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38.帰路

 ――『あの日』から、一週間と少しだけ前。



 その日は満天の星空だった。

 何が面白いのか、縁はじっと、それを眺めていた。


『夜空を見ると、ここが現実なんだって実感する。

 ナイトメアの夜は、ちょっと夜すぎるから』


 しばらくして、ようやく口にしたのがその台詞。

 俺は当然、聞き返した。

 彼女は答える。


『だって、ナイトメアの夜には夜しかないから。

 想像してみて――』





















「まずは、その、あんた……じゃなかった、えと、普賢先輩には」

「ストップ!」


 頭を下げられたことに驚いて、結局月掛の話を聞くことにしたのだが、俺は早々に話を中断させた。


「悪いが、普賢先輩とか、やめてくれ。

 『あんた』か、なんだったら呼び捨てで『光一』でもいい。

 話し方も、いつもと同じでいいから」


 彼女が年下の、ただの高校一年生の女の子だったと久しぶりに思い出した。

 とはいえ、今更そんな呼び方をされても困る。

 敬意を示しているつもりなのかもしれないが、背筋がかゆくなる。


 やっぱり話しにくかったのだろうか。

 俺の要求に月掛は少しだけはにかんで、照れくさそうに言った。


「あんたにはすっごく、感謝してる。

 たぶんあんたは意識してないだろうけど、この世界に来てからあたしを気遣ってくれたのはあんただけだったし、命まで助けられちゃった」


 大仰な台詞に、こちらまで照れくさくなる。


「飛竜の時のことか? だけどあれは……」

「それもあるけど、そうじゃなくて。

 やっぱり一番は、この、足のこと」

「足、って、さっきの?」


 俺の言葉に、月掛はうなずいた。


「あんたはただ、あたしの足を治しただけって考えてるかもしれないけど……」


 月掛はそこで、大きく息をする。

 何か、とてつもなく大きな賭けをするみたいに緊張して、自分の服の胸元を、手の平を食い込ませるみたいにきつく握りしめて、言った。


「でも、ちがう。奏也…さまは、あたしを置いて行くつもりだった」

「一体、何の……」


 疑問の声は、月掛の無言の圧力に圧殺される。

 彼女の言葉だけが、闇の世界に響く。


「あたしはこの世界では、彼、から離れたら、生きて、いけない。

 だから、あんたは、あたしの命の恩人」


 そこまで言い切って、ようやく月掛はぎゅっと自分の胸元を握り込んでいた指を解きほぐす。

 それから今度こそ自然な笑顔を浮かべ、安堵の吐息を漏らした。


「よかった。ちゃんと、言えて。

 ずっと、ちゃんとお礼言いたいって思ってたから」


 俺には……俺にはやっぱり、意味が分からなかった。

 シノノメさんと同じだ。

 彼女の感謝の気持ちが本物だってことは分かったが、そこについていけない。


 縁を追っている俺でも、誰かから離れたら生きていけないなんて思ったことはないし、月掛の言葉には共感出来ない。

 第一俺がやったのは普通の人が仲間に対してする当たり前のことだけで、ここまでの感謝を受けるようなことじゃないと俺は思う。


 それを知って知らずか、月掛は話を続ける。


「ほんとはあんたに恩を返すのが筋だと思う。

 だけどあたしは恩知らずだから、あんたにもうひとつ頼みごとをするわ」

「頼み事? 何だ?」


 俺の言葉に、月掛はもう一度、緊張にこわばった顔を見せて、ごくシンプルにこう言った。



「――あたしを、助けて」



 まったくもって、意味が分からなかった。

 まあ状況が分からないことなんてナイトメアに来てからは日常のような物だが、それにしたって今回はひどい。


「あんたは知ってた?

 ブレイドラビットには、尻尾以外のドロップアイテム。

 つまりレアドロップがあるって」

「……さぁ、聞いたことないな」


 あんなに必死な顔でSOSを口にした月掛は、それ以降、俺のどんな質問にも答えなかった。

 何から助けて欲しいのか、どうして助けて欲しいのか、俺の質問全てに何も答えず、ただ首を横に振るだけだったのだ。


 なのに、今はもうそんな一幕はもなかったかのように、楽しげに話をしている。

 その切り替えの速さは羨ましい限りだが、翻弄されるこっちの身にもなって欲しかった。


「ちょっと、聞いてるの?」


 不機嫌そうな月掛の声に、


「なんなんだよ、ちゃんと聞いて……」


 振り向いた俺は、自分の勘違いを悟った。

 『助けて』と口にした時と同じだ。

 暗い中でも、月掛がはっきり緊張しているのが分かった。

 まだ、終わっていないのだ。


「……分かった。ちゃんと聞くよ」


 俺がそう言い直すと、月掛はホッとした様子で話し始める。

 一言一言、確かめるように、用心深く語り出す。


「……あのね。あたしは、レアドロップなんてなくなればいいと思ってる。

 そんなのは全部壊れてなくなった方が、助かる人がたくさんいるわ、きっと」


 そこで、月掛は言葉を切った。

 ここからの話に、月掛の苦境のヒントが隠されていたりするのだろうか。

 真剣に聞かなくてはいけない。

 そう思って続きを待ったが、月掛はなかなか話を続けようとしない。


「……それで?」


 焦れた俺がとうとうこっちから問い掛けると、


「それだけだけど?」


 思わず拍子抜けするような言葉が返ってきた。

 月掛の緊張がすっかり解けている所を見ると、本当に今の話はそれで終わりだったのかもしれない。

 俺からも何だか力が抜けた。


 肩の力を抜いた月掛は、そわそわと時計を見た。


「時間、まだ、だいじょうぶよね」


 そんな独り言をつぶやくと、ぐっと俺に近寄ってくる。


「……どうした?」


 さっきまでの悲壮感漂う雰囲気とはまた違った様子の月掛に、俺が少し動揺しながら尋ねると、彼女は言った。


「あ、あんたに、預かっといてほしいものがあるんだけど……」


 感謝、頼み事と来て、今度は預かり物だ。

 しかしここまで来れば肚も決まる。

 俺はうなずいた。


「い、いいの? ほ、ほんとに?」


 なぜか許可された方が動揺している。

 俺は苦笑しながら月掛の背中を押した。


「ここまで来たら最後まで付き合うって」

「わ、わかった。ありがと」


 俺の言葉に月掛も覚悟を決めたようで、更にもう一歩、近付いてきた。


「じゃ、じゃあ、大事なものだし、だれにも見られたくないから、もうちょっと寄って」


 押し殺した声で、そんなことを言う。

 よっぽどやばい物なのだろうか。

 俺は内心早まったかと思いながらも、一歩前に出る。


「……こっち」


 首に回された手に導かれるように、俺は更に身をかがめて……。



「――ぅえ?」



 唇に、湿った感触。

 目を見開いて月掛を見ると、素早く俺から距離を取り、上気した顔をうつむかせて、収まり悪そうにしきりに足をもぞもぞさせていた。


 え? いや、え?

 大事なものって、そういうこと?


 すっかりフリーズしてしまった俺に、声を上ずらせて月掛が釈明する。


「は、はじめては、女の子にとって、大事なものだし。

 だ、だから、なくさないで、預かっといてよね!」


 全く、弁明にも説明にもなっていない。

 いや、なんとなくなら、言っていることは分からないでもないが……。

 どうやって返すんだよ、こんなの。


 それからも月掛はもぞもぞもにょもにょと身悶えつつ、微妙な空気を醸していたが、ハッとして時計を見ると、すぐに顔を上げた。


「まずい! もう時間ないじゃない!」


 たぶん照れ隠しも混じった大声を上げると、俺に最後の要求をする。


「――早く抱いて!」


 今度こそ、目が点になった。


「ち、ちがっ! そうじゃ、なくて…!」


 自分の言葉のまずさに気付いた月掛は、僅かな時間だけ慌てて、すぐにそんな場合でもないと思ったのか、表情を引き締めた。


「ここに来た時みたいに、あれを……その、お姫様だっこを、してってこと」

 あれがお姫様だっこだという知識はあったらしい。

 しかし、改めて第三者に言われてみるとかなり強烈なネーミングだ。

 そんな恥ずかしいことしてたのか、という気分になる。


 だがまあ、あんなことをされてしまった後ではもう今更である。


「ひゃっ!」


 俺は立ったままの月掛の体を持ち上げた。


「……それで?」


 月掛が上げた妙に背筋を震わす声を無視して、出来るだけ平静な声を心掛けて聞いた。


「そう、あとは……ここであったことは、だれにも話さないで。

 それと、村にもどってからのあたしは、信用しないで」

「またそれか」


 思わず、そんな言葉が口をついた。

 ナキといい月掛といい、どうしてそんなに自分を信用させたくないのか。


 月掛は俺のつぶやきの意味が分からなかったようだが、そこに時間を取られている暇はないと考えたようだ。


「じゃあ、これで本当に最後。

 ええと……『店で急に倒れたから心配したよ。とりあえずポーションを飲ませたんだが、大丈夫か?』」

「は?」


 今度こそ、掛け値なしに理解出来ない台詞だった。


 間抜けに口を開ける俺に、月掛が焦れたように急かす。


「いいから、くりかえして。

 『店で急に倒れたから心配したよ。とりあえずポーションを飲ませたんだが、大丈夫か?』」


 理解は出来なかったが、あえては逆らうまい。


「『店で急に倒れたから心配したよ。とりあえずポーションを飲ませたんだが、大丈夫か?』。

 これでいいのか?」

「うん、上出来」


 月掛は満足そうにうなずくと、もう一度データウォッチを覗き込み、


「うん、時間も、ちょうどいいかな。

 ……ありがと、嬉しかった」


 どこに持っていたのか、シノノメさんにもらった黄色い薬を取り出して、一息に飲み干した。




「おい! 月掛!?」


 驚いた俺が我に返って制止した時にはもう遅かった。


「……あ、れ?」


 月掛の目がどろんと曇り、寝ぼけたような顔で辺りを見回す。

 やがて焦点を結んだその目は、自分が俺に抱えられていること、それから自分の手に見慣れない薬品の容器があることに動揺したようだった。


「な、なにこれ!

 あ、あたし、あの女の店に入って……あ、あれ?

 一体これ、どうなってるのよ!」

「どうなってる、って……」


 真っ赤になって叫び出す月掛に、俺は途方に暮れた。

 にらんだ通り、月掛がさっき飲んだのはシノノメさんにもらった忘却薬だったらしい。

 直近の12分の記憶、たぶん彼女の口ぶりから、シノノメさんの家に入った直後くらいからの記憶を完全になくしていると判断出来る。


 これは俺が教えてやらないと駄目だろう。


「あのな、月掛。お前は……」


 俺は忘却薬のことを説明しそうになって、


(いや、待てよ?)


 危うく踏みとどまった。


 月掛はこのことを『だれにも』言うなと言った。

 たぶんその『だれにも』の中には、月掛自身も入っているのだろう。

 だから俺は用心深く、言葉を選んで口を開いた。


「いや、『店で急に倒れたから心配したよ。とりあえずポーションを飲ませたんだが、大丈夫か?』」


 ほんの十数秒前の台詞だが、きちんと思い出すには少し苦労した。

 だが、たぶんこれで正しいはずだ。

 これがきっと、月掛が求めた対応だ。


「あたし、倒れたの?

 それでその……また、あんたが助けてくれた?」


 月掛が、いつものように勝ち気な、だがその奥に感謝を湛えた瞳で俺を見上げてくる。


「まあ、そういうことだな」


 その純粋な目に多少の罪悪感を覚えながらも肯定する。

 そしてその一方で、俺の頭は高速で回転し、先程までの出来事を解釈しようと必死に動いていた。


 ――ようやく、月掛の意図が少しだけ掴めた。


 店を出た時、10分だけ時間をくれと言ったのは、忘却薬の効果が12分だったからだろう。

 忘却薬の説明を受けてから、月掛はやけに時計を気にしていた。

 今となってはその理由は簡単に推察出来る。


 忘却薬を普通に使っただけでは、何か忘れたい記憶を忘却しても、『もしかすると自分は忘却薬で何かを忘れたのではないか』という疑いが残ってしまう。

 だが、忘却薬の説明を受けてから12分以内に忘却薬を飲んで、忘却薬という薬の存在そのものを忘れてしまえば、『自分が何かを忘れたことにすら思い至らない』。

 月掛は何かの目的のために、完全な記憶の消去を望んだのだ。


 ――つまり月掛は、俺にこっそりと伝えたいことがあって、しかもそれを、自分自身からすらも秘密にしておきたかったと考えることが出来る。


(……参ったな)


 心の中で、嘆息する。

 ナキや七瀬、明人なんて厄介な存在が並ぶ中、月掛だけは扱い難くはあっても、面倒な事情は抱えていない人間だと思っていた。

 だが、月掛には実は、自分の記憶すら偽らなくてはならないような問題があるらしい。


「どう、したのよ?」


 俺は、問い掛ける彼女の顔を、強気な口調ににじんだ、不安と恐れを見る。


 ――不意に、助けてと言った彼女に、きちんと返答をしなかったことを思い出した。


 だが彼女は、俺に助けてと頼んだ『あの月掛』は、もういない。

 あの恐るべき薬が、月掛の12分を殺してしまった。

 後悔してもどうしようもない。

 それは終わってしまった出来事だった。


 第一、俺には縁を探すという目的がある。

 他の人の望みを、一つ一つ叶えて回るような余裕もない。


 それでも、縁の他は全てを捨ててもいいと思っているなら、俺はこの街に来なかった。

 俺は……。


(やめだ、やめ)


 思考の迷宮に入り込みそうな自分を、無理矢理に現実に引き戻した。

 どうせ、関わってしまったのだ。

 なるようにしか、ならないだろう。


「それじゃ、帰るか」


 俺は思考を放棄して、腕の中の月掛に声を掛けた。

 俺にはこの温かさを見捨てることは出来そうにないし、かといってそのために全てを投げ捨てて動くことも出来そうにない。

 中途半端な俺が選んだ中途半端な解決法は、問題の先送りだった。



 月掛があの時帰ろうと言い出したのは、やはり忘却薬の効果時間を考えてのことだったのだろう。

 いざ帰るとなると、月掛は色々と理由をつけてもう少しこの街にいたいと言い始めたが、俺はそれを却下した。

 この街にいるとなるとシノノメさんに頼るのが一番自然だが、そうすると忘却薬の話が出てきてしまうかもしれない。


 それは、月掛の苦心を無にしてしまう可能性がある。

 ぐずる月掛を半ば無理矢理に説得し、俺たちは空へと飛び出した。


 高空まで飛び上がって空を見渡すと、地上では見えなかったものがはっきり見えた。

 いや、むしろ、地上でも見えなかったものが、もっとはっきりと見えなかった。

 奇態な言い回しではあるが、俺の感覚としてはその表現が一番近い。


「はじめて、見た。こんなに、黒い、空」


 俺と同じものを視界に入れた月掛が、そんな言葉を漏らす。

 その台詞は、まさに俺が心の中で考えていたのと同じだった。


 昼間にも思ったし、夕暮れ時になるとその違和感は倍増したが、この世界には太陽がない。

 原理も分からず空は明るくなって、理屈も分からずに空が暗くなる。

 それは紛うことなき、純然たる光と闇だった。


 闇の時間には世界から光が消えて、ただ人の作り出した明かりだけが唯一世界を照らし出す。

 現実世界の夜と、この世界の闇の違いは明白だ。


 ――この世界には、天体がない。


 星や月がその光を見せる現実世界の夜と違って、空はただ黒く染まっている。

 塗りつぶされたような黒に、見ているだけで引き込まれそうになる。


 同じ気持ちを感じているのだろうか。

 俺の首に回された手に、力がこもる。


 釣られて眼下に目をやれば、そこにもまた、闇が広がっている。

 草原と森があるはずの地上の光景は、既に俺の視力では捉えられないほどの暗闇に覆われていた。

 光源のほとんどない世界で、すぐ近くにいる月掛の姿さえ、息遣いでしか確認出来ない。


 体一つで夜の海に投げ出されたような不安感。

 右も左も、前も、全てが同じ光景で、自分が前に進んでいるのか、後ろに進んでいるのかさえ分からない。

 俺は考えなしに街を出たことを後悔した。


 まだ、後ろに街の灯が見える。

 今なら戻ることが出来る。

 その時点で俺は、半ばまで進むことを断念していた。


 だが、


「もど、るの……やっぱり、ムリ?」


 胸に抱いた月掛の言葉に、俺は息が詰まるような思いをした。


 ……そうだ。

 それを耳にしたのは彼女が打ち明け話をする前だったから、気にも留めていなかった。


 だが月掛は、シノノメさんの店で、『闇の時間が明けるのを待っていたら間に合わない』とはっきり言っていた。

 あの言葉がただの我儘ではなく、何か意味があるのなら……。


 俺は覚悟を決めた。


「いや、このまま進む。

 月掛、たぶん弓使いのお前の方が、目がいい。

 俺が道をそれたと思ったら注意してくれ」

「わ、わかった」


 俺の緊張が伝わったのか、月掛も強張った声で答える。


「そ、そういえば、取得可能スキルの中に『夜目』があったかも!

 ステータス、見てもいい?」

「もちろん。というか、そんなのいちいち断らなくてもいいって」

「うん!」


 うなずく月掛はやけに素直だった。


「は、離さないでね」


 そんな風に言ってから、空を飛んでからこちら、片時も離さなかった俺の首に回した手を外し、恐々とデータウォッチを操作し始める。


「あっ」


 そんな驚きの声と共に、データウォッチから画面が空中に投影される。

 それは暗闇の世界の貴重な光源となって俺たちを照らしてくれた。


 停電になった時の携帯電話の明かりのような物だ。

 心細かった俺たちの心に、それはほっとする光を投げかけてくれた。

 今まで息を潜めるようにしていた俺たちにも、ようやく顔を見合わせて笑う余裕が出来た。


 月掛はデータウォッチを操作して『夜目』のスキルを取得して、スキル詳細画面でその効果を確認。

 それが終わっても、まだスキル画面を表示したままにした。


「いい、よね?」


 また、上目遣いに尋ねてくる。

 たぶん近くに光があると、それより暗い周りのことを見るのは困難になるだろう。

 だが、こんなすがるような目をする月掛から光を取り上げるのは俺には無理だったし、この光の心地よさを味わってしまった後で、またあの暗闇に身を置くことは俺にも出来そうになかった。


「ああ、その画面は開いたままにしよう」


 俺がそう決めると、月掛は目に見えてほっとした顔をした。


 肝心の『夜目』の効果を聞いてみると、流石に昼間ほどではないものの、ここから地上の様子がぼんやり見える程度には目が利くようになったらしい。

 これで少なくとも知らない内に壁に激突して墜落、とか、知らない間に高度が下がって木にぶつかって墜落、とか、その類の事故は防げるだろう。


 方角については自分がまっすぐに進んでいると信じるしかない部分はあるが、目印にしていた大樹は大きかった。

 大体の方向さえ間違っていなければ、何とかなるだろう。


 そうやって俺は開き直ったものの、月掛の不安そうな表情は直らなかった。

 だから俺は、行きとは逆。

 積極的に月掛に話し掛けた。


 最初は余裕がなかった様子の月掛も、俺と会話を続ける内にいつもの調子を取り戻し、強気な発言が増えるようになった。

 意外にも月掛は俺よりもゲームに詳しいようで、ナイトメアの世界のシステムについて話を振ると、なるほどと思わせるような意見も返ってくる。

 少ない話題を駆使して何とか月掛を持ち直させた俺は、段々と質問に俺が本当に聞きたかった物を混ぜていった。


「やっぱりさ。いろんなゲームで感じるけど、レアドロップってずるいと思わないか?」

「はぁ? どうしてよ」


 俺が言い放った言葉に、月掛はあっさりと食いつく。


「どうして、って。だって同じモンスターを倒したのに、もらえる物が違うなんて不公平じゃないか。

 それを手に入れるために何度も同じモンスターを倒すはめになるんだぞ。

 そんなシステム、なくなった方がいいと思わないか?」


 内心の緊張を隠して、いかにも雑談のようにそう話を振る。

 果たして……。


「それがゲームの醍醐味ってやつじゃない!

 レアドロップがあるから夢があるのに、それをなくすなんて信じらんない!」


 月掛は、何の疑問も持たずにそう言い切った。

 それからも続く月掛のレアドロップ談義を聞き流しながら、俺の頭には、数十分前に聞いたばかりの月掛の台詞がよみがえっていた。


『……あのね。あたしは、レアドロップなんてなくなればいいと思ってる。

 そんなのは全部壊れてなくなった方が、助かる人がたくさんいるわ、きっと』


 忘却薬を飲む前に、月掛は確かにそう言った。

 だが、今の月掛はそれとは正反対の言葉を口にしている。


 そこには何か、意味があるのか。

 忘却薬を飲む前の彼女は、一体俺に何を伝えて、何をしてもらいたかったのか。

 ぐるぐると回る思考に顔をしかめていると、負けず劣らずに不機嫌そうな顔をした月掛に、


「ちゃんと聞いてなさいよ!」


 と怒鳴られる。

 裏表のなさそうな彼女の顔を見ていると、自然と笑いが漏れた。

 それが更に月掛の神経を逆なでしたようだ。


「なんで笑ってるのよ!」


 苛立った様子で、俺にかみついてくる。

 ここにいる月掛はこんなにも無邪気なのに、それと同じ人間が、あんな深刻な顔で俺に助けてなんて言うのだ。

 そんな思いが、するっと口からこぼれた。


「お前ってほんと、ひねくれ者だと思ってさ」

「……っ!」


 しかし、その言葉は意外と彼女の痛い場所を貫いたらしい。

 月掛は俺から顔を背けてしまった。


「……あたしの、ユニークスキル」


 俺の方を見ないまま、月掛が口を開く。


「選別の時に、あたしは『的』って答えた。

 現実でアーチェリーをやってるっていうのもあるんだろうけど、変に素直になれなかったりひねくれたりせずに、まっすぐに相手にぶつかりたいって想いが、そう言わせたんだと思う」


 月掛のユニークスキルは、以前目にしたことがある。


「それが、遠距離攻撃を誘導するユニークスキルになったのか」


 まっすぐにぶつかりたいという想いが、曲がったり歪んだりしてでも相手にぶつかるスキルを生んだ。

 これだってまた、ひねくれていた。


「あたしだって、自分が素直じゃないことなんて、とっくに知ってるわよ。

 それを、変えたいとも思ってた。

 でも……」


 それから先の言葉は続かなかった。

 話したくないのか、あるいは話せないのか。


「まあでも、今は結構素直じゃないか。

 こんな話を俺なんかにしたりしてさ」


 わざと軽い口調で言う。

 それは、重苦しくなった空気をやわらげるためのフォローの言葉だったはずだが、


「それは、そんなの、いま、だけ。

 また、どうせ、あたしは……」


 その言葉は、何か月掛の地雷を踏んだらしかった。

 重かった月掛の言葉が、更に暗さと重さを増す。


 それを払拭するために、俺は慌てて言葉をついだ。


「お前は素直じゃないって言うけど、普段のお前も分かりやすいぞ」

「……え?」

「いつも安定して素直じゃないからな、逆に素直っていうか」


 はっきり言えば、まんまツンデレだし。


「なによ、それ」


 月掛が気を悪くしたと言いたげにまた顔を背ける。

 だが、その語調からは、少し暗い物が取れているように思えた。


 その様子に、俺は内心ほっと息をつき、


「――見て!!」


 下の方から急に大きな声が聞こえて、俺は腕の中に目を落とす。

 俺から顔を背けていたはずの月掛が、進行方向にある何かを指差して叫んでいた。

 何事かとそちらを見てみると、俺でも確かに分かる、ぼんやりとした光がそこには見えた。


「なんだ、あれ?」


 まだまだ遠い。

 だが、背の高い影の横に、光る物が確かに浮かんでいるように見える。


「たぶん、あれ、大樹だと思う」


 スキルの効果で俺よりも視力に優れる月掛が、そう推定する。


「大樹って、村の近くの?」

「……うん」


 それが本当なら、そんなに喜ばしい報告はない。

 が、だとしたらあの大樹の横に浮かんでいる光は一体何だ?


 いや、と首を振る。

 考え過ぎるのは俺の悪い癖だ。

 そんな物、あそこまで行ってから判断すればいい。


「速度、上げるぞ。……大丈夫か?」


 俺の言葉に、


「当然!」


 虚勢の交じった、しかし心強い笑顔で月掛は応える。

 これ以上の問答は無粋だろう。


「じゃ、行くぞ!」


 そう宣言して、俺は『魔力機動』の速度を上げた。


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