再会
翌朝。
目覚めれば隣には寄り添うように眠る鈴音の姿があって、昨夜は確かに彼女は宛がわれた部屋に向かったはずなのになぜここにいるのか、俺にはわからない。
先に朝食を済ましてから、彼女を起こしても問題ないだろう。やることを決めて立ち上がろうとしたら、左腕に柔らかい何かが絡みついているのを感じた。もしやと思い、薄い布団をめくってみれば、温もりを逃がさないように鈴音の細い両腕できっちりと固定されていて、幸せそうに寝ている。
「まったく……しょうがないな」
彼女の顔にかかっている黒髪を指で払いのけ、頬に触れると甘えるようにこすりつけてきた。無意識にしていることかもしれないが、さすがに不意打ちされるとどきっとしてしまう。
「すまない、鈴音」
頬の感触を確かめるように何度も触れてから、鈴音のそこを容赦なくつねた。気持ちよさそうに寝ていた彼女は痛みによって飛び起き、俺を視界に収めるとベットから突き落とされる。
幸いなことに頭は打たなかったけれども、眼前には頬をつねられて赤くなった場所をさする鈴音が激怒している。
「なにすんねん! もうちょい、ロマンチックな起こし方とかあってもええやろ!?」
「そうかもしれないけれどな……咄嗟のことだったから、つい、な」
「つい、な。やないわ! ああ、もうよっしーの阿呆っ。シスコンっ。女装好きの変態っ」
もしもここで彼女に言い返していたら、あれこれと様々な罵倒を続けて言われてしまうので、立ち上がった俺は鈴音の赤くなった頬に口付けをした。
「う、あ。ふ、不意打ちは卑怯や……」
唇が触れた箇所を押さえて、初々しく恥ずかしそうに照れる鈴音の顔は熟れた林檎の如く赤い。
「これで許してくれよ、鈴音。今度から……できるだけ、そうするから……」
俺も自然とこのように返してしまうと、途中から頬が熱を帯びてきたせいでまともに彼女の顔を見れなくなってしまう。
鈴音も俺と同じ状態で、恥ずかしそうに顔を枕で隠して目を合わせようとしないまま、ロマンチックな起こし方について教えてくれた。
「メグみんに聞いたで。メグみんが寝ているのを狙って、おでこにちゅーしているって。せ、せやから……」
思わず天を仰ぎたくなってしまう。それでも、彼女の要望には応えておきたい。
「わかったよ」
「ほ、ほんまに!?」
「ああ、だから……その、なんだ。寝ている振りとかしてもらえても、いいだろうか……。別にそこじゃなくても、頬でもいいよな……?」
「もちろんっ」
仕切り直しというよりも、いまのうちに済ませておきたい。
枕で顔を隠していた鈴音はそれを放り投げ、目を閉じて、頬に唇が触れるのを待っていた。無防備な彼女の姿に心臓が高鳴ってしまい、さっさと済ませてこの音を聞かせないために頬に唇を触れさせようと、息がかかる距離まで詰めた時に冷気が含まれているような声がした。
「――で、お二人とも、いちゃついてないでさっさと下りて来て、朝食を食べに来てください」
俺と鈴音は思わず飛び上がりそうになり、声がした先には巫女服を隠すように黒いローブを纏う巴が冷たい目でこちらを見ている。
「い、いつからそこに?」
無駄だと思っていても一応訊いてみた。
「最初からです。私がドアを開けても、二人だけの世界を作り出して朝からいちゃいちゃしているなんて……」
わずかに語尾が荒い巴は不機嫌で、自分だけ忘れられたことに腹を立てているだろう。鈴音は巴に最初から会話を聞かれていたことに、悶えている。
「ごめん、巴。次からは気を付けるよ」
「そうしてくださいよ、兄さん。……この埋め合わせは他にしてもらうからね」
そう言うと巴は去っていき、ドアを閉じた。
残された俺と鈴音は何事もなかったかのように、一階に下りてアマリリスの従兄が用意してくれた朝食を食べに向かう。
朝食を食べ終えてから、ヴィヴィアルトをのぞく全員は死霊の森に向かう準備をする。準備と言っても、宿屋に忘れ物をしていないかを確認するだけで、アマリリスの従兄が非常食を用意してくれていた。
ヴィヴィアルトだけは俺たちよりも早めに起きて、すでに港町へと向かっていたことをアマリリスから聞かされた。
死霊の森に向かうのは俺、鈴音、巴、アマリリスとレナ。
てっきりレナは残っていくかと思っていたが、どうやら彼女は何もしないよりも俺たちと一緒にいて、自分にできることをしたいという。
飛翔翼を取り出して魔力を流していきながら、行きたい場所を脳内に浮かび上がらせて、発動させた。
飛翔翼によって転移した俺たちを待っていたのは、深い森であった。だけども、ここは見覚えがある。フィオナの森だ。なのに不気味なくらい静まり返っているなんて、初めてここを訪れた時と雰囲気が違う。
その理由はフィオナの森と死霊の森の境界線の間にいるから。
いまから進む先に何が待っているのか、誰にもわからない。それにしても、前世の記憶があるおかげでこうもあっさりと転移できるとは、ありがたいな。
「兄さん、一応警戒しておいたほうがいいですね」
「そうだな」
自然と巴が先頭になって、その間に鈴音とレナと俺が並び、最後尾にはアマリリスとなって、死霊の森に足を踏み入れた。
誰もが無言で足を動かし続けていき、たまに動物の姿をちらっと見かけるけれども、すぐに背を向けて逃げ出した。魔物がどこかに潜んでいるかもしれない、と誰もが警戒しているのにゴブリンの一匹さえ見当たらないほど。
二時間ほど歩き続けたところで。
「兄さん、そろそろ休憩にしよう。まだ身体の調子がよくないでしょ?」
「そう……だな。そうするか」
初めての休憩にすることになった。
皆、さすがに疲れているのか、あまり口を開こうとはせずに丈夫な革袋に入った水を飲む。それにしても、暑い。サティエリナからユグドラシルの平均気温は25度前後で、暑い時はそれ以上だということを思い出した。
そうだ。
サティエリナたちは、一体どうなっているのだろうか。死霊の森でやることを終えたら顔でも出そうか……いや、やめた。いまは恵美を助けることが最優先だ。あとで、またどこかであいつらに出会えるだろう。
最後に回された革袋を手に取って、それを一口含むとアマリリスがレナのことを称賛していた。
「レナって見かけによらず、やるじゃない」
「え。ど、どうしましたか……?」
視線を向けた先にはアマリリスが珍しくレナのことを褒めていて、本人は困惑している。
「こんな場所にいるのに、一度も転んでないじゃない」
「わ、わたしだって気を付けていれば、何も起きませんよっ」
自分がどじっ子であることを自覚しているのか、レナは恥ずかしさで頬を薄っすらと赤く染める。そんな彼女に苦笑しているアマリリスは、上から何か落ちているのか察したように見上げてそれを目で追っていた。
「きゃ」
「あたしが取ってあげるわよ」
レナの頭上に何かが落ちたのを見ていたアマリリスは、彼女が払いのける前にそれをすばやく取り除くと顔を真っ青にさせて、遠くに投げた。
彼女がこんな反応するって何事だ。
がさっと上から音が聞こえて、見上げようとした矢先に巴と鈴音が刀と槍でそれを払った。頭に触れるか触れないかの位置で止まるその二つの武器にひやひやしつつ、彼女たちが払ったそれを見る。
親指ほどの大きさのある幼虫がうねうねと身体を蠢かせ、やがて息を引き取るように動かなくなる。
「なあ、アマリリス。虫の魔物ってこんなに大きいのか?」
「……」
「アマリリス?」
虫の魔物を見たことがなかったので、アマリリスに問うものの、彼女の顔は真っ青のままで何も答えない。レナのほうを見れば、彼女も同じ反応をしている。鈴音と巴だけは平気そうに見えるが……実際は怖がっているかもしれない。
と思ったもの束の間。
甘い蜜に誘われるかのように、次々と虫が俺たちに集う。先ほどの幼虫、毒々しい紫色の羽を広げた蛾、見惚れるほどきれいな模様の羽を持つ蝶。
ここまではよかったけれども、土の中から数えきれないほどの脚を持つ細長い百足。三メートルもあるそれは大きく、俺たちを威嚇みたいに顎をかちかちと鳴らす。
樹の枝からは糸にぶら下がって、こちらを様子見するように無機質な赤い複眼に俺たちを映す拳ほどの大きさの蜘蛛がいた。
どこを見渡しても虫ばかり。一触即発の雰囲気が漂い、いつの間に俺たちはこの虫たちに逃げ場まで奪われていたため、この場を切り抜けるためには戦うつもりでいた。その矢先――しゃらん。
耳に残る鈴の音がすぐ近くで聞こえ、それによって驚いたのか、数匹の虫が後退していくのを目にした。
また同じ音が響くと、今度は効果があるかのように虫の数が徐々に減っていく。
「――悪戯を愛する風の妖精さん、お願いします――もっと。もっと響かせてください」
声のした先にいたのは、腕輪についた小さな鈴を鳴らすために動かすレナだった。彼女を中心に風が舞い、その願いを聞き入れるように鈴の音は虫たちにどんどん広がっていき、やがては一匹も残らない結果になった。
威嚇するかのように顎を鳴らしていたあの百足さえも、ここにはいない。
「ふぅ……ふぅ……」
乱れた息を整えるレナの手首には、いつの間に腕輪が消えている。精霊とはてっきり、戦うためにしか使役しないかと思っていたけれども、戦意を失わせるためにもできるとは、驚きだ。
「も、もうっ。悪戯しないでくださいってばっ。また今度歌ってあげますから……ふふ、ありがとう」
風が吹いてないのにも関わらず、ふわりと髪が舞い上がることにレナは笑みをこぼしながらお礼を誰かに告げた。誰か、じゃなくて妖精だよな。乱れた髪を整えるレナに、俺は感謝した。
「ありがとう、レナ。おまえがいなかったら、俺たちはあれらと戦うことになっていたよ」
「ふふっ、ヨシオさんは戦うことぐらいしかできませんから……じょ、冗談ですから落ち込まないでくださいね?」
歌と精霊召喚について自信を持っているせいか、特に取り柄もない俺にそのようなことを言われるとへこむ。何かを言おうとレナが言葉を紡ごうとしていると、いつものことが起きてしまう。
「あうっ」
「レナ、ほんまどじっ子やなぁ」
「どじっ子というレベルを超えているような気がします」
「トモエもそう思うわよね。あんなに大きな穴、普通気を付けていれば誰も落ちないのにね」
レナは百足が現れた穴に落ちてしまい、呆れた表情で鈴音と巴とアマリリスがそこを見ていた。アマリリスがロープを用意して、穴の中に垂らしてレナを助けようとしているのを見ていたら――ぼうっと紅い炎が遠くで煌めく。
どこか見覚えのあるそれに注意して眺めていたら、激しく鳴り響く剣戟が響き出し、甲高い断末魔の悲鳴が聞こえた。もしかしたら、レナが追い払った虫の魔物が誰かに牙を剥き、返り討ちにあったのか、とぼんやりと考えていると大きな竜巻が出現した。
距離は離れているはずなのに、まるで引き寄せられそうになるほどの吸収力。これはまずい。視界に映ったのは穴に落ちたレナを助けようとしていたアマリリスたちが、迷わずそこに入っていき、俺も彼女たちに続く。
穴の中は当然狭く、五人がぎりぎり入る場所であったけれども、地上にはあの竜巻があるからここは我慢するしかない。
「もう終わったっぽいね」
耳を澄ませていたアマリリスは外にもう竜巻がないことを俺たちに教え、彼女が一番最初に出て、最後に俺が出た。また虫の魔物が出るかもしれないと警戒しつつ、竜巻が発生した場所まで向かうと――そこには懐かしい顔ぶれが待っていた。
親友で、勇者になることを決意し、竜の里に向かった人物――緋山明。彼に助けを求めたフローラ。そして、アマリリスとヴィヴィアルトの連れであるレオ。
最後に明の肩に座る緑色の半透明の妖精がいたが……あれは誰だ。
紫色の瞳に俺を映した明と再会の言葉を交わす。
「久し振りだね、吉夫」
「久し振りだな、明。おまえがここにいるってことは、俺と同じ理由でいいよな?」
「そうなるかな。僕もおまえがここに来るって、なんとなくわかっていたよ」
明が拳を突き出し、合わせるために俺も自分のをそこに当てた。
こうして、俺と明はこのような場所で再会し、そしてお互いにやるべきことを知っている俺たちはあえてそのことについて触れずに、それぞれの身に何が起きたのか語り合う。
その間に鈴音が「祓い」を使用したことで、俺たちの周りには小さな黒い魔法陣がシャボン玉のようにふわふわと浮かぶ。魔物を近寄らせないためにそうしてくれる鈴音にはありがたいけれども、魔力の消費が多いから大丈夫だろうか。
自分の身に起きたことを明が話していると、アマリリスが彼女の従兄からもらった非常食を全員にわけていた。かなりあるのか、全員に行き渡るほどであるけれども……なぜ炙ったサソリなんだろうか。
頬を引き攣らせる俺と明にアマリリスは栄養があって美味しいわよ! と断言しつつ、それを食べた。ぱりっという音が響き、美味しそうに租借する彼女は幸せに満ちている。
そういえば、いつかどこかでヴィヴィアルトがアマリリスはゲテモノを好むとか言っていたような気がする。た、確かにゲテモノだが……俺たちのいた世界ではイナゴを調理したり、他の国では百足を焼いたり、または百足酒にしたりとあったよな。
蜂の子も食べたことあったので、抵抗もなく俺と明は口に運ぶ。
「お、うまい」
「あ、本当だね」
味見に一口噛んでみると意外と美味しい。サクサクとしていて、歯ごたえがいい。食べる時にはぱりっという音がするから、聞くほうからすれば美味しそうと思えるが見た目がこれだからさすがにそう思わないだろうな。
レオのほうも気に入っているのか二本目のサソリ焼きを味わっている最中であった。
鈴音、巴、レナ、フローラと……明の肩に乗っていた半透明の精霊こと風の精霊王であるアイリスは一向に口に運ぶ様子はない。そこでアマリリスはサソリ焼きを食べなかった人用に黒パンとジャムを差し出した。
あるなら最初から渡せよ、アマリリス。
「皆、そろそろ行こうよ。どこかでテント張らないといけないから、安全な場所を確保しないと」
全員が食べ終え、ある程度休憩していると明が宙に浮かぶ小さな黒い魔法陣の数が少なくなっているのを見て、声をかけた。
確かに薄暗い死霊の森の中でテントを張らないと安全に夜を過ごせない。でも、明よ、別にユグドラシルの宿屋に戻っても罰は当たらない。
しかし、恵美を助けるためには、多少の危険があっても越えなければならない。リスクを支払ってでも、終えないといけない使命を持つ俺と明は――と思考していると、昨日ヴィヴィアルトに焦らないでくださいね、と言われたことを思い出した。
深呼吸して、思考を切り替える。
そうだ。焦ったところで、何かが変わるわけじゃない。確実にやらなければ、意味がない。
「ん?」
鈴音が「祓い」を解除して、何かに気付いたように顔を上げた。
明が歩き出そうとした瞬間を狙ったかのように眼前に腰に剣を吊り下げた獣人の青年が現れた。そんな彼の後ろにはダークエルフの女性が立っており、青年は水色の瞳に俺を映すと――跪く。
「お待ちしておりました、白狼様」
いきなりそのようなことを言われて混乱する俺に、青年は落ち着かせるために言葉を紡いだ。
「まずは僕たちの村に来てください。詳しいことはそこで話します」