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40.偽り

『――光一?』


 至近距離から掛けられた縁の声は、夢幻の世界を漂っていた俺の意識を叩き起こした。


『……ゆかり?』


 確認するように、彼女の名を呼ぶ。

 縁の整った顔が気付けば目の前にあって、俺はまだ夢を見ているのかと思ってしまった。


 それを知ってか知らずか、もう一度、縁が声を掛けてくる。


『うん。いつまで経っても光一が出て来ないから、来ちゃった』

『来ちゃった、って』


 その言葉が一体何を示しているのか。

 それを理解してしまった俺は、今度こそ本当に目を覚まして身体を起こした。


『――ッ!』


 途端、俺の身体に冷たい風が吹き付ける。

 ベッドの足元。

 ベランダに続く窓が全開になっていて、その奥に縁の部屋の窓が見えた。

 縁が何をしたのかは、もう明白だった。


『お前、また飛び移ってきたのか?』


 出来るだけ声に呆れを込めて、そう糾弾する。

 だが、むしろそれを喜ぶみたいに縁は口元を緩めた。


『窓から30センチくらいなんだし、飛び移るってほどじゃないよ。

 それに、わたしのために窓のカギ、開けてくれてるんでしょ?』

『そ、れは……』


 思わぬ反撃に、俺は言葉に詰まった。


 以前、不覚にも夕方に寝入ってしまった時、縁は窓から俺の部屋のベランダまで飛び移って窓を叩いて俺を起こしたという逸話がある。

 それ以降、俺は夕方になると窓の鍵を開けるようにしていたのだ。

 防犯がどうとかいう問題はあるが、それはもう今更だろう。


『第一、……もうそういう話、いまさらでしょ?』


 俺の心を読んだみたいに、そう言って縁は笑う。

 拒絶なんて微塵も考えていないような無邪気な顔で。


 そうだ。

 確かに、今更だ。


 だって、俺たちはずっと――





















「――お兄ちゃん?」


 至近距離から掛けられた妹の声は、夢幻の世界を漂っていた俺の意識を叩き起こした。


「……ゆめ?」


 確認するように、彼女の名を呼ぶ。

 妹の整った顔が気付けば目の前にあって、俺は自分が長い夢から覚めたことを知る。


 一緒に歩いていたナキ、村の入り口にいた七瀬や、しばらくして戻ってきた奏也と月掛と合流して、話し合いをした所で時間切れになって、現実に戻ってきたのだ。


「お兄ちゃん、どうかした?」


 結芽が、気遣わしげに声を掛けてくる。

 その声が、妙に遠く、現実感に乏しく聞こえた。


 いや、おかしいのは俺の方だろう。

 結芽がほんのまたたき一つをする間に、俺は数時間もの時間を過ごしてきたのだから。


「……何でもない」


 言いながら、ナイトメアでの疲れを引きずったみたいに重い身体を無理矢理に起こす。

 なじめない現実と認識をすり合わせるように俺は自分の部屋を見渡して、


(なん、だ……?)


 強烈な、違和感を覚えた。


 この感覚は、二度目だ。

 やはりこの部屋は、何かがおかしい。


 その確信じみた予感に突き動かされ、俺はもう一度、自分の部屋を観察する。

 ベッドの足元、いつも俺が出入りしている部屋の入口から始め、ぐるりと視界を一周させる。



 ドア、本棚、クローゼット、窓、机、エアコン、窓、ベッド、ドア、本棚……。



 以前と何も変わらない。

 おかしい所なんて、何もない。

 だが、違和感だけはぬぐえない。


 違う。

 そうじゃないのか。

 俺の部屋はおかしくない。


 ただ、『何かと比べると』違いがあるというだけだ。

 しかし、一体何と……。


 そこまで意識を持って行った瞬間、フラッシュバックする光景。



 ――途端、俺の身体に冷たい風が吹き付ける。

 ――ベッドの足元。

 ――ベランダに続く窓が全開になっていて、その奥に縁の部屋の窓が見えた。



「――ッ!!」


 俺は弾かれるように窓に向かった。


「お兄ちゃん!?」


 結芽の上げた、焦ったような声にも反応している余裕がない。

 乱暴にカーテンを押し開け、窓を開け放ってその奥を覗き込む。


 ――そこには、隣の家の真っ白な壁があった。


「……くっ!」


 自失していた時間は一瞬。

 俺はもう一つの、今度は小さい方の窓に飛びつく。

 カーテンを引きちぎるように脇にどけて、窓を開ける。


「そん、な……」


 結果は、同じだった。

 俺の目の前には、白い壁。

 窓なんて、どこにも見当たらない。


 何で、今まで気付かなかったんだろう。

 どうして、今まで疑問に思うことがなかったんだろう。

 こんな大きな食い違いを、どうやって見過ごすことが出来ていたのだろう。


 だって、そうだろう?



 ――俺の部屋に、ベランダなんてない。





「お兄ちゃん、本当に大丈夫?

 何か、あったの?」


 妹が気遣わしげに俺に話し掛けてくる。

 結芽に心配を掛けてはいけないと理性は告げているのに、それに従うほどの気力が俺の中から抜け落ちていた。


 結局、虚脱し切った俺の口から飛び出したのは、


「……ここ、本当に、俺の部屋だよな?」


 そんな愚にもつかない言葉だった。


「な、なに言ってるの、お兄ちゃん!

 この部屋はお兄ちゃんがずっと生活してた部屋でしょ!」

「そうだよ、な」


 妹の驚きと焦燥の入り混じったような声に、俺はそう答えを返す。


 俺は物心つく頃にはもうこの家に引き取られていて、諒子さんと暮らしていた……はずだ。

 子供の頃の、本当の両親と過ごした記憶も、違う家で暮らしていた記憶も、ない。

 だったらこの記憶の齟齬は、一体どこから来ているのか。


「……なぁ、結芽。お前の部屋、見せてもらっていいか?」

「へぁ?!」


 俺に話を振られた結芽が、急におかしな声を上げた。

 普段なら何かコメントする所だが、今の俺にそんな余力は残っていなかった。


「駄目か?」


 ただ、念押しするように重ねて聞く。

 少しだけ、間が空く。

 妹の内面ではちょっとした葛藤があったようだが、


「い、いいよ。で、でもお兄ちゃん、あんまり変な場所、見ないでね」


 結局は了承してくれた。




「じゃ、じゃあ、こっち、だよ?」


 言わずもがななことを言って、結芽は俺を先導した。

 俺たちの、というより諒子さんの家は、それなりに広い二階建ての一軒家で、二階に俺と結芽の部屋がある。

 結芽の部屋は、俺の部屋を出てすぐだ。


「……ど、どうぞ」


 兄を部屋に招き入れるのにどうして緊張しているのか。

 さっきまでの態度が嘘のように、自信なさげな様子で結芽は俺を自分の部屋にあげた。


 そういえば最近、結芽の部屋には入っていなかった。

 足を踏み入れてみて、俺は少し部屋を見回してしまった。


 結芽の部屋にはそんなに物がない。

 まあそれは、壁に埋め込まれたクローゼットが大きいおかげで他の収納があまり必要ないため、そう見えるだけかもしれない。


 他には細々としたいくつかの収納と、勉強机とイス、コート掛け、なぜかある石油ストーブとエアコン、大きめの本棚が一つ、明らかに結芽よりも大きい姿見、それに部屋の真ん中に鎮座するテレビと、考えてみれば家具の数はそう少なくもない。

 なのになぜ部屋が妙にスカスカな印象を受けたのか、俺は首をひねったが、今回の目的は結芽の暮らしぶりを検分することではない。


 部屋の様子に気を取られたのも一瞬、俺はすぐにベランダに続く窓に駆け寄った。


「悪い、ちょっと開けるぞ?」

「え? あ、うん」


 そして、返事を聞き終えない内に、窓を開け放つ。

 外から吹き付けた風に目を細めながら、足を踏み出す。

 俺は祈るような気持ちで目を開き、


「……そう、だったよな」


 眼前の風景に、心の底から落胆した。


 目の前には、隣の家の壁すらない。

 結芽の部屋のベランダは道路に面していて、その先のマンションまでは少なく見積もっても3メートルは離れている。

 とてもではないが、これで会話をしたりベランダに飛び移ったりは無理だろう。


(どういうことだ……?)


 俺の中には、縁とベランダで会話をした記憶がある。

 鮮明な記憶とは言えないが、まさか毎晩話していた場所を間違えるとは考え難い。

 だが、この家には、縁と俺が話した場所がない。


 いや、そもそも……。


「なぁ、結芽?」

「ん? な、なぁに、お兄ちゃん?」


 俺は緊張に飛び出しそうになる心臓をなだめながら、妹に問い掛ける。


「お前は、覚えてるよな?

 縁のことを、朝霧、縁を、覚えてる、よな?」


 俺の問いに、結芽はいつものように笑顔を浮かべて、



「あさぎり、ゆかり……さん?

 えっと、誰、それ?」



 当たり前のような顔で、そう答えたのだった。


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