28.彼女の落とし物
――遠い日の記憶。たぶん『あの日』から一週間とちょっと前。
『そういや、まだ聞いてなかったな』
『え?』
疑問を浮かべる縁に構わず、俺はまるで詩をそらんじるように、その文言を口にする。
『世界は暗闇に包まれ、既存の秩序や法則は全て崩壊し、確かな物は何一つありません。
この世界で貴方が初めに見つけた物は何ですか、……だっけ?』
俺が最後まで言い切ると、縁は珍しく目を丸くしていた。
『憶えてたんだ……』
『昔から、記憶力だけはいいんだよ』
俺がおどけると、
『うん、まあ……それは知ってるけど』
縁は迷いなくうなずいた。
『いや、そこは記憶力以外にもいい所あるよ、って言う場面だろ?』
『それも、知ってるよ。光一のいい所なら、全部』
『…あ、ああ。そうか』
それきり、恥ずかしくなった俺は俯いてしまった。
一本取ったつもりが、いつの間にか縁にペースを握られていた。
『ええとまあ、とにかくだな。
まだ、それを聞いてなかったなと思ってさ』
『それ?』
縁は小首を傾げた。
可愛い、が、わざとらしい。
流石にここまでくれば俺にも分かった。
『とぼけるなって。
あの質問、縁はなんて答えたんだ?』
『う……』
やはり、わざとはぐらかそうとしていたらしい。
縁は小さくうめいた。
『あ、あの時はいきなり暗いところにいたし、体も動かないし、いろいろパニックになっててさ。
だから、まともに質問にも答えられなかったというか、質問に対する答えじゃなかったというか……』
焦って弁解してくるが、それは逆効果だ。
ここまで取り乱されると、何が何でも聞きたくなる。
実際に縁はトラベラーになった訳だから、何か答えたはずだ。
それも、ユニークスキルを得られるほどに感情の込められた言葉を。
たとえ質問に対する答えではなくても、それは気になった。
俺は敢えて短く、
『それで?』
とだけ言って先を促す。
『……はぁ』
ここに至ってようやく観念したらしい。
笑わないでね、絶対、笑わないでね、と前置きをして、縁はとうとう白状した。
『その……こ、光一に、会いたい、って』
一瞬後、俺たちはそろって顔から火を噴いた。
北の森に入って最初に遭遇した敵は、二匹で地面に座り込んでいる小人型のモンスターだった。
「『識別』した。チョロボックル。レベルは8」
「うわ、すっごくチョロそうな名前……」
ナキの言葉に、先頭に立って索敵を担当していた月掛が顔をしかめた。
それでもその手には油断なく弓が構えられている。
ともあれ、ここはまず前衛の出番だろう。
「じゃあ、行くか」
「は、はい…!」
俺は七瀬に声を掛けて、炎のシミターを取り出す。
この炎のシミターは火属性のついた曲刀で、『ヘルサラマンダーを倒せ』の報酬アイテムだ。
流石にあんなことになったのでこれは固辞しようと思ったのだが、剣を使えるのが俺だけだったため、結局は受け取ることにした。
こっちよりも『真実の剣』を試してみたい気はするが、色々と試してみるには初見の敵はリスクが高過ぎる。
とりあえず慣れてくるまではこっちを使って戦ってみて、余裕がありそうなら『真実の剣』についてもまた実験してみるつもりでいた。
七瀬との連携なんて初めてだ。
操作特化にしてどんな変化が出たのかも含めて、これは楽しみだと意気揚々と前に出ようとして、
「あ、すみません、ちょっと待って下さい」
奏也にあっさりと止められた。
「なんだよ?」
俺は不機嫌そうに振り向いたが、奏也の鉄面皮は崩れない。
「普賢君が行くと、すぐに終わってしまいそうです。
ここは一つ、僕たちにも活躍の場を与えてはくれませんか?」
穏やかな顔で、そんな提案をしてくる。
「それは、構わないが……」
そういえば、俺は奏也が戦っている所を見たことがない。
『ヘルサラマンダー』の時は早く森を抜ける必要があったため、のんびりと演奏をしている余裕なんてなかったのだ。
俺がうなずいたのを確認すると、奏也はすぐに月掛を振り返った。
「と、いうことです。行けますね、月掛」
「はい! 奏也様!」
打てば響く返事をして、弓に矢をつがえた。
ちなみに、だが。
俺たちがそうやって相談をしている間、チョロボックルはリストラされたお父さんみたいにボーッと空を見上げていた。
チョロ過ぎる。あまりにチョロ過ぎるよ、チョロボックル!
「では、『勇壮の戦歌』をかけます。
演奏がスタートしたら、第一射を!」
「はい!」
そう言って、奏也が口に当てたのは、フルートだ。
横笛って、イケメンがくわえるとやたらかっこいい。
と、場違いな感想を抱いた直後、奏也の持つフルートから音楽が流れた。
勇壮、なんて曲名だけあって、心が沸き立つようなリズム。
今なら、なんだって倒せるような気がした。
そして、流石に音楽まで鳴らせばどんなチョロいモンスターでもこちらに気付く。
だが、チョロボックルたちが動き出すその前に、
「フレイムショット!!」
月掛が矢を撃ち放つ。
前はヘロヘロで、グリーンウルフすら倒せなかった月掛の矢。
しかしレベルを上げた彼女の矢は、ようやく立ち上がったチョロボックルの眉間に突き刺さり、
「やった!!」
見事、一撃で葬り去ることに成功する。
奏也の演奏と、彼女のスキルによる補正もあるのだろうが、驚くべき成長だった。
「月掛! もう一匹!」
だが、気を抜く月掛に、奏也の叱声が飛ぶ。
「は、はい!」
慌てて二の矢をつがえる月掛と、再び演奏に戻る奏也。
しかしそこで、チョロボックルは意外な健闘を見せる。
「す、素早い!」
さっきまでのおっさんのような腰の重さはどこへやら、一度動き出したチョロボックルは存外にすばしっこかった。
チョロチョロと走り回り、弓で狙うには動きが速過ぎる。
だが、
「フレイムショット!!」
月掛は微塵も躊躇わなかった。
迷わずに弦を引き、矢を放つ。
(あれじゃ、当たらない!)
やはり焦ったのか、矢の軌道はチョロボックルからは明らかに逸れていて、しかし、
「矢が、曲がった?!」
途中で進路を変えた矢が、驚くチョロボックルの眉間を捉えた。
まるで吸い込まれるように矢は命中し、一拍遅れてチョロボックルの体が霧散する。
「今の、あたしのユニークスキル。
スキルに誘導機能を持たせられるの」
月掛が俺の方を見て、少し自慢げに片頬を上げた。
「結構やるじゃないか」
俺も、思わず笑みを浮かべる。
だが安心するのは少し早かった。
戦闘中も忘れずにかけ続けている『オーバードライブ』のおかげで、俺の知覚は通常よりも高まっている。
「新手! 右奥に、チョロボックル3!」
今の戦いに引き寄せられたのか、姿を現した新たなチョロボックルの気配を俺は察知した。
演奏中の奏也が月掛にアイコンタクトを送り、月掛が慌てて新たな矢をつがえ、七瀬が体を強張らせながら槍を握りしめ、俺が前に出ようか躊躇した間に、
「アイスニードル」
俺の背後から、涼やかで落ち着いた声が響き、
「……え?」
新たに現れた三体のチョロボックルは、氷の槍に貫かれて一瞬で絶命した。
唖然とした視線を送る仲間に、ナキは、
「…コーイチを狙うのに、スキルレベル10まで上げたから」
さらっと物騒なことを言ってのけて、静かに杖を下ろしたのだった。
初戦の勝利、それも圧倒的な勝利は、俺たちにかつてない戦闘への意欲を与えた。
ナキだけはいつも通り全く変わりはしなかったが、七瀬は明人にやられて以来の実質的な初陣に緊張をしながらも気合をたぎらせていて、月掛も「もっと戦いたい」と好戦的な態度。
奏也と俺は強敵が出てきた時に誰がどう動けばいいか、改めて話し合った。
しかし、そういう時に限って敵が出ない。
最初に出てきたチョロボックル以来、チョロボックルはおろかグリーンウルフすら見かけなくなってしまった。
だが幸いなことに、ここでもう一つの用件の手掛かりを発見する。
「あの、あれ、もしかして煙じゃないでしょうか?」
七瀬が控えめに示した先には、確かに煙が上がっていた。
今激しく燃えているといった感じではないが、最近火事があったと言われても納得出来るような煙の上がり方だった。
少なくとも、自然現象ではなさそうだ。
見た所、ここからそう遠くもない。
敵も出てこないようだし、先にそっちを調べてみようということでみんなの意見がまとまった。
煙の方向に向かって進み始める。
「今日は、戦闘よりも謎解きの日になりそうですね」
「一度、ちゃんと敵と戦ってみたかったですけど、仕方ないですね」
奏也が軽口を叩き、七瀬は残念さ半分、安心半分くらいの態度で俺に語りかけてきた。
俺はその言葉に答えようと口を開きかけ、
「――――ッ!?」
突如襲った強烈な悪寒に、体を強張らせた。
「光一、さん?」
心配そうに問い掛ける七瀬の言葉が、どこか遠くに聞こえる。
(何でだ? 何でこんなに近付かれるまで、気付かなかったんだ?)
戦慄と共にそう考えて、すぐに自分の心得違いに気付いた。
(違う! 俺が気付かなかったんじゃない!
相手が、凄い勢いで近付いてきているんだ!!)
それを悟った時、背筋が震えるほどに強く、森の奥からの圧力を感じた。
「みんな、逃げ――!!」
その言葉が間に合ったのかそうではなかったのか、俺には分からなかった。
ただ、その言葉を最後まで言い切る前に、俺の視界を赤が塗り潰し、世界がぐるぐる回転して、俺は地面に倒れていた。
一瞬の自失。
だが、すぐに危機感が脳を回転させ、スキルによって加速された脳はまず事態の把握を求めた。
「なに、が……」
起きたのかと顔を上げて、俺は愕然とした。
一体どのような高熱にさらされればこんなことが起こるのだろうか。
俺の目の前の地面が溶けて、えぐれていた。
確かにそこにあったはずの木も、もう影も形もない。
だが、本当に恐れるべきなのは、こんな物ではない。
破滅の予感に苛まれながら、それでも俺は、溶かされ、えぐられた地面の道を辿って、その破壊の主を探る。
森の奥に目を凝らし、この破壊をもたらしたモノの正体に気付いて、俺は笑った。
笑うしか、なかった。
「は、はは……。全く、冗談がきついぜ」
自分は何を思いあがっていたんだろうと思う。
出現する敵よりもこちらの方がレベルが上?
自分の戦闘スタイルがやっと定まった?
パーティとしての戦い方が決まり始めた?
……馬鹿馬鹿しい。
そんな吹けば飛ぶようなアドバンテージなんて、この世界のちょっとした気まぐれの前には何の意味もないのだと、いい加減に学んでもいいものなのに……。
「――――――!!!」
俄かに焦熱地獄と化した森の中に、言語化不可能な咆哮が響く。
そして、焼け爛れた木々の隙間から、そいつは姿を現した。
「そん、な……」
その威容を目にした七瀬が、絶望のうめきを漏らす。
――現れたのは、片翼をなくした飛竜。
飛ぶ力を奪われたその竜は、獰猛な怒りを湛えて俺たちを睥睨していた。




