45.快進撃
『全く、何で俺が、こんな、ことっ!』
悪態をつきながら、俺はベランダから伸びあがる。
目指すのは縁の部屋の窓だ。
万が一にも割ってしまってはいけないので、右手を伸ばして、指先で必死に窓を開く。
窓とベランダとの距離は30センチほどしかないが、外から窓を開けるのは想像以上に骨が折れた。
『ゆかりっ! 聞こえてるんだろ!』
近所迷惑を顧みずに叫んでも、何も返答はない。
分かっていたことだが、小さく舌打ちをする。
『ああ、くそっ。やればいいんだろ、やれば!』
威勢のいい言葉を吐いて自分に喝を入れながら、俺はベランダの手すりに足をかけた。
二階とはいえ、下を見ると結構高い。
目がくらみそうになる。
縁の部屋の窓の方が、こっちのベランダよりも少し高い。
それでも手すりを足掛かりに、縁の部屋の窓枠に手をかけ、よじ登った。
そのまま、縁の部屋の中に転がり込む。
『……はぁっ』
止めていた息を吐き出した。
こちとら頭脳派で、アクションは苦手分野なのだ。
無理なことはさせないでほしい。
そんなヘタれたことを考えながら、俺は部屋の主を探した。
……いた。
真っ暗な部屋の中で、縁はベッドの端で布団にくるまって座っていた。
『何、やってんだよ、お前は』
『……こう、いち?』
俺が声をかけると、その時初めて俺の存在に気付いたというように、縁が顔を上げた。
『鍵までかけて、部屋に閉じこもってさ。
おばさんも、心配してたぞ?』
諭すようにそう言っても、縁は反応しなかった。
ただ目を落とし、手に持った携帯の画面を見ていた。
こういう時の縁に何を言っても無駄だ。
経験としてそれを知っていた俺は、無言で縁に近付いて、その言葉を待った。
そして、こういう対応をされたら縁が俺の存在を無視出来ないこともまた、俺は知っていた。
『……こういう時、幼なじみってやだな。
光一は、ずるいよ』
縁がそうこぼすのを、俺を笑い飛ばす。
『お互い様だ。それに、窓、開いてたじゃないか』
もし縁が窓の鍵を閉めていたら、俺はここに来れなかっただろう。
その事実に、縁も遅まきながら気付いたらしい。
そうだね、と言って、また顔を伏せた。
『……友達がね。死んだんだ』
突然の言葉に、理解が追いつかなかった。
『死んだ? 死んだって、それ……』
『たぶん、ナイトメアの最初の犠牲者。
今朝の未明、部屋のベッドで遺体が発見されたって』
『そ、れって……』
ますます意味が分からなかった。
ナイトメアというのは、縁が見ている夢の話ではなかったのか?
それがどうして、友達が死ぬこととつながるのか。
混乱する俺を見て、縁はぞっとするほど綺麗な顔で笑った。
『あのね、光一。その子とわたしが友達になったのは、同じレアなスキルを持っていたから』
『レアな、スキル?』
『そう。とても意味のある、特別な、スキル……』
そして、掌中にした獲物をいたぶるような残酷な笑顔で、縁は唇を動かす。
『その、スキルの名前は――』
闇の時間が終わったことで、俺たちは次の拠点への移動を真剣に考え始めた。
この村にいればいつ明人が襲ってくるか分からないし、そろそろこの村で手に入る物も頭打ちという印象があった。
ここの店の品ぞろえはお世辞にもいいとはいえないしし、発生するイベントも序盤向けと思われる物がほとんどだ。
それでも虹色ハリモグラのイベントクリア報酬はそこそこではあったが、だからこそキリがいいとも言える。
それに、飛竜との戦闘からこちら、俺以外の全員がクラスアップを経験しているし、戦力的にも充実している。
前回は様子見もかねて北に向かったが、今回は街に拠点を動かすつもりで入念な準備をして先に進むつもりでいた。
村に売っているポーションを買い占め、道中のモンスターの情報を収集し、それをみんなに徹底させる。
それでも前回の準備が役に立って、村に戻ってから30分ほどで準備が出来た。
洞窟探検を経て、俺のスキルも全体的に向上している。
『魔力機動』のスキルはレベル6まで上がっていて、『オーバードライブ』は11に到達。
他はそれほど変わっていなかったが、一応『魔力親和性』と『刀剣』スキルが1ずつ、それから『魔力感知』のレベルが3上がっていた。
ただ、それが今度の遠征に劇的に影響したかというと、そんなこともなかった。
隊列は洞窟時とあまり変わらず、七瀬を先頭に、その後ろに投擲ナイフを持った月掛が続く。
その後に、俺、奏也、ナキの順番だ。
前回は俺を先頭にしていたのだが、俺だけがクラスアップをしていないこともあって、現在の俺の能力値はぶっちゃけパーティの中で最低。
流石に一番危険と言われる先頭を任されることはなかった。
そんな俺のパーティにおける役割は、スカウト兼遊撃手といったところだ。
俺のユニークスキル『真実の剣』は威力が高く、無属性であるために相手を選ばない。
ただ、DPを大量に消費しなければ効果範囲が狭く、最大でもレベルと同じ回数までしか使えない。
俺のレベルは、ハリモグライベントの入手ウィルで1レベル上がって、21。
射程最低でも、たったの21回しか使えないことになる。
その代わり、意外にも『魔力感知』のスキルが索敵に有用なことが分かった。
本職の月掛のスキルよりも使い勝手がよいようだ。
これはスキルレベルが4になったこともあるだろうが、何より『オーバードライブ』の効果でスキル効果が上がっているからだろう。
しかも、このスキルは方向や状況を選ばない。
俺はナキに言われ、隊列の中心で全方位の索敵を担当することにした。
何だか言い含められて後ろに下げられているような気もしたが、考え過ぎだろう。
「それでは、これから北の街に向けて出発します。
残り時間は2時間弱。とても北の街に辿り着くことは出来ないでしょうが、現実に戻ればパラメーターは全快します。
うまく使っていきましょう」
奏也がそう言ってまとめ、俺たちは北の街に向かって出発した。
前回入った時、北の森にはほとんどモンスターが出てこなかったが、今回はあの時の閑散とした様子が嘘のようにたくさんのモンスターがこちらに群がってきていた。
今もレベル9のモンスター、『ロックカットウルフ』三頭を相手に、七瀬が必死に対応していた。
ロックカットウルフは鋭利な爪をもつウルフ系モンスター。
基本的な動きはグリーンウルフと大差ないが、その攻撃力はその比ではない。
しかし、
「この、くらいっ!」
だからと言って、その程度では耐久165を誇る七瀬の防御を崩すには至らない。
何しろ俺の10倍以上の数値。
言ってて悲しくなるが、レベル9程度の敵に歯が立つはずがない。
「行けっ!」
七瀬が敵をひきつけている後ろから、月掛がナイフを放つ。
威力と精度、射程距離では弓の方が上だが、このレベルの相手、しかも視界の利かない森の中ならナイフの方が小回りが利く。
月掛の強化の数値は七瀬に次いで高く、103もある。
優秀なパラメーターに支えられた攻撃によって、ロックカットウルフは次々に討ち取られていく。
俺はそれをぼんやりと眺めていたが、それだけが俺の仕事ではない。
「ナキ! 5時方向、3!」
「…アイスニードル」
背後から忍び寄る新たな敵に気付いて、俺はナキに指示を出した。
基本的に背後から敵が来た場合隊列を変えるが、戦闘中に別の敵が出現した場合、まずナキの魔法攻撃で牽制と足止めをすることにしている。
間髪を入れずにナキの杖から氷の槍が放たれ、それが遠くに見えた灰色の毛皮に突き刺さる。
後ろから現れたのは、どうやらロックカットウルフだったらしい。
「ギャンッ!」という悲鳴を残し、3匹のロックカットウルフはほぼ一斉に倒れた。
……ナキの魔法は牽制と足止め用、のはずなのだが、完全に殲滅してしまっている。
流石、理法257、MP1215の化け物である。
俺が前に視線を戻すと、ちょうど七瀬が最後のロックカットウルフに槍を突き立てた所だった。
どうやらこっちも終わりのようだ。
「……これだけ数が多いと、それなりに面倒ですね」
辟易したように、奏也が言う。
ちなみに奏也は雑魚戦では何もせず、楽器を片手に待機しているだけである。
男性陣、ほんと使えない。
ただ、実際鬱陶しいのは確かだ。
前に来た時に敵が全然出なかったのは、やはり飛竜が落ちてきた影響だったのだろう。
避難していたモンスターたちが戻ってきたのか、ここのエンカウント率は俺たちの想像よりもずっと高かった。
実際に戦っている七瀬たちの消耗が気になった。
「戦いは、あまり好きじゃないですけど。
でも、戦う度に経験値が溜まって、自分が強くなれるのが分かるので」
七瀬がそんなことを言えば、
「わたしはまだまだ行けるわよ!
投げナイフをちょっとなくしちゃった以外、特に被害もないし」
月掛が同調し、
「…MPなら、ある」
トドメを刺すように、ナキが締めた。
思わず奏也と顔を見合わせる。
俺たちのパーティの女性陣は、随分と頼もしい。
「それより、あなたこそ大丈夫ですか?
少しつらそうにしているようにも見えますが」
「あ、ああ……」
奏也からの質問に、少し口ごもった。
実は、全く平気ということもない。
俺は敵を『魔力感知』で見つけているが、これには問題も多い。
『オーバードライブ』と『魔力感知』のレベルが上がるにつれ、どんどんその感知範囲が広がっていて、正直受け止めきれないのだ。
効果の上昇は距離だけでなく、その鋭敏さにも及んでいる。
以前はモンスターなどの何か強い魔力が感じられる物が接近した時にだけ発動する程度の感覚だったが、今では自然の物体にもいちいち反応してしまう。
その中で強くて動いている反応を探せばモンスターは見つけられるのだが、それには非常に神経を使う。
肉体的にはなんてことはないが、精神的な疲労が溜まってきているのは確かだ。
「いや、大丈夫。ちょっと敵の数が多いから、うんざりしてただけだ」
だが、直接モンスターと戦う前衛が頑張っているのに俺が先に弱音を吐く訳にはいかない。
俺はそう誤魔化して、先を急ぐように歩き出した。
……大丈夫。あと一時間もすれば、ナイトメアは終わる。
それまでくらいなら、やっていけるはずだ。
ナイトメアの滞在時間が30分を切る頃、森が途切れ、木がまばらになってきた。
次のフィールドに進んだのだ。
敵の平均レベルが上がり、チョロボックルやロックカットウルフの代わりに、レベル14のシャベルタイガーやレベル16のダルマタートルなどが出てくるようになった。
それでも、七瀬と月掛はよくやっていた。
七瀬の防御を破るようなモンスターはまだ出ていないだし、七瀬が止めた相手を月掛が倒す、というコンビネーションはまだうまく行っている。
ただ、たまに撃ち漏らしが出るようになって、一度だけフライングドードーというモンスターが俺の所まで抜けてきた。
DPを2だけ使った『真実の剣』で迎撃、一撃で倒すことが出来たが、やはり敵のレベルは上がってきているということだろう。
少しだけ、前衛の二人もつらそうにしている。
一方、俺の方もかなりつらくなってきた。
あの時は強がったが、やはり『魔力感知』を使って歩くのは精神的に疲れる。
特に感知出来る範囲が全方位なので、目で前方だけを見ている時とはどうしても感覚が異なり、その辺りも気疲れの原因となっていた。
それに、このフィールドに入ってから、俺の仕事も増えた。
このフィールドで出てくる防御力の高いモンスター、ダルマタートルの撃破も俺の役割に決まったのだ。
ダルマタートルは事前情報にあった中でも危険なモンスターで、非常に高い防御力を持つ。
だからと言って放置して通り過ぎようとすると、後ろから高速かつ高威力のタックルをかましてくるという厄介な敵だ。
その代わり、正面から戦えばほとんど反撃しないので、時間さえかければ安全に倒せる。
ただ、このようにエンカウント率の高いフィールドで長時間同じ敵の相手をするのは危険だ。
ダルマタートルと戦っている間に他のモンスターが襲ってくれば、戦力を二分、三分しなくてはいけない羽目に陥る。
可能なら、出来るだけ早く倒してしまう必要があった。
幸い、俺の『真実の剣』はダルマタートルの防御力も無視して、一撃でこいつらを葬ることも可能だ。
実際に戦ってみた所、やはりダルマタートルは正面に回れば動きは遅いので、問題なく倒すことが出来た。
ただ、ダルマタートルの出現頻度は高く、その度に俺のDPが減っていく。
残り30分。
最後まで持つかは微妙な所だった。
「何とか、なりそうですね」
残り時間が2分を切った所で、奏也がこわばっていた顔を少し緩めた。
このフィールドに入ってから十数匹のダルマタートルを倒し、俺の残りDPは6まで減っている。
『魔力感知』を使いすぎたせいで、頭も痛い。
だが、何とかやりきった……ようだ。
最後まで油断してはいけないが、ここでダルマタートルが出てきても、7匹を超えない限り問題ない。
七瀬と月掛は疲れてはいるようだが、まだ動ける。
ナキに至っては、まだまだ余裕がありそうだ。
奏也の言葉に笑顔を返し、今日の探索を終わりにしようかと、俺が口にしかけた時だった。
「いるな。前方に、何匹か」
頭が痛い。
痛みで集中出来なかったが、俺の『魔力感知』が敵の気配を捉えた。
「わたしも確認した! 前方、タートル2!」
俺の言葉に、月掛が追従する。
視線を向けると、肉眼でも木の傍からこちらを眺める二匹のカメの姿が確認出来た。
奏也がこちらに視線を寄越す。
その目が、「放っておいても構いませんが、どうしますか?」と語っていた。
「……行ってくる」
残りDPは現実に戻れば回復する。
だとしたら、今の内に出来るだけ倒しておくべきだろう。
俺は痛む頭を歯を食いしばって誤魔化して、わざと『オーバードライブ』が切れた時に『魔力機動』を発動させる。
もう細かい操作なんて出来ない。
『オーバードライブ』使用中より数段劣る速度で、大雑把にカメの前に到着する。
そして、着地と同時に次の技を発動。
「『真実の剣』!」
DPを3使って、大きな刃を形成。
それを横薙ぎに振るう。
二匹のダルマタートルは即座に上下に分かたれ、息絶えた。
「……はぁ」
『魔力感知』で死亡を確認しようと思ったが、やっぱり頭が痛い。
どうも、酷使しすぎたようだ。
だが、これで今日の探索は終わりだ。
俺がため息をつきながら振り返った時だった。
「――ッ!?」
突然の頭痛。
それが『魔力感知』のせいだと分かる前に、俺は反射的に横に飛んでいた。
「が、ぁっ!!」
何かに、足が吹き飛ばされた。
そんな錯覚をするほどの衝撃が左足に走った。
地面に転がりながら、必死で何が起こったのか状況を把握する。
「――ッ! ダルマタートル!!」
『魔力感知』を使わなかったツケが最悪の形でやってきた。
最後に出てきたダルマタートルは、2匹だけではなかったのだ。
月掛の探知スキルでは見つからなかったようだが、木の陰に一匹隠れていたのだろう。
そいつが、俺が背を向けた途端にタックルをしかけてきたのだ。
「くそっ!」
だが、まだ俺にもDPは残っている。
俺はまた攻撃を喰らわないように、タートルに向き直って、
「……ぁ?」
そいつが数十本の氷の槍に貫かれるのを見た。
久しぶりに見た。
明らかなオーバーキル。
こんなことをやってのけるのは一人しかいない。
「コーイチ!」
ナキが走り寄ってくる。
「治す! 怪我は!?」
いつにない焦った語調で訊いてくるが、俺は首を振った。
「大丈夫。左足をやられたけど、大したことない。
どうせナイトメアが終われば治るんだし……」
俺が鷹揚に答えても、ナキは焦った雰囲気を消さない。
彼女に似合わない必死な姿で、一刻も早く俺の所まで駆けつけようとして――
「駄目!! すぐに治さないと――」
――そこで、俺は現実世界に戻ってきた。
時刻は12時ちょうど。
俺は一人でベッドの上に座っていた。
「間がいいんだか、悪いんだか」
直前の出来事を思い出して、苦笑する。
しかし、ナキも冷静なようでいて、過保護が過ぎる。
別にあれくらいの怪我、ハリル村の安い傷薬でも治るのに……。
そう思いながら、俺はベッドに脇に足をつけて、
「――痛っ!!」
突然走った痛みに、跳び上がった。
おそるおそる、足を持ち上げる。
「な、何で……?」
そこに見えた光景に、俺は呆然とつぶやいた。
激痛が走った左足。
ナイトメアから戻る直前、ダルマタートルのタックルを受けた左の足は、まるで何かに強く打ちつけられたように、はっきりと赤く腫れ上がっていた。