46.魔力親和性
一応お知らせ
・今までの話の改行を猫耳猫準拠にこっそり修正。
・感想欄を開放しました。ただしネタバレになりそうな感想は予告なく削除する可能性があります。
『――そのスキルの名前は、「魔力親和性」。
昨日わたしの友達を殺し、今日にもわたしを殺すかもしれない、スキルの名前』
縁の唇が動いて、そんな言葉を形作るのを、俺は呆然と見ていた。
『魔力はナイトメアの世界の根幹を作る物で、現実世界には存在しない物。
……その、はずだった』
『はず、って……』
『侵食がね。進んでるの』
縁が、俺の心を読んだかのように言葉を紡ぐ。
『ナイトメアが、ただの悪夢だったはずの世界が、現実にまで押し寄せてきてる。
夢の中から魔力があふれて、この世界に悪夢の理を持ち込むの』
縁が歌うようにささやく。
俺には理解できない。
だって、ナイトメアはゲームのはずだ。
縁が夢の中でやっているという、不思議なゲーム。
それなのに……。
……ついていけない。
そう思うのに、俺の耳は、頭は、全力で縁の話を受け止め、理解しようと働いていた。
『待て、待ってくれよ! そもそも、魔力ってなんなんだよ!
この世界に、そんな訳の分からない物は……』
『変質した超能力』
しかし縁は、その質問にもあっさりと答えてみせる。
『たぶんね。ナイトメアは超能力で作られた世界なんだ。
向こうの身体も当然超能力で作られたもの。むしろ、能力そのもの、かな。
だからナイトメアで死んでも、現実の肉体を失わずに済んだ。
その代わりに、現実の身体にうまく記憶を定着出来ないみたいだけど』
光一には、この話はまだしてなかったけどね、と何でもないことのように縁が話す。
『でも「魔力親和性」のスキルはそのルールを覆す。
魔力が、ナイトメアの世界の身体が、現実の世界の身体となじんでくるの。
だからこのスキルを持ったわたしたちは、向こうの世界の記憶をここに持ってくることもできた』
『待って、待ってくれって!』
俺は思わず縁を止めた。
混乱して、脳がついていけない。
じっと、無感情な目で俺を見つめる縁に、あえぐように俺は言った。
『よく、分からないんだ。確かにナイトメアが超能力で作られたとか、縁だけがその世界の記憶を持ったままでいられるとか、なんとなく、聞いた覚えはある。
だけど俺は、それは単なる、夢の話だと思ってたから。
だからそんな……』
『ごめんね、光一』
縁は俺の言葉を遮ると、ふっと表情を緩めた。
『ゆか、り……?』
張りつめていた空気が、一気に弛緩する。
今までのは全て冗談だった。
元に戻った空気がそんな風に言っている気がして、肩から力を抜く。
その瞬間を待っていたかのように、縁が俺に近付いた。
『本当は、そんなに難しい話じゃないんだよ』
『ゆ、かり……?』
至近距離に見えたその横顔に、俺は言葉を失った。
まだ終わりになんてさせないと、光一だけを逃がしはしないと、縁は冷たく残忍に笑っていた。
『ねぇ、光一。ちょっとだけ、考えてみて』
震える手が、俺を捕らえる。
すがる指先が俺の腕を握りしめ、白い指先が肉に食い込む。
冷酷な笑みを浮かべ、身体の震えを押し隠し、張りつめた、泣きそうな声で縁は俺に問いかけた。
『まだレベル1の「魔力親和性」でも、現実世界に夢の世界の記憶を持ってきた。
だったらそのレベルが上がってしまったら、今度は何を持ってくると思う?』
左足の腫れと痛みは、朝になったら引いていた。
「……おかしい、よな」
昨夜は足の痛みのせいで、しばらく眠れない夜を過ごしたはずだった。
いや、眠れなかったのは単純な痛みのせいだけではない。
俺は昨日、ナイトメアで左足に大きな怪我を負った。
そして、現実世界に戻った時に腫れあがっていたのは、ナイトメアで傷を負ったのと寸分たがわぬ箇所だったのだ。
――ナイトメアと現実が、リンクした。
そんな荒唐無稽な推論が頭に浮かんできて、昨夜はどうしても寝つくことが出来なかったのだ。
しかし……。
「気のせいだった、ってことか?」
あのレベルの腫れが、ほんの一晩で治るはずがない。
だとすると、あの足の怪我は何かの間違いだったと考えるしかない。
人は思い込みの生き物だ。
プラシーボ効果なんてものの実効性がある程度実証された現在、精神的な要因が肉体に及ぼす作用は無視出来ない。
俺はナイトメアから戻る時、左足の怪我を強く意識していた。
それが自己暗示のような効果を発揮して、本当に左足に異常を生じさせた、という可能性もなくはない。
だが、意識の端に「そうではない」とささやく声があった。
それはきっと、過去の記憶だ。
俺は少しずつ、縁の思い出を、縁と過ごした日々の記憶を取り戻している。
大抵それは白昼夢のような形を取って現れるが、本当の夢のように断片的で、覚醒した時に完全に記憶に残らないことも多い。
それでもその記憶は確かに頭のどこかに根を張っていて、ふとした拍子に思い出すこともある。
そんな、意識しても思い出せないほどのおぼろげな記憶が、この左足の怪我がナイトメアと無関係ではないと警告を発していた。
「ま、あんまり考えすぎてもしょうがないか」
実際に足は治って、今はもう何の問題もない。
何が起こったのか分からないのは気味が悪いが、それほど深刻に考える必要はないだろう。
俺は身体を起こすと、学校へ向かう準備を始めることにした。
その朝は、不気味なほどいつも通りだった。
いつものように俺に寄ってくる結芽を適当にあしらいながら、いつものように居間でダラダラと過ごす諒子さんに呆れながら、いつものように学校へ行く支度をして、いつものように玄関を出た。
そうしていつものように門をくぐって、家の敷地から出た瞬間、
「――――ッ!!」
背中から感じたとてつもない気配に、俺の足は凍った。
いや、足だけではない。
今まで感じたどんな恐怖をも上回る圧迫感に、指先一つ動かせない。
(なん、なんだよ、これ……)
全身から、汗が噴き出る。
身体が硬直して、振り返ることすら出来ない。
だが、見えなくても、分かる。
背後にあるモノが、人智を超えた信じられないほど強大な何かだと。
たとえようのないほど格の違う存在なのだと。
そしてそれが、俺を見ているのも分かる。
痛いほどに感じられる。
あぁ……。
――どうして俺は、こんな怪物の巣窟のような家で毎日を過ごせていられたのか。
――どうして俺は、こんなとんでもないモノが棲む場所で毎日安心して眠りについていられたのか。
昨日までの自分が、信じられない。
(逃げ、ないと……)
動かなければ逃げられない。
それは分かっていても、竦んでしまった俺の身体はぴくりとも動いてくれなかった。
そんな、最悪の膠着状態を、
「――お兄ちゃん、何してるの?」
背後からの声があっさりと打ち破った。
「……ゆ、め?」
振り返る。
振り返ることが、出来た。
そこには、怪訝そうな顔をした結芽が立っていた。
「こんなところに立って、何してるの?」
当然の疑問にも、すぐに言葉が返せない。
「あ、れ……」
かすれた声で言って、かろうじて家の方を目で示すのがやっとだ。
「家?」
結芽は、変わらない態度で背後を振り向く。
無防備に。
その向こうにあるモノに、思考をおよぼすこともなく。
「あ、待っ……」
制止の言葉は間に合わない。
結芽はあっさりと背後の家を、得体の知れない何かのいる、二階を見て、
「別に、なにもないけど?」
平然とした顔をして、そんなことを言う。
「……え?」
何を言っているのか、分からなかった。
自由を取り戻した口でそんなことないと叫ぶ、その前に。
「ねぇお兄ちゃん、本当に大丈夫?
あそこには、何もないよ?」
カリカリ、カリカリ、と。
困ったように髪留めをひっかきながら結芽は言う。
「そんな、はずは……」
いや、結芽は一般人だ。
もしかするとあれを感じ取れなかったのではないかともう一度俺は家に視線を向けて、
「あ、れ……?」
さっきまで痛いほどに感じていた視線が全く感じられなくなっていることに気付いた。
「ほら、何もないでしょ?」
結芽の勝ち誇ったような言葉に、何も返せない。
でも、確かに俺は……。
(……いや)
そこで俺は首を振った。
気配を感じるとか、見られているのが分かるとか、俺は一体何を考えていたんだ?
ここはナイトメアじゃない。
現実の世界だ。
ここでは不思議なことは何一つ起こらないし、魔物だとかエルフだとか、そういう人を越えた存在もいない。
「お兄ちゃん?」
「あ、ああ。悪かった。気のせいだったみたいだ」
そう取り繕って、俺はようやく気付いた。
こいつは俺より学校が遠いから、俺が出てる時間にはもう家を出ていなくちゃおかしいはずだ。
なのに結芽は俺の後ろ、家の側から俺に声をかけてきた。
「それよりお前、何してんだよ。学校に行ったんじゃなかったのか?」
「えへへ。実はずっと家にいたんだ」
結芽は照れたように頬をかきながら、悪びれた様子もなくそんなことを言う。
それどころか、呆れる俺の手を取って、
「せっかくだから、途中まで一緒に行こうよ」
と誘ってくる始末。
「ほんと、しょうがない奴だな」
俺は渋々という態度を崩さずにそう言ったが、こいつのおかげで訳の分からないことで悩まなくなったようになったのも確かだ。
「途中までだぞ」
「やったー!」
喜びのあまりその場でぴょんと跳び上がる結芽に頬を緩めながら、俺はやっと穏やかな気持ちを取り戻し、いつものように学校に向かったのだった。
少しだけ変わったこともあったが、ようやくいつもの日常が戻ってきた。
そんな風に、俺は思っていたのに。
(なん、なんだよ、これ……)
額に汗がにじむ。
足が竦んで、前に進むことが出来ない。
目の前にあるのは、通い慣れた俺の高校だ。
なのになぜか、それはいつもと全く違う姿を見せているように見えた。
校舎の中に、何かがいる。
たぶん、二つ。
想像したくもない強大な何か。
その姿は見えない。
見えなくても、分かる。
それが普通の生物の枠を超えたようなとんでもない存在だと。
たとえるならそれは、ナイトメアで飛竜と遭遇した時の感覚と似ている。
圧倒的に格上の存在に相対した時の感覚。
だがその圧迫感は飛竜の時よりも何倍も強い。
(馬鹿、げてる……)
ここはナイトメアではなく安全な日本で、そもそも俺に他人の力量を感じ取るようなけったいな能力はない。
なかった、はずだ。
「疲れてるんだ、俺は」
昨夜の幻痛といい、俺は少し情緒不安定になっているのかもしれない。
夢の世界とはいえ、命のやりとりをしているから、きっと神経が高ぶっているのだろう。
「こんなの気のせい。気のせいだ」
わざと声に出して自分に言い聞かせ、俺は竦んだ足を無理矢理に前へ。
全力で警鐘を鳴らす本能を理性でねじ伏せながら、俺は校舎の中に入っていった。
「冗談、だろ」
靴を履き変えて自分の教室に向かって歩いていくうちに、あの強大な気配が近づいてくるのが分かった。
この学校で感じた強大な気配。
そのうちの一つは、俺の教室にいるのだ。
教室に近付けば近付くほど、確信は強まっていく。
気配の出どころが俺の教室だということに。
この感覚が単なる気のせいなどではなく、俺が何かを察知していることも。
そうしてとうとう、教室の扉の前に着く。
周囲の喧騒が、なぜか遠い世界の出来事のように感じる。
――いる。
この扉の向こうに。
校舎の外からでも分かる、恐るべき力の持ち主が。
それでも、ここで逃げ出すという選択肢は俺にはなかった。
震える手をドアへと伸ばし、ゆっくりと扉を横にスライドさせ――
「――――ッ!!」
――俺の意識は、吹き寄せた吹雪に一瞬で呑み込まれた。
「っ、ぐ!」
背中に衝撃。
遅れてきた痛みに、俺は自分が後ろに飛んでいたのだと理解する。
だが、直後。
それが全くの無駄であったと俺は悟った。
「ひっ!」
俺の口から、どうしようもなく怯えた声が漏れる。
廊下に飛び出した程度では何にもならなかった。
教室の光。
得体の知らない何かは俺を追っていた。
教室から殺到する青色が俺を逃がすまいと、まるで全身を舐めまわすように俺を包み込む。
全てを止め、凍らせ、破壊する絶対零度の力。
それが俺の周りを縦横に動き回り、うねり、渦巻き、俺を絡め取っていく。
もう身動きすらままならない。
「なっ!」
そんな中、俺は見た。
青色の出どころ。
今も俺に吹きつけるこの氷のオーラの持ち主を。
「……ナ、キ?」
俺の口が、その名を呼ぶ。
水色の幕の向こうには、こちらを見つめる同級生の目があった。