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31.最後の希望

 ――『あの日』から一月近く前。



『その夢の中のゲームって、一度死んだら終わりなんだよな。

 だったら、そこで死んだ人とは、もう夢では会えないのか?』


 俺の素朴な疑問に、縁は少し表情を曇らせた。


『そう、だね。……前に仲間が死んじゃったことがあって、その人には現実での自分も教えてもらってたから、会いに行ったことがあったんだ』

『それで?』


 俺は縁の表情からその結果を半ば予想していたが、それでも尋ねずにはいられなかった。


『会いには行ってみたけど、わたしのこと、覚えてなかった』

『……そうか』


 予想していた言葉とはいえ、かける言葉がない。

 しかし、次の縁の言葉は、一転、予想外な物だった。


『……でもね。わたしはその方がいいと思う』

『どう、してだ?』

『だって、もう戻れない場所のことをいつまでも覚えてたらその方が苦痛だよ。

 だからわたしは、あれでよかったんだって、そう思ってる。本当に、そう思ってるから』


 寂しさを押し殺して笑う縁に、俺は胸が一杯になって、その手を自然と伸ばして……。



















 ……手を伸ばした先には、何もなかった。


「あ、れ? 俺は……」

 言いかけて、すぐに思い出す。


 自分が『向こうの世界』で殺されたことがショックで色々とぐるぐる考え込んでしまって、昨夜はなかなか眠れなかった。ただ、明け方くらいからの記憶がないことから考えると、どうやら気付かない内に寝入っていたらしい。


 時計を見ると、いつも起きる時刻。

 数時間も眠っていないと思うが、それでもいつも通りの時間に目が覚めた自分を誇るべきか、それとも呪ってやるべきか。


「……どうか、してる」


 あんなことがあって、これでもう、縁に会う方法がなくなったかもしれないのに、こうやって自然と眠ったり学校のことを考えたりする自分が信じられない。

 目覚めた朝がいつもと同じ過ぎて、それが不快感さえも湧きあがらせる。

 確かに現実に目覚めたはずなのに、物事全てに現実感がなかった。


 ただ、夢で何が起きようが、現実は回っていく。

 起きて支度をしなければ、学校が始まってしまう。


「学校、か」


 学校に行けば、彼女がいる。


 ――四方坂ナキ。


 俺と同じように、悪夢の世界を旅した少女。

 そしてたぶん、俺が守り切れなかった仲間の一人。


 彼女と会うのが怖いと思う自分が、心の底から情けなかった。



 ナキの様子は、普段と同じだった。

 以前ナキは、まるでナイトメアでの記憶があるかのような発言をしていた。

 色々とあって、そのことについてきちんと聞いておくことが出来なかったのが、今となっては恨めしい。


 何しろ、俺が気を失った時の状況を考えると、ナキたちが助かった可能性はほとんどない。

 俺は気を失ってすぐ飛竜の突進を受けて死んだだろうし、ナキや七瀬、それに月掛は負傷していて、とても逃げられるような状況ではなかった。

 唯一希望があるとしたら奏也だけだが、飛竜の速度を考えればそれだって怪しいものだ。


 今、この教室にいるナキは、知っているのだろうか。

 俺が、無謀にも飛竜に挑み、そして何も守ることも出来ず死んでしまったことを。

 ナキを見る度に俺の奥からたくさんの物が込み上げてきて、どうしても平静ではいられない。


 俺は、月掛を助けに戻ったことを後悔はしていない。

 同じ状況に置かれれば何度だってそうするだろうし、実際に『真実の剣』の力にもっと早く気付き、もっとうまく活用していれば、飛竜を倒すことだって出来たと思っている。

 いや、そこまでは望まなくても、月掛を連れて逃げる手段くらいは、まだいくらでもあった。


 しかし実際は、俺は飛竜に殺され、仲間の安否も分からない。

 ……俺は、失敗したのだ。


 もっと、うまくやれたはずなのに。

 我を通して仲間を巻き込んだなら、普段以上にうまく立ち回らなければいけなかったはずなのに。

 どうして、なぜ、あの時に……そんな後悔ばかりが胸を突く。


 そしてその度に、俺の視線はナキへと向かう。

 それは救いなのか、それとも罰なのか、ナキはそれでも普段と変わらず、俺のことなど一顧だにせずに、


「……え?」


 不意に、ナキが立ち上がった。


 それだけで、クラスの注目を集める。

 教室でのナキは、その存在感とは裏腹に置物もいい所で、必要がなければほとんど席から立ち上がることすらしない。

 その彼女が立ったというだけで、なんとなく教室中が注目する。


 そんな時、大抵は細々としたつまらない用事だと分かってすぐに視線は外れるのだが、今回ばかりは例外だった。

 ナキはまっすぐ、教室の中心に向かって歩いて来ている。

 いや、違う。

 ナキはまっすぐ、俺の席に向かって歩いて来ていた。


 予想のしていなかった形で、来るべき物が来た。

 ナキは俺に、何を言うつもりなのか。

 ナキは果たして、ナイトメアでのことを覚えているのか。

 そもそもあの後、ナイトメアでは一体何が起こったのか。


 分からない。

 分からない。

 だが、分かっている。


 少なくとも俺には、ナキの言葉を聞く義務がある。

 ナキの言葉を聞かなきゃならない。

 だが、だけど、だとしても、


「と、トイレ、行ってくる!!」


 気付けば、俺は立ち上がって大声でそんなことを口走っていた。

 クラス中から奇異の視線が突き刺さる中、俺は教室を飛び出した。

 つまり……逃げた。


 ――俺は、最低の人間だった。




 ……もう、何もしたくない。


 今の俺が思うのは、それだけだった。

 布団をかぶって、とにかくさっさと眠ろうとする。


 あの後、つまりは近付くナキから逃げ出した後も、ナキが動く気配を見せる度、何か理由をつけて逃げまくった。逃げて、逃げて、逃げ切った。逃げ切れて、しまった。

 ナキと話をすることなく俺は家に帰って、そして自己嫌悪に押し潰されそうになった。


 心配する諒子さんと結芽の前では何とかいつも通りを繕って、食事やなんかを終わらせて、俺は自室に戻って布団に直行、それから一歩も動いていない。


 自分が急速に駄目になってきているという自覚はあった。

 それでも、何もする気が起きなかった。


「……はぁ」


 今日何度目か分からないため息が漏れる。

 自分がこんなにも駄目な人間だとは思わなかった。

 まさか、あそこで逃げ出すなんて、自分自身にも予想のつかない行動だった。

 俺自身に自分で失望する。


 しかし、とにかく明日は休日だ。

 何をするにも考えるにも、とにかく猶予が出来た。


 そんな風に無理にでも明るく考えていると、


「……お兄ちゃん、起きてる?」


 そんな言葉と共に、ドアがノックされた。

 俺は少しだけ迷ったが、


「……ああ」


 とだけ返事をした。


「……入るね」


 控えめな声と共に、妹が扉を開ける。

 暗闇に、わずかな光が差した。

 

「何か用か?」


 俺の言葉に、妹は一瞬つっかえ、右手で髪留めをいじりながら、


「あ、あのね、お兄ちゃん。ゲームで、なにかあった?」


 いきなり核心に触れてくる。

 結芽の鋭さには驚かされるものの、いつものことと言えばそうだ。


「……少し、な」


 俺はそう言って話を終わらせようとした。


 本当は、少しどころではない。

 この話題を出されただけで心臓が悲鳴を上げる気分がする。

 しかし、こんな弱さを、妹に見せたくはなかった。


「やっぱり……嫌になっちゃった?

 やらなきゃよかったって、思ってる?」

「……え? ああ、いや。

 違う、そうじゃないんだ」


 そうじゃなくて、ただ、ただ……。


 ――俺にはもう二度と、あの世界に行くことが出来ないってだけで。


 その言葉が、どうしても口に出せなかった。

 まだ終われないと、ナイトメアの世界にし残したことがあると、俺の心が言っていた。

 それを痛いくらいに感じてしまう。


「……そっか」


 しかし、それでも聡い妹には否定のニュアンスまでは伝わったらしい。

 納得したようにうなずくと、


「ね、そっち行ってもいいよね?」


 突拍子もないことを言って、返事も待たずに俺の隣に腰掛ける。


 狭いベッドに、妹と並ぶ。

 自然と、体の一部が密着した。


「お前は……どういうつもりなんだ?」


 結芽は一体、どういうつもりで俺の部屋を訪ねてきたのか。

 結芽は一体、どういうつもりで俺にそんな質問をしたのか。

 結芽は一体、どういうつもりで俺とこんなことをしているのか。


 自分でも何が聞きたいのかまとまらず、それでもそのもやもや全てをぶつけるつもりでそう尋ねた。

 結芽の目が、至近距離から俺を見据える。


「結芽が考えてるのは、いつだってひとつだけだよ」


 闇にあってなおはっきりと、結芽の瞳が見えた。

 その小さな唇が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「結芽は、ただお兄ちゃんと楽しく暮らしたいだけ。

 それ以外のことは、何も考えてないから」

「それ、は……」


 実にシンプルで、分かりやすく。

 しかし実際に結芽が起こす行動は、俺を困惑させる。


「だけど、お前はこんなこと、一体どうして……」


 うまく言葉にならない。

 結芽が俺を兄として見ているのか、それとも別の何かとして見ているのか、判然としない。

 けれどそれをはっきりと尋ねて覆された場合、俺にはどうしていいのか分からない。

 それが、尻すぼみの言葉を生んだ。


 だが、結芽は迷わない。


「お兄ちゃん。結芽とお兄ちゃんは、義理の兄妹だから、何をしてもいいんだよ?」

「何をしても、いい?」

「兄妹らしくしても、そうじゃなくても、どっちだっていいんだよ?

 だから結芽は、いつだってしたいようにする。

 誰にも、何にも、邪魔なんてさせないから」


 単純明快な論理だ。

 それはそうだ。

 理屈の上では、そうなのかもしれない。


「それに……」


 考え込む俺の腕に、結芽はとてんと頭を乗せた。


「お兄ちゃんがつらそうな時に元気づけに来るのは、どっちにしたって当たり前でしょ?」


 それは全くの無防備で、抵抗されることも、拒絶されることも、考えないような仕種で。

 思わず俺からも笑顔がこぼれた。


「そう、かもな」


 その笑顔は苦笑に近いものだっただろうが、たぶん昨夜ナイトメアから戻ってきて、初めて俺は笑っていた。

 そっとその頭に手を伸ばして、その柔らかな髪を撫でる。


「ん……」


 結芽は、当然受けるべき褒賞を甘受するように、誇らしげに目を細めた。

 いつ以来だろうか。

 こうやって妹の頭を撫でるのは。


「あ、れ? なん、だか……」


 やがて、心地よさそうにしていた結芽の目が、段々とろんとしてきた。

 細めていたはずの目が、別の理由でもって閉じられていく。


 普段の俺であれば、部屋で眠るようにと自分の部屋に追い返しただろう。

 だが、今日は、今晩だけは……。


「構わないよ。そのまま眠れば」

「え? でも、結芽、は……」


 抗弁しようとする声も、既に半ば以上が睡魔に支配されている。


「おやすみ、結芽」


 駄目押しのようにそう言って前髪をそっと撫でると、もう結芽のまぶたは閉じきっていた。

 あどけない寝顔と安らかな寝息を前に、俺は束の間の心の平穏を取り戻していた。



 カチ、コチと時計の針が動く音だけが暗闇に響く。

 俺は身じろぎ一つせずに、ただ『それ』を待っていた。

 腕の中には、安らかに眠る妹がいる。

 それを愛しく思わなくもなかったが、俺の心はもう、その姿を見ても穏やかではいられなかった。


 カチ、コチと時計の針が進む音だけが暗闇を渡る。

 どうして焦れている時にだけ、時計の音は耳に入ってくるのだろうか。

 緊張のせいか、指先の感覚がない。

 まるで真冬の寒空の中に放り出されたような寒気と不安とが、俺を襲っていた。


 カチ、コチと秒針がまた音を刻む。

 時計は遅々として進まない。

 早く進んで欲しい。

 いや、そのままずっと動かないでいて欲しい。


 相反する願いを込めて、俺は単なる機械仕掛けを、万感の想いを持って見つめる。


 ――午後、11時58分。


 結芽が眠ってから、もう30分以上が過ぎた。

 そして、『それ』が起こるまで、もう2分を切っている。


 カチ、コチと秒針が12を回る。


 ――午後、11時59分。


 いよいよ、いよいよだ。

 裁定の下る時が来る。


 全てが終わったのか、それとも続いているのか、それが分かる時が来る。


 カチ、コチというリズムが、俺の平衡感覚を狂わせる。

 一定のペースで鳴っているはずの音がやたらと間延びして、泥の中でもがくように時間が過ぎていく。


 回る。

 だが、針は回る。


 どれだけゆっくりでも、焦れったくとも、時計の針は後ろには進まない。

 やってくる。

 やってくる。


 その時は止まらずにやってきて、そして――



「……あ、れ?」



 ――時を刻むその針は、約束の時間をあまりにあっけなく通り過ぎた。


 つまり、つまりは、そうだ。


 何も、起こらなかった。

 なにも、起こらなかったのだ。


 しばらくはそれが信じられなかった。

 何の根拠もなくこの時計は時間がずれていると考えたりして、針が更にもう一周するだけの時間を俺は無駄にした。


 それでも当然何事も起こらなくて、いよいよ事実と向き合わなくてはいけなくなって、俺は、



「はは、あはははははは……」



 気付けば笑っていた。

 笑いしか、漏れなかった。


 望まないようにしようと思いながら、心の底ではずっと願っていた。

 一縷の希望に、縋っていた。

 午前0時を迎えれば、何事もなかったみたいにナイトメアに行けるのではないかと、心のどこかでそんな風に信じていた。


 でも、駄目だった。

 これが当然で、当たり前の話で。

 なのに……。


「くそっ!」


 自覚した途端、目から熱い物が噴き上げて来そうになる。

 こんなことで泣くのは嫌だと、必死でこみ上げる涙を押さえつける。


「なんでだよ、なんで……っ!」


 分かってる。

 全部分かってる。


 自分が全ていけないんだと分かってはいた。

 それでも、


「なん、で……っ!」


 向ける相手のいない疑問の言葉を吐いて、嗚咽する。


「――あぁ、あぁああああああ!!」



 縋るもののない暗闇の中で、妹の体温だけがかろうじて俺を繋ぎ止めていた。


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