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32.無表情な言葉

 ――それは、過去の記憶。『あの日』から……。



 その時の諒子さんは、今となっては信じられないほどぎこちなく俺に言葉をかけた。


『あー、つまり、だな。この子が、今日から私たちの家族、になるんだ』


 そして、たどたどしい諒子さんの紹介を受け、その陰から一人の少女が顔を出す。

 背が低くて線の細い、可愛らしい年下の女の子だった。


 ……なぜだろう。

 彼女を見た途端、俺の中で一瞬だけ何かが疼いて、消えた。


『俺は、普賢光一。その……よろしく』


 何とも言えない収まりの悪さをごまかすように、随分とぶっきらぼうにそう言い放った俺に、彼女は心からの笑顔を見せて、


『そっか。お兄ちゃんの名前、光一、って言うんだ。

 ……えっと、遠野、結芽です。

 これから一緒に、楽しく暮らそうね、お兄ちゃん』


 そしてその言葉は、すぐに現実の物となるのだった。




















「お、おはよ、お兄ちゃん」


 朝起きると、妹が布団で顔を半分隠しながらこっちを見ていて驚いた。

 そういう感じで照れるのは止めてくれ。

 なんて言うか、凄く、事後っぽい。


「結局、こっちで寝たのか」


 俺が独り言のようにそう言うと、


「……う、うん。お、おかしいよね。

 ほんとは、眠るはずなんてないと思ってたんだけど……」


 実に恐縮し切った顔で、結芽は縮こまった。


「まあ、気にするなよ。兄妹、なんだから」

「……うん」


 俺が笑ってそう言うと、結芽は前髪をいじり始めた。

 あまり、良くない傾向だ。


 結芽が前髪、というか俺があげた髪留めをいじるのは、追い詰められた時や嘘をついた時など、動揺したり緊張したりという時だ。

 真剣になると自分のことを結芽と呼び出す癖と並び、彼女自身も多分気付いていない、彼女の精神状態を表す明確な指針。


 俺はさりげない風を装って、話を逸らすことにした。


「それより……。いくら休みだからって、まだ起きなくていいのか?


 どうせ諒子さんだってまだ寝てるんだろ?」

 結芽は俺の言葉に慌てたような顔をすると、


「そ、そうだね。じゃ、じゃあお姉ちゃんを起こしてご飯作ってくる」


 そう言うとベッドから飛び出し、部屋を出て行ってしまった。

 俺は駆け出していくその小さい背中を見て、


「階段でこけたりするなよ!」


 そう言って、笑って送り出す。

 結芽が出て行って、扉が閉まった。


「はは。意外とそそっかしいな、あいつも」


 誰もいなくなった部屋で、俺はもう一度笑った。


 ……いつもの、朝だった。

 少なくとも昨日のようなドン底気分はどこかに行っていた。

 希望がなくなったことで、逆に吹っ切ることが出来たんじゃないかと思う。


 ただ、なんとなく……。

 時計を見ることだけは、出来なかった。



 三人そろっての朝食を終えて、結芽と諒子さんは連れ立って買い物に出かけることになった。

 結芽としては俺が気になっているようだが、かなり前からの約束だし、折角の休日を俺のせいで潰させるのも忍びない。

 何かお土産を期待していると俺から声をかけると、結芽はようやく笑顔を見せ、出かけることを決めてくれた。


「さて……」


 今日は外に出るような気分でもなかったし、テレビを見るような気力もなかった。

 俺は部屋に戻ると、何か本でも読もうと本棚を漁ることにした。


 実は俺の部屋には本棚が二つある。

 諒子さんはあの口調とキャラクターとは裏腹にかなりの読書家であり、その上、読み終わった中でお気に入りの本をガンガン俺に押し付けてくるのだ。

 元々一つだけだった本棚はあっという間に一杯になり、俺は新しく大きい本棚を買うはめになった。

 結果、最初にあった小さい本棚には漫画や自分で買った本を、少し離れた場所に置いた新しい本棚には、参考書や諒子さんからもらった本を、それぞれ主に入れている。


「今日は、こっちかな」


 俺は小さい方の本棚の前に立って、読む本を検討する。

 そうして本を物色している内に、


「そういえば……」


 つい、『ないとめあ☆ の あるきかた♪』を、ナキから返してもらっていないことを思い出してしまった。


 何を考えているんだと、俺はすぐに首を振った。

 もう終わったことだ。

 第一返してもらって何になるというんだ。

 俺はもう、ナイトメアには二度と行けないと言うのに……。


「……くそ」


 俺はいくつかの本を手に取ったが、その度にナイトメアの影がちらつくような気がして、どうにも気が乗らなかった。

 結局どの本も手にするだけで開くことはなく、俺はそのままベッドに倒れ込んだ。




「……ん?」


 気付かない内に、眠ってしまっていたらしい。

 階下で鳴り響くチャイムの音に俺は目を覚ました。


 何かの勧誘とかだったら絶対居留守を使おうと思いながら、気怠い体に鞭打ってインターフォンまでよたよたと歩き出す。

「……ま、さか」

 だが、インターフォンの小さな画面に映し出された映像を見て、俺の足は止まる。

 そこにいたのは、見紛いようのない、俺の既知の少女。


「……ナキ」


 俺とナイトメアで一番多くの時間を共に過ごした仲間。

 向こうの世界で一番親しくしていた少女。

 そして、俺が一番会いたくない相手。


「…………」


 ナキは何もしゃべらなかった。

 ただ、インターフォンの画面をじっと、身じろぎもせずにじっと眺めていた。

 俺も何も言えなかった。

 インターフォンを取ることなんて、ほとんど意識の端にも上らなかった。


「……そこに、いる?」


 だがそんな俺を見透かしたように、ナキが不意に口を開く。

 俺は何も言えなかったし、動けなかった。

 返事をすることも、かといってナキから目を逸らすことも出来ずに、固まっていた。

 今更その面を下げてナキに会えばいいのか分からないし、こんな俺がナキから逃げていいとも思えなかった。


「…伝えておきたいことがある」


 だから、その言葉がナキの口から発せられた時、俺の体はビクッと跳ねた。

 その次に続く言葉を幾通りも想像して、それだけで胃の中身がひっくり返りそうなほどの圧迫を覚える。

 次に口にされるのは不甲斐ない俺への痛罵の言葉か、あるいは俺を引き留める悲嘆の文句か。

 しかし、彼女が口にしたのは、



「…ありがとう」



 俺のどの想像とも違っていた。

 彼女はあいかわらずの無表情で、全く感情なんて感じさせないまま、それだけを言い切ってきびすを返す。

 そこには、未練も何も全く見られない。


「まてよ、なんだよ、それ……」


 俺の口から、思わず言葉が漏れる。

 だが、届くはずがない。


 それはそうだ。

 卑怯な俺は、声が届かないからこそ声を出したのであって、もしナキに伝わるのならこうやって口を開いたりなんかしていない。


「なんだんだよ、それは……」


 けれど、言葉を口にすること自体はやめられなかった。

 罵倒されるかと覚悟していた。

 あるいは泣いて引き留められるかと密かに期待していた。

 だが、ナキは表情一つ変えなかった。


 この最後の挨拶ですらいつもの無表情で、ありがとうの言葉一つで全てを終わらされた。

 ……いや、実際には、今の言葉には彼女なりの想いが込められていたのかもしれない。

 しかしどうしても、俺とナキが過ごした数日間は、ナキの無表情を崩す効果もなかったのかと考えてしまう。


 ――じゃあ俺は、どうしてもらいたかったんだ?


 泣いてくれれば良かったのか、笑ってくれれば良かったのか。

 そこまで考えて、俺はあることに気付いて愕然とした。


「なんだよ、俺……」


 俺はまだ、一度も見ていない。

 ナキが笑っている所も、泣いている所も、俺はまだ、一度も見ていない。


 仲間だとか、親しくしていたとか、そんなことを言っていても所詮はその程度。

 俺たちは、本当に……。


「く、そぉ……」


 そこから先は、脳が考えることを拒絶した。

 呻きながら、俺はその場にうずくまった。


「なんで、俺は、なんで……」


 こぼれる言葉に既に意味はなく、俺はただ嗚咽と共に濁った感情を吐き出し続けたのだった。



 失意のうちに日は暮れて……。

 夜には、また妹が部屋を訪ねて来た。


 今度は枕持参。

 今日は眠ったりなんかしないと宣言していたが、どうだろうか。


 しかし正直に言えば、今は誰かが傍にいてくれるというのが心底ありがたかった。

 近くに誰かがいなければ、俺は自分の胸に開いた暗い何かに引き込まれてしまいそうで怖かった。


 だから俺は、

「……仕方ないな。明日はちゃんと自分の部屋で寝るんだぞ」

 なんて、分別くさいことを口にしながらも、内心では妹に感謝していた。

 自分が必要とされているという実感が、たぶん今の俺には一番必要だった。


 広めのベッドは、妹が寝てもまだ余裕がある。

 それでも俺は、結芽とあまり体が触れ合わないように注意しながら、妹の他愛ない話を聞く。


「それでね、お兄ちゃん。……お兄ちゃん、聞いてる?」

「ああ、聞いてるよ。それで?」

「うん、あのね……」


 正直、話の内容はあまり理解していなかった。

 結芽はそのことを指摘しては不機嫌そうに唇を尖らせるが、本気でないのは分かっていた。

 たぶん、結芽も俺と同じだ。

 こうやって、同じ時間を共有出来ているだけで、話の中身なんてどうでもよかったんだと思う。

 こんな時間が、いつまでも続けばいいとさえ思った。

 だが、


「だから、わたしね……」

「あ、悪い。ちょっと、待ってくれ」


 俺は結芽の話をさえぎると、結芽とは反対側に顔を向けて、固く目をつぶった。


「お兄ちゃん?」

「何でもない。ただ、ちょっと、目が疲れたみたいで……」


 そんな嘘を言って、ごまかそうとした。

 別に、結芽が悪い訳じゃない。

 ただ結芽の向こうには俺の目覚まし時計があって、その短針が今にも一番上を示しそうなだけ。


 愚かな感傷だとは分かっている。

 それでも、時計の針が真上を指す瞬間を、俺は見ていられなかった。


「あ、あの、無理、させちゃった?

 眠いんだったら、わたしにかまわないで、先に寝ちゃっても……」

「いや、ほんとに目が疲れただけだから、三分、いや、二分くらい目をつぶってれば、すぐ治るから」

「……うん。無理、しないでね」


 心配する結芽を強引にそう押し切って、俺は目をつぶり続けた。

 結芽は内心はどうあれ、素直に俺に従ってくれたようだ。


 時計のカチコチという音と、結芽の静かな息遣いだけが部屋にあふれる。

 針が時を刻む音を聞いても、昨夜ほどには心が波打たない。

 慣れたからなのか、あるいは隣にいる結芽の存在を、昨日より強く感じているからか。


 ――そろそろ、か?


 心の中の時計ではもう一分が過ぎ、二分も回ろうという所。

 俺は恐る恐る目を開ける。


 目を開けるとそこはナイトメアの世界で、俺は呆然となって立ち尽くした、なんてことはなく、俺はまだベッドで寝ていた。

 当たり前の事実にそれでも落胆していると、ちょんちょんと肩を叩かれた。

 そういえば、結芽と話をしていた途中だったと思い出す。


「あ、ああ。悪かったな、ちょっと……」


 振り向いて、口にしようとした謝罪の言葉の続きは、瞬時に霧散した。

 振り返った先には妹とは似ても似つかない銀髪の少女がいて、俺を冷めた目で見下ろすと、



「…おはよう、コーイチ」



 いつもと変わらぬ声と口調で、俺に目覚めの挨拶をかけたのだった。


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