21.R.P.G
『な…? 季…イベ…ト?』
『…う。ち…っと、面…そ…なイベ…トがあった…だ…ど、時期が……てたから、…きなく…』
『…あ、覚…ている…ら、後で…けば…いん…ゃない…』
『…ん。…うだね。そう…る。
ね…、もし、そ…時…、……がこっち…来…たら、一緒に――』
「――コーイチ?」
耳を打つ涼やかな声に、俺は目を見開いた。
「あれ…?」
見ると、俺の顔をナキが覗き込んでいる。
いつの間にか、ナイトメアの世界にやってきていたようだ。
「…どうか、した?」
あまり興味がなさそうにナキが聞いてくる。
「いや、どうも、してない」
なんとなく、懐かしい夢を見たような気がしていた。
けれど、良く思い出せない。
――だったらたぶん、そう大したことじゃないはずだ。
そう片付けて、俺は頭の中のもやもやした物を振り払った。
意識して、話題を変える。
「そういえば、奏也と月掛は?」
この前現実に戻った時は、大体同じ場所にいたはずだが、姿が見えない。
俺の疑問に、ナキは、
「…七瀬の、ところ」
いつも通り過ぎて安心すら覚えるそっけなさで答える。
「そっか。現実世界で一日挟んだから、七瀬も起きてるかもしれないな。
じゃあ、俺たちも行くか」
そう言いかけて、俺は今更ながら、大変なことを忘れていたことに気付いた。
――東の森のことだ。
イベントだとか転職だかにかまけてすっかり忘れていた。
俺は東の森の一角が不可思議にも生命力を奪われているのを見たし、そこでは大きな木が何者かに切り倒されていたり、地面が散々にえぐられていたりした。
あれはてっきり『ヘルサラマンダー』の仕業だと思っていたが、『ヘルサラマンダー』は既に死んでいた。
だとすると、もしかすると全く知られていない、未知の脅威がこの村に迫っているかもしれなかった。
「なぁ、ナキ。ちょっと相談があるんだが……」
いざとなれば、俺たちがその原因を調査するか、せめて村の人に危険を報せなければならない。
ナキにも状況を知ってもらおうと東の森で俺が見たことを話すと、
「…………」
話の初めの頃には少しだけ険しくなっていた無表情は、俺の話が進むにつれ、なぜか通常時と同じ俺への呆れと侮蔑に変わった。
……それが通常ってのも、改めて考えるとかなり哀しい物があるが。
話を聞き終わったナキは、俺を諭すようにゆっくりと口を開いた。
「…それ、たぶん私たちが最初にいた場所」
「……なんだって?」
そして、三つの異変の意外な犯人が明らかになった。
まず、
「…生命力が奪われた森は、木が凍っていた場所」
らしい。
俺も言われて思い出した。
――あの『氷の森』だ。
あんなに暖かい森が何で凍るのかという疑問があったが、やはり一過性の現象だったらしい
そして、あんな風に凍ってしまったのだったら、葉が抜け落ちたりしてしまっても不思議はない……のか?
しかし、俺たちが最初の場所に戻ってきてしまっていたと考えると、一つしっくり来ることがある。
敵のエンカウント率だ。
もし俺たちが来た道を辿っていただけなら、奏也たちと進んだ時に敵がほとんど出なかったことにも説明がつく。
既に俺とナキがあらかた片付けてしまっていたと考えれば、あの低いエンカウント率にも納得がいく。
そして、その考えを裏付けるように、ナキは次に、
「…抉られた地面は、私が初めて魔法を使った場所」
とのたまった。
「そうか! 俺たちの最初の戦闘!」
しばらく何のことを言っているのか分からなかったが、ようやく思い出せた。
初めてブレイドラビットと遭遇して、ナキが魔法を使って倒した時のことだ。
あの時、ナキはかなりオーバーキル気味にマジックアローを連射していたことを思い出した。
……え?
ということはつまり、その時にあまった魔法の矢が地面に刺さってクレーターを作ったということだろうか。
半端ないな、マジックアロー。
そして、最後の一つ。
「切られた、木は……」
そこで、初めてナキは詰まった。
「……?」
なぜか、俺の顔色をうかがうようにして、しばらく無言を続け、
「…………………………とぉー」
「は?」
ようやく口を開いたと思ったら、謎の言葉を繰り出した。
……もしかして、もしかしてとは思うが、今のは彼女なりのギャグだろうか。
何が言いたいんだか、全然分からなかった。
しかし、すぐに自分でも恥ずかしくなったのか、
「…何でもない」
「そ、そうか」
そう言って、ナキは顔をそむけた。
しかし、自分で何でもないと言いながら、心持ちナキは不機嫌だった。
まるで他人のギャグで滑ったみたいな不本意そうな顔で、
「…とにかく、危険はないから」
と言い捨てて、勝手に歩き出してしまう。
「あ、待てって!」
俺は慌ててその後を追いかける。
そのせいで、俺はその話について考えるのを止めてしまった。
だから、森が凍った原因が分からない以上、危険がないとは言い切れないんじゃないか、と思い至ったのは、もっと後になってだった。
ナキが向かっていたのは、七瀬の所だったらしい。
途中で、気落ちした様子の奏也と、それを所在なさげに見守る月掛に遭遇した。
「七瀬は、どうだったんだ?」
俺の問いに、奏也は肩をすくめた。
「幸い、目は、覚めていました。
でもひどく錯乱していて……」
相当に苦労したらしい。
いつもの笑みも、若干くすんで見える。
「話も出来なかったのか?」
「……ええ。まだ苦しそうだったので、体力回復の歌を、と思ったのですが、演奏を始めた途端、いきなり物を投げつけてきて……」
怯えすぎていて会話も成り立たない、ということだろうか。
――正直、無理もない、とは思う。
仲間だと思っていた相手に裏切られたのだ。
人間不信になってもおかしくはない。
「とにかく、俺も一度行ってみるよ。
まだ、明人が襲ってくると思ってるのかもしれない。
少なくとも、状況だけは話しておかないと」
俺が言うと、奏也は難しい顔をして、
「無駄だと思いますが……いえ、健闘をお祈りします」
それでも、そう言って送り出してくれた。
奏也と月掛とはそこで別れ、ナキも、
「…ひとりで、行った方がいい」
と主張したため、結局俺だけで七瀬の様子を見ることになった。
「……七瀬?」
家の中に顔だけを差し込んで、中をのぞいてみる。
七瀬が暴れた……のだろうか。
中は物が散乱してひどい有様だった。
人の気配はない。
ただし、ベッドに盛り上がりが見える。
「七瀬?」
もう一度呼びかけてみる。
この距離だ。
起きているなら聞こえているはずだが、やはり返事はない。
更に近付いて観察してみる。
布団が、少し上下した気がする。
あそこにいるのは間違いなさそうだ。
俺はベッドの横まで近寄った。
そして、その布団のふくらみに、
「なぁ、もしかして、寝て……」
三度呼び掛けようとした時だった。
突如、布団の中から腕が伸びた。
引き込まれる!
「ちょっと待っ…うわ!?」
待たなかった。
何が起きたのか良く分からない内に、俺は布団の中に引きずり込まれ、
「な、七瀬っ!?」
布団の中で七瀬に馬乗りになってのしかかられ、その爛々と輝く瞳と相対していた。
――殺される?!
その瞳には狂気にも似た色があった。
命の危険を覚える。
なのに、七瀬を跳ね除けようという気は起きなかった。
七瀬には、前にわき腹を槍でえぐられてはいる。
だがあれは事故で、七瀬は明人とは違う。
まだ会ったばかりで大したつながりがある訳ではないが、七瀬のことは仲間、少なくとも味方だという意識があった。
何とか説得出来ないだろうか。
そう思った一瞬の隙に、胸にズンと響く、重い感触。
次いで、そこから熱い何かが広がっていく。
――刺された?!
まず考えたのは、そんなこと。
だが、違った。
「……かった、…す」
「え?」
俺にぶつかってきたのは、ナイフじゃなくて、七瀬自身で、
「怖かった、です、光一さぁん」
胸に広がる熱い物は、七瀬の涙だった。
――俺の胸に顔を押し付けて、七瀬は泣いていた。
しばらく経って、ようやく七瀬が落ち着いた。
涙と鼻水でデロデロになった俺の服を見て、ごめんなさいとまず謝った。
なぜだろう。
前に話した時とは、受ける印象が随分と違う気がする。
とりあえず、何か話さなくては始まらない。
「まあその、安心したよ。
奏也が来た時は、錯乱してた、なんて言ってたから」
俺が切り出すと、七瀬はうつむいたまま、きゅっと拳を握った。
「……こわ、かったんです」
「怖かった?」
やはり、あの時のトラウマだろうか。
俺が次の言葉を待っていると、七瀬は思わぬ強い感情のこもった目で俺を見つめた。
「あの人、部屋に入ってくるなり、突然演奏を始めて……。
すごく、嫌な音だったんです。
だから絶対、やめさせないとと思って……」
「演奏?」
奏也は回復の歌を聞かせようとしたと言っていたが、そのことだろうか。
それに対して七瀬が過敏反応してしまったということはあり得る。
「奏也は、体力回復の歌を聞かせようとしたって言ってたぞ?」
出来るだけ七瀬を刺激しないように、やんわりと誤解を解こうとする。
「……信用、できません。わたしが過敏になっているのは認めます。
でも、休んでいたのでHPもMPも全快してますし、回復の歌なら事前にわたしに説明してくれてもいいはずです」
奏也の話とは少し食い違う。
単なる誤解だと思うが、これ以上この話をしても水掛け論になるだけのような気がした。
俺は違う話題を探して、すぐに七瀬の雰囲気の変化に思い至った。
口調が前とは全然違うし、そういえばいつもしていた眼鏡がない。
そのせいで、七瀬からは前よりずっと控えめな印象を受けた。
もしかするとデリケートな問題に触れるかもしれないが、どうせこのまま流すことは出来ない。
緊張をごまかすようにそっと唇を湿らせてから、意を決して切り出した。
「なぁ。……その、言い難いんだが、前とちょっと雰囲気が変わってないか?
前に話した時はもっと……」
「キツイ性格、でしたか?」
「そこまでは、言わないが……」
七瀬のはっきりとした言葉に、俺は少しうろたえた。
それを見て七瀬は、いいんです、と笑った。
「あれは……こっちに来て、頑張って作り上げた性格です。
元々のわたしは、あんなに強気な人間じゃありません」
「ロールプレイか……」
俺は思わずつぶやいた。
役割を演じる、ということ。
ある程度一般にも浸透している用語だが、ネットワークゲームなんかでも使われるらしい。
ゲームの中で自分と違う性格の人間に成り切って遊ぶことを、確かそんな風に言ったはずだ。
七瀬は小さく俺の言葉を肯定した。
「昔から、引っ込み思案な自分が嫌いでした。
自分の考えをはっきりと言える人間になりたいって、ずっと思ってました。
だからこの世界で、わたしは『あのわたし』になったんです。
……結果は、まあ、あんなことになってしまいましたけど」
そう言いながら、七瀬は自分の手を見た。
その手は、小刻みに震えていた。
「やっぱり、あの時のことが?」
俺の言葉に、七瀬はうなずいた。
「ちょっとした、トラウマになっちゃったみたいですね。
現実世界でも、人が怖いんです。
……不思議ですよね。
この世界の記憶は、ないはずなのに」
目の前で人が殺されて、そして自分も刺されたりすれば、そうなってもおかしくはない。
しかも、それをやったのがつい数分前までそれなりに親しく話をしていた相手となれば、ショックは大きいだろう。
俺は、どうなんだろう?
どこかでここは現実じゃないと考えているせいなのか、そういう意味でのショックはあまりなかった気がする。
穂村の死についても、どうしても仇を討ちたいとか、つらくてどうしようもないとか、そういう感情はない。
薄情だとは思うが、それが俺の正直な気持ちだった。
七瀬は……穂村とは、俺以上に親しかった。
それに、自分が刺されたとなれば、この世界が現実でないなんて自分に言い訳することも出来ないのかもしれない。
奏也の言葉が思い浮かぶ。
俺は一回だけ目を閉じてから、聞かねばならないことを聞いた。
「じゃあ、やっぱり……もう俺たちと行くのは無理か?」
避けては通れない質問。
この世界用に作り上げた人格をあっさりと捨て去ってしまうくらいだ。
てっきり七瀬は、その言葉にもうなずくと思っていた。
しかし、
「いいえ。できるなら、光一さんと一緒に行かせてください」
七瀬は予想外にも、俺の言葉に首を横に振ったのだった。
その答えに、俺は少なからず驚いた。
「いいのか? これからまた、絶対に戦いはあるぞ?
せめてしばらくは、この村に留まった方が……」
しかし、七瀬はまた、首を横に振る。
「少なくとも、魔物との戦いなら大丈夫だと思います。
どうしてもあの時のことを思い出してしまうから、刃物はまだ怖いですけど、でも……」
「でも?」
「魔物相手の方が、まだ気楽ですから」
「……そうか」
その七瀬の返答には、俺は何も言えなかった。
「それに……」
七瀬が顔を上げて、俺をまっすぐに見た。
その弱々しい瞳が、なぜか俺をたじろかせる。
「今、わたしが信じられるのは、光一さんだけですから」
そうして思った通り、七瀬は俺に予想外の言葉を投げつけてくる。
「どう、して?」
思わず漏れた俺の言葉には、七瀬は何も答えない。
ただ、困ったような顔で、曖昧に微笑んでいた。
けれど、それでは足りないと思ったのか。
「わたし、頑張ります。
モンスターとだって、ちゃんと、戦いますから。
だから、もう少し、あなたについていって、いいですか?」
七瀬は俺に向けて、俺だけに向けて、そんなことを言う。
瞳の弱々しさは変わらない。
だがそこには、確かに俺に向ける信頼の色があった。
――俺が、七瀬の傷を治したから?
――あるいは俺が、明人と戦っているのを見たから?
七瀬のその信用の理由は、俺には分からない。
だがその信頼は、俺には少しばかり重過ぎると、そう思った。
それでも、今の七瀬を振り切って捨てるには、あまりに俺は意志が弱過ぎた。
「――こちらこそ、よろしく頼むよ」
だから俺は、七瀬に手を伸ばした。
その手を、おずおずと、けれど嬉しそうに七瀬が取る。
――彼女を引き起こした右手が、なぜだかひどく重く感じた。