33.真実の剣
――それは、あの日の記憶。ある少女の回想。
(――わたしたちは、ここで全滅する)
それは予感ではなく、もはや確信だった。
それほどにわたしたちの前に立ち塞がった敵は強大で、わたしには自分が生き残るという未来が想像できなかったのだ。
だが、彼は違った。
彼はまず、自分たちが安全に逃げ出す方策を考えてそれを実行し、更にはそれによって逃げ遅れた人がいると見るや単身身を翻し、怪物へと立ち向かっていった。
仲間の危機を救うため、彼は絶望的な戦いに身を投じたのだ。
それを見て、わたしの心も震えた。
あれほど恐れていた怪物は、その瞬間から倒すべき敵になった。
気付けば仲間と共に彼を助けるべく駆け出していた。
けれど、当然その見通しは甘かった。
わたしたちと怪物の間の絶対的な実力差は、そんな気力程度で埋められるような小さなものではなかったのだ。
わたしも、仲間も力を失って地面に倒れ、縦横に空を駆ける彼でさえ、今は怪物の魔手に捕らえられていた。
(ここまでか……)
わたしが観念しかけたその時、奇跡は起こった。
「……うそ」
捕まっていた彼が小さく手を動かした。
その動きは緩慢で、先程までのような圧倒的な速度とは比べるべくもない。
ただの悪あがき。
わたしはそう思ったし、それは怪物だって同じだったと思う。
――しかし、次の瞬間、彼を拘束していた怪物の腕が落ちた。
なぜ、そんなことが起きたのか分からない。
あの怪物の力は圧倒的で、わたしたちがどう頑張っても傷一つつけられなかったのに。
だが、奇跡はそこで終わりはしなかった。
「これ、でも……」
彼は、腕を切られた怒りに震え、彼に向かって一直線に突撃してくる怪物に真正面から対峙して、
「喰らえ!!」
まるで空に突き上げるように腕を振り上げた。
しかし怪物は、そんな抵抗を意に介さずに突進する。
恐るべき魔物は絶対の自信を持ってそこから更に一歩前に進み――そして、永久にその歩みを止めた。
「……な、に?」
初めは、何が起こったのか分からなかった。
怪物の体が縦にずれて二つになって、その体が粒子になって消えて、ようやく理解した。
――あの怪物は、彼の一撃によって冗談みたいに両断されたのだ、と。
そしてそれから遅れること僅か数瞬、怪物を打倒した彼もまた、力を使い果たして地面に倒れた。
「光一さん!」
わたしは彼の名を叫んで――
「ちょ、ちょっと待った!」
「はい?」
俺は慌てて、七瀬の長広舌をさえぎった。
興奮に少しだけ顔を紅潮させて語り出す七瀬は新鮮ではあるが、それよりも話の内容が看過出来なかった。
「一応聞いておくけど……それって何の話?」
「何のって……もちろんあの日に、二日前に光一さんが飛竜を倒した話ですけど」
むしろ心外そうにそう答えられて、俺は困惑した。
七瀬の話では、二日前の俺は飛竜に華麗に勝利を収めたことになっているらしい。
現実世界で妹と一緒に午前0時を迎えたその瞬間、どうも俺はまた知らない間にナイトメアの世界に転移していたようだ。
気付くのが遅れたのは転移元も転移先もベッドだったからだが、冷静になってよく見てみると、ベッドの質感も色合いも全く違っていた。
またナイトメアに来られたことは純粋に嬉しかったが、安堵よりも不審と好奇心が先に来た。
ベッドの傍にはナキの他に七瀬もいて、ようやくここがナイトメアだと理解した俺が飛竜との戦いについて尋ねると、七瀬が嬉しそうに先程の話をしてくれた、という次第だ。
しかし、問題なのがその話の中身。
確かに途中までの流れは俺の記憶とも概ね一致する。
しかし、
「俺は飛竜に攻撃しようと腕を振り上げた所で気絶しちゃったから、てっきり負けたものだとばかり思ってたんだが」
最後の部分が決定的に違っていた。
「え? で、でも、実際に飛竜は倒せた訳ですし……。
それに、光一さんのあの『見えない攻撃』以外に飛竜にダメージを与えられるような能力なんて考えられませんし……」
俺の言葉に、今度は七瀬が困惑気味だ。
「……コーイチ。スキル欄、見せて」
そこで、しばらく口をはさまずにいたナキが俺に指示を出した。
「ん、ああ、そうか」
俺のスキルに秘密があるのであれば、まずはスキル欄を見せた方が早いだろう。
俺はすぐさまデータウォッチを操作して、スキル詳細画面を開示設定で呼び出した。
が、
「…減点20」
なぜか、冷たい目をしたナキの言葉が俺を貫く。
何を非難されたのかすぐには分からなかったが、前に軽々しくステータスを見せないようにと言われていたことを思い出した。
「…スキルを見せるのは、弱点を晒すのと同じ」
ナキのきつい言葉が胸に突き刺さる。
過敏な反応だと笑いたいが、ナキが何も言わなければ俺は、明人のような危険な相手にも平気でステータスやスキルを見せてしまっていたかもしれない。
助言は肝に銘じておくとして、今回だけは例外ということで、二人に俺のスキルを見てもらった。
「これが、飛竜と戦った時に使ったスキルだ」
【真実の剣】
無属性 DP消費:1~(消費DPによって射程が変化)
普賢光一の願望が形を成したモノ。
意志の剣を作り出す。
『真実の剣』は一度振るわれる毎にDPを消費する。
この剣が光一の望まぬ物を斬る事はない。
スキルの項目に変化はない。
前に見た時と文面まで完全に同じだ。
「あれ? このスキル、スキルレベルが設定されてないんですね」
ナキに並んで画面を覗いていた七瀬が、意外そうな声を出した。
それって珍しいのだろうか。
そういえば、他のスキルはレベルがたくさんあるような感じではあるが。
「……えっと、たぶん、ですけど。
わたしのユニークはパッシブ寄りなせいかレベルはないですけど、他の人たちのユニークにはレベルがあるって前に話で」
消費DP1の上にレベルアップもしない。
あの威力を見てないと、地雷スキルだと考えそうなもんだが……。
「…レベルが設定されていないのは、きっとこのスキルがこれで完成してるから」
次に口を開いたのはナキだった。
「…攻撃スキルの消費量は、威力・効果範囲・持続時間によって決まる。
DP消費が少ないのは、持続時間が短いせい」
珍しく饒舌にそう説明してくれる。
なるほど。
このスキルは、スキルの持続時間を切り詰める代わりに威力を上げ、DP消費を抑えているのだろう。
例えば、穂村が自分のユニークスキルだと言っていた、炎の剣を作り出すスキル。
その剣が生み出して数秒は持つスキルだったとしたら、俺のこの『真実の剣』の数倍の消費DPになっていてもおかしくはない。
何しろ『真実の剣』の持続時間はたったの一振り。
長くても、一秒以内には……。
「あ、もしかして……」
分かってしまった、かもしれない。
最後の飛竜の突進に対して、俺は全身全霊を込めて剣を作り出すイメージで、両手を頭上に振りかぶった。
――その時に既に、『真実の剣』が発動していたとしたら?
DPを込めれば込めるほど、『真実の剣』の射程は伸びる。
全身全霊を込めた『真実の剣』なら、それはきっとそれなりの射程距離を持っていたはずだ。
そんな物を飛竜に向かって思い切り振り上げたなら、その時に不可視の剣が飛竜を両断していたとしてもおかしくはない。
そして、『真実の剣』は一振り毎にDPを消費するスキルで、ナイトメアではDPが0になった人間は例外なく気絶する。
それを踏まえれば、俺は『真実の剣』を振りかぶることで飛竜を倒し、DPが0になって倒れてしまったのだという推論も成り立つ。
……そうだ。
それから時間いっぱいまで目覚めずに現実世界に戻ってしまったとすれば、俺が自分が殺されてしまったのだと誤解してしまっても無理からぬことで……って、待て待て。
飛竜を倒した件について言えばそれで話が通らなくもない。
しかし、俺が死んだ傍証ならもう一つあるのだ。
昨日、俺はナイトメアに飛べなかった。
飛竜に勝ったというのなら、俺が昨夜ナイトメアに転移出来なかった理由とは何なのか。
それに二人は、俺がナイトメアに来られなかったことをどう受け取ったのか。
その話を二人にすると……。
「あ、それはわたしも同じです」
「…私も。昨日は、なかった」
なんてこった。
最後の疑問もあっさりと氷解してしまった。
考えてみれば、このナイトメアの世界に飛ばされる現象もまだ数回しか起こっていない。
俺は勝手に毎晩起こると決めつけていたが、まだ原因も理由も定かでない以上、飛ばされない日があることも想定に入れるべきだった。
とにかく、これで明らかになったことが一つ。
――つまり俺は、最初から殺されてもいなければナイトメアに来る資格を失った訳でもなくて、全てが単なる誤解だった、というオチのようだった。
「……はぁ」
安堵と落胆のため息をつく。
あんなに落ち込んだりナキから逃げたりして、間抜け過ぎるだろ、俺。
「…様子がおかしかったから一声かけたけど、聞いてなかった?」
そんな俺に追い打ちのようにナキが尋ねてくる。
一声かけたってアレか?
あの「ありがとう」って言葉か?
もしかしてあの「ありがとう」は「何か気に病んでるようだけどわたしは感謝してるよ元気出して!」みたいな激励の言葉だったんだろうか。
いや、分からないだろ、普通。
……まあ、ナキにしてみれば飛竜を倒した俺がどうして悩んでいるのか想像もつかなかっただろうし、そもそも俺が会話を拒んでいた訳だからその程度の気遣いが限界だったのか。
これも自業自得、ではあった。
「そ、それにしても、このスキル、凄い威力でしたね!」
追い打ちを喰らって俺が気落ちしてしまったのを気にしたのか、七瀬が場を取り繕うように言い出した。
確かに俺も飛竜に攻撃が通用した時は驚いた。
だが冷静になってから考えれば、それもそう不自然なことではない。
「まあ、一番の理由は操作の能力値が高いせいだろうな」
俺の操作の能力値はそろそろ200に届くかといった所。
今明らかになっている職業の中で、能力の伸びが一番いいのはナキの魔女のクラスだが、一番多く上がる理法でもデフォルトで4。
ボーナスを加えても、1レベルにつき5までしか伸ばせない。
例え理法の初期値が50あったとしても、それを200まで引き上げるためには30回はレベルアップしなくてはいけない計算だ。
とすれば、無属性のスキルの威力に関してだけは、俺はレベル30以上の能力を持っていると言っていいはずだ。
ついでに言えば、あの時は無我夢中だったのでもう記憶にないが、オーバードライブのスキルが発動していた可能性がある。
現在のオーバードライブのスキルレベルはこの前から更に一つ上がって5。
オーバードライブ中は(100+20×SLV)%のプラス補正がつくので、計算上、スキルの威力は3倍になっているはずである。
レベル30相当の無属性攻撃を3倍の威力で放てば、かなり高レベルなモンスターだってひとたまりもないだろう。
「特化スタイルの強み、ですね」
七瀬が感心したようにうなずく。
実はその分防御力が犠牲になっていて、だから飛竜に簡単に肩を刺されたりしたのだが、それは黙っておこう。
俺がそんな風に思っていると、
「…ちがう」
小さな声で、しかしはっきりとした口調でナキが否定した。
「ナキ? 違うって、一体何が……」
「…コーイチは、レベル1でヘルサラマンダーを倒した」
「あ……」
そのことをすっかりと忘れていた。
そうだった。
ヘルサラマンダーの時と、明人の時。
俺は武器を失い、恐らく無意識の内に『真実の剣』を発動して相手を撃退した。
だがどちらの時も、俺はまだ操作の能力値を上げていなかった。
ナキは更に言い募る。
「…最初の森の、切り倒された大木もそう」
「最初の森の……あぁ!」
思い出した。
ナキと出会った直後、スキルを試しに使ってみようとして、木に『真実の剣』が使えないかやってみた。
『真実の剣、とぉー!!』とか恥ずかしい台詞を言った割にはスキルは不発で何も起こらなかったと思っていたのだが、よくよく思い出せば俺は『その結果』を自分で目にしていた。
奏也と月掛と一緒に受けたヘルサラマンダー討伐イベント。
俺たちはそこで三つの異変に遭遇した。
枯れた森、えぐれた地面……そして、真っ二つに切り倒された大木。
俺たちはそれをヘルサラマンダーの仕業だと考えてそこから逃げ出したのだが、実はその場所は俺とナキが出会った氷の森で、森が枯れていたのは森が凍っていたせい、地面がえぐれていたのはナキが使ったマジックアローのせいだとそれぞれ分かっていた。
なら、真っ二つになった木も同じだ。
あの木が切られていたのは恐らく、俺の『真実の剣』の発動が成功していたからなのだ。
スキル発動が成功して真っ二つになった木が、どうしてすぐに倒れなかったのか。
たぶん理由は簡単。
あんまりにも綺麗に真横に切ってしまったので、切り離された木の上半分が切り株に乗っかったままだったのだろう。
とにかく、俺のユニークスキルは初期の段階でもそれだけの威力を持っていたということだ。
同じ結論に至ったのか、
「じゃあ、光一さんの『真実の剣』は、能力値の補正がなくても格上を倒せるほどの力があるってことですか?」
という七瀬の質問に、ナキは無言で肯定してみせた。
しかし、それはそれでおかしいだろう。
「だけど、威力っていうのは消費DPと比例するんだろ?
DP消費が1なのにそんなに強いのは不自然じゃないか?」
ナキがこちらを向いた。
色素の薄い瞳が、俺をまっすぐ見据える。
「…それだけじゃない。
この説明文には『刀身が見えない』効果は書いていない。
このスキルには、不自然なことが多すぎる」
どうも俺の『真実の剣』には、まだまだ謎が隠されているようだった。
他のスキルとの関連を調べたいというナキの要望に応え、スキル詳細画面を出しっぱなしにしたまま、俺はようやく一息ついた。
そうすると、じわじわと安堵が胸をせり上がってくる。
もう一度ここに来れたという喜びで、口元が自然と緩んでいた。
「嬉しそうですね」
それを見た七瀬が、こちらも嬉しそうに声をかけてくる。
「そりゃ、嬉しいさ」
俺は迷わずそう答えた。
当たり前の話だ。
もうナイトメアには来られないものと思っていた。
縁を追う手段も、これで途絶えてしまったと思っていた。
だが、俺はまだここにいて、縁を追う手段も残されている。
こんなに嬉しいことはなかった。
そうやって二人でなごやかに笑い合っていると、
「閉じて」
突然、ナキの鋭い声が割り込んできた。
「画面を閉じて、もう二度と、だれにも見せないで」
「どうしたんだ、ナキ?」
俺は慌ててスキル画面を閉じながら尋ねる。
ナキの様子は明らかにおかしかった。
何か困ったことか不愉快なことでもあるかのように眉根を寄せている。
まさか俺と七瀬が楽しそうに話しているのが気に障った訳でもあるまいし、今彼女がこんなにも険しい顔をする理由が分からない。
だが、ナキにはそんな俺の質問に答えるような余裕はないようだった。
「肩は? 何か異常は?」
そう尋ねるナキの顔はやはり険しい。
いつもの冷たさともまた違った。
まだ戦いの場にいるかのような厳しさを持った表情だった。
「えっと……つっ!」
訳が分からないながらも試しに動かしてみると、左肩に引きつるような痛みを覚えた。
飛竜に貫かれた場所だ。
動かさなければあまり気にならない程度には治っているが、完治していた訳ではなかったらしい。
「あの、傷薬だと痛みで目を覚ましてしまうかもしれないので、ナキさんが理術で治してくれたんです。
まだレベルが低くて、ひどい怪我には使えなかったり完治までは出来なかったりするそうですけど」
俺の様子を見て、七瀬がそう説明してくれた。
「ナキ、回復魔法は使えないんじゃなかったか?」
確か七瀬が怪我をした時、そう言っていた気がする。
「飛竜撃破のウィルで覚えた。それより早く治療を」
ナキはそう言うなり有無を言わさず俺の服をまくりあげ、問答無用で肩に傷薬を振りかけた。
「っつぅう!」
それから一瞬遅れで痛みがやってくるが、我慢出来ないほどではない。
理術でほとんど治りかけていたせいだろう。
その痛みもすぐに消え去り、肩の違和感も全くなくなった。
なのに、ナキの表情は依然険しいままで、
「傷薬で治せる怪我にも限界がある。
ああいう無茶は、二度としないで」
真剣な顔で、そんな命令か懇願か分からないような要望を出してくる。
しかし俺は、自分がその要求を飲めないと知っていた。
夢の世界とはいえ、もう少しで殺されていたという事実に対する恐怖はあったし、結果的に他の仲間たちまで巻き込んでしまった罪悪感もあった。
だが、同じ状況になったら同じことを繰り返すだろうという自覚があった。
「……なぁ。とりあえず今は、喜んでおくって訳にはいかないのか?
反省すべきことは色々あったけど、全員、無事に帰って来れたんだろ?」
その場しのぎに口にしたその言葉は、ナキには完全に無視され、七瀬にも顔を伏せられた。
その態度に、俺は少し不吉な予感を覚えた。
そういえば、今まで一度も他の仲間の話題が出ることはなかったし、俺もそれを聞かなかった。
飛竜を倒せたなら全てがうまく行ったはずだと、そう信じていたからだ。
しかし……。
「あの、月掛さんの、ことなんですけど……」
続く七瀬の言葉に、俺は絶句した。
七瀬の話を聞き終えた直後、
「待ってください、光一さん!」
制止する七瀬の声を無視して、俺は走り出していた。
家を飛び出して、村を駆ける。
幸いにも、村の地理は少しなら頭に入っている。
俺は一度も足を止めることなく走り抜けて、一つの家に駆け込んだ。
「月掛!!」
そう声を上げながら、目当ての人物を探す。
「……もう、うるさい、わよ。
せっかく気持ちよく眠ってたのに、目がさめちゃった、でしょ」
俺の叫びに応えたのは、その言葉とは裏腹に、顔を青ざめさせた一人の少女。
左足全体に巻かれた包帯が痛々しい、月掛立がそこにはいた。