30.最悪の覚醒
――『あの日』から十日前。いつかも聞いた、あの時の縁の言葉。
『わたしには理解できない考えだけど、その質問に《光》って答えたそれが、きっと光一の本質なんだよ。
だから、光一は自分の信念を貫いて』
――本質だとか、信念だとかは、正直よく分からない。
――だけど、
『そんな困った顔しないで。
難しく考えるようなことじゃないんだよ。
……光一の信じてることを、わたしは信じてる。
ただそれを、覚えていてほしいだけだから』
――俺はそれを、お前の言葉を、今でもずっと、信じてる。
『魔力機動』を使った瞬間、視界が一瞬で切り替わった。
移動を始めた次の瞬間にはもう目の前に木があって、
「えっ…ぐ!」
俺は無様にもその木にぶつかって、弾き飛ばされる。
操作を上げ過ぎたことが裏目に出た。
それから一度も『魔力機動』を使用しなかったことも。
速度が上がり過ぎた『魔力機動』に頭がついていっていないし、とっさの時にうまく『魔力機動』を使うには、まだ『魔力機動』に慣れていない。
『オーバードライブ』で奇妙に加速された思考が、木に弾かれて地面に落ちる間にそんなことを冷静に考察していた。
「っ!」
受け身も取れずに地面に転がりながら、必死で月掛と飛竜の姿を探す。
高速移動で稼ぐはずだった時間を無駄に使ってしまった。
この間に月掛が狙われれば阻止する手段がない。
だが、その心配は杞憂だった。
少なくとも俺の移動速度は、飛竜に危機感を与えるには充分だったらしい。
飛竜のターゲットが俺に切り替わる。
俺を睨み付けた飛竜が大きく口を開く。
ブレスの合図!
「――んなっ!」
視界が反転した、と思った時には俺はまた木に叩き付けられていた。
HPのおかげで衝撃以外にダメージはないが、また無様に地面に落ちた。
今度のはさっきのとは逆で、『魔力機動』が過敏に働いた結果だ。
特に移動のイメージを固めていない内から俺の逃げたいという意思にスキルが反応し、俺の体を横にすっ飛ばした。
能力の上がった『魔力機動』を、俺は全然制御出来ていなかった。
だが、今回に限ってはそれが功を奏したと言えるだろう。
俺が一瞬前までいた場所は飛竜のブレスに直撃され、草木一本残っていない。
「上等!」
萎えかかる四肢に無理やり力を入れ、飛竜に向き直る。
大丈夫、『魔力機動』で移動するから問題ない。
どうせ足なんて飾りだ。
動かなくたって構わない。
「バカ! なんでもどってきちゃったのよ!
あたし、せっかく勇気を出して……」
少し離れた場所から月掛の声が聞こえるが、今はそんな話をしている場合ではない。
「月掛! 少しずつでも逃げられるか?」
飛竜を見たまま月掛に問うが、
「……そんなの、無理。もう左足に感覚ない。
そのおかげでぜんぜん痛くないけど、きもちわるい。
少しでも動いたら、たぶん倒れる」
返事は思わしくない。
そして飛竜は、俺か月掛、どちらを狙うかを考えあぐねているようだ。
もしこいつが月掛にターゲットを絞ったら、その時点でアウトだ。
こいつの攻撃を避けることは出来ても、止めることは出来ない。
月掛を抱えて逃げることを考えていたが、今の『魔力機動』の精度ではそれも難しい。
せめて一瞬、飛竜の注意を逸らさないと……。
そう考えている間に、『オーバードライブ』が切れる。
(くそっ!)
『オーバードライブ』なしではとてもこいつと渡り合えない。
HPをMPに変換。
長い長い三秒が始まる。
幸か不幸か、『オーバードライブ』が切れた瞬間に飛竜がこちらにターゲットを定めたようだった。
はっきりと俺に向き直り、
(来る!?)
ブレスでは効果がないと判断したのか、今度は直接突進してくる。
四足をドタドタと動かして、優雅とは言い難い動きで俺に突っ込んできた。
だが力強いその足から繰り出されるその速度は侮れず、瞬く間に俺との距離を詰めてくる。
「くっ!」
『魔力機動』で斜め後ろ、月掛から離れる方向に移動するが、速度が出ない。
それに狭い森の中、木に背中をぶつけ、俺の移動はすぐに止まった。
一方の飛竜は途中に木があってもなぎ倒し、速度を緩めずに進んでくる。
(逃げ切れない!?)
俺の頭に死の予感がよぎった時、
「――――――!!」
飛竜の体に数本の氷の槍が突き刺さる。
「ナキ!」
遠く離れたはずのナキが戻ってきていた。
「い、今の内に、早く!!」
「七瀬!?」
その近くには、七瀬もいる。
更に、驚く俺の耳に今度はフルートの演奏が届く。
耳を打つ勇壮な音楽に、力が湧き上がってくる。
「奏也まで!」
演奏が届くか届かないかという離れた場所で、奏也がフルートを吹いていた。
一人だけ離れた場所というのが奏也らしいが、それでいい。
それの方が俺だって心置きなくやれる。
俺は『魔力機動』で二人の近くに移動しながら、飛竜を振り返る。
飛竜は突然飛んできた氷の槍に足を止めはしたものの、その体に傷は見られない。
「……無傷?」
それを見て、俺は改めて飛竜の強さを認識する。
同レベル帯の敵なら一撃で屠るようなナキのアイスニードル。
しかしそれすらも、こいつには全く効果がなかった。
(これは、まずいな……)
状況は更に悪くなっている。
突進の速度は人が走る速さより上だった。
つまり、足のやられた月掛はもちろん、戻ってきたナキや七瀬が狙われたら、逃げられない。
何とか月掛を担いで一斉に逃げるという作戦はもう使えない。
誰かが時間を稼がないといけない。
……誰か?
もちろん、俺だ。
「ナキ、自分がターゲットされないように気を付けながら援護してくれ。
七瀬、俺たちが時間を稼いでいる間に、月掛を安全な所まで運んでくれ」
二人に指示を出しながら、『オーバードライブ』を発動する。
守勢に回れば足止めも出来ない。
飛竜がこっちに突進してくる前に、こちらから仕掛ける!
「行く!」
叫ぶと同時に俺は目をつぶった。
戦闘中に目をつぶるなんて、愚策だとは分かっている。
だが、全力の『魔力機動』は俺には扱いづら過ぎて臨機応変な対応なんて出来ないし、目を開けていれば視界の激変に振り回されて思考にノイズが出る。
だから、最初からどう動くかを決め、目をつぶってイメージ通りに動くことだけを考える。
楕円の軌道で木々を避けながら、飛竜の背後に回る動き。
その間に飛竜が大きく動けばそれまでだが、これに賭けるしかない。
俺は頭の中に焼きついたイメージだけを頼りに、『魔力機動』を使用する。
「くぅぅぅぅ!!」
光は遮断され、音は置いていかれて、体が風を切る感触だけが知覚の全てになる。
これだけ急発進や急制動を繰り返せば脳がやられてもおかしくないが、そういう圧迫はない。
それどころか、逆方向に移動をしても慣性も感じない。
色々規格外な『魔力機動』のスペックを感じながら、必死に自分の体を駆る。
イメージが甘く、木にでもぶつかれば飛竜の格好の標的になる。
そうなれば恐らく俺は死ぬ。
だが、行ける。
そう信じて、俺は、
(抜けた!)
目を開ける。
目に映るのは、無防備な飛竜の頭。
そこに、『魔力機動』の速度ごと、剣をぶつけるつもりで、
「スラッシュ!!」
袈裟懸けに斬りつける!!
右手に持った炎のシミターはまだこちらに気付けないでいる飛竜の頭にぶつかって、
「なっ!」
一瞬で、弾かれた。
なまじこちらの速度が乗っていただけに堪えることが出来ず、手から炎のシミターがすっぽ抜けた。
飛竜がこちらを向く。
口が開く。
「くそっ!!」
急速後退。
後ろも見ずに『魔力機動』で後退して、木にぶつかって止まる。
それでもブレスは回避出来た。
「アイスコフィン!!」
追撃をしようとする飛竜が氷に包まれる。
それは飛竜が首を振っただけで霧散。
しかしそれで稼いだ時間で、俺はその場を離れながらデータウォッチを操作、折れたショートソードを取り出す。
(やれ、るか……?)
もう一本ショートソードがあるにもかかわらず、俺が折れた方のショートソードを取り出したのはもちろんあのスキルを使うため。
俺の今出せる全力の攻撃が何の効果も見せなかった以上、武器が折れた時だけ使えた『真実の剣』に賭けるしかない。
「出ろよ! 『真実の剣』!!」
祈りを込めてそう叫ぶ。
しかし、
「何も、起こらない?」
折れた剣に変化はない。
やっぱり最初から折れた剣ではなくて、戦闘中に折れた場合じゃないとダメなのか?
俺が諦めかけたその時、
「コーイチ! 今、DPが――」
ナキが離れた場所で何かを伝えようとする。
「ナキ、前だ!!」
しかしそれは、敵の前で敵から目を離すという、ナキらしからぬ失態だった。
飛竜は自分に魔法を喰らわせたナキを邪魔に思い、そちらに向けて大きく口を開いていた。
「くそぉ!!」
『魔力機動』を全開にして、飛竜を止めに急ごうとする。
しかし、その瞬間に『オーバードライブ』が切れた。
速度が目に見えて落ちる。
間に合わない!!
「ナキ!!」
結果的に、ナキはかろうじてブレスを避けた。
だが、体勢を崩したナキに、飛竜が駆け出していく。
「待て!!」
飛竜から距離を取っていたことが災いした。
『オーバードライブ』なしの移動では、とてもではないが追いつけない。
飛竜がナキに迫る。
ナキが死ぬ!
「ナキさん!!」
絶体絶命のナキを救ったのは、飛び出してきた七瀬だった。
ナキを突き飛ばし、飛竜の一撃を避けさせるが、構わず突っ込んだ飛竜に体当たりされ、ナキ共々弾き飛ばされる。
ほとんどかすっただけであっても、飛竜の攻撃力は異常なレベルにある。
二人とも、すぐに起き上がることは出来そうにない。
だが、そこで何とか俺が間に合った。
「こっちだ! 俺が――」
その台詞を、最後まで言うことは出来なかった。
その前に、振り向いた飛竜の左腕が俺の左肩を捉えていた。
「……え?」
一瞬の空白。そして、飛竜の尖った爪が、俺の左肩に刺さっていると認識した途端、
「う、がぁあああ!!」
肩口に苦痛が弾ける。
自分の口が獣みたいな声を上げるのを、俺は他人事のように認識する。
痛い。熱い。やっぱり痛い。
七瀬が錯乱した気持ちが分かった。
こんな物、普通の人間に耐えられるもんじゃない。
やっぱりテレビや漫画のヒーローは嘘だと思った。
こんな痛みの中で戦える人間なんて、いるはずがない。
――死が、隣に顔を出す。
俺の体は飛竜の爪によって宙づりにされていて、俺は無防備に体を晒していた。
飛竜の背中に氷の槍が突き刺さるが、獲物を前にした竜は、もう気にも留めない。
宙づりになった俺を見つめる飛竜の目に、残忍な光が宿った。
この状況で炎でも吐かれれば、俺は為す術もなく殺される。
そんな中でも、俺の視線は仲間の姿を探す。
額から血を流しながらも、こちらに向けて魔法を撃ち続けているナキ。
フラフラの体に鞭打って、再び飛竜に立ち向かおうとしている七瀬
――バカだな。今の内に逃げればいいのに。
そう思っても、体の自由が利かない。
そもそも痛くて何も出来ない。
そう思っているのに、そう考えているのに、そうやって思考出来ている自分が、そこにはいた。
どんな状況でも、自分のことを冷静に見ている自分がいて、窮地になるほど頭だけが動く、俺の変な性質があって……。
俺は今更、中断されたナキの言葉を考えていた。
あの時、ナキは言った。
確か、こんな台詞だった。
『コーイチ! 今、DPが――』
DPがどうしたんだろう?
DPは基本的に時間経過以外で増えないから、やはり減ったのだろうか。
誰の?
状況的に考えて、俺の、か?
ということは、つまり……。
(『真実の剣』は、発動していた?)
その閃きと共に、俺の意識は現実に戻ってきた。
「しん、じつの……」
なけなしの理性で右手を持ち上げ、力ない言葉で自分を奮い立たせ、
「……つる、ぎ!」
見えない刀身を振るう。
ありもしない刃は当然ながら手に何の手応えも与えず、その軌跡は飛竜の左手を素通りして、
(駄目、か……)
諦めて目を閉じようとした俺の目前、唐突に、飛竜の左手が中途でズレて、落ちた。
結果、その手に吊られていた俺も一緒に地面に落ちる。
「え……?」
驚いて、見上げる。
左手をなくした飛竜が、苦しんでいた。
苦し紛れに飛竜が振るった腕が俺に当たり、俺は数メートルも跳ね飛ばされた。
だが、まだ体が動く。
俺は半ば自動的に体を起こした。
片羽に続いて片腕までも失った飛竜が、怒りのこもった目でこちらを睨んでいる。
次の瞬間にも、あいつは怒り狂って俺を殺そうとするだろう。
痛みで集中が出来ないし、今にも気を失って倒れてしまいそうだ。
今の俺の状態では、あいつの攻撃を避ける術はないかもしれない。
「よう、やくだ」
しかし、俺は笑っていた。
やっと俺の力が見えた。
この見えない刃は、縁が信じて俺が作った『真実の剣』は、遥か高レベルのはずの飛竜の体すら引き裂いた。
これを喜ばずして、一体何を喜べと言うのか。
そうして俺は、笑顔のままで、
(……来い!)
飛竜を見つめ、念じる。
ブレスを吐くなら俺に対抗手段はない。
だから、
(来い! 苛ついてるんだろ? 俺を殺したいんだろ?
だったら、直接来い!!)
俺は怒りすら込めて、飛竜を睨み付ける。
あいつに俺を攻撃させるために、ブレスではなく、その体で俺を踏み潰しに来るように。
そして、
「――――――――!!」
怒り狂ったそいつは、俺に向かって走ってきた。
俺はもう一度、にやりと笑う。
左肩は痛くて左腕は上がらず、HPもおそらく底を尽きかけている。
血がなくなったせいか気分が悪いし、今にも倒れて気絶しそうなのは変わらない。
まともに戦えるのはどうせあと一度だけ。
だから、次の一撃に全てを賭けると決めた。
(残った力、全部をくれてやる!!)
全てを込めるつもりで、折れたショートソードに想いを託す。
俺に残った全てを込めた一撃。
「これ、でも……」
木をなぎ倒しながら向かってくる飛竜を見据えながら、俺は全身全霊を込めて大きく剣を振りかぶり、
「喰ら――」
そして、そこが限界だった。
(え? なん……)
急速に抜けていく力。
急速に遠のいていく意識。
(待って、くれよ。せっかく俺の、俺だけの力も分かって、やっとこれからって時に……)
HPを消費し過ぎたのか。
血を失い過ぎたのか。
無情にも俺の体は、一番肝心な場面で俺を裏切った。
(俺が、ここで倒れたら、みんなは、ナキは……)
もう前が見えない。
音も聞こえない。
暗闇に引きずり込まれていく。
(縁に、会うまで、俺は、俺は……)
「――――ッ!」
突然左肩に走った痛みに、俺は一瞬顔をしかめた。
だが、そんなはずはない。
肩に痛みなんてあるはずない。
「俺の、部屋…?」
だってここは、俺の部屋だから。
俺は、現実世界に戻ってきていたのだから。
「……なん、だよ。これ」
まだ、飛竜を倒してもいないのに。
まだ、夢が終わる時間まで、数時間も残っていたはずなのに。
「どういうことだよ、これ! どういうことなんだよっ!!」
叫ぶ。
ただ、認めたくなかった。
絶対に、認めたくはなかった。
だが、分かっていた。
今の状況が示す事実は、一つだけ。
――俺は、普賢光一は、ナイトメアで殺された。