48.デスゲーム
『レベル1ではまだ、ぼんやりとしたイメージを持ち帰れるだけ。
それがナイトメアという世界のことだとも認識できない』
思い出すのは、世界中の誰よりも聞きなれた声。
『レベル2なら、まとまった記憶を持ち帰れる。
大事な記憶ほどよく残るから、ある程度は状況も理解できる』
ずっと聞いていたい声。
ずっと、聞いていたかった声。
『レベル3まで行けば、記憶の欠落はほとんどなくなる。
ナイトメアでのことを、まるでもう一つの現実のように認識できるレベルがここ』
そしてそれは、ずっと忘れられない、忘れるはずのなかった声で。
だから俺は、心地よい声に脳を揺さぶられながら、ふと思う。
『便利? うん、便利だよ。とっても。……そこまでなら、ね。
光一、覚えておいて。このスキルを、決してレベル4より先に上げたらダメ。
いい。レベル4に到達した魔力親和性は――』
――なぜ、「彼女」だったのだろう。
他の何でもなく、他の誰でもなく、どうして「彼女」のことを忘れてしまったんだろう。
どうして、「彼女」のことだけを、俺は……。
「…減点40」
ナイトメアに戻った俺に、真っ先にかけられた言葉がそれだった。
俺の傍まで駆け寄ってきたナキは、冷め切った目で俺の身体を上から下まで素早く検分すると、感情のこもらない声でそう口にしたのだ。
声には微塵も温かみがなく、減らされた点数もたぶん過去最高だ。
普通なら心が折れる場面かもしれないが、俺はその態度に逆に安心してしまった。
(いつも通りのナキだ……)
結局俺は、現実世界であれ以上ナキと会話をすることが出来なかった。
明らかにナキが俺を避けていて、話どころではなかったのだ。
だから、辛辣な言葉でも向こうから話しかけてきてくれて、俺は心底ホッとした。
「減点って、何がだ?」
努めて普段通りの態度で問い返した俺に対して、ナキは何かを言おうと口を開いた。
「光一さん!」
しかしそこで、七瀬たちが追いついてくる。
ナキはそれをちらりと一瞥すると、俺以外には聞こえないほどの声で、
「…スキル。確認して」
短くそう言い残して、まるで俺から興味を失ったかのように離れていった。
俺は「スキル?」と首をひねるが、深く考える前に七瀬が俺の傍にやってきた。
「大丈夫ですか?」
「ん? 大丈夫って、何がだ?」
七瀬の言葉に、俺はふたたび首を傾げる。
すると、その後ろから苦笑いを浮かべた奏也が顔を出した。
「その様子だと、どうやら足は問題ないようですね」
その言葉に、俺は自分の足を見下ろした。
言われてようやく思い出した。
現実世界で色々ありすぎて忘れていたが、俺は前回ナイトメアから戻る直前、タートルの攻撃を食らって左足を負傷したはずだった。
だが、今は左足に全く問題はない。
「それなりの怪我だったように見えましたが、もう完治しているみたいですね。
こちらの世界では傷の治りは早いようなので、その効果でしょうか」
そうは言いながら、奏也もどこか釈然としていない様子だ。
俺の脳裏に浮かんだのは、昨夜俺がナイトメアから戻った時に感じた足の痛み。
一晩で治ってしまったため、気のせいだと断じてしまったが……。
「やっぱり心配だから、念のために自分のステータスを確認してもいいか?」
「え? ええ、周りに敵もいませんし、構いませんよ」
奏也に許可をもらうと、俺は自分のデータウォッチを操作してステータス画面を呼び出す。
ただ、確認するのは自分の現在の能力値ではない。
(……スキル)
ナキが、スキルを見ろと言った。
だったら絶対に、そこには何か意味があるはずだ。
表示される無数のスキル。
その中で、俺の視線は吸い寄せられるようにある一つのスキルに向かった。
――『魔力親和性』。
どこか懐かしさを含んだ響きに、温かな郷愁と、身の内から凍えるような戦慄を同時に覚える。
知らない間に、3だったはずのスキルレベルが5まで上がっていた。
そして……。
【魔力親和性】 LV5
魔力になじむ体。スキルレベルに応じて現実世界の肉体へのリンク効果を得る。
また、純粋な魔力の影響を受けやすくなる。
取得ウィルに(SLV×5)%のボーナス。
また、無属性の攻撃・補助を受けた場合、その効果に(SLV×10)%のボーナス。
(項目が、増えている!?)
前に見た時とは文章が変わっている。
いや、追加されていると言った方が正確か。
そして、そんなことよりも……。
――スキルレベルに応じて現実世界の肉体へのリンク効果を得る。
ぞわりと、肌が粟立つ。
なぜだろう。
その文言を見た瞬間、俺はすんなりとその意味が呑み込めてしまった。
現実世界へのリンク。
つまりそれは、ナイトメアと現実が地続きになるということ。
俺の足の怪我を思い出せば、分かる。
本来失われるはずのナイトメアでの記憶が俺に残っていたのは、このスキルのせいだろう。
そして昨日は、ナイトメアで受けた傷までが現実の世界の俺に移ってきた。
(最近、ナキがいつもにも増して俺を気にしていたのは、もしかしてこれを知っていたから、か?)
以前、ナキに俺のスキル欄を見せた時。
思い起こせば、その時からナキの様子は見るからにおかしかった。
スキル欄をもう誰にも見せるなと言ったり、俺の肩の怪我のことをやたらと気にしたり。
あれは、俺の魔力親和性のスキルを見たからだったのかもしれない。
いや、きっとそうなのだろう。
もはや俺にとって、ナイトメアは単なる悪夢ではない。
現実世界と地続きの、もう一つの現実。
(……何だよ、それ)
寒くもないのに、身体が震えるのを止められない。
俺は、この世界で……。
「――急に、どうしたのよ?」
かけられた言葉に、俺は我に返った。
「ひっどい顔してるわよ、あんた」
顔をあげると、月掛が俺の目をのぞき込んでいた。
俺は意味もなく慌てて、どうにか動揺を取り繕って口を開いた。
「い、いや。ちょっと、ステータスが想像以上に伸びてたから、驚いて、さ」
「……ふうん。別にどうでもいいけど」
つまらなそうに言った月掛を見て苦笑しながら、奏也が間に入るようにして提案をする。
「とにかく、大事がなくて何よりです。
引き続きノゼントラの街を目指して進もうと思いますが、構いませんか?」
「……ああ。大丈夫、だ」
足は問題なく、DPは全快。
魔力感知を使っても頭痛も起こらない。
万全の体調と言っていいだろう。
「では、前と同じ要領で進みましょう。
事前のリサーチでは、この先のフィールドは視界のいい平野で厄介なモンスターも出ないそうです。
現実世界に戻る前に、一気に進んでノゼントラの街まで辿り着いてしまいましょう」
「はいっ! 奏也様!!」
あいかわらず奏也相手限定で元気のいい月掛の返事を聞きながら、俺はちらりとデータウォッチを確認した。
今回のナイトメアは6時間と少し。
本当に順調に行けば今回のナイトメアの時間でノゼントラまで辿り着けるかもしれない。
おそらくこのフィールドもそろそろ終わり。
障害物がない場所に進んで索敵の機会が減れば、俺が魔力感知に悩まされることも少なくなるだろう。
不安に思う要素は何もない。
ただ、隊列を組み直し、行軍を始める直前、
「ナキ……?」
物言いたげにナキが向けてきた視線だけが、妙に気にかかった。
平野に入ってから俺たちの行軍スピードはぐんと速くなった。
見晴らしがいいため奇襲を警戒する必要もなく、モンスターが遠くにいる内から俺か月掛が見つけるため、迂回するか遠距離から先制攻撃をするかで片が付くことがほとんどだった。
さらに言えば、俺たちの中で一番足が遅い俺や奏也でも、現実世界の人間よりはずっと速く走ることが出来る。
前回のジリジリとした時間を取り返すかのように、俺たちは昨日に倍する速度で平野を駆けた。
「……なんだ、あれ?」
そいつに遭遇したのは、俺たちが平野に入って一時間ほど経った辺りだっただろうか。
真っ青なたてがみを揺らした馬が、こちらに駆けてきていた。
ちりちりと、脳の隅が焦げつくような感覚。
魔力感知のスキルが危険を知らせていた。
「『識別』した。チラーホース。レベル21」
「なっ! レベル21?!」
ナキの言葉に、思わず叫びを返した。
この平野に出てくる敵は、せいぜいレベル13前後。
流石にこの前の飛竜ほどではないが、今まで戦っていた敵と比べて格段にレベルが高い。
「奏也?!」
確かめるように問いかけるが、奏也も首を振った。
「情報にはありませんでした。おそらく、何かのイベントモンスターでしょう。
ノゼントラ側で何か特別なクエストが進行しているのかも……」
ナイトメアは、誰かにとって都合よくお膳立てされたRPGなんかじゃない。
情報がない強敵に遭遇したり、全く関係ない他人のクエストに巻き込まれることだってあるだろう。
「くっ!」
俺は内心苦々しく思いながらも、剣を構える。
だが、その前に立つ人影があった。
「…さがって」
ナキだ。
彼女は俺をかばうように俺の前に出ると、手にした杖を臆すことなくチラーホースへと向ける。
「アイスニードル」
杖の先からいつもの三倍以上の数の氷の槍が生まれ、それが一斉に青い馬へと殺到する。
俺は、串刺しになるチラーホースの姿を幻視した。
だが……。
「効いて、ない?」
氷の槍は、確かにチラーホースの身体に命中した。
しかし、奴はそれを一顧だにせずに、たてがみから氷の粒子をまき散らしながらこちらへと突き進んでいる。
「…氷耐性」
あくまで淡々とナキがつぶやく。
そうか。
チラーホースはおそらく氷の属性を持つモンスター。
同じ氷属性を持つアイスニードルの効果を無効化したのだ。
「…マジックアロー」
そして、そうと悟ってからのナキの行動は早かった。
ふたたび呪文を唱え、今度は無属性の魔法の矢を放つ。
瞬時に生まれた非物質の矢がチラーホースを目指して飛んでいき、
「避けた!?」
その全てが回避された。
チラーホースは機敏な動作で斜めに進路を変え、その速度を全く緩めないままに魔法の矢を避けてみせたのだ。
「…捉え、きれない」
ナキはあきらめずにマジックアローでの攻撃を続けるが、それは全て空を切る。
いや、偶然一、二本の矢が当たることもあるのだが、その程度のダメージなら無視して直進してくる。
「わたしが!」
今度は月掛がユニークスキルを使って誘導する矢を放つが、チラーホースはそれすらも避ける。
「そんなっ!」
月掛が絶望の叫びをあげる。
チラーホースのあまりの速度に、月掛の誘導が追いつかないのだ。
そうして、チラーホースはナキの魔法の矢を、月掛のユニークスキルを使った矢をかわしながら、俺たちの許まで迫った。
「やらせ、ません!」
その突進を受け止めたのは、七瀬だ。
俺たちの中で最高の守備力を備えた、パーティの盾役。
「く、うぅぅ!!」
「な、七瀬!?」
その七瀬が、ただの一撃でガードを崩される。
かろうじてチラーホースの勢いを殺すことには成功したが、完全に体勢を崩している。
このままでは、押し切られるのは時間の問題だ。
「普賢さん、頼みます!」
奏也の悲鳴のような声。
そんなこと、言われなくても分かっている。
俺は数歩先の七瀬の援護をするべく、そこに駆けつけようとして……。
(あ、れ……?)
足が震えて、動かないことに気付く。
(何だよ、これ)
チラーホースの特殊能力による妨害、ではない。
俺の足を縛っているのは、単純な恐怖。
あのモンスターは、チラーホースは、強い。
あの七瀬が完全には受け止められない攻撃をしてきているのだ。
もしあれに当たってしまえば、俺は死ぬかもしれない。
(……死、ぬ?)
それは俺がずっと気付いていて、そして見て見ぬフリをしていたこと。
魔力親和性のスキルは、ナイトメアで負った傷を現実に持ち込む。
だったら、もし俺が、ナイトメアで死んだら?
現実世界での俺は、どうなるんだ?
(……死にたく、ない)
それは、理性だけでは抑えられない根源的な恐怖。
今まで俺は、本気で縁を捜しているつもりでいても、どこかゲーム感覚でいた。
どうせこっちで死んだって、現実世界の俺がどうにかなる訳じゃない。
こっちの世界と、現実世界の俺は関係ないんだ、と。
だが、今。
悪夢と現実の垣根はなくなり、ナイトメアでの死は、現実世界での死と等号で結ばれた。
そんな状況で、今までのように動くなんて……。
「普賢さん!!」
奏也の、悲鳴のような声。
見れば、七瀬はチラーホースの攻撃に完全に押し込まれ、遂には地面に倒れてしまっていた。
ここで俺が何もしなければ、数秒もしない内に七瀬はチラーホースに殺されてしまうかもしれない。
――それでも、俺の足は動かない。
だって、そんなの無駄じゃないか?
今から走ったとして、果たして間に合うだろうか。
いや、仮に間に合ったとして、こんな貧弱な剣であいつを倒すことなんて出来るだろうか。
答えは、すぐに出た。
(――そんなの、無理に決まってる)
だから、俺は、あきらめた。
震えていた足からは力が抜け、握力を失った手から、剣がこぼれ落ちる。
「光一、さん?」
それを、その瞬間を、倒れていた七瀬が見た。
そんな場合ではないだろうに、次の瞬間には殺されてしまうかもしれないのに、七瀬は俺を見たのだ。
七瀬の目が、大きく見開かれる。
まるで信じられない物を見たかのように。
まるで、まるで最愛の人に裏切られたような驚きの表情を浮かべ、そして……。
「――ど、ぁ、わぁああ!!」
次の瞬間には俺は七瀬を追い越し、チラーホースの横をすり抜け、それでも足りずに草原を突っ切って地面を四回転も転がって、地面に倒れていた。
「や、やったか?」
ふらふらする頭を押さえながら、七瀬の姿を捜す。
「え、あ、え……?」
……いた。
七瀬は倒れたままの姿勢で、とっくに俺がいなくなった後ろの方を見て目を白黒させているようだ。
そして、その隣には首から上が綺麗になくなってしまったチラーホースの姿。
「何とか、うまく行ったか」
俺はそのグロテスクな姿に合掌しながら、ほっと息をついたのだった。
「何を、したんですか?」
一番早く我に返った奏也が、俺にそんなことを尋ねてくる。
見ていて分からなかったのだろうか。
……いや、もしかすると俺の動きが速すぎたのかもしれない。
「別に特別なことは何も。ただ、『真実の剣』を出しながら『魔力機動』で突撃しただけだ」
強いて工夫をあげるなら、確実に当てるために『真実の剣』を長めに出して、『オーバードライブ』をかけた最高速の魔力機動を使用したことくらいだろうか。
俺はいまだに『オーバードライブ』中の『魔力機動』の速度を制御し切れてはいない。
それでもただ一度直進するだけなら。
その時に横に向けて『真実の剣』を構えておくくらいなら出来る。
あとはすれ違う時に勝手に『真実の剣』が相手を真っ二つにしてくれるという寸法だ。
「な、なるほど。そうでしたか。しかし……あいかわらずとんでもない切れ味ですね」
光の粒子になって消えていく首のない馬を見ながら、奏也が引いた様子でつぶやく。
その頃には、七瀬も月掛に手を貸してもらって起き上がり、そしてナキも俺の傍まで戻ってきていた。
氷よりも冷たい目が、俺を射抜く。
「…あなたは、バカ」
冷たい、でもなぜか温かさも感じるその言葉が、胸にズシンと響いた。
「…スキル欄は、確かめたはず。もうすこし、自分のこと、考えて」
そう言って、ナキは俺に背を向け、七瀬の治療をするために歩いていった。
それを見送りながら、俺はグッと唇を噛みしめた。
(本当に、俺は救いようのない馬鹿だな)
肝心な時に動けないのは、俺の悪い癖だ。
そんな時のために、俺は考えて考えて、考え抜かなければいけないはずだったのに。
「どうして、どうして俺は……」
口から、小さな呟きが漏れる。
それは、誰の耳にも届かないほど小さな、しかし心の底からの悔恨の叫び。
本当に、どうして……。
「――どうして最初から、スキルを使わなかったんだ!」
最初からスキルを使っていれば足が竦んでも関係がなかったし、もっと早く七瀬を助けることも出来た。
ナキに言われるまでもない。
少しでも自分のことを顧みればすぐに分かる。
俺の持ち味は、特化した操作能力とユニークスキルだ。
なのにわざわざ足で走ったり、手に持った武器で斬りつけるなんて、馬鹿と言われても仕方ない。
「……よし!」
気持ちを、切り替える。
いつまでも落ち込んでいても仕方がない。
今回は自分の失態から仲間を危険に晒してしまったが、幸い犠牲者は出なかった。
これからはこんなことがないように、普段の動作にも『魔力機動』を取り入れて、とっさの時にきちんと使えるようにしよう。
俺は密かに決意をすると、仲間たちの許に戻ったのだった。