狼
「僕があいつの注意を引くから、おまえはその間に」
俺にそう言い残した明は腰に差していた剣を鞘から抜き、迷うことなく狼に向かっていく。どのように注意を引くつもりだよ、と心の中でグチリながらも明に続く。
「……ッ!」
ほんの少しだけ走っただけなのに、身体が焼けつくされるような痛みに襲われる。まずい、明と一緒に声はした方向まで無我夢中で走ったせいで傷が開いた。だが、立ち止まっている場合ではない。
先行する明が力強く大地を蹴り、少女と戦う狼に剣を振り下ろす。が、狼の尾は彼に反応するように大きく伸び、振り下ろされる剣を防いだ。
明が息を呑む雰囲気を感じる。ただの尾に剣を受け止められたら誰だって驚く。狼はこちらに振り返ることもなく、尾で防いだ明をハエでもはらうように振るう。飛ばされる明と入れ替わるように、俺は槍で狼を貫こうをする。
それなのに、これも尾で防がれてしまう。しかも、逃がさないように蛇のようにぐるぐると槍と俺の手を巻きつき、思いきり地面に叩きつけた。
「がはっ」
肺から空気が強制的に吐き出され、背中を打ちつけられた。加えて開いた傷口に衝撃が届き、痛みで気絶しそうになるのを我慢する。
「きゃあ」
立ち上がろうとしたら狼によって弾き飛ばされた少女が視界に入る。どのように狼が彼女を弾き飛ばしたのか知らないが、ふつふつと腹の底から怒りが湧き上がってくる。
銀色の髪をした少女は夢に出てきたヘンリーのことを思い出させてくれた。白い髪は赤く染まり、優しく微笑んでいた彼女は二度と笑わなくなり、腕の中で除々に失われる体温。
もう嫌だ。ヘンリーそっくりの女性が黙って殺されるのを見ていられない。
「うおおおぉおお」
全身を焼き尽くすような痛みを無視し、大地を砕かんばかりに踏みつける。ありったけの力を込めて、少女の相手をしている無防備な狼の背に向けて槍を投げる。矢の如く放たれた槍は狙いとおりに狼の背中を貫――かなかった。
狼は驚いたようにこちらに振り向くと少女を尾で弾き、息を吸うように呼吸する。大きく口を開いた狼はまっすぐ向かってくる槍になにかを放つ。
狼がなにかを放出したおかげで槍は弾かれてしまい、俺は舌打ちする。おそらく、これは衝撃波だろう。これによって少女も弾き飛ばされた、と呑気に考えていると狼が俺に向かって走り出す。
鋭い牙を見せつけるように大きく口を開き、あっという間に距離を詰めた狼は俺の腕に噛み付いた。狼の鋭い牙が左腕に食い込み、あまりの痛さに意識が飛びそうになった。それでも俺はあきらめない。
「これでもくらえ!」
俺の左腕を噛み千切ろうとする狼の頭に、空いている右腕で殴る。これによって狼は左腕を放し、警戒するように俺から離れていった。
「ちっ……腕がなくなると思ったじゃねえか」
左腕から血がだらだらと流れ、狼の歯形がしっかりと残っている。でも、一応あいつにダメージを食らわせることができたから、結果オーライだな。
「さっさと起きろ、明! おまえはいつまで眠っているつもりだ!?」
俺が奮闘しているのに、相棒の姿が見当たらないので怒鳴りつけることにした。
「もうとっくに起きているよ!」
答えるように一陣の風が吹き、もう一度俺に飛びかかろうとした狼になにかがぶつかる。舞い上がる鮮血。純白の体毛が赤く染まり、狼はバックスッテプで後退。
これをやったのは俺の親友でもあり、相棒でもある緋山明しかいない。狼を斬りつけた明はすぐに俺のところまで下がると、奴から目を離すことなく謝罪してきた。
「悪い。あいつの気を引くことができなくて」
「そんなことはどうでもいい。さっきのあれ、どうやった?」
「おまえを助けたい一心で足に力を込めたら……狼との距離を詰めることができた。でも、もう一度やれと言われてもできそうにないな」
「おまえ、肝心なときに使えないな!」
「吉夫よりもマシだ!」
軽口を叩きながら俺たちは狼に攻め込む。狼はそんな俺らを歓迎するかのように、息を吸うように呼吸していく。まずい、あれだ。衝撃波がくる。
「明! さっきのあれをどのようにやるのか教えてやるから、しっかりと聞けよ!」
「ああ!」
「剣か足に力をためることをイメージすればいい。あとは、おまえしだいだ」
大きく口を開いた狼は四肢を踏ん張って、衝撃波を放った。明ではなく俺目掛けて放たれたそれを防ぐ術もないため、横に飛んで回避しようと考え、足に力を込める。
「あれ……?」
がくんと膝は地面についてしまい、立ち上がろうとするのにまったく力が入らない。やばい、体が思うように動かない。もしかしたら、あの狼の牙に麻痺効果とかあったりするのか? だからわざわざ俺に接近し、腕に噛み付いてきたのかよ。あくまで俺の予想だが、そうであってもおかしくはない。
……ちくしょう、こんなところで死ぬのかよ。アースという世界で俺はなにもできないまま、人生を終えてしまうのか。いや、最後だけ誇りに思えることをしたな。狼に襲われていた少女を助けようとしたけれど……見事に返り討ちに合ったな。だが、彼女の命は救われた。
迫り来る衝撃波がやけにスローモーションにしか見えず、わずかな時間でなにをしたかったのか思い浮かべる。
勇者として活躍する明の姿だけは見ておきたかったなぁ。鈴音ともう一度だけ会いたかったし、巴のまずい手料理を今度こそ完食したかった。恵美の笑顔と約束を守り抜くために、黒騎士の誘いをすなおに受け入れておけばよかった。そう、魔王になるという道を選んでおけば、いまごろこのような目に合わなかっただろう。
「……じゃあな」
「吉夫おおおぉおお!」
死を覚悟した俺が目を閉じると、明が必死に名前を叫ぶ。
「――あきらめてはいけません!」
風がうなり、鈴のようにかわいらしい声が聞こえた。恐る恐る目を開いてみると、銀色の髪をツインテールにした少女が二振りの剣を構えている。この少女がさっきの衝撃波を切り裂いた、というのか……?
「おまえ……どうして逃げなかった……?」
素朴な疑問が口からこぼれてしまう。
「わたしにはアマちゃんという親友を救うために、白狼を倒さないといけません!」
「白狼……か」
黒騎士が白狼と出会える確率が低いと言っていたのに、こうもあっさりと見つかるとは……運がいいな。
そのようなことを考えていると、目の前に見覚えのある青い槍を差し出された。
「これ、わたしの近くに転がっていたので拾っておきました」
差し出された槍を握ると、少女は二振りの剣を構えて狼こと精霊の白狼に向かう。
「まったく、あの野郎は俺が死んだと思っているのか?」
俺が少女と会話をしている間に、明は嵐の如く白狼を攻めていた。迫り来る尾をかわし、地を駆け抜け、宙を飛び回っている。あいつ、俺が城で眠っている間にサティエリナ、もしくはジュリアスから魔法を教わったせいか、前よりもキレがいい。それとも天才明としての才能が開花し、あっという間に風の魔法と剣術を覚えてしまったかもしれない。
俺は明が勇者として成長していることを誇りに思い、大地を蹴る。いま、白狼は明と参戦とした少女の相手をしているからこちらに気付くことはない。
あの二人にいつまでも頼っていられない俺は、黒騎士と戦ったときと同じように力をためることをイメージする。剣の状態でアレができたのであれば槍でもできるはずだ、と考えていると青く輝きだす。こちらに気付いた白狼は目を細め、明と少女のことを無視して俺を見据える。
『おもしろい。我とどこまで対等に渡り合えるのか試してみるぞ』
頭の中でしぶい男性の声が響き、これが白狼のものだとわかった。
「だったら、試してみろよ!」
『もちろんだ。ただし、邪魔者は退場してもらおう』
白狼は円を描くように一回転すると、同時に二つの尾で自分に群がる明と少女を弾き飛ばす。おかげで白狼の周りには誰もいない。
「貫かれろおおおぉお!!」
『我は負けはせぬ!』
大きく息を吸った白狼は四肢を踏ん張り、襲い掛かる俺に衝撃波を放つ。暴風の如く俺を吹き飛ばそうとするものの、あきらめることなく前へ向かう。ここで吹き飛ばされたら、明と少女に顔向けできない。とくに、少女は親友のアマちゃんのためにがんばっているから、彼女のために俺は白狼を倒す!
槍は俺の意思に応えるように一際青く輝き、暴風の猛攻を突破することに成功した。四肢が千切れるような痛みを無視し、俺は不敵に笑う。
「俺たちの勝ちだああぁあ!」
おたけびを上げながら白狼の頭部を貫こうとした瞬間に、ぐにゃと目の前の空間が歪んだ。槍は吸い込まれるように歪んだ空間に入ってしまい、柄の半分ほど進んだときに止まる。そこに入ってしまった槍を引いてみるが岩のようにびくとも動かない。押しても同じだった。
「驚いた。まさか、たった一日でおまえが聖地に辿りつくなんてオレは予想できなかったぜ」
感心した男性の声が歪んだ空間から聞こえた。この声は間違いなくあいつだ、俺と訓練場で戦った黒い鎧を身に纏った黒騎士しかいない。
あいつがここにいることを知った以上、俺は握っている槍をあきらめて後ろに下がる。すると歪んだ空間から左目に紫色に輝く瞳、右目に眼帯をした気だるい表情をした男性が現れる。この前は黒い鎧を身に纏っていたはずなのに、今日は動きやすい服装をしていた。
黒騎士は俺の槍を肩に担いだまま、白狼に話しかける。
「どうだ? あいつは加護を授けてるにはちょうどよい人材だろう」
『ふむ……。我としてはあの少女がよい』
「とか言いながらも、ちゃっかりとあいつに加護を授けているじゃないか」
『おぬしの頼みを聞き入れたまでのこと』
知り合いのように会話する白狼と黒騎士。なんだこれ? どういうことだか、さっぱりわからねえ。それに加護だと?
「どういうことだ、吉夫?」
「知るかよ」
一匹と一人を警戒しながら明はいつでも動けるように剣を構えていた。俺も明と同じように警戒していたかったが、血が足りないせいか膝をついてしまう。明は大丈夫か? と心配する。俺はあいつらから目を離すな、と返すと明は白狼と黒騎士を睨みつける。
「だ、大丈夫ですか!?」
二振りの剣を鞘に収めた少女は泣きそうな顔で駆け寄る。
「俺のことよりもあいつらを警戒しておけ、ちびっ子」
ぶっきらぼうに思いついた言葉を口にしてしまう。俺は出会ったばかりの人に対して冷たいことぐらい、自覚している。逆に異世界アースに召喚されていろいろ教えてくれたサティエリナたちに好感を持てるため、心を開くことができる。
この少女を助けたのは明の影響を受けたせい。それに、もう二度と会わないかもしれないから、あえて相手を突き放すような態度をとる。
「ちびっ子ではありません! わたしはこれでも――ああ、もう! こんなことを説明する気にはなれません。
あなたの手当てをさせてもらいますね」
それなのにこの少女は俺が突き放そうとしているのに、逆に近寄ろうとしてくる。こうなってしまったら、もうなにもできない。されるがまま、だ。
怒っていた少女はすぐに俺の傷のことを思い出し、手の平を地面にかざす。
「開け、ゲート」
彼女の言葉に反応するように三十センチほどの黒い穴が現れ、少女はそこに手を入れる。魔法……だよな? それとも、魔導具なのか?
「ありました! じっとしていてくださいね」
少女が黒い穴から取り出したのは天使の羽が生えた白い球体。それを握った少女は俺の胸に当てる。……そういえば、戦闘中だったから彼女のことをよく見ていなかったよな。
銀細工のように輝く髪をツインテールに結び、海のように青い瞳。まだ幼い顔つきで、可愛らしくぷっくらと膨れた桜色の唇。さらに背が低いから……うん、子供と言われてもおかしくないなこの娘。
「<この者の傷を癒せ>。……はい、これでもういいですよ」
俺の胸に当てた白い球体から光りがあふれ、優しく全身を包み込む。ただの光りのはずなのに、なぜか温かい。いや、少女の手が俺と触れているからきっと彼女の温もりだろう。
光りが消えると、全身を焼き尽くそうしていた痛みがなくなっていたことに俺は驚いた。腹のあたりに触れてみても、傷口はもうなかった。
「ありがとう」
「どういたしまして。えーと」
困惑した表情で俺を見つめてくる少女。この子には、俺の傷を癒してくれた礼として名乗ってもいいかもしれない。たった一度きりの出会いかもしれないがこれも悪くはない。
「俺は――」
「なっ!? これはどういうことだ!」
少女に名乗ろうとしたタイミングで、黒騎士が慌てているように声を荒げる。黒騎士の隣にいる白狼はがるるとうなりながら、とある場所を睨みつけていた。気になった俺もそこを見ることにした。
「……なんだよ、あれ」
明がぼそりと呟く。俺だって聞きたいぐらいだ。
ぼこっと地面が盛り上がり、勢いよく白い人の手が生えてきた。さらにもう一本の腕が地面から現れると、両腕に力を込めて地上に姿を出そうとする。除々に姿を現していくのはのっぺらぼうのように顔がなく、全身が雪のように白い人型であった。
「ぶっ殺す……!」
ドスの効いた低い声で黒騎士はどこからか漆黒の剣を取り出し、呆然と立ち尽くすのっぺらぼうに向けて水平に振るう。剣から放たれたのは黒い一閃。のっぺらぼうに放たれたそれは直撃するものの、一歩後ろに下がっただけ。
「ちっ! 白狼、おまえはこんなヤバイものをずっと抱えていたのか!?」
俺の槍を青い剣にした黒騎士は二振りを振るい、その度に黒と青の閃光が放たれる。連続で放たれる黒騎士の一撃はどれも威力が高いはずなのに、のっぺらぼうはのぞけるだけ。
『ああ、我はずっとここでコレを封印していた。……しかし、これまで封印が解けることはなかったのに、なぜいまさら……』
「疑問は後にしろ。次の一撃で終わらせるぞ」
『承知した』
俺たちはもうなにが起きているのか理解するできていなかった。唯一わかることと言えば、地面から這い上がってきたのっぺらぼうは白狼に封印されており、なにかの拍子で目覚めてしまった。それがかなりヤバイものであると焦る黒騎士からうかがえる。
先ほどとは比べものにならない速度で漆黒の刃が剣から放たれる。のっぺらぼうはなにもすることもなく、正面から迫る一撃をくらう。
「これもくらいやがれ」
俺の剣を握った黒騎士が連続で振るうと、三つの氷の刃が生まれる。黒騎士は静かに斬ろ、と命じると氷の刃はのっぺらぼうを切り裂く。
……あれ? どうしてあれだけの猛攻を受けているのも関わらず、あののっぺらぼうは無傷なんだ? 黒騎士が放った黒裂や氷連斬と呼ばれる技は相当威力があるはずなのに……。
『オオオ――ン!』
雷を纏った白狼の毛が逆立ち、四肢を踏ん張ったあいつは衝撃波を放つ。白狼が放った雷を纏った衝撃波は通常よりも威力が高いだろう、と判断しているとそれがのっぺらぼうにぶつかる。
今度こそ倒しただろう。
俺が黒騎士たちの勝利を疑わなかったときに、<それ>は起きた。
雷の衝撃波によって倒したはずののっぺらぼうが立ち上がり、身体中にいっせいに血走った目が開く。腕、脚、胴体、頭に生えた目はぎょろぎょろと動き、俺を見た。顔の部分から口が生けると、嘲笑うようにケタケタと声を上げる。
「姉を殺したヨシュアが来た!
最愛の人を殺したガウスが来た!」
愉快な口調で歌うように<それ>は語る。
「純白の剣で姉を貫き、姉弟の愛を守り抜いたヨシュア!
紅蓮の剣で最愛の人を燃やし、復讐を果たしたガウス!
嗚呼、なんと愚かな行為であったのだろうか」
<それ>が語る度に夢で見た光景がフラッシュバックしていくと同時に、頭痛が起きる。頭が割れるような痛みに耐えながらも、ふと苦痛に顔をゆがめる明が視界に入る。どうしてこいつも苦しんでいるのか、と疑問を思い浮かべたがいまはそんなことを訊いている暇などない。
<それ>はケタケタと笑い、俺たちが苦しんでいることを楽しむように再度口を開く。
「姉弟同士の殺し合いはすばらしかった――」
「耳障りなんだよ、クソったれ!」
<それ>が言葉を紡ごうとしたときに黒騎士が漆黒の剣をそいつの口に突っ込む。んががとうめきながらも、それでもしゃべろうとする<それ>に黒騎士は怒気を帯びた声で語る。
「あいつらは自分たちの手で記憶を取り戻すから、邪魔するんじゃねえよ」
「んがが――愚かな――王め」
「それ以上しゃべるな」
黒騎士が漆黒の剣をさらに奥へ差し込むと、<それ>の頭もつられて細長くなる。おいおい、奴の身体はゴムでできているのかよ、などと思っていると<それ>の目が忙しなくぎょろぎょろと動く。
「灰すら残してやるつもりないから、さっさと死ね、燃やし尽くせ黒き炎よ」
黒騎士が握っている漆黒の剣に黒い炎が現れ、<それ>の口に突っ込んでいる状態で振り下ろす。いままでどの攻撃を受けても無傷であったはずの<それ>はあっさりと引き裂かれる。黒い炎は<それ>の存在を許さないように全身を焼き尽くしていく。
消えていく<それ>は死を直前にしても、ケタケタと嗤う。
「我らの王は長き眠りから目覚めた!
この世界に終焉を迎えるときが来た!
今度は誰にも止められない!」
「黙れ。おまえらの王は滅びるときなんだ! だから、焼き尽くされろ」
<それ>を包む黒い炎は黒騎士の怒りに反応するように激しさを増し、残りの部分をなくしていく。黒騎士はすべて燃え尽きたことを確認すると、俺のほうを向いた。
「ムタヨシオ。非常に残念なことだか、オレはおまえのことをあきらめないといけない」
「はっ、それはよかった。男からのラブコールだけはこりごりだったからな」
「茶化すな」
ぴしゃりと俺の冗談を切り捨てる黒騎士。
「本格的に世界が動き出そうとしているから、オレはこんなちっぽけな国にこれ以上構っていられない」
「ちっぽけ……か。だったら、どうして他の国に攻めなかった?」
「それはここが”オレたち”の始まりの地であるから忘れることなどできない」
まるで最初からユグドラシルという国に勇者召喚の魔法があるのを知っている、という口ぶりだな。黒騎士は一体どこまでこの世界、アースを知り尽くしているのだろうか? こいつが物知りであれば、国家機密の一つや二つぐらい知っていてもおかしくない。現にユグドラシルに勇者召喚の魔法、精霊の白狼、聖地に封印されていた<それ>について知っていた。
まさか……黒騎士は過去に異世界から召喚された人物の一人だったりするのか? あいつはオレたちと言ったから……ここからすべてが始まったとなれば、さっきの言葉に納得できる。
だが、黒騎士は魔族である。生まれたときから、一人につき一つの能力があるとこの前教えてくれたから……異世界から召喚されたことにはならない。では、どういうことだ?
俺があれこれ悩んでいる内に黒騎士は青い剣を槍に戻し、こちらに歩き出す。
「吉夫に近づくな!」
「彼には指一本触れさせません!」
攻撃してくると勘違いした明と少女は剣を構え、黒騎士を睨みつける。俺は彼らに黒騎士は敵ではない、と伝えるがそれでも武器を下ろさない。
当然だ。敵である白狼と友人のように語る彼の姿を見れば、誰だって味方であると勘違いしてしまう。歩みを止めた黒騎士はやれやれと困り、俺の槍を地面に刺した。
「ムタヨシオ。六日後におまえとそこの勇者に魔族を派遣すると言ったが、あれはなしにしてくれないか?」
「……は?」
なにを言われたのか理解できなかった俺は、間抜け面で聞き返す。
「だから、魔族を派遣するのはなしだ。ユグドラシルから手を引く。言いたいことがわかるよな」
「もう手出しはしないってことだよな?」
「まあな。こっちの事情でなしにしてもらう。――おっと」
黒騎士を睨みつけていた明は、おたけびを上げながら彼に襲いかかる。黒騎士は余裕で漆黒の剣で防ぎ、明に語りかける。
「どうした勇者?」
「おまえがユグドラシルを攻めた本人か!?」
「ああ。さっきの会話に気付かないほうがおかしいだろう」
「うるさい! おまえのせいでどれだけ多くの人が傷ついたと思う!?」
「知るかよ。つーか、おまえは昔のあいつそっくりだなー」
黒騎士が余裕で明の攻めを防ぐ。対する明はユグドラシルを攻めた本人を前にして冷静でいられず、力任せに剣を振るう。甲高い金属の衝突音が響き、黒騎士は憤怒の表情で襲い掛かる明の相手を漆黒の剣でひたすら受け流す。明はそんなことなど気にすることもなく、剣に纏わせた風で切り伏せようとする。
……明、どうしておまえは他人のためにそこまでできる? ユグドラシルに来てからほんの二日しか経っていない。剣術や魔法も習い始めたばかりで、命を奪うためらいがあるくせに剣を振るう明。
そのくせ、誰かのために一生懸命になれるおまえは……本当に勇者らしいし、正義感にあふれる男だ。
俺には理解できない。いつも、どんなときだって困っている人に救いの手を差し伸ばし、そいつのために全力で力になる。俺には到底まねできねえよ。
俺は自分のためだけで精一杯。けれど、相棒がたった一人で黒騎士と戦うのを黙って指をくわえてみることはできない。俺はヒーローにはなれないことぐらい自覚している。でも、自分の仲間のためなら俺は戦ってもいい。それが俺と明が交えた約束だからだ。
「おいおい、魔王候補でもあるおまえまで来たらさすがにオレも本気になってしまうぜ」
地面に刺してある槍を掴むと、黒騎士は明の剣を防ぐと横に振るう。それだけでトラックにはねられたように飛ばされ、近くの木に背中を強く打つ明。あいつが動く気配は……ない。背中を打ちつけたせいで気絶したな。
「あーやっちまった。まあいいか」
頭をぽりぽりと搔く黒騎士は俺ではなく、隣にいる少女を見据える。
「なぜ君は聖地に訪れた?」
「わ、わたしの親友が原因不明の病気で倒れました。お医者さんに診てもらっても、アマちゃんは助からないと告げられました。ですから……」
「聖地にあるオウーロの実を求めたのか」
「ど、どうしてそのことを!?」
目を大きく開かせる少女。
「君に教えるつもりはない。が、君の親友にオウーロの実をあげるから……そこまで連れて行ってあげよう」
「……信用できません」
敵であるといまだに勘違いしている少女に、俺はぽんっと彼女の頭に手を乗せる。驚いてこちらを見る少女に告げる。
「あいつはさっきのあれを倒してくれた命の恩人なのに、信用できないのか?」
「それは……」
「もしも、あいつがいなかったら俺たちは死んでいたかもしれないぞ。おまえの親友すら助けることができずに」
<それ>のことを思い出したかのように少女は身震いし、決意したようにありがとうございますと礼を言う。黒騎士ではなく俺に。
「あなたのおかげで決心できました」
「それはよかったな」
少女は天使のように微笑むと黒騎士にお願いしますと頼む。
「わかった。どこにそのアマちゃんがいるのか教えてくれたら、すぐにでも行く」
「もちろんユグドラシルですよ?」
「……こほん、失礼。どこにいるのか、と君の頭のなかで居場所を思い浮かべてくれ」
「はい」
彼らの会話を聞いていると、黒騎士は女性に対してやけに紳士であることがわかる。……おいしい話にはよく裏があるというよな。少女が目を閉じて、アマちゃんという少女がいる場所を思い浮かべている間に、黒騎士に尋ねてみる。
「黒騎士、背後からこっそりと襲うなよ?」
「安心しろ。子供には興味がないから、心配しなくてもいい」
「ふ~ん。……で、オウーロの実は聖地にしかないのにどうしておまえが持っているんだ? それよりも、オウーロの実ってなんだ?」
「オウーロの実とは、どのような症状でもあっという間に治す万能薬だな。んで、オレがそれを持っているのはオウーロの実を作った本人だからだ」
オウーロの実を作った本人って……どういうことだ? 俺が疑問を思い浮かべている間に少女がいつでもどうぞ、と黒騎士に教える。
「そうか。じゃあ、行くぞ」
黒騎士は少女の頭に手を置くと、彼の周囲の空間が歪む。歪んだ空間の先には、きれいに整えられた部屋とベットに眠る赤い髪の少女がいた。少女は苦しそうに息をしており、明らかに普通ではないと俺は一目でわかった。
「ムタヨシオ。白狼から加護を授かったおまえは、近いうちにもう一度この聖地に訪れなければならない」
黒騎士は先に歪んだ空間に入った少女を見送り、俺にそのようなことを告げる。
「近いうちとはどれぐらいの期間だ?」
「一週間後に来ればいい。その間に白狼から授かった加護を扱いこなせるようにしておけよ。おっ、それと副作用に驚くなよ?」
「……? よくわからないが一週間後にもう一度ここに来る」
黒騎士は背を向け、歪んだ空間に歩き出そうとする。
「黒騎士」
奴の名前を最後に呼ぶと、彼は振り返ることなく立ち止まる。
「おまえの本当の名前はなんだ? 俺の名前を知っているだけでは不平等だ」
「あー……黒騎士ザックだ」
「わかった。ザック、おまえは嫌な奴だと思っていたが、俺たちの命を助けてくれたことに関して礼を言う。出会いは最悪だったけれどな」
「ははっ、同感だ」
「じゃあな、ザック。今度会ったときは俺がおまえを倒してやるよ」
「おう、楽しみにしているぜ」
黒騎士――ザックは俺と再会の約束を交わすと、歪んだ空間に姿を消した。……あっ、あの少女の名前を聞いていなかった。でも、彼女はユグドラシルにいるから近いうちに出会うかもしれない。
周囲を見渡してみると、木にぶつかって気絶している明がいた。俺たちを殺そうをした白狼の姿は、どこにも見当たらないので地面に大の字になって寝転がる。
さすがに疲れた。森の中を走り続け、さらに白狼との勝負で血を流しすぎたせいで貧血気味だ。立っていられたのは、ザックと少女に情けない姿を見せなくなかった俺のやせ我慢のせい。
「あー。加護とか副作用とかわけわかんねぇ」
大の字になった俺は、雲一つない青い空を見上げながら愚痴る。