47.合理的な判断
投稿時間の自分ルールを完全に破ってしまった
――それは、『あの日』が来るより二週間ほど前の記憶。
『一目見た途端に分かったよ。こいつがボスモンスターなんだって。
だって、他のモンスターとはオーラが違ったから』
『オーラ? それって、そういう画面効果が出てたってことか?』
夜空の下、頬を紅潮させながら楽しそうに話す縁。
しかし、俺の言葉が耳に届いた途端、うっすらと赤くなったその頬を膨らませた。
『違うよ。そうじゃなくて、殺気というか、気配というか、そういうののこと。
もう、どうして光一はそういう考え方しか出来ないのかなぁ』
『いや、でもゲームの中でオーラとか言われたら……』
そういう発想に行きつくのは普通じゃないだろうか。
だが、縁は俺の態度が不満だったのか、少しだけ唇をとがらせる。
『そうじゃなくて、オーラっていうのは感じるものなんだよ。
こう、気配というか、空気というか、雰囲気というか。
で、昨夜のボスはね。前に立っただけで好戦的な赤いオーラがぶわっと全身に押し寄せてきて……』
それでも話を続けようとする縁だが、俺はどうしても納得が行かずに口をはさんだ。
『待った。オーラって感じるものなんだろ?
なのにどうして色が分かるんだよ』
『そ、それは……。そういう、イメージというか……。
だって、そんな風に感じたんだから仕方ないでしょ!』
無粋なツッコミに縁はすっかりへそを曲げてしまって、そのあと俺は、一晩中かかって縁の機嫌を取るはめになったのだった。
「だ、だいじょぶ? 今なんかありえない勢いで吹っ飛んでたみたいに見えたけど」
駆け寄ってきたクラスメイトの滝川が、もともと大きな目を真ん丸にして、声をかけてくる。
火事場の馬鹿力という奴か。
得体の知れない青い光を怖がるあまり、俺は相当な速度で後ろにすっ飛んでいたらしい。
「あ、ああ。ちょっと勘違いしてた。でも別に、大したことじゃないって」
あまり大げさにされても困る。
俺は駆け寄ってきた滝川に適当に返事をすると、異常がないことをアピールするように一息に立ち上がった。
「い、いやぁ。あの勢いは尋常じゃないっていうか、あれで大したことないっていうのは無理があると思うよ?」
滝川はまだグチグチと何か言っているが、本当に問題はないのだ。
こんな会話をしている今この瞬間も、俺の周りでは青い光が渦巻いている。
見える、というのとは少し違うが、気配というか、空気というか、雰囲気というか、そんなものを肌に感じるのだ。
滝川には何も感じ取れていないようなので、これはもしかすると、本当に何かしらの超常的な力の現れなのかもしれない。
ただ、この光の持ち主が分かった以上、俺がそれを恐れる理由は何もない。
「……まったく、ビビって損したよ」
あれほど恐ろしかった青いオーラも、よくよく観察すると俺を守ろうとしてくれているようにも、俺を気遣ってくれているようにも見える。
こんなものを怖がっていたなんて、俺はどうしようもない馬鹿だったと思う。
俺は肩の力を抜くと、青い光をかき分けるようにして教室の中へ。
……と。
「あ、おいっ?」
突然ナキが席を立って、早足で教室の前側の出入り口、つまり俺が入ってきたのと逆側の扉へと向かい始めた。
もしかして教室の外で俺と話そうとしているのか、とも思ったが、それにしては早足過ぎるし、こっちを一瞬も見ていない。
(……逃げた?)
思い出されるのは、俺とナキが初めてナイトメアで会った時のこと。
あの氷の森で、ナキは俺の姿を見た瞬間、逃げ出したのだ。
「ちょっと、待てって!」
廊下に飛び出し、俺と反対方向に走り出したナキを慌てて追いかける。
すると、明らかにナキの速度が上がる。
初めは曲がりなりにも早足の範囲に収まっていたはずの動きが、今はもう完全に駆け足に変わっている。
「廊下、走っちゃ駄目だって!」
とりあえず注意の言葉を投げかけながら、俺もナキを追って廊下を駆け抜ける。
何だか凄い矛盾を感じるが、これはこの際仕方がない。
俺も頑張って追いかけてはいるのだが、朝の学校は教室に向かう生徒も多く、器用に人を避けるナキにはなかなか追いつけない。
校舎の外れの方まで来て、やっと人が少なくなったと思ったところで、ナキが階段へと足を向ける。
「くそっ!」
このままだとまた逃げられる。
無駄だと知りつつも、俺は必死で手を伸ばし、前に跳んで――
「……は?」
隣を、驚いた顔をしたナキが通り過ぎる。
いや違う。
俺がナキを、追い抜いていた。
何が起きたのかは分からない。
ただ、目の前に広がるのは何もない廊下。
目標を失った俺は、体勢を立て直す暇もなく地面にぶつかって……。
「――コーイチ!」
次に視界が定まった時、そう叫んで俺に駆け寄ってきたのは、俺から逃げていたはずのナキだった。
いまだにぼんやりとする視界の中、俺は心配そうに伸ばされたその白い腕を取って、
「つか、まえた……」
追いかけっこの終わりを宣言したのだった。
なぜ、ナキは俺を見て逃げ出したのか。
事情を聞こうと思ったのだが、それよりも先にと強硬に怪我の確認をされ、俺は仕方なく応じた。
とはいえ、手足を動かしても何の痛みも違和感もない。
そういえば、あんなに派手に転んだのに全く痛くはなかった。
不幸中の幸いで、当たりどころというか、転がり方がよかったのかもしれない。
いや、それ以前に転がるほどの勢いで飛び出したことも異常なのだが、火事場の馬鹿力は侮れない、と言うしかない。
「…そう」
ナキはあいかわらずの無表情で引き下がったが、微妙に納得がいかなそうに見えるのは俺の気のせいだろうか。
だが、今は俺のことよりナキのことだ。
俺が促すような視線を向けると、何も言わずともその意図を察したようだった。
ぼそりと、俺の無言の質問に答えた。
「…あなたが、私をみて、おびえた、から」
「俺が……?」
確かに俺は、ナキから出た青い何かに恐怖を感じた。
だがそれがナキが逃げる理由になるのだろうか。
ただ、ナキを見て怯えてしまったのは事実だ。
それがナキにはショックだったのかもしれない。
俺は頭を下げた。
「い、いや、悪かったよ。昨日から俺、何かちょっとおかしくてさ。
ナキから青い光が見えた気がして……ナキ?」
その言葉を聞いた瞬間、ナキの身体がぴくりと跳ねた。
いつもは完全無欠な鉄面皮が少し綻び、ナキは強く唇をかみしめていた。
「ど、どうしたんだ?」
俺が尋ねてもナキは直接には答えを返さなかった。
その代わりに、不可解なことを言う。
「…その感覚は、ただしい。あなたは、にげるべきだった」
「え、いや、でもさ……」
口ごもる俺に、ナキは容赦なく言葉を叩きつける。
「…その青い光に、あなたはなにも感じなかった?」
「そりゃ、こいつと戦ったら絶対に殺される、くらいは思ったけど」
「だったらあなたはにげるべきで……」
ひたすらに、ナキは自分の考えを俺に押しつけようとする。
だが、その理屈は変だ。
完全に破綻している。
「でも、それはおかしいだろ。俺が逃げる理由なんてない」
「…意味が、わからない」
ナキが苛立ったように首を振る。
だから俺は、はぁ、とため息をついた。
「なんだよ、本当に分からないのか?
ナキはもうちょっと、理性的に物を考えられる奴だと思ってたんだけどな」
「…どういう、こと?」
そんなの、考えるまでもなく、そして本来は、言うまでもないことだ。
「――だってさ。ナキが俺に危害を加える訳ないだろ」
今だってナキからはひっきりなしに青いオーラが噴き出していて、それは俺にもまとわりついている。
しかし俺が、それに脅威を感じることはないし、そんなの当然のことだ。
なのに俺の言葉は、なぜかナキに少なからず衝撃を与えたようだった。
「…なにを、言ってる、の?」
「だから、考えてもみろって。ナキは俺よりも俺の命を大切にするような奴だろ。
そんなナキが、俺をどうにかするはずないじゃないか」
ナキが、信じがたい物を見るような、たとえるなら何か新種の生き物でも見るような目で俺を見つめる。
かぼそい声で、ナキが問う。
「…私は、むこうで、あなたを攻撃したこともあるのに?」
それは、飛竜の群れに飛び込もうとした俺を止めた時のことだろうか。
だったら問題ない。
「あれは、俺を助けようとしてくれたんだろ。
俺に恨まれる可能性もあったのに、それでも助けてくれるなんて普通は出来ないことだと思うぜ。
すっげえ感謝してる」
俺が言うと、ナキは口を開け、けれど言葉が出てこないと言いたげにパクパクと動かした。
非常にめずらしい光景で、少しおもしろい。
俺はしたり顔で言葉を重ねた。
「危ない相手なら逃げるけど、どんなに強くても敵意がない相手なら逃げる必要ないだろ。
まぁそれが、合理的判断って奴だよ」
俺は得意げに言ったが、それは少し調子に乗りすぎだったらしい。
ナキは目に強い光を乗せ、一語一語単語を区切るようにして言葉を押し出す。
「…それは、合理的なんかじゃ、ない」
「な、ナキ……?」
思わず腰が引ける俺に、ナキは怒りすら湛えた瞳を向けた。
「…合理的というのは、理屈さえあれば、どんな無茶をしてもいい、ということじゃ、ない」
おそらく、本気の言葉なのだろう。
だがその俺を非難する物言いが少し縁に似ているような気がして、俺は唇の端が吊り上がるのを抑え切れなかった。
それを見たナキの眼光が一層強くなったが、とりあえずひとまずは、俺の説得をあきらめたようだった。
いつも通りの無表情を取り戻して、冷めた目で俺を見る。
「…私は、あなたに訊かなければいけないことが、あった」
「俺に? 何を?」
しかし、ナキはゆっくりと首を横に振る。
「…その記憶は、私にはない」
「え、ええっと……」
「…いまは、むこうの私にしかわからないこと」
そう言われても、よく分からない。
俺が首をかしげていると、ナキは話を打ち切った。
「…べつに。あなたが無事なら、いい」
「ん、んん? そう言われてもな……。あっ!」
だが、その一言で思い出した。
昨日の夜、足に痛みを覚えたり、それが翌朝には治っていたり、今朝学校に出かける時も……いや、その時はいつも通りで特に何もなかったが、学校では急におかしな気配を感じたり、今もナキから青いオーラを感じるのだ。
ナキにも心当たりがある様子だし、流石にこれは気のせいとばかりは言い切れない。
「さっきも言ったけど、昨日からなんかおかしいんだよ。
ナキから青い光が見えたのもたぶんそのせいでさ。
何か知ってるなら……」
「…むこうで、聞いて」
勢い込んで話す俺を、ナキは短くさえぎった。
淡々と、告げる。
「…むこうの私は、きっとその理由を知ってる」
「向こう、の?」
だが、俺の疑問にナキが答えることはなかった。
「…もう、私に近付かないで」
そう言い残して、その場を立ち去ろうとする。
「ナキ! ちょっと待っ――」
俺は、その腕に手を伸ばしてつかまえようとした。
その、瞬間だった。
「なっ!」
突然、青い光が爆発した。
逆らうことなんて出来なかった。
それはあっさりと俺の身体を吹き飛ばし、俺は無様に廊下に転がる。
「な、にが……?」
ナキが俺に手を触れていなかったのは間違いなかった。
今度は教室の時のように自分から飛んだ訳じゃない。
見えない何かに押されて、俺は地面に転がされたのだ。
そうして為す術もなく廊下に倒れた俺が見たのは、振り向くことなく廊下を歩いていく、ナキの姿。
「ナ、キ……?」
小さく呟いた言葉は、校舎に鳴り響いたチャイムの音に紛れて、消えた。