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白銀の魔王は黒き剣と踊る  作者: Victor
炎の国フォガレイム
53/68

記憶

 アマリリスのおすすめする宿屋「赤きしっぽ」で一夜を過ごし、温かい木漏れ日を感じながら上体を起こしてあくびをかみ殺す。必要最低限しかそろえていない質素な部屋にはテーブル、俺が寝ているベットに窓がある。


「ふう……」


 今日は添い寝をしてくる恵美がいないので、気が楽と同時に寂しいと感じてしまう。彼女はヴィヴィアルトとアマリリスと同じ部屋で過ごしている。これまでゆっくりできなかった彼女たちは、これを機に楽しく会話をしていた。

 そんな彼女たちの会話に参加することなく、俺は大人しく部屋に戻ってサティエリナからもらった本を読み、眠気を感じてきたらそれを閉じて寝た。

 久々にゆっくりできたため、寝巻きから着替えて一階に下りる。この「赤きしっぽ」は宿屋兼食堂でもあるため、泊まる人は食費込みで払い、食堂として利用する人はその分だけ払う。

 下りてみるとすでに食堂にはいくつかの人影がいて、彼らも早起きであることに驚く。だいたい朝六時なのに、よく起きれるな。それとも、彼らの朝はいつもこの時間帯に起きているってことだろうか。

 空いているテーブルに座る前にちょうど目の前を通ったアマリリスの従兄に朝食を頼み、そこに腰を下ろす。従業員たちのほとんどは獣人で、耳に注目すれば猫耳もあれば兎耳もあって、しっぽも異なる長さ。なんだか、和むな。

 従業員たちの耳やしっぽなど見ていれば何か言われそうなので、視線をそこから別の物に向けた。壁には獅子の紋章が刻まれた布があって、アマリリスの服に似たような形が刻まれていたことを思い出した。

 ぼんやりとそんなことを考えていると黒い麦パンとスープを持ってきてくれたアマリリスの従兄。


「お待たせ」

「ありがとう」


 感謝して、それを受け取って彼の姿を見てみた。髪と目、しっぽも燃えるように赤く、顔立ちはどちらかと言えば普通。

 この「赤きしっぽ」を元々経営していたのはアマリリスの両親だが、彼らはさらなる強さを求めてどこかに旅立った。彼としてはのんびりと嫁と従業員と共にここで暮らして、過ごす日々が気に入っているので不満などほとんどないらしい。

 たまに騒動を起こす客は「穏便」に済ませ、実際にそれを目にしてはいないけれども俺たちがここに着いた時には青ざめた二人の野郎共がぽいっと放り出された。 

 パンをちぎって、スープにつけて食べる。ほどよい硬さのパンはスープの味を染み込み、それを口に含めばまろやかな味が広がる。美味しい。


「昨日は虹の勇者とケンカした君のこと、もう有名になっているって知っているかな」


 暇なのか、こちらが食べ終えるのを見計らって彼は空いているテーブルに座って、そんなことを言い出した。


「そうなのか。例えばどんな風にだ」

「んー……一人の女性を巡って、二人の男性は彼女を自分のものにするために決闘するとか。相手があの女たらしの虹の勇者だから、君たちがこっちに来る前に届いていたよ」

「なにやってんだよ、ここの人たちは。暇なのか」

「暇だね。こういうことに関して、広まるのはかなり早いよ。そうそう、僕のお嫁さんに一目惚れした、と言い出したからつい追い払ったよ」


 苦笑交じりにそんなことを教えてくれる彼に、俺はその時の光景をぜひ見たかった、と伝えると周りの客たちが笑みをこぼした。どうやら、ここで朝食を摂っている人たちはその時、アレクが彼にどうように追い出されたのか思い出しているみたいだ。

 知りたい。が、何聞かされるのかわからないのであえて黙っておこう。


「そうそう、気を付けたほうがいいよ。彼は虹の勇者って名乗っているのはちゃんとした理由があるよ。剣が虹みたいに輝いて、一振りするごとに属性変化するからだってさ。まあ、剣が虹っぽく輝いているせいからかな。

 あと、人族(ヒューマン)以外に対して普通に接するみたいだけど、それ以外の種族は見下しているって気になってギルドで調べた人が教えてくれたね」

「へー……」


 もしかして、あいつは人族以外は魔物に襲われていようが、盗賊に殺されかけていようが見て見ぬ振りで過ごすのか? 

 じゃあ、なんでさまざまな種族が集うフォガレイムにあいつはここにいるのだろうか。人族以外の種族が嫌いならばいますぐにここから立ち去ればいいのに。


「……なあ。聞いたら悪いかもしれないが、おまえの嫁さんは同じ獣人なのか?」

「もちろん」

「あいつは種族を嫌悪するくせに、異性ならば口説こうとするなんておかしいよな」

「その通りだね。あ。食器は下げておくよ。これから出かけるなら伝言でも伝えておくかい?」

「頼むよ」


 彼は任せて、と返すとスープが入っていた木の器を持っていき、残された俺は「赤きしっぽ」を出ると、どこからか風によって運ばれた花のにおいが鼻孔を刺激した。暖かい太陽の光を浴びながら、炎の国フォガレイムを知るために歩き出した。







 異世界アースに来てからのんびりと一人で歩くことは久し振りであること感じながら、フォガレイムの街を歩く。 

 朝から活気にあふれた街には、商人たちが声を張り上げて客を呼び込み、興味がある人たちは立ち止まって商品を眺めている。商人は人間(ヒューマン)ばかりで、商品を見ているのは獣人やドワーフ。

 気になってのぞいてみると装飾品が並んでいて、ほとんどはシンプルな形であった。年頃の少女たちにも買える値段なのか、聞き流しているとけっこう安い。銅貨十枚……だいたい千ヘアルか。

 「赤きしっぽ」では全員含めて銅貨二十枚。食事付きであれば三十枚。他の宿屋よりも高いとヴィヴィアルトから聞いているが、俺としては安い。ちなみに昨日の酒場で請求された金額は銀貨一枚分なので、こっちのほうが高い。

 そんなことを思い出しながら、恰幅のいい男性と交渉する女性たちを通り過ぎて他に何があるのか探していく。

 八百屋、武器屋、また装飾店、魚介類を売る魚屋には驚かされた。さらにモンスターの牙や皮を扱う素材屋に香辛料。香辛料だけは欲しかったので、店主からどれがいいのか、と訊きながら欲しいのを選び、まとめて買ったそれの金額は銀貨二枚分だが気にしない。


「お嬢ちゃん、将来いい嫁さんになるかもしれないな」

「俺は男だ」

「えっ」


 分厚い葉にそれぞれの香辛料を包まれたそれらを受け取ると、店主はにこにことそんなことを言ったが、即答すると驚愕していた。くそ、この長い髪と顔つきがいけなんだよ……。

 何か言われる前に人混みの中に紛れ、「赤きしっぽ」にでも戻ろうかと思っているととある物に目を奪われた。なぜか透き通るような小さな緑色の石がついたペンダントから目が離せなくて、それが売っている店に入ることにした。


「おんや。おまえさん、その魔導具が気に入ったんかい?」

「あ、ああ」


 紫色の衣装に身を包んだばあちゃんはキセルを片手に俺を見上げる。彼女がいる場所を確認すれば小さな屋台で、他にも装飾品や短剣、お香に禍々しい雰囲気を醸し出す骸骨の指輪や呪われていそうな腕輪などあった。なんだ、この店。

 気にしたらダメなので、目にしているペンダントについて問いかけた。


「なあ、ばあちゃん。普通は魔導具って武器の形をしているはずだろう……?」

「そうじゃよ。じゃがの、魔導都市じゃとこれぐらいのことなんて当たり前なんじゃ。こっちの技術が遅れているよりも、伝わっていないからのぅ」

「なるほど」


 大陸の反対側にある魔導都市からならばまだ技術が伝わっていてもおかしくないことに納得して、ペンダントを手にして、これはいくらかと訊いてみた。 


「銀貨二枚じゃよ。なにせ、それは風の魔鉱石を使っておるし、身に付けて魔力を流せば宙に足場を作れるからのぉ。浮かぶこともできるの」

「じゃあ、これを二つくれないか?」

「ほっほっほ。決断が早いの、若者よ。高いと思わんのか?」

「銀貨四枚は高いさ。でも、これさえあればできることが増える」


 高くないと言えば嘘になるが、買う価値はあるためこれぐらいの出費は痛くない。それにまだ金はあるからたまには使っても罰は当たらないだろう。


「ほっほっほ。おまえさんはわしがもう少しだけ若かったら、婿にしてやりたかったわい。銀貨一枚分まけてやるぞ」

「ははっ、ありがとばあちゃん」


 彼女の好意に甘えて新緑のつぼみが描かれた銀貨三枚を空間魔法から取り出し、それと引き換えに二つのペンダントをもらう。彼女の手が触れた時、とある光景が前触れもなく脳裏に浮かび上がり、俺はそれに呑み込まれた。

 周りは薄暗くて、何がどうなっているのかよくわからない。目を凝らして見れば大きな樹々が並び、風によって葉同士がこすれ合ってざわざわと嫌な音を奏でる。その樹々の中心には二人の影がいた。

 純白の剣を握り締め、背には黒い槍を背負った青年は嗤い、斬りかかってきた相手を切り裂く。背後から放たれた矢は後ろに目があるかのようにかわす。

 ただかわしているだけじゃない。魅せつけるように踊り、次々と途切れることなく放たれる撃ち落し、軽快な足さばきで回避していく。

 背負う黒い槍は彼の背後から放たれた氷の棘と横向けの竜巻が一つになった魔法……確か氷の嵐(アイストルネード)と呼ばれるそれに反応して、青年を守るように漆黒の魔法陣を展開し、消し去った。

 手にしている剣をどこかにしまうと、背負っている槍を掴んでただ振るう。槍は途中で「曲がって」相手を貫き、もしくはなぎ払っていく。先ほどと同じ魔法が再度彼を襲うがこれも展開された漆黒の魔法陣で打ち消され、けれども青年に傷を負わせようとしているほうは諦めることなく同じことを繰り返す。

 燃やし尽くさんと迫る火炎の弾や貫こうとする氷の刃、大地に棘を生み出しながら串刺しにしようとしている魔法が次々と放たれる。彼は慌てることなく、槍を大地に突き刺して、どこからか漆黒の剣を取り出すとそれを一振り。

 それだけで放たれた魔法は幻のように消え失せた。

 漆黒の剣をまたどこかに仕舞い、次に彼がしたのはもう一度あの純白の剣を取り出して迫ってきた影と激しく切り結ぶ。

 ぶつかり合う度に響く金属音と暗闇に美しく舞う紅蓮の炎。影の人物は一旦距離を取ると、膨大な炎をあふれさせて、それを凝縮させた炎の球を青年に放つ。青年はそれの危険性を理解しているのか、それとも込められている熱量を察したのか、漆黒の剣を出現させることなく下がった。

 炎の球が地面に触れると爆発し、爆風と熱量が周囲に広がっていく。それでも、彼らの戦いは終わらない。

 これは……何だ。何が起きている!? ただ見ていたことを眺めて、何が起きているのかまったく理解できない……!

 

「ヨシュアぁ! 正気に戻れやがれっ!」

「あははっ。なにを怒っておるの、ガウス?」


 黒髪黒目の青年――ヨシュアと寝癖のように跳ねた燃えるように赤い髪、紫色の瞳の青年――ガウス。彼らは俺と明の前世である人物たちは言葉を交えながら剣を交えた。


「おまえが罪もない人々を殺しているから、俺は止めるためにここにいるじゃないかっ!」

「僕がやっていることはリーンを闇堕ちさせた人たちを殺すためじゃないか」

「こいつらは呪術を使えるほど器用じゃない!」

「でもさ、ダークエルフはできるよ。彼らはできるから、僕はもう二度と同じことを繰り返さないように根絶やしにするよ。今度もこんなことを起きさせないようにさせない、とね」

「そうじゃねぇって何回言えばおまえにわかるんだよ!?」


 お互いの想いをぶつかり合わせながら、戦うヨシュアとガウス。この二人の会話からすれば……きっと、ヨシュアとヘンリエッタの悲劇の結婚式のあとか。


「ガウス。これ以上邪魔するなら……殺すよ」

「上等だ! おまえを止めるのが親友としての役目だからなっ」


 ヨシュアはいつも俺が危機のときに……違う、恵美と仲間たちを守りたいと強く思った時に現れる黒剣を握ってガウスを睨む。

 対するガウスも腰に差している剣を抜いて、振るうと同時に灼熱の炎が渦を巻いて刀身に現れる。それを振るうと炎の渦が解き放たれ、ヨシュアを呑み込もうとするが黒剣によって打ち消される。


「ヨシュアぁ!」

「ガウスっ!」


 交差する二人を最後まで見届けようとして――急に視界が入れ替わった。目の前には俺の手に触れたばあちゃんの姿。


「すまんのぅ。おまえさんの前世が気になって、ついつい過去をのぞいてしもうた」

「……あ、ああ。おかげで気になっていたことを知ることができたから、感謝するよばあちゃん」

「そうかえ。わしはそろそろ魔の国に行くとするかのぅ」


 手を離したばあちゃんは店の商品を一瞬で仕舞い、これも魔法の応用なのかと驚いていた俺に不意に声がかけられ、振り返るとそこに彼女が立っていた。


「よっしー。数日振りやなぁ」


 夜のように黒い瞳、人懐っこい笑みを浮かばせて黒髪を後ろに束ねた少女――九条鈴音がいた。地下都市スビソルで助けられ、〈土の欠片〉を巡る戦いが終えてから俺は意識を失っていたため、こちらが目を覚ます頃にはすでに旅立っていた。だから、この機会を逃すわけにはいかないから、俺は鈴音と向き合うことを心の中で決めた。

 ふとばあちゃんがいた場所を見ると、そこにはなにもない。まるで最初から存在しなかったかのように。あのばあちゃん、何者だ? 俺の知らない前世の記憶を呼び起こすなんて普通はできないはずだ。

 疑問を抱きながらも鈴音に久しぶりと返し、俺たちは歩き出す。







 どこかで落ち着いて話をしようと彼女に提案したのに、嫌やの一言でばっさりと切り捨てられた。じゃあ、何をするかと言われたら俺をあっちこっち引っ張りまわして、フォガレイムを散策し続ける。

 懐かしいな。デートしていた頃なんて、いつもこうしてどこかぶらぶらしていて、楽しんだものだ。思わず頬が綻んでしまい、怪訝そうにこちらを見てくる鈴音には何でもないと返す。

 離れた時間を埋めるためか、鈴音はずっと俺の手を繋ぐ、もしくは腕を組んで歩き続けていくと彼女はとある店に興味を示した。

 そこは装飾店で、中に入ろうかと訊けば彼女は首を縦に振って中に入ると、定員に問われたあの一言で鈴音の表情が変化していく様は面白くて、つい笑ってしまった。

 恋人同士かと問われ、鈴音は顔を真っ赤にして指で黒髪をぐるぐると巻いて落ち着かない様子で、上目遣いでこっちを見ていた。なので、そうではないと否定すると子供のように頬を膨らませて、拗ねてしまった。

 これまでは姉弟ですか、と訊かれることがあったが……今回のようなことは今日で初めての出来事だ。

 いまはその装飾店から出て、またどこかに向かおう、とお互いに何も決めずに歩いている最中。


「よっしーの阿呆」

「いつまでふてくされているつもりだよ、鈴音?」

「うちの好きでええやないか」


 そんなことを言う鈴音の耳には黒薔薇の形をした小さな耳飾りがつけられている。高めであったが鈴音には何かを買ってあげたかったし、彼女も満足そうにしているが……店員に付けられる時は痛そうにしていたはずなのに、いまでは平気な顔をしている。

 頬を膨らませる鈴音をつつき、やめんかと抗議するが楽しそうに笑みを浮かべる彼女。これ以上いじると本気で怒られそうなので、ここらでやめておく。

 楽しそうに笑っていた鈴音も俺がちょっかい出すのをやめると、急に静かになってしまった。それから俺と鈴音は無言のまま街を歩き続けていると、彼女は森に行こかと言い出したのでそこに向かう。

 フォガレイムの近くには森が生い茂り、その中央には街道ができている。朝は平穏であるが、夜になれば魔物がうろつくのでほとんどの人は夕方になる前には家に帰っている、と商人でありながら〈土の欠片〉であるダイナスから聞いたことがある。

 いまはまだ昼。たとえ魔物の群れに遭遇しても、俺と鈴音ならば大丈夫だろう。どちらも口を開くことなく、ひたすら歩き続けていく。

 風が吹くと葉同士が擦り合う音が奏で、鳥たちのさえずりが響くほど静寂に満ちていた。どこまで鈴音が行きたいのか俺にはわからないが……きっとこの先に目的地があるだろう。

 そんなことを考えながら、ふと昨日酒場で恵美が話したことを思い出してしまう。あのことを彼女に問おうか、と迷ってしまう。もしも訊いたらそれは自意識過剰だ。けれど、もしも本当だったら……俺はどうすればいい?

 俺にとって鈴音は親友だ。しかし、鈴音が俺に好意を抱いていた場合……。


「なあ、鈴音」

「どないした、よっしー」


 覚悟を決めた俺は鈴音の夜のように黒い瞳をしっかりと見つめて、恵美から見た彼女のこと、感じていることを告げることにした。恵美は鈴音の親友だから、彼女から見ればどう変化しているのかわかっている。

 鈴音にそのことを語っていくと、彼女はいつものように人懐っこい笑みを浮かべて繋いでいた手を離し、俺の前に立つ。


「そのことを答える前に……一つ訊かせてもらうな。どうしてうちがここにいるのか、よっしーはわかるか?」

「それは……おまえも異世界に勇者として召喚されたってことだろう?」

「ちゃうよ。うちはな、ザックのおかげでここにおる」


 魔王でありながらも黒騎士として動き、ユグドラシルを危機に追い込んだ人物。そして、城の訓練場で戦って……負けた俺に魔王になれと告げたあいつか。あいつ、世界を渡る術を知っているなら、いっそのこと恵美と鈴音を元の世界に帰して欲しい……と考えていると脳裏に一人の人物が浮かんだ。


「って、待て。あいつもか?」

「せや。この前ちらっと見たやないか」

「そうだな。でも、なんでおまえたちがここに来たんだ。来る必要なんて、なかったはずだ。ザックと連絡取れるなら、さっさと――」


 さっさと元の世界に帰れ。と最後まで紡ぐことができなかった。言いかけた唇を塞いだのは、鈴音の唇。


「言いたいこと、よぉくわかる。でもな、うちはもう一度平和な日常を手に入れるためにここに来たんや」

「下手したら……死んでいたかもしれないのに、なんでっ……」


 声が震えている。もしかしたら、身体もそうなっているかもしれない。彼女たちにはもっとも安全な場所で過ごして、俺たちが戻るまでそうして欲しかったのに……なんで、そんなことができるんだよ。

 この震えの正体は……恐怖だと気付いた。大切な物を喪いたくないこの感情は、ヨシュアを通して理解している。「また」あのような出来事が起きそうで、俺は彼女にはここに居て欲しくはないと願っているのに、心のどこかでは傍にいて欲しいという感情を抱いている。

 不安と恐怖を感じている俺を安心させるように、強く抱き締めて、耳元で囁かれた。


「安心しな。よっしーはうちが守る。それに、うち、よっしーのことが好きなんや」


 鈴音の鼓動が心地よくて、彼女の温もりと匂いは俺を落ち着かせてくれる。ああ、これは……ヨシュアもよく、こうやって姉のリーンに慰められたよな。落ち込んでいる時、いつもこうしてリーンが何も言わずに抱き締めて、ヨシュアはいつもそれに甘えていたっけ……。


「な、よっしー。そ、その、ちょっと、やってええか……?」

「ん?……んうっ」


 こちらがある程度落ち着いたと感じたのか、鈴音は恥ずかしそうにそう問いかけ、返答する前にまた唇で塞がれる。小鳥が啄むように何度も柔らかい唇を重ねて来て、俺が何もしてこないと判断した鈴音はさらに大胆なことをした。

 唇を強く押し当てられ、口内に舌が入り込んで絡み合い、蹂躙されていく。そのまま彼女に唇を奪われ、満足したのか、鈴音が離れると二人の間に銀色の橋がかかる。


「すすす、好きやっ」


 頬を赤くして、潤んだ瞳で告白してきた鈴音。だけど……彼女に返す言葉が見つからず、沈黙を貫いていると鈴音は抱き締めて、とそれだけ要求した。彼女を抱き締めて、黒髪を撫でる。


「ごめんな、よっしー。よっしーだって、困っておるやろ。うちとメグみん、どっちを選ぼうか悩んでおるやろう。こうなったのは、うちのせいや。うちがメグみんさえ紹介しなければ、よっしーだってこんな風に悩まなくてもよかったんや。メグみんが好きになるって予想しておったのに……」

「おまえは悪くないよ、鈴音」

「うちが悪いに決まっておるやろ! うちさえ、ちゃんとよっしーに好きって言っておったら悩む必要もなかったんや! でも、メグみんにも幸せになって欲しかったんや! だから、よっしーは何も悪くはないっ」

「……っ」

「なぁ、よっしー……。しばらく、このままぎゅってさせてくれへん……?」

「ああ」

「……っ。ぐずっ……ずっ……ぁ……」


 涙を流しながら鈴音はこれまで隠していた本音を叫ぶように口にしていく。俺は……もっと前に彼女の気持ちに気付いていれば悲しい思いをさせずに済んだはずだ。そうすれば恵美と出会うことも、異世界アースに来ることも、魔物と戦うことなどなかった……はずだ。

 泣きじゃくる彼女を優しく抱き締めた俺は、涙が止まるまでずっと傍にいて慰めることなどできなかった。ただできたことは、鈴音の傍にいるだけ。

 気付いてあげられなくて、すまない鈴音。





○通貨

単位はヘアル。意味は平和。

銅貨は一枚百ヘアル。

銀貨は銅貨を五十枚合わせたもので、一枚五千ヘアル。

白銀貨は銀貨二枚合わせて一万ヘアル。

金貨は白銀貨十枚合わせて十万ヘアル。


普通に仕事していればどの家庭も銀貨八枚くらい稼げるけれども、面倒ってことでわざわざ銅貨に両替して買い物している人も多い。商人も銅貨ばかり抱えるよりもまとめて持っていける銀貨を好むので、両替を求むこともある。


硬貨ごとにヘアルの花が成長していく姿が描かれている。順番に種、新緑の芽、つぼみ、満開の花、と。


冒険者をしていれば自然とランクが上がり、収入源も増えるかわりに危険も増すけれども成功すれば白銀貨三〜八枚稼げる。もっとも装備や日々の食費であっという間に半分まで減らしてしまうこともしばし。


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