七日目、漆
「何でまた“baroque”なんだよ……」
掠れた声で不満を零すヤオは、その言葉のまま再び“baroque”を訪れていた。いや、正確には。
「まあまあ、やっぱ出来立て食うた方が美味いし体力も戻るて! な!」
「そうだよ! ヤオお疲れみたいだし」
「そりゃ、こんだけ振り回されればな……」
ユキとヒロトに文字通り引きずって連れて来られたのだが。
「てことでヒサメさん!またヤオ兄の好物頼むわ!」
「おう任せとけ」
「もう好きにしてくれ」
「兄様!」
突然、この場には存在しないはずの可愛らしい声が聞こえて全員の動きが止まった。
間を置いて、入り口を振り返る。そこにいたのは、ユキよりも少しだけ年上と見られる少女。
「兄様!」
少女は可愛らしい声でもう一度叫ぶと、迷うことなくユキに飛びついた。
「……え?」
と声を漏らしたのはユキではなくヒロトだった。状況が掴めないヤオと同じく、ヒサメもぽかんとしたままユキと少女を見つめている。
そんな三人が見守る中、二人は和やかに会話を始めた。
「遅いから心配したよ、ハナ」
「ごめんなさい。久しぶりに兄様に会えると思ったら、服がなかなか決められなくって……」
少女はユキから身体を離すと、くるりと一度回って見せた。
「どう? ツキとカラトお祖父様には一番似合うと言ってもらったのよ」
「うん、良く似合ってるよ」
「ほんとう? 嬉しい!」
今度はぴょんぴょんと跳ねだした妹に注がれた視線にようやく気づいたらしいユキは、ハナの手を取り三人の前に立った。
「僕の妹のハナ。ちょっとやってもらいたいことがあって呼んだんだ」
「妹?」
「うん、妹」
「やっぱりか……!」
「え?」
今度は厨房から声がして、全員が振り返った。そこには頭をかかえたヒサメの姿。しかし口元には笑みが浮かんでいた。
「どっかで見た気がしてたんだよな」
「……お久しぶりです、料理長さん」
「よせよ」
ユキの言葉にヒサメが苦笑する。完全においていかれたのはヤオとヒロト。
「おーい、いい加減おいてかんといてー」
ユキはああ、と呟くと、ようやく説明を始めた。
「まずこの子は妹のハナ。年齢が僕より上なのは、適応年齢が僕より上だと診断されたから。で、ヒサメさんは」
「俺は元々軍の厨房で料理長やってたんだよ。その時こいつらとも会ってたんだ」
「へーえ」
「それは初耳だな」
ヤオの素直な感想にヒサメは再び苦笑して。
「俺も、お前がこいつらと知り合う状況にいたとは知らなかったな」
「それは……まあ」
ヒサメの言葉に、今度はヤオが苦笑した。
「料理長といったって、その腕っ節はなかなかだって噂でしたよ?」
「買いかぶりだなそりゃ」
あ、とヒロトが声を上げた。
「ぴったりの人間て、ヒサメさんか!」
「そういうこと。ヒサメさんならそこらへんの奴相手に劣勢になったりはしないし……君のことも助けてくれるしね?」
「……そういうことは言わんでええっちゅうねん」
ユキは蚊の鳴くような反論に笑うと、不意に真剣な顔をした。
「ヒサメさん、僕達に力を貸してくれませんか」
「言ってみろ」
「軍の残党がヤオと僕に接触してきました。また“力”を手に入れたがっているようです」
「妖精か」
「はい」
「よっしゃ!」
ユキが頷くのを見て、ヒサメは両手を勢いよく合わせた。
「俺は元々能力者計画にゃ反対だったんだ。協力する」
「助かります」
ほっと息をついたのも束の間、ユキは再び真剣な面持ちでヤオを振り返る。
「ヤオ、大分疲れてるでしょ」
「ん? あー……まあ」
ユキは歯切れの悪い答えに頷くと、妹の背を押した。
「ハナは獣で治療能力を持ってる。どこまでできるかわからないけど……」
「あら兄様、聞き捨てならないわ」
ユキの言葉にむっとした表情になったハナは、徐に被っていた帽子を脱いだ。その下にあったのは、毛の生えた三角の耳。
「犬の耳……」
「正確には狼の耳ね。さ、完璧に治してあげる。どこか寝転べる場所はあるかしら。できれば毛布も欲しいわ」
本領発揮とばかりにてきぱきと指示を出すハナに、おろおろしつつも従うヤオとヒロト。
「店の奥に入れ」
ヒサメはそう言いながら店の表に出ると、扉に掛かった札を「閉店」に裏返した。




