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26.生きている過去

 ――とんでもない勘違いをしていたことに気付いた日。たぶん、『あの日』から一週間と少し前。



『じゃあつまり、縁は夢の中で直接凶悪なモンスターと戦ったり、呪文を唱えて魔法を使ったりしてるってことか?』

『ん? うん、そうだよ。

 わたしは魔法使いだから、そのままモンスターを殴ったりってことはないけど』


 俺の質問に、こともなげに答える縁。


 ……なんてこった。

 俺は自分の勘違いに思わず頭を抱えた。


 俺はずっと、縁が『夢の中でゲームをしている』と言っているのを、『夢の中でゲーム機を操作して、テレビゲームをプレイしている』のだと思っていた。

 しかし実は、『夢がゲームみたいな世界になっていて、その世界で直接体を動かして冒険している』というのが事の真相だったらしい。


『だから最初に、《VRMMO》みたいだって言ったのに……』

『そんなもん俺が知る訳ないじゃないか』


 唇を尖らせる縁に俺は反論するが、やはりその声は自然と小さくなる。


 VRMMOというのは現実にはまだ存在しないゲームジャンルで、バーチャルリアリティ技術で本当にゲームの世界に入ったようにゲームプレイが出来るネットワークゲーム、のことらしい。

 俺みたいにそこまでゲームに詳しくない奴が、そんな架空のゲームジャンルまで知っているはずはないのだが、言葉の意味をすぐに聞かなかった俺にも責任はある。

 そう考えると、あまり強くは出られなかった。


『ふふっ。たまーに光一と話が合わないと思ったらそんな勘違いしてたなんて、わたしもびっくりだよ』


 縁は俺が自分に非をあると考えているのを悟っていうようで、楽しげに窓枠に両肘をつきながら、まるでからかうように声を掛けてくる。

 それにまともに反撃出来ないのがまことに口惜しい限りだ。


 このままこの話を続けられても困る。

 俺は話を変える意味も込めて、ふと思いついたことを口に出す。


『……だけど、そうなるとアレか?

 ゴブリンだのオークだの、そういうモンスターとリアルに向かい合って戦ったりしてるってことか?』


 すると、どうやら縁もこの辺で許してくれる気になったのか、俺をいじるのをやめてうなずいた。


『そうだよ。それに、ゴブリンだのオークだの、だけじゃなくて、もっとたくさんのモンスターと戦ってる。

 最近では一つ目の巨人、サイクロプスとか、あとはファンタジーの定番、ドラゴンとかね』

『……へえ』


 そんな声を漏らしたものの、モンスターと渡り合う縁の姿なんて、正直想像もつかない。


『そういうの、怖くはないのか?』


 だから思わず、そう問い掛けていた。

 縁は、んー、としばらく考えるようなそぶりを見せてから、


『そっちも、ちょっと想像してみてよ』


 いきなり俺の目をのぞき込んだ。

 窓からこっちを見る縁と、ベランダに立つ俺とでは、位置関係から少しだけ、縁の方が目の位置が高くなる。

 隣を歩いている時とは違う、上から飛び込んでくるような視線に、俺の心臓は早鐘を打った。


『な、にをだよ?』


 ふてくされたような返事を出しても、言葉がわずかに喉に引っかかる。


『もちろん、実際に剣や魔法を使って、ゴブリンやオーク、それにサイクロプスやドラゴンと戦っていくゲームのことだよ。

 ……どう?』

『それは……』


 俺は、目の前にある綺麗過ぎる物から必死で意識を逸らそうとして、その光景を想像する。

 自然と、ベランダの手すりを握りしめた。


『それは……燃えるなぁ!』

『ふふ。でしょ?』


 縁は楽しそうに言って、窓から乗り出していた体を戻す。

 それでも縁の興奮はとどまることを知らなかった。


『……うん! やっぱり、そうだよね!

 光一だったら、そう思ってくれるよね?

 なんだろ? なんか……すごくテンション上がってきちゃった』

『あんまりはしゃいで、窓から落ちるなよ』


 そんな分別じみたことを言いながらも、俺にもその興奮は伝染してきていた。


 俺だってゲームマニアって訳じゃあないが、ファンタジーの世界に憧れる気持ちは人並みくらいにはある。

 現実世界にはありえない様々な怪物を、強力な武器や魔法を駆使して打ち倒す。

 そういうシチュエーションに、憧れない訳はない。


 ――そりゃ、縁が夢中になる訳だよ。


 縁から、この話を聞かされて一ヶ月半。

 俺は初めて、縁の語った話に共感出来た気がした。


 だから、俺の口は自然と動く。

 何がそんなに嬉しいんだか、珍しく興奮して今にも窓から跳び出しそうな縁に、俺は言った。


『なぁ。その夢の話、もっと聞かせてくれないか?』





















「……あ、れ?」


 目を覚まして部屋を見た時、今まで感じたことのない途轍もない違和感が俺を襲った。


 ――なん、だ?


 今まで気付かなかったが、この部屋は何かがひどく間違っているような、当然そうであってしかるべき何かがズレているような……。

 その違和感の正体を確かめるべく、俺はぐるっと一周、部屋を見回してみた。



 ドア、本棚、クローゼット、窓、机、エアコン、窓、ベッド、ドア、本棚……。



 特に、異常はない。

 角部屋だから窓が二つあるのは普通だし、テレビは部屋には必要ないと断ったし、諒子さんが俺にたくさん本を読ませたがるからこれくらいの本棚は必要だし、ポスターやカレンダーは部屋には張らない主義だし……うん、過不足のない俺の部屋だ。

 物心ついた時からずっと暮らしている俺の部屋。

 何も、おかしい所なんてない。


 ……そうだ。

 朝だから、寝ぼけているのかもしれない。

 机の横、部屋にある窓の内、大きい方の窓を全開にする。

 朝日と風が一気に中に入ってきて、ぼんやりしていた頭が覚醒していく。


「おっと……」


 知らぬ間に身を乗り出していたことに気付いて、慌てて身を引く。

 窓とは言っても、大人一人が通り抜けられるくらいの大きさはある。

 落ちてしまったら笑い話にもならない。


 だが、おかげでしゃっきりと目が覚めた。

 俺は素早く身支度を整えると、一緒に登校したがる妹をやり過ごし、いつもより早めに家を出た。



 電車に乗って新東京駅に向かう。

 新東京駅と言っても、最近出来た新しい駅という訳ではなく、要は昔で言う新宿駅だ。

 いつの間に新宿が新東京なんて呼ばれるようになったのか知らないが、諒子さんが言うには新しい都庁が出来た頃にはもうそう呼ばれていたとか何とか。


 とにかく、昨日ネットで調べた所によると、新東京の駅を降りれば新東京第一高等学校はすぐ近くだ。

 放課後に急いで行った所で、目当ての相手に会えるか可能性は低い。

 だとしたら学校をサボってでも、どうにか早い内に確かめておきたかった。


 一応隣の席の滝川に「しばらく遅れるから、忘れ物を取りに行ったとか適当な事情を先生に話しておいてくれ」とメールしておいた。

 今まで無遅刻だったのでちょっともったいない気もするが、逆に言えばその分、一回くらいなら無理が利くだろう。


「……2年C組、穂村洋介」


 口の中で、小さくつぶやく。

 決して忘れられない人物、というほどの重さはその名にはない。

 ただ、心の奥に抜けないトゲのように刺さっているその名前を、忘れるために俺は来た。




「失敗したな……」


 ちょっと考えれば想像がつくことだが、第一高等学校には制服がある。

 そんな制服の雪崩のような光景の中に他校の生徒が交じれば、ゴブリンの群れに紛れ込んだコボルトのように目立ってしまう。

 まあ、例えの意味は自分でもよく分からないが、ともあれあまり学校に近付き過ぎれば教師や守衛なんかに見咎められる危険性もある。


 見ず知らずの相手に話し掛けるのは得意ではないのだが仕方がない。

 不審がられて、それこそ教師を呼ばれでもしたら厄介だ。

 別に、穂村本人を見つける必要なんてない。

 二年生、出来れば同じクラスの奴を見つけて、穂村が普通に暮らしていることを保証してもらえればいいだけだ。


 通学路に人があふれている内に、誰か適当な人に話し掛けようと辺りを見回して……そのまま固まった。


 そんな必要はなかった。

 道の先から、やってくる人影があった。


「……穂村。穂村、陽介、だよな?」


 俺は震える声で、そいつに声を掛けた。


「ん、おれ? ええっと、あんた誰だっけ?」


 聞き覚えのある、間抜けな声を上げたその男。

 髪は赤くない。

 だが、その顔、その警戒心のない態度は、正に『向こうの世界』で会った穂村そのままだった。

 俺は思わず破顔して、口を開いた。


「ああ、その、知り合いって訳じゃないんだ。

 ただ……」


 ――ただ、なんだ?


 言いよどんで、愕然とした。

 俺は、こいつにかけるべき言葉を、何一つ持っていなかった。


「知り合い、が、世話になって……」


 口は、中身のない台詞を自動的に口走る。

 だが本当に伝えたい言葉、伝えなくてはならない言葉は、結局見つからないまま……。


「へ? おれ、そんなことしたっけ?」


 無警戒で能天気な顔を見て、そんなんだから明人にやられちまうんだ、と、苦い思いを抱く。

 だけどそれだって、全てを忘れた穂村にかけるべき言葉とは思えなくて……。


「話に聞いてたからさ。

 顔、見たかっただけなんだ。

 ……邪魔、したな」

「え? おい……」


 制止の言葉を振り切って、俺は駅に駆けだしていた。


 ――会うべきじゃなかった。


 そんな思いが胸に去来する。

 今のあいつは、『あの』穂村は俺たちのことなんて、欠片も覚えてはいない。

 ひどい言い種だが、ある意味で俺たちの知っている穂村はもう死んだのだ。


「くそっ!!」


 別に何かを期待していた訳でも、穂村が俺たちを覚えていなかったことにショックを受けた訳でもない。

 なのになぜか胸に残るもやっとした黒い感情だけが、今回の成果だった。


 ただただ後味の悪い思いだけを抱いて、俺は駅に逃げ込んだ。



 俺は結局、一時間目の最後には俺が通っている宿鳳高校まで戻ることが出来た。

 教師にはそれなりに怒られたような気がするが、よく覚えていない。

 だが俺は相当に不景気な顔をしていたらしく、最後には具合が悪いのかとか保健室に行くかとか尋ねられた気がする。


 滝川なんかも心配して色々と俺に話し掛けてきていたが、俺は生返事しかしなかった。

 ナキがどうしていたかは……分からない。

 珍しく何も考えずに授業を受けて、何も考えず何も感じないまま、放課後を迎えた。 



 俺の頭が動き出したのは、校門を出た時、ナキの後ろ姿を見かけた時だ。

 なぜか突然、ナキと話がしたいと思った。

 胸に巣食ったもやもやを、誰かに吐き出したかったのかもしれない。


 だが校門まで駆けつけて気落ちする。

 残念ながら、ナキの帰り道は俺とは逆方向だった。

 それでも、このまま別れるのは嫌だった。


「ナ……四方坂!!」


 ナキ、と呼びかけようとして、俺はかろうじて思い留まる。

 俺に呼ばれて、きょとんとした顔をしていた穂村を思い出す。

 俺がナキと呼んでいたのは、向こうのナキで、こっちのナキではない。

 だから、ここは四方坂と呼ぶのが正解のはずだ。


「…………」


 俺の呼びかけに、ナキは振り返ってはくれた。

 だが、



「…ちがう」



 何を、間違ったというのだろうか。

 ナキは俺を冷たい目で見つめ、そうつぶやく。


「……え?」


 何が言いたいのか分からず固まってしまった俺が、次にそんな言葉を発したのは、単に条件反射であって、深く考えた結果ではなかった。

 しかし、


「……ナ、キ?」


 苦し紛れのように口から飛び出した言葉は、正解だったようだ。

 ナキは瞳の圧力を弱め、コクンとうなずいた。


 それだけのことに訳も分からず嬉しくなり、俺は完全に人目も忘れ、


「あ、ああ。じゃあな、ナキ! また、明日!!」


 いつもよりずっと大きな声で、別れの挨拶を口にしていた。

 だが、ナキは再び首を振り、


「…ちがう」


 と漏らす。

 今度こそ何が何だか分からなくなった俺に、ナキは、


「さよなら、コーイチ。今晩も――」


 いつもの感情の浮かばない顔で、淡々と、



「――良い、悪夢を」



 そんな言葉を、吐いたのだった。


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