被った、少年とも少女とも判然としない者が一人立っている。カラトはその相手にツキ、と声をかけた。
「連絡がありました」
ツキはやはり性別の区別がつかない声でそう伝える。
「そうか。それで」
「身体に問題は無いそうです。しかしやはり“エニグマ”の存在を確認。使用後は大きな疲労感を覚えるようです」
「そうか……」
端的な報告に頷くと、カラトは壁一面の窓に目をやった。煌びやかな明広告のもっと向こう、暗く落ち込んだ部分。
その一箇所から、不意に一筋の光があがった。それはカラトの見つめる中で見る見る赤みを増していく。
カラトはその光から目を逸らすと、痛みを堪えるかのように目を閉じた。
ツキは帽子の下からその様子をただ見つめていた。