44.剣の真実
――それは、『あの日』が訪れる一週間と少し前の記憶。
『縁が変わり者かってのはともかくとしてさ。
500もDPがあるんだったら、やっぱり縁のユニークスキルって強いのか?』
俺が尋ねると、縁は心持ち頬を膨らませ、
『500じゃなくて、501!』
むきになって訂正をする。
『それで?』
俺がもう一度尋ねると、
『んー。強い、っていうのとは、ちょっと違うかな。
でも、便利なのは間違いないよ』
いかにも自慢げにそう答えた。
『ふうん。やっぱりそうなのか』
『そうそう。でも、それは初期DPが高い能力だからってだけじゃないよ。
初期DPは大事だけど、DP消費が低くて便利なスキルもたくさんあるから。
もちろん、その逆もね』
例えば、と縁は少し間を取って、ナイトメアの世界で見てきた珍しいユニークスキルについて話し始める。
俺はそれを話半分で聞きながら、顔を紅潮させて楽しげに話す縁の顔を、ずっと眺めていたのだった。
能力をいじって操作を上げたことを報告すると、ナキは絶対零度の瞳で俺を見て、
「…あなたは、頭がおかしい」
と随分な言葉を贈ってくれた。
七瀬といいナキといい、どうしてみんな俺をすぐ頭が変な人扱いしたがるのだろうか。
ただ、それからナキは呆れたようにため息をついて歩き出してしまい、それ以上何も言おうとはしなかった。
ナキは必ず怒るという、七瀬の予言は外れたようだ。
「ほらみろ、怒ってないみたいだぞ」
俺が勝ち誇って七瀬に小声でささやくと、
「あれ、呆れてるんですよ」
そのくらい分かってください、とこちらからも冷淡な反応が返ってきた。
仕方なく俺もナキを追って歩き出すと、ナキが振り返って俺を睨み付けた。
「…あなたは、ここで待つべき」
いきなり、とても承服出来ない提案をしてくる。
「いくらナキの言葉でも、それは聞けない」
俺が当然のように突っぱねると、ナキは表情を一層険しくした。
「…もう、MPがない。だから次は、治せない」
俺があの針を受けて生きていられたのは、ナキが治療してくれたおかげだ。
それがもう出来ないとなると、次にあの攻撃を喰らえば、俺は死ぬしかないことになる。
……だが、問題ない。
「大丈夫だ。あれはもう、喰らわない」
「…その根拠は?」
「あれを避けるのはたぶん無理だ。でも、策はある」
そこで俺は、少し先で俺たちの様子を興味深そうに眺めていた奏也に声を掛けた。
「――なぁ奏也。あいつの死体やアイテムが取れなくても、とにかく倒せさえすれば文句ないんだよな?」
それから蝙蝠の集団を退けること十数回。
数十分ほどの探索の後、虹色ハリモグラは再び俺たちの前に姿を現わした。
「みんな、作戦通りに頼む!
出来るだけそいつを刺激しないように、だが逃がさないように立ち回ってくれ!」
おそらくだが、あの針攻撃は危険を察知した虹色ハリモグラが相手の攻撃を中断させるために放つもの。
つまり、こちらが属性に合った攻撃をしなければ発動しない可能性が高い。
それでも念のため、ハリモグラが出た瞬間から俺は少し遠めの位置に避難している。
情けないが、これがナキが出してきた条件だ。
飲まない訳にもいかなかった。
七瀬の槍が、月掛のナイフが、ナキの魔法が、微妙に芯を外してハリモグラの移動を妨げる。
ダメージはないようだが、鬱陶しいと思ったのか、あるいは単純に、遭遇してから一定時間が経過したせいなのか、
「潜った!!」
機敏な動作で壁の中に潜っていく。
あっという間にその姿が見えなくなる。
「光一さん!!」
七瀬の悲鳴のような叫び。
その音が耳に届くより早く、俺は行動を始めていた。
『オーバードライブ』を発動して『魔力機動』。
停止から最速へ。
1から100の瞬時の加速。
とても速度を制御出来ない。
「コーイチ!」
調節が出来ずに壁にぶつかるが、これでいい。
『魔力探知』が目の前の壁の中にいる虹色ハリモグラの気配を捉えている。
嬉しい誤算。
「……喰らえ」
つぶやきと共に、振り上げた手を、下ろす。
型も何もない、単純な動作。
ただその手には、不可視の剣をイメージする。
何の手応えも、反動もない。
俺の右手は、空を切る。
ただその一瞬後、頭に鳴り響いたファンファーレが作戦の成功を告げた。
「うまく行ったようですね」
イベント達成のメッセージは奏也にも届いたのだろう。
にこやかな顔をしながら、奏也が近付いてきた。
「ああ。思ってた以上に、な」
素直にうなずく。
正直に言えば、こんな適当な作戦がうまく行くなんて、逆に予想外だった。
俺が立てた作戦は、実に単純だ。
要は俺の『真実の剣』の威力に頼った一点突破。
虹色ハリモグラが厄介なのは三点。
一瞬ごとに属性が変わり、その反対属性で攻撃しないと有効なダメージが与えられないこと。
有効な攻撃を当てようとすると、針を飛ばして反撃してくること。
特殊能力で壁の中に逃げられると追撃が難しいこと。
ただ、『真実の剣』を使えばその内の二点は無視出来ることに気付いた。
『ないとめあ☆ の あるきかた♪』によれば、無属性の攻撃はどんな属性でも軽減出来ず、また初期状態で木を真っ二つにした『真実の剣』の威力なら、おそらく壁だって貫通出来る。
虹色ハリモグラの属性や、外に出ているか壁の中にいるかに関係なく、『真実の剣』を当てさえすれば勝てると踏んだのだ。
そこで考えたのが、あえて虹色ハリモグラを壁の中に潜らせ、針による反撃が出来ないようにしてから倒す今回の計画だ。
壁の中で倒してしまったからドロップアイテムは確認出来ないが、今回のイベントの達成条件は虹色ハリモグラの撃破であって、ドロップアイテムの回収ではない。
少しもったいない気はしたが、今回は反撃の恐れのない壁の中で倒してしまうことに決めた。
(しっかし、とんでもない威力だな)
もちろん相手が格下ということもあり、俺のパラメータやスキルが特化型だということもある。
だが、障害物を切り裂いて、中にいるイベント討伐モンスターを一撃で葬り去る。
そんな威力の攻撃は、やはりバランスブレイカーと呼んでも差し支えないように思えた。
しかも、そのスキルの詳細は、使い手である俺にもまだよく分かっていないのだ。
ある種の不気味さを抱えながらも、まあ使えるならいいかといつものように問題を棚上げにしようとして、
「ふぅん。さっきの糸が、あんたの必殺技ってワケね」
月掛の放った言葉が、俺の脳髄に突き刺さった。
「……糸?」
怪訝な顔で振り返った俺に、月掛もまた、不思議そうな顔を返す。
「出てたでしょ、糸。
光る糸が壁に吸い込まれる所、わたしはちゃんと見たわよ。
まあ別に、あんたが秘密にしたいって言うなら……」
「ナキ!!」
最後まで聞いていなかった。
俺が叫びながらナキを振り返ると、ナキは考え込むような顔をしてから、うなずいた。
そして、
「…明かりを、消す」
宣言したかと思うと、今まで洞窟を明るく照らしていたライトの魔法が唐突にかき消えた。
「よ、四方坂さんっ!?」
突然のナキの奇行に、流石の奏也も焦った声を出す。
俺も突如訪れた暗闇に、パニックになりかけるが、
「…コーイチ、使って」
そんな中で、ただ一人冷静なナキの声が聞こえて、我に返る。
ナキはいつも説明が足りない奴だが、その行動は大抵合理的だ。
それを信じて、俺はスキルを使う。
「『真実の剣』!!」
叫ぶのは、もはや慣れ親しんだ俺の必殺技。
いつも通り、その手には何の重みも手応えもない、実体すらない不可視の刃が現出して……。
「……ぁ」
とは、ならなかった。
暗闇の中に、ぼんやりとした光が浮かぶ。
それは白い輝きを放つ、光の糸。
その白い光の糸は、確かに俺の手から伸びていた。
「……綺麗」
そうつぶやいたのは、向こうに立っていた七瀬だろうか。
その言葉に、俺は声を出さずに同意する。
俺の手から伸びた白い光は、細くて小さい。
だがそれは、決して頼りない光ではなかった。
――それは真実を求め、闇を切り裂く一筋の光。
一見はかなくも見えるその細い光には、決して折れない固い誓いと、闇に輝く意志の力が宿っていると、なぜか感じ取れた。
「…『ライト』」
静かなナキの詠唱で、洞窟に光が戻る。
同時に、俺の手から伸びた光の糸は、もう見えなくなってしまった。
しかしその輝きはまだ、俺の目に焼き付いて残っていた。
誰もが今目にしたものの余韻に浸り、何も口に出せないでいる中で、
「…あれが、あなたの剣」
ナキだけが、厳かに告げる。
「…多分、あれはずっと目の前にあった。
ただ、小さすぎて誰にも見つけられなかっただけ」
その言葉に、今まで抱いていたいくつかの疑問が氷解していく。
俺が何度『真実の剣』を使ってもその姿が見えなかったのも、それなのに説明文にそのことが一言も載っていなかったのも、それで説明出来る。
ずっと不可視の剣だと思っていた物は、目に見える形で俺たちの前に現われていたのだ。
ただそれが小さすぎ、細すぎたせいで、誰にも捉えられなかった。
明人との戦いの時、お互いの武器が同時に切断されたのも、これで納得出来る。
あの時、俺は手に持っていたショートソードの中に『真実の剣』を生み出していたのだ。
だから、明人のナイフが俺のショートソードを切り、しかしそれによって中の『真実の剣』とぶつかって、明人のナイフもまた、切断された。
「…魔法の威力は、密度できまる」
ナキのつぶやき。
それに、七瀬が反応した。
「……そう、か。本来一本の剣に使う力を、糸ほどの体積に凝縮する。
そうやって消費DPを抑えて、威力を上げているんですね」
その言葉に、ようやく俺も理解出来た。
同じ量の魔力を使った魔法でも、広範囲に撃つのと対象を絞って撃つのでは、後者の方が威力が高いに決まっている。
そしてそれを、極まった次元で行ったのが、俺の『真実の剣』なのだ。
余分な大きさも、無駄な持続時間も要らない。
『斬る』という能力を保てるギリギリの大きさの剣を作り出して、それをたった一振りだけ使用する。
そこまで徹底することで、低消費で高威力のスキルを実現させた。
このスキルにレベル表示がない理由がようやく呑み込める。
なぜならこれには、レベルアップの余地も、成長の余地もない。
この技はもう、既に完成されてしまっている。
後は素の能力値を上げて威力を上げるか、DPを上げて回数や射程を伸ばすか、その程度の拡張性しかこのスキルは必要としていないのだ。
「これが……」
これが、俺の求めた力。
懐かしい記憶の中で縁が語った、『壮大なイメージを広げる』やり方とはまるで真逆。
空恐ろしくなるほどに徹底した、省エネ、特化主義。
合理性を突き詰め、扱いやすさを追求した、極小の武器。
「……真実の、剣」
つぶやいてみても、その姿は見えない。
だが、今の俺には不思議とその剣の存在が感じ取れる気がした。
――たぶん、その、瞬間。
俺は本当の意味で初めて、自らの剣をその手につかんだのだった。
帰り道は、何事もなく進んだ。
途中、何度かコウモリがやってきたが、七瀬が捌いて月掛が倒すというパターンがしっかり型にはまり、行きに見えた危うさがほとんどなくなっていた。
もうすぐ出口に着くという所で、ナキが俺の横に並んだ。
そして、
「…私は、あなたが羨ましい」
前を向いたまま、ナキはそんなことをつぶやいた。
「ナキ?」
疑問の声には、答えない。
ナキは代わりに、冷たい彫像のような無表情で口を開いて、
「…ユニークスキルは、心の形。
あれは、あなたの剣は……」
だが、その後の言葉を、俺は聞くことが出来なかった。
「あれ、見て下さい!!」
先頭を歩いていた七瀬が振り返り、大声で叫んだからだ。
「これは……!」
叫んだ七瀬がまず真っ先に走り出し、釣られて俺たちも、前に向かって駆け出した。
その奥にあったのは、洞窟の出口だ。
ただ、それだけじゃない。
「空、が……」
闇一色だった空に、光が混じる。
何条もの光が暗黒の空を切り裂き、世界に光を届ける。
「ほら、見てみろよ、ナキ!」
最後に洞窟から出てきたナキに、空を指し示した。
ナキの無表情な顔に、わずかに驚きが浮かぶ。
遠くの空から押し寄せた光が、闇を駆逐する。
太陽のない世界に光が生まれる、決定的な瞬間。
それは、闇の時間の終わり。
ナイトメアの、夜明けだった。